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第3章 涙のかけら
ルシエルの影・2
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村の一番奥、四方を低めの岩壁で取り囲まれた特別な場所には、大きな平らの岩で出来た祭壇があった。おそらくここは儀式場だったのだろう。祭壇の周りには儀式に使われていたと思われる鈴のついた杖や、木で作られた仮面などが散乱している。
生贄でも捧げていたのか、石の祭壇はどす黒くその色を変えている。不吉な色を纏う祭壇の上、そこにシェリルの姿を見つけたカインが、ぎくりと震えて思わず足を止めた。
「シェリルっ!」
仰向けに横たわったまま、シェリルはぴくりとも動かない。それは最悪な状況を連想させる光景で、カインは周囲を警戒するのも忘れて祭壇へと駆け出していった。
「君はいつまでそのままでいるつもり?」
声と共に、祭壇に横たわるシェリルの真上に少年が現れる。少年の姿をしたディランの瞳は冷たい光を宿したまま、けれど何かを求めるようにカインを見つめた。
「カイン、封印と言う枷など既に解かれようとしている。あとは君自身が目覚めるだけなんだ。君をその姿に留めておくものなど、この世界にはないだろう?」
幼い子供にしては似つかわしくない恐ろしく冷たい声は、カインの心に不快な漣をたてていく。
「ディラン! 貴様、シェリルに何をしたっ!」
剣を向けて叫んだカインとは反対に、静かな眼差しを向けていたディランがその顔にかすかな笑みを浮かべた。子供の姿には不釣合いな大人びた笑みが更に不気味さを増し、カインは強張った体を戒めるように剣を強く握り締めた。
「何をして欲しい? 君が真の覚醒を拒むのは、このシェリルのせいだろう?」
ディランがゆっくりと右手を上にあげた。その小さな手にしゅるしゅるっと絡みついた瘴気が、ディランの手の中で漆黒の輝きを放つ大きな剣へと姿を変え始める。
「この剣を振り下ろすのは僕? ……それとも、君?」
小さな手が持つにはあまりにも大きすぎる剣を片手だけで握りしめ、ディランはカインの様子を面白がるようにシェリルの真上に浮いたままその剣を無意味に振り回す。
「シェリルから離れろ! 今すぐにだっ!」
「君はシェリルを助けたいの? ……シェリルを殺そうとした君が?」
――シェリルを殺そうとした君が?
大きく見開かれたカインの瞳、その視界が一瞬にして真紅に染まる。
吹き上がる鮮血と転がり落ちた生首。その向こうに蹲って泣く、金髪の少女がいた。
『……お父さん、お母さん……。起きて』
涙で潤んだ大きな瞳とカインの瞳が間近で重なり合う。少女に伸ばした手は、生温かい血に汚れていた。
『お前が落し子か』
綺麗な翡翠色の瞳が、恐怖に大きく見開かれた。
「君が望んだことは何だった? ……カイン、君は目覚めようとしているんだよ。それを、感じないかい?」
暗示をかけるようにゆっくりと言葉を紡ぎながら、ディランがカインの左耳で光る亀裂の入ったピアスを見つめた。罅割れた部分が時々赤く光るのを目にして、ディランが満足げに小さく頷く。
「僕の望みはルシエル様の復活だ。君もシェリルも必要ない」
「……何が言いたい」
「まだ分からない? 僕が求めるのは君じゃないんだよ」
風もないのにディランの髪が妖しく揺らめいた。
地面に散乱した仮面の破片や小石が反発するように四方へ弾き飛ばされ、その力はカインをも吹き飛ばす勢いで膨張する。巻き上がる粉塵から視界を確保しようと腕で顔を覆ったカインの向こうで、ディランの体から信じられないほど大量の黒い魔力が一斉に溢れ出した。
小さな体に蓄える事の出来なかった魔力はあっという間に村を覆い尽くし、その手を灰色の空高くまで伸ばし始める。黒く冷たい力に耐え切れず崩れ落ちた岩壁を粉砕し、取り囲んだその空間の空気を圧縮してくる強力なディランの魔力は大地さえ激しく揺らし、そこに深く鋭い傷跡を走らせた。
「今の君では、僕に近付く事すら出来ない」
少しでも気を抜けば、あっという間に遠くへ弾き飛ばされてしまう。それほどまでに強い魔力の波動を全身に受け、半ば動きを封じられた状態のカインを見つめたディランが、シェリルの上で振り回していた剣をすうっと真上に振りかざした。
「ルシエル様の復活の為、シェリルにはここで死んでもらう」
その言葉を待っていたかのように、ディランの剣が赤黒い輝きを鈍く放つ。
「ディランっ!」
「思い出してごらんよ。君はシェリルを殺したかったはずだ」
ディランの声音は水のようにじわりと体に染みこんで、封印されたカインの記憶にそっと手を伸ばしてくる。その、どこか懐かしい忠誠心を秘めたディランの気配に誘われるように、カインの奥から別の声がゆっくりと目を覚まし始めた。
