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第4章 光と闇の復活
愛のかけら・2
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「いやあああっ!」
鮮やかに甦った記憶の中で幼い自分がそうしたように、シェリルは喉が潰れるほど強く高い声を上げて絶叫した。途切れていた一部分が記憶の中にすっぽりと収まり、シェリルの脳裏に忘れがたい血の惨劇を生々しく刻み付けていく。
「ああああっ!」
音だけと成り果てた絶叫を続けながら、シェリルが両手で抱えた頭を強く左右に振り乱す。
周りの音は何ひとつ聞こえなかった。頭の中に響く十年前の絶叫とルシエルの冷たい嘲笑、そして叫び狂う自分を満足げに見つめる淡いブルーの瞳だけがシェリルの中で渦を巻く。
憎むものは闇であって、カインでは決してない。
シェリルが心を許し、密かに求めていたものはカインであって、それは闇ではなかったはずだ。
それなのに真実は辛くシェリルを巻き込み、短い間に結ばれてきた絆までもを断とうとする。シェリルの中からカインの影を連れ出そうとする。
「嘘よ……。嘘よ、嘘……っ!」
否定する度に、シェリルの心が真実を肯定する。
甦ってしまった完全な記憶に鮮やかな影を残したのは、シェリルの目の前で冷たく笑う闇の王。他の誰でもない、シェリルの守護天使カインだった。
それならばシェリルを守ると、決して裏切らないと約束してくれたのは嘘だったと言うのか。共に旅をし、幾度となくシェリルを助けながら、その影では安易に騙された愚かなシェリルにほくそ笑んでいたと言うのか。今までの彼の方が、嘘であったと。
「……――――どうして……っ。カインっ!」
震えた唇から絶望を表すその名前が零れ落ちた瞬間、シェリルの周りが一切の光を許さない漆黒の闇に包まれた。側にいたエレナやクリスティーナの気配もなく、あのルシエルの存在も感じられない孤独の闇。そこへ突然放り込まれたシェリルは、恐怖よりも抱えきれないほどの絶望感を感じて、力を失ったようにその場にがくんと座り込む。涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を拭う暇もなく、再び翡翠色の瞳から涙の粒が零れ落ちた。
「……どうして」
希望を失った声音は床に落ちる寸前で、闇に跡形もなく喰い尽くされる。
シェリルを包む闇、それはルシエル――カインを壊した孤独の闇。そしてこの闇の感触をシェリルは知っていた。
鎮まるはずのない鼓動を無理に落ち着かせて、ぐるりと周りを見回したシェリルの唇がかすかに動く。
「……地界、ガルディオス」
ディランに連れ去られたカインを追って、シェリルはこの闇に足を踏み入れた。何だか遠い昔の事を思い出したような意識の中に、あの時冷ややかに告げられたディランの言葉が甦る。
『君を襲い、君の両親を殺したのはルシエル様だ』
ディランはずっと前から知っていたのだ。カインが、ルシエルであると言う事を。
力なく俯いたシェリルは無意識のうちに強く握りしめていた三日月の首飾りに気付いて、堪えきれずに短い嗚咽を漏らした。右手がかちかちに強張ってしまうほどシェリルがずっと握りしめていた、彼の色に輝く三日月と一枚の白い羽根。
こんな時になっても自分が縋り付こうとしているものがカインの幻影である事を知り、シェリルは自分を戒めるように強く首を振る。しかしそれとは反対に震える唇が零した言葉は、シェリルがそれでも信じたいと願う……今はもう消えてしまった天使の名前だった。
「何を泣く? 我ならここにいる」
シェリルの真後ろで、薄氷が重なったように儚い声がした。
ぎくんと震え、慌ててその場を離れようと立ち上がったシェリルの足を、ざらりとした不快な感触の闇が捕まえる。ひっと短い悲鳴をあげて一瞬立ち竦んだシェリルの背後に、黒い空間から音もなく溶け落ちた闇の塊が流れるように両の腕を左右へと広げた。
「お前は我を待っていたのだろう?」
逃げる間もなく、シェリルは真後ろからルシエルの強く大きな腕に抱きすくめられていた。触れた部分から、急速に熱が奪われていくのが分かる。血管さえも凍り、手足の感覚が麻痺したようだった。
「我に、ずっと会いたかったのだろう?」
