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第3章 涙のかけら
地界ガルディオス・2
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突如として響き渡った轟音に、シェリルがびくんとして後ろを振り返った。見開いた翡翠色の瞳に、長い金色の髪が映る。
「死ぬな、ルシエル。……お前を失いたくない」
舞い散った暗黒色の羽根と、灰色の空を彩る鮮血の華。
くるくると円を描きながら地面に深々と突き刺さった剣は、息まで凍り付かせてしまいそうな真っ白い冷気を辺り一面に解き放ち、それによって完全に凍り付いた大地がみしみしっと音を立てながら深く鋭い地割れを遠くの方まで走らせる。悲鳴を上げてばっくりと口を開いた黒い大地は、既に山積みとなった死体を喰いつくしながら、シェリルの前で座り込んだまま動こうとしないアルディナへと亀裂を伸ばした。
しかしその一歩手前で見えない力に弾かれた地割れはそのまま威力をなくして、アルディナを喰らう事も出来ずにそこで完全に動きを止める。その衝撃にふわりと舞った金色の長い髪が、彼女の真後ろに立ち竦んでいたシェリルの足元に触れた。
「……お前を救いたい」
切ない声音は呪文となり、それはアルディナの腕に抱かれた黒い影を優しく静かに包み込んでいく。アルディナの腕に支えられた男の体からぶわりと溢れ出した黒い瘴気によってその姿を見る事は出来なかったが、シェリルは彼が闇の王ルシエルだと言う事を確信していた。
「…………なぜ、殺さない。……こいつは殺される事を、望んでいた」
アルディナの呪文に包まれ、苦しまぎれにルシエルの体から溢れ出した瘴気が、徐々に凝縮されながら二重になった冷たい声で呻くように言った。
「ルシエルは……封印など望まぬ。我の中で、そう叫んでいる。それなのに、またお前の勝手でこいつの苦しみを引き伸ばすのか? ……残酷だな。アルディナよ」
「殺したところで、お前はまた生き続けるのだろう? お前は生き延び、ルシエルは救われない」
「ふっ……。では……再びお前に会えるその時を、待っていよう」
闇を纏う者が言い終わると同時に静かな呪文によって小さく縛り付けられた瘴気の塊が、アルディナの白い手のひらにころんっと転がり落ちる。その黒く小さな瘴気の塊にアルディナの涙が頬を伝って零れ落ちた瞬間、それは光を受けて美しく輝く紫銀に色を変えた。
「憎んでくれて構わない。私はお前を殺す事が出来なかったのだから。封印する事で、お前を更に苦しめてしまうのだから。――――それでも……ひとりでは逝くな。苦しみ傷付いたままで逝かないでくれ、ルシエル」
闇を纏う者から解き放たれたルシエルの体を、アルディナが細い腕にかき抱いて泣く。その後ろ姿を、シェリルは黙って見つめるしか出来なかった。
弟を救う事が出来なかった悲しみが、消える事のない切なさが、心に激しく涙の波紋を広げていく。その深い悲しみを、シェリルは知っているような気がした。心の奥がアルディナの思いと共鳴して静かに泣いているのを感じたシェリルがほとんど無意識に、目の前でルシエルの体を抱いて蹲るアルディナへと手を伸ばす。
震える肩に、シェリルの指先が触れようとしたその時――。
『シェリルっ!』
懐かしい声に小さく体を震わせて後ろを振り返ったシェリルの足元が、がらがらっと音を立てて崩れ始めた。そこから現れた黒い闇の触手はシェリルの周りから一気に光を奪い、アルディナの姿もルシエルの姿も何もかもを飲み込んでいく。
ひとり残されたシェリルは冷たく恐ろしい気を放つ闇に包まれたまま、自分が果てしなく深い暗闇へ落ちているような感覚に怯えて、思わず何かに縋り付こうと前に手を伸ばした。
『シェリル……』
「カイン? カイン、どこにいるの?」
響く事もなく闇に吸収されたシェリルの声が、何も見えない暗い空間に淡い紫銀の光を浮かび上がらせた。まるでシェリルを呼ぶように点滅する光は、かすかなカインの気配と共に胸をざわめかせる不安と恐怖をも運んでくる。
シェリルを求めて何度も呼びかけ、同時に激しく憎み拒絶しようとする冷たい心。それはアルディナに対するルシエルの思いにも似ていた。
「……カイン」
名前を呼んで、胸に煌く三日月の首飾りをぎゅっと握りしめる。
