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第3章 涙のかけら
望まれぬ子・1
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透明なクリスタルにも似た光が、闇の海を泳いでいた。
遠くへ行き近くへ戻り、上に跳ね上がって下に沈んだ不安定な光を目で追いかけていたシェリルの前で、それはやっと動きを止めた。
「これは涙のかけら。……そして、僕」
その光を両側から包み込むようにして浮かび上がった小さな手のひらと共に、シェリルの目の前にひとりの少年が姿を現した。それはさっき曖昧な夢の中で見たあの少年に間違いはなかったが、カインを慕う少年からは感じる事の出来なかった純粋で透明な心を、シェリルは肌に直接感じ取る。
「あなたは……」
「ここはフィネス村。……魔物に魅入られた村だよ」
悲しみを帯びた声音でそう言って、少年が両手に包んだ光を高く掲げた。ディランとは違う澄んだ瞳が、シェリルに真っ直ぐ向けられる。
「落し子シェリル、僕は君を待っていた。君は落し子として、この村で何があったのかを知る義務がある」
少年の言葉が終わると同時に、小さな手のひらによって包まれていた光が炸裂した。
――――僕を救って。……この世界に必要だったと、優しく抱きしめて。
眩いほどの光に包まれ意識を失う寸前に、シェリルはルシエルと似た思いを抱く幼子の声を聞いた。
天地大戦に終止符を打った最後の土地は、生気のない死んだ大地と化していた。
怨念が渦巻き、毒の瘴気が空を覆うこの大地の北にフィネス村はある。暗黒の瘴気に誘われて集まった魔物たちによって村の外は魔物の巣窟と化し、村人がその魔物に襲われる事も珍しくはなかった。
村から外に出ればそこは地獄に変わり、日々の生活ですら脅かされていたフィネス村。そんな村がなぜ存在し続ける事が出来たのか、それは村に伝わる秘宝「涙のかけら」のおかげだった。
その小さな石の力で村には強力な結界が張られ、餌を求める魔物は村の周囲に決して近づく事は出来なかった。また石を浸した水は聖水に変わり、それを持つ事で村の外に出て行く事も出来たのだ。
村人は涙のかけらを、それは大事に保管し続けてきた。しかしそのささやかな平和の時は、ひとりの男によって奪われてしまう事となる。
フィネス村で医者をしており、エリザと言う美しい妻を持つその男の名は……。
「レヴェリック!」
遠くから自分の名前を呼んだ声と近付いてくる足音を聞きながら、フィネス村の若き医者レヴェリックがゆっくりと後ろを振り返った。その先に亜麻色の髪をした美しい女性が走ってくるのを見て、レヴェリックは小さく息を吐きながらずれた眼鏡をかけ直す。
「レヴェリック! あなたっ」
「はい。言いたい事は分かってるよ、エリザ」
そう言ってエリザと呼んだ女性の唇に自分の人差し指をあてて、レヴェリックが彼女の言葉を笑顔で封じ込める。
「すぐ帰って来るから心配しないで」
「心配するわよ! 村の外には魔物がいるのよ?」
「大丈夫だよ。聖水だって持ってるし」
言いながらポケットから取り出そうとした小瓶を逆にエリザに奪われて、レヴェリックがかすかに体を震わせる。
「この前作った聖水は昨日で全部なくなったわ。新しい聖水は明日にならないと出来ない。これがただの水だって事は知ってるのよ」
「……エリザ」
「お願い、レヴェリック。明日まで待って!」
今にも涙を零してしまいそうに大きく潤んだエリザの瞳の中で、レヴェリックが緩く首を左右に振った。
「明日じゃ駄目だよ、エリザ。あの患者は今すぐラングル草が必要なんだ。分かってくれるね?」
レヴェリックは医者として何よりも患者を第一に考える。だからこそ村人たちに信頼され慕われてきたし、エリザもそんな彼を理解し愛したから結婚したのである。今のレヴェリックに何を言っても無駄だと言う事をエリザは誰よりもよく知っていた。
「エリザ?」
「……今夜はあなたの好きなスープを作るから、冷めないうちに帰ってきて。絶対よ」
俯いたままそう言って、掴んでいたレヴェリックの腕からゆっくり手を離したエリザを、今度はレヴェリックが優しく抱きしめる。その亜麻色の髪に頬を寄せながら、帰って来ると小さく確かに頷いた。
「約束するよ」
いつもの笑顔を向けて村の外に消えていったレヴェリックを見送りながら、エリザは言いようのない不安を追い払うように両腕を強く抱いて首を振った。
少し多めに作った干し肉のスープ。レヴェリックの好きなそれはまだ熱いうちに床にばら撒かれ、誰の口にも入る事はなかった。
背中を深く抉られ、血まみれで村に帰り着いたレヴェリックは、そのまま生死の境を彷徨う最悪の状態に陥った。エリザの必死の看病も空しく二日間昏睡状態を続けたレヴェリックは、愛しい妻の目の前で一度完全にその呼吸を停止した。
しかしすぐに息を吹き返し、それからレヴェリックの体は徐々に回復の兆しを見せ始めていったのである。
それから二年後。
レヴェリックとエリザの間に男の子が誕生した。レヴェリックと似た容姿を持つ彼はディランと名付けられ、大切に大切に育てられた。