耳元で囁かれ、シェリルの体が更に硬直する。否定の言葉を探し、必死に唇を動かしてみるものの、青ざめて凍った唇からはかすかな嗚咽しか漏れてこない。絶対的な恐怖を感じてシェリルが思わず目を瞑った瞬間、首筋に熱を持たない柔らかな唇が静かに触れた。
「我は会いたかった。気の遠くなる、永遠とも思える長い間、ずっとお前だけを思って生きてきた。お前に会う為だけに生きてきた」
冷たい声音で甘く囁きながらシェリルの首筋に顔をうずめたルシエルが、愛しい者に触れるようにシェリルを更にきつく抱きしめる。カインと同じ腕でシェリルを抱きしめ、カインと同じ声で甘く囁くその闇に、カインの持つ不器用な優しさは少しも残ってはいない。
それはカインであってカインではないもの。分かっていた。シェリルにはそれが嫌と言うほど分かっていた。しかしその腕を振りほどく勇気も強さも、今のシェリルにはなかった。
「……あなたは……カインじゃないわっ」
言葉を詰まらせながらやっと唇から零れた言葉は、ルシエルの笑いを誘うものにしかならなかった。
「今更何を言う。お前は我を認めた」
「カインは……きっと戻ってくる。約束したものっ!」
「叶いもしない約束に縋り付くとは。お前はどこまでも愚かだな。あの女とよく似ている」
まるで自分に言い聞かせるように呟いたシェリルを抱きしめたまま、ルシエルがシェリルの胸元で揺れる白い羽根を掴み上げた。
「奴は我の中で永遠に眠った。お前の元には二度と戻らぬ」
自慢でもするかのように高らかに声をあげて叫んだルシエルが、間近にシェリルを見つめてにやりと笑みを零した。
それはシェリルの手元に残った、カインの存在を示す唯一のもの。シェリルとカインを繋ぐたったひとつの絆。
「やめてっ!」
叫んで必死に手を伸ばすのとほぼ同時に、ルシエルの手に握られた純白の羽根が首飾りの鎖から力任せに引き千切られた。
――――俺を……忘れないでくれ。
聞こえるはずのないカインの声が、胸の奥に悲しみの波紋を広げていく。
一瞬だけ宙を舞って、ふわりと落ちた純白の羽根が、そのまま闇に溶けるように消えていく。動く事もできず、ただ呆然と見つめていたシェリルの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ始めた。
カインとの絆が、たったひとつの繋がりまでもが、シェリルの手を離れ闇に飲み込まれていく。残ったのは辛く悲しいだけの真実と、希望を掴みそこねたまま宙に止まったシェリルの右手だけだった。
「お前には、もう何も要らぬ。望みも悲しみも、我が全部喰い尽くしてやろう。我とひとつになる事で、お前はやっと解放される」
シェリル耳元に唇を寄せて小さく囁いたルシエルが、羽根をもぎ取った右手をゆっくりと引き戻す。左腕にシェリルの体を抱いたまま、ルシエルは引き戻した右手で背後からシェリルの首を鷲掴みにした。長く伸びた爪が白い肌に食い込み、僅かに赤を滲ませた。
「お前の血も、美しい色をしているのだな」
うっとりするような口調で呟いて、ルシエルが血の滲んだシェリルの首筋にそっと唇を寄せた。
「恨むなら己の運命を恨め。あの天使に心を奪われた愚かな自分をな」
右手で首を掴み、左手を上に掲げたルシエルが満足げに呟いた言葉を、シェリルははるか遠くの方で聞いていたような気がする。
「今度こそ死んでもらおう」
振り上げられた左手にぞろりと生える長い爪が、赤く不気味に煌いた。その腕が自分の体を貫くのだろうと分かっていながら、シェリルはルシエルの左手が勢いよく振り下ろされる瞬間をただ黙って見つめるしか出来なかった。
羽根を失い、カインを失い、信じていたものすべてを奪われたシェリルの中には、もう絶望すら存在しない。
止まらない涙で激しく歪んだ視界に映る、ルシエルの左腕。あの腕が、シェリルをこの世界から救ってくれるような気さえしていた。背負ったものを投げ捨て、深い眠りに堕ちる。誰にも邪魔されず、傷付けられる事もない永遠の眠りのその果てでなら、カインに会えるだろうか。待ち続ける自分の元へ、カインは戻って来てくれるだろうか。
無意識にシェリルは自分の首を掴むルシエルの右腕にしがみ付いて、迫り来る左手を脳裏に焼き付けながらそっと静かに瞳を閉じていた。その腕がすべてを終わらせてくれる事を願いながら。