「助けるから」
自分に誓うように強い声音でそう言って、シェリルは闇にぼんやりと浮かび上がる紫銀の光の中へ全速力で駆け込んでいった。
「死ぬな、ルシエル。……お前を失いたくない」
舞い散った暗黒色の羽根と、灰色の空を彩る鮮血の華。
くるくると円を描きながら地面に深々と突き刺さった剣は、息まで凍り付かせてしまいそうな真っ白い冷気を辺り一面に解き放ち、それによって完全に凍り付いた大地がみしみしっと音を立てながら深く鋭い地割れを遠くの方まで走らせる。悲鳴を上げてばっくりと口を開いた黒い大地は、既に山積みとなった死体を喰いつくしながら、シェリルの前で座り込んだまま動こうとしないアルディナへと亀裂を伸ばした。
しかしその一歩手前で見えない力に弾かれた地割れはそのまま威力をなくして、アルディナを喰らう事も出来ずにそこで完全に動きを止める。その衝撃にふわりと舞った金色の長い髪が、彼女の真後ろに立ち竦んでいたシェリルの足元に触れた。
「……お前を救いたい」
切ない声音は呪文となり、それはアルディナの腕に抱かれた黒い影を優しく静かに包み込んでいく。アルディナの腕に支えられた男の体からぶわりと溢れ出した黒い瘴気によってその姿を見る事は出来なかったが、シェリルは彼が闇の王ルシエルだと言う事を確信していた。
「…………なぜ、殺さない。……こいつは殺される事を、望んでいた」
アルディナの呪文に包まれ、苦しまぎれにルシエルの体から溢れ出した瘴気が、徐々に凝縮されながら二重になった冷たい声で呻くように言った。
「ルシエルは……封印など望まぬ。我の中で、そう叫んでいる。それなのに、またお前の勝手でこいつの苦しみを引き伸ばすのか? ……残酷だな。アルディナよ」
「殺したところで、お前はまた生き続けるのだろう? お前は生き延び、ルシエルは救われない」
「ふっ……。では……再びお前に会えるその時を、待っていよう」
闇を纏う者が言い終わると同時に静かな呪文によって小さく縛り付けられた瘴気の塊が、アルディナの白い手のひらにころんっと転がり落ちる。その黒く小さな瘴気の塊にアルディナの涙が頬を伝って零れ落ちた瞬間、それは光を受けて美しく輝く紫銀に色を変えた。
「憎んでくれて構わない。私はお前を殺す事が出来なかったのだから。封印する事で、お前を更に苦しめてしまうのだから。――――それでも……ひとりでは逝くな。苦しみ傷付いたままで逝かないでくれ、ルシエル」
闇を纏う者から解き放たれたルシエルの体を、アルディナが細い腕にかき抱いて泣く。その後ろ姿を、シェリルは黙って見つめるしか出来なかった。
弟を救う事が出来なかった悲しみが、消える事のない切なさが、心に激しく涙の波紋を広げていく。その深い悲しみを、シェリルは知っているような気がした。心の奥がアルディナの思いと共鳴して静かに泣いているのを感じたシェリルがほとんど無意識に、目の前でルシエルの体を抱いて蹲るアルディナへと手を伸ばす。
震える肩に、シェリルの指先が触れようとしたその時――。
『シェリルっ!』
懐かしい声に小さく体を震わせて後ろを振り返ったシェリルの足元が、がらがらっと音を立てて崩れ始めた。そこから現れた黒い闇の触手はシェリルの周りから一気に光を奪い、アルディナの姿もルシエルの姿も何もかもを飲み込んでいく。
ひとり残されたシェリルは冷たく恐ろしい気を放つ闇に包まれたまま、自分が果てしなく深い暗闇へ落ちているような感覚に怯えて、思わず何かに縋り付こうと前に手を伸ばした。
『シェリル……』
「カイン? カイン、どこにいるの?」
響く事もなく闇に吸収されたシェリルの声が、何も見えない暗い空間に淡い紫銀の光を浮かび上がらせた。まるでシェリルを呼ぶように点滅する光は、かすかなカインの気配と共に胸をざわめかせる不安と恐怖をも運んでくる。
シェリルを求めて何度も呼びかけ、同時に激しく憎み拒絶しようとする冷たい心。それはアルディナに対するルシエルの思いにも似ていた。
「……カイン」
名前を呼んで、胸に煌く三日月の首飾りをぎゅっと握りしめる。
「助けるから」
自分に誓うように強い声音でそう言って、シェリルは闇にぼんやりと浮かび上がる紫銀の光の中へ全速力で駆け込んでいった。
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