ディランが生まれて更に一年の月日が流れた頃、フィネス村は崩壊の幕開けを迎える事となった。
遠くへ行き近くへ戻り、上に跳ね上がって下に沈んだ不安定な光を目で追いかけていたシェリルの前で、それはやっと動きを止めた。
「これは涙のかけら。……そして、僕」
その光を両側から包み込むようにして浮かび上がった小さな手のひらと共に、シェリルの目の前にひとりの少年が姿を現した。それはさっき曖昧な夢の中で見たあの少年に間違いはなかったが、カインを慕う少年からは感じる事の出来なかった純粋で透明な心を、シェリルは肌に直接感じ取る。
「あなたは……」
「ここはフィネス村。……魔物に魅入られた村だよ」
悲しみを帯びた声音でそう言って、少年が両手に包んだ光を高く掲げた。ディランとは違う澄んだ瞳が、シェリルに真っ直ぐ向けられる。
「落し子シェリル、僕は君を待っていた。君は落し子として、この村で何があったのかを知る義務がある」
少年の言葉が終わると同時に、小さな手のひらによって包まれていた光が炸裂した。
――――僕を救って。……この世界に必要だったと、優しく抱きしめて。
眩いほどの光に包まれ意識を失う寸前に、シェリルはルシエルと似た思いを抱く幼子の声を聞いた。
天地大戦に終止符を打った最後の土地は、生気のない死んだ大地と化していた。
怨念が渦巻き、毒の瘴気が空を覆うこの大地の北にフィネス村はある。暗黒の瘴気に誘われて集まった魔物たちによって村の外は魔物の巣窟と化し、村人がその魔物に襲われる事も珍しくはなかった。
村から外に出ればそこは地獄に変わり、日々の生活ですら脅かされていたフィネス村。そんな村がなぜ存在し続ける事が出来たのか、それは村に伝わる秘宝「涙のかけら」のおかげだった。
その小さな石の力で村には強力な結界が張られ、餌を求める魔物は村の周囲に決して近づく事は出来なかった。また石を浸した水は聖水に変わり、それを持つ事で村の外に出て行く事も出来たのだ。
村人は涙のかけらを、それは大事に保管し続けてきた。しかしそのささやかな平和の時は、ひとりの男によって奪われてしまう事となる。
フィネス村で医者をしており、エリザと言う美しい妻を持つその男の名は……。
「レヴェリック!」
遠くから自分の名前を呼んだ声と近付いてくる足音を聞きながら、フィネス村の若き医者レヴェリックがゆっくりと後ろを振り返った。その先に亜麻色の髪をした美しい女性が走ってくるのを見て、レヴェリックは小さく息を吐きながらずれた眼鏡をかけ直す。
「レヴェリック! あなたっ」
「はい。言いたい事は分かってるよ、エリザ」
そう言ってエリザと呼んだ女性の唇に自分の人差し指をあてて、レヴェリックが彼女の言葉を笑顔で封じ込める。
「すぐ帰って来るから心配しないで」
「心配するわよ! 村の外には魔物がいるのよ?」
「大丈夫だよ。聖水だって持ってるし」
言いながらポケットから取り出そうとした小瓶を逆にエリザに奪われて、レヴェリックがかすかに体を震わせる。
「この前作った聖水は昨日で全部なくなったわ。新しい聖水は明日にならないと出来ない。これがただの水だって事は知ってるのよ」
「……エリザ」
「お願い、レヴェリック。明日まで待って!」
今にも涙を零してしまいそうに大きく潤んだエリザの瞳の中で、レヴェリックが緩く首を左右に振った。
「明日じゃ駄目だよ、エリザ。あの患者は今すぐラングル草が必要なんだ。分かってくれるね?」
レヴェリックは医者として何よりも患者を第一に考える。だからこそ村人たちに信頼され慕われてきたし、エリザもそんな彼を理解し愛したから結婚したのである。今のレヴェリックに何を言っても無駄だと言う事をエリザは誰よりもよく知っていた。
「エリザ?」
「……今夜はあなたの好きなスープを作るから、冷めないうちに帰ってきて。絶対よ」
俯いたままそう言って、掴んでいたレヴェリックの腕からゆっくり手を離したエリザを、今度はレヴェリックが優しく抱きしめる。その亜麻色の髪に頬を寄せながら、帰って来ると小さく確かに頷いた。
「約束するよ」
いつもの笑顔を向けて村の外に消えていったレヴェリックを見送りながら、エリザは言いようのない不安を追い払うように両腕を強く抱いて首を振った。
少し多めに作った干し肉のスープ。レヴェリックの好きなそれはまだ熱いうちに床にばら撒かれ、誰の口にも入る事はなかった。
背中を深く抉られ、血まみれで村に帰り着いたレヴェリックは、そのまま生死の境を彷徨う最悪の状態に陥った。エリザの必死の看病も空しく二日間昏睡状態を続けたレヴェリックは、愛しい妻の目の前で一度完全にその呼吸を停止した。
しかしすぐに息を吹き返し、それからレヴェリックの体は徐々に回復の兆しを見せ始めていったのである。
それから二年後。
レヴェリックとエリザの間に男の子が誕生した。レヴェリックと似た容姿を持つ彼はディランと名付けられ、大切に大切に育てられた。
ディランが生まれて更に一年の月日が流れた頃、フィネス村は崩壊の幕開けを迎える事となった。
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