白い頬を伝って零れ落ちた熱い涙は、カインの右手に砕けて消えた。
鮮やかに甦った記憶の中で幼い自分がそうしたように、シェリルは喉が潰れるほど強く高い声を上げて絶叫した。途切れていた一部分が記憶の中にすっぽりと収まり、シェリルの脳裏に忘れがたい血の惨劇を生々しく刻み付けていく。
「ああああっ!」
音だけと成り果てた絶叫を続けながら、シェリルが両手で抱えた頭を強く左右に振り乱す。
周りの音は何ひとつ聞こえなかった。頭の中に響く十年前の絶叫とルシエルの冷たい嘲笑、そして叫び狂う自分を満足げに見つめる淡いブルーの瞳だけがシェリルの中で渦を巻く。
憎むものは闇であって、カインでは決してない。
シェリルが心を許し、密かに求めていたものはカインであって、それは闇ではなかったはずだ。
それなのに真実は辛くシェリルを巻き込み、短い間に結ばれてきた絆までもを断とうとする。シェリルの中からカインの影を連れ出そうとする。
「嘘よ……。嘘よ、嘘……っ!」
否定する度に、シェリルの心が真実を肯定する。
甦ってしまった完全な記憶に鮮やかな影を残したのは、シェリルの目の前で冷たく笑う闇の王。他の誰でもない、シェリルの守護天使カインだった。
それならばシェリルを守ると、決して裏切らないと約束してくれたのは嘘だったと言うのか。共に旅をし、幾度となくシェリルを助けながら、その影では安易に騙された愚かなシェリルにほくそ笑んでいたと言うのか。今までの彼の方が、嘘であったと。
「……――――どうして……っ。カインっ!」
震えた唇から絶望を表すその名前が零れ落ちた瞬間、シェリルの周りが一切の光を許さない漆黒の闇に包まれた。側にいたエレナやクリスティーナの気配もなく、あのルシエルの存在も感じられない孤独の闇。そこへ突然放り込まれたシェリルは、恐怖よりも抱えきれないほどの絶望感を感じて、力を失ったようにその場にがくんと座り込む。涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を拭う暇もなく、再び翡翠色の瞳から涙の粒が零れ落ちた。
「……どうして」
希望を失った声音は床に落ちる寸前で、闇に跡形もなく喰い尽くされる。
シェリルを包む闇、それはルシエル――カインを壊した孤独の闇。そしてこの闇の感触をシェリルは知っていた。
鎮まるはずのない鼓動を無理に落ち着かせて、ぐるりと周りを見回したシェリルの唇がかすかに動く。
「……地界、ガルディオス」
ディランに連れ去られたカインを追って、シェリルはこの闇に足を踏み入れた。何だか遠い昔の事を思い出したような意識の中に、あの時冷ややかに告げられたディランの言葉が甦る。
『君を襲い、君の両親を殺したのはルシエル様だ』
ディランはずっと前から知っていたのだ。カインが、ルシエルであると言う事を。
力なく俯いたシェリルは無意識のうちに強く握りしめていた三日月の首飾りに気付いて、堪えきれずに短い嗚咽を漏らした。右手がかちかちに強張ってしまうほどシェリルがずっと握りしめていた、彼の色に輝く三日月と一枚の白い羽根。
こんな時になっても自分が縋り付こうとしているものがカインの幻影である事を知り、シェリルは自分を戒めるように強く首を振る。しかしそれとは反対に震える唇が零した言葉は、シェリルがそれでも信じたいと願う……今はもう消えてしまった天使の名前だった。
「何を泣く? 我ならここにいる」
シェリルの真後ろで、薄氷が重なったように儚い声がした。
ぎくんと震え、慌ててその場を離れようと立ち上がったシェリルの足を、ざらりとした不快な感触の闇が捕まえる。ひっと短い悲鳴をあげて一瞬立ち竦んだシェリルの背後に、黒い空間から音もなく溶け落ちた闇の塊が流れるように両の腕を左右へと広げた。
「お前は我を待っていたのだろう?」
逃げる間もなく、シェリルは真後ろからルシエルの強く大きな腕に抱きすくめられていた。触れた部分から、急速に熱が奪われていくのが分かる。血管さえも凍り、手足の感覚が麻痺したようだった。
「我に、ずっと会いたかったのだろう?」
耳元で囁かれ、シェリルの体が更に硬直する。否定の言葉を探し、必死に唇を動かしてみるものの、青ざめて凍った唇からはかすかな嗚咽しか漏れてこない。絶対的な恐怖を感じてシェリルが思わず目を瞑った瞬間、首筋に熱を持たない柔らかな唇が静かに触れた。
「我は会いたかった。気の遠くなる、永遠とも思える長い間、ずっとお前だけを思って生きてきた。お前に会う為だけに生きてきた」
冷たい声音で甘く囁きながらシェリルの首筋に顔をうずめたルシエルが、愛しい者に触れるようにシェリルを更にきつく抱きしめる。カインと同じ腕でシェリルを抱きしめ、カインと同じ声で甘く囁くその闇に、カインの持つ不器用な優しさは少しも残ってはいない。
それはカインであってカインではないもの。分かっていた。シェリルにはそれが嫌と言うほど分かっていた。しかしその腕を振りほどく勇気も強さも、今のシェリルにはなかった。
「……あなたは……カインじゃないわっ」
言葉を詰まらせながらやっと唇から零れた言葉は、ルシエルの笑いを誘うものにしかならなかった。
「今更何を言う。お前は我を認めた」
「カインは……きっと戻ってくる。約束したものっ!」
「叶いもしない約束に縋り付くとは。お前はどこまでも愚かだな。あの女とよく似ている」
まるで自分に言い聞かせるように呟いたシェリルを抱きしめたまま、ルシエルがシェリルの胸元で揺れる白い羽根を掴み上げた。
「奴は我の中で永遠に眠った。お前の元には二度と戻らぬ」
自慢でもするかのように高らかに声をあげて叫んだルシエルが、間近にシェリルを見つめてにやりと笑みを零した。
それはシェリルの手元に残った、カインの存在を示す唯一のもの。シェリルとカインを繋ぐたったひとつの絆。
「やめてっ!」
叫んで必死に手を伸ばすのとほぼ同時に、ルシエルの手に握られた純白の羽根が首飾りの鎖から力任せに引き千切られた。
――――俺を……忘れないでくれ。
聞こえるはずのないカインの声が、胸の奥に悲しみの波紋を広げていく。
一瞬だけ宙を舞って、ふわりと落ちた純白の羽根が、そのまま闇に溶けるように消えていく。動く事もできず、ただ呆然と見つめていたシェリルの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ始めた。
カインとの絆が、たったひとつの繋がりまでもが、シェリルの手を離れ闇に飲み込まれていく。残ったのは辛く悲しいだけの真実と、希望を掴みそこねたまま宙に止まったシェリルの右手だけだった。
「お前には、もう何も要らぬ。望みも悲しみも、我が全部喰い尽くしてやろう。我とひとつになる事で、お前はやっと解放される」
シェリル耳元に唇を寄せて小さく囁いたルシエルが、羽根をもぎ取った右手をゆっくりと引き戻す。左腕にシェリルの体を抱いたまま、ルシエルは引き戻した右手で背後からシェリルの首を鷲掴みにした。長く伸びた爪が白い肌に食い込み、僅かに赤を滲ませた。
「お前の血も、美しい色をしているのだな」
うっとりするような口調で呟いて、ルシエルが血の滲んだシェリルの首筋にそっと唇を寄せた。
「恨むなら己の運命を恨め。あの天使に心を奪われた愚かな自分をな」
右手で首を掴み、左手を上に掲げたルシエルが満足げに呟いた言葉を、シェリルははるか遠くの方で聞いていたような気がする。
「今度こそ死んでもらおう」
振り上げられた左手にぞろりと生える長い爪が、赤く不気味に煌いた。その腕が自分の体を貫くのだろうと分かっていながら、シェリルはルシエルの左手が勢いよく振り下ろされる瞬間をただ黙って見つめるしか出来なかった。
羽根を失い、カインを失い、信じていたものすべてを奪われたシェリルの中には、もう絶望すら存在しない。
止まらない涙で激しく歪んだ視界に映る、ルシエルの左腕。あの腕が、シェリルをこの世界から救ってくれるような気さえしていた。背負ったものを投げ捨て、深い眠りに堕ちる。誰にも邪魔されず、傷付けられる事もない永遠の眠りのその果てでなら、カインに会えるだろうか。待ち続ける自分の元へ、カインは戻って来てくれるだろうか。
無意識にシェリルは自分の首を掴むルシエルの右腕にしがみ付いて、迫り来る左手を脳裏に焼き付けながらそっと静かに瞳を閉じていた。その腕がすべてを終わらせてくれる事を願いながら。
白い頬を伝って零れ落ちた熱い涙は、カインの右手に砕けて消えた。
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