『神の落し子か。眠りにつくほど弱っているなら、支配者など辞めてしまえばよいものを。世界を救ったその行為も、我にとっては好都合だ。落し子など、所詮人間。力を奪ってくれと言っているようなものだな』
『……我は、支配など望まぬ』
カインの中で二つの声がする。そのどちらもが同じ声であり、そしてまったく別のものでもあるようだった。
『アルディナの死を、望むのであろう? お前が求めたすべてのものの破壊を、望むのであろう? 同じ事だ。お前の望みは叶い、支配者のいなくなったこの世界は我が貰う。お前が支配を望まないのなら我が代わりに支配してやろう。どちらにせよ、お前でも我でも同じ事だ』
『お前は我に、何を望む?』
『お前こそ我に何を望んでいるのだ? 我に体を与え、誇りを捨て、邪神と成り果てたお前が手にしたいものは……何だ?』
『……――――アルディナの……亡骸だ』
声が響く度に頭をかち割られたような激痛が走り、カインは倒れそうな体と消えてしまいそうな意識を必死に引き止めながら、シェリルの真上に浮くディランをぎろりと睨みつけた。汗で滑り落ちてしまいそうになる剣をしっかりと握り直し、そのままディランへ飛びかかろうとするものの、それを止めるように響く声音に耐え切れずその場にがくんと膝を突く。
『この世界の支配を!』
『我にアルディナの完全なる死を!』
「シェリルに死を! そしてルシエル様に目覚めをっ!」
朦朧としていた意識の中で辛うじて開かれていたカインの瞳が、勢いよく振り下ろされたディランの剣を捉えた。闇の尾を引く剣が純粋な白い影を鮮血に染めようとしたその瞬間、カインの中に渦巻いていた黒い影が悲鳴を上げて吹き飛び、激痛を伴うあの声でもなくディランの声でもない、透明で悲しげな女の声が響き渡った。
『死ぬな。……お前を失いたくない』
生贄でも捧げていたのか、石の祭壇はどす黒くその色を変えている。不吉な色を纏う祭壇の上、そこにシェリルの姿を見つけたカインが、ぎくりと震えて思わず足を止めた。
「シェリルっ!」
仰向けに横たわったまま、シェリルはぴくりとも動かない。それは最悪な状況を連想させる光景で、カインは周囲を警戒するのも忘れて祭壇へと駆け出していった。
「君はいつまでそのままでいるつもり?」
声と共に、祭壇に横たわるシェリルの真上に少年が現れる。少年の姿をしたディランの瞳は冷たい光を宿したまま、けれど何かを求めるようにカインを見つめた。
「カイン、封印と言う枷など既に解かれようとしている。あとは君自身が目覚めるだけなんだ。君をその姿に留めておくものなど、この世界にはないだろう?」
幼い子供にしては似つかわしくない恐ろしく冷たい声は、カインの心に不快な漣をたてていく。
「ディラン! 貴様、シェリルに何をしたっ!」
剣を向けて叫んだカインとは反対に、静かな眼差しを向けていたディランがその顔にかすかな笑みを浮かべた。子供の姿には不釣合いな大人びた笑みが更に不気味さを増し、カインは強張った体を戒めるように剣を強く握り締めた。
「何をして欲しい? 君が真の覚醒を拒むのは、このシェリルのせいだろう?」
ディランがゆっくりと右手を上にあげた。その小さな手にしゅるしゅるっと絡みついた瘴気が、ディランの手の中で漆黒の輝きを放つ大きな剣へと姿を変え始める。
「この剣を振り下ろすのは僕? ……それとも、君?」
小さな手が持つにはあまりにも大きすぎる剣を片手だけで握りしめ、ディランはカインの様子を面白がるようにシェリルの真上に浮いたままその剣を無意味に振り回す。
「シェリルから離れろ! 今すぐにだっ!」
「君はシェリルを助けたいの? ……シェリルを殺そうとした君が?」
――シェリルを殺そうとした君が?
大きく見開かれたカインの瞳、その視界が一瞬にして真紅に染まる。
吹き上がる鮮血と転がり落ちた生首。その向こうに蹲って泣く、金髪の少女がいた。
『……お父さん、お母さん……。起きて』
涙で潤んだ大きな瞳とカインの瞳が間近で重なり合う。少女に伸ばした手は、生温かい血に汚れていた。
『お前が落し子か』
綺麗な翡翠色の瞳が、恐怖に大きく見開かれた。
「君が望んだことは何だった? ……カイン、君は目覚めようとしているんだよ。それを、感じないかい?」
暗示をかけるようにゆっくりと言葉を紡ぎながら、ディランがカインの左耳で光る亀裂の入ったピアスを見つめた。罅割れた部分が時々赤く光るのを目にして、ディランが満足げに小さく頷く。
「僕の望みはルシエル様の復活だ。君もシェリルも必要ない」
「……何が言いたい」
「まだ分からない? 僕が求めるのは君じゃないんだよ」
風もないのにディランの髪が妖しく揺らめいた。
地面に散乱した仮面の破片や小石が反発するように四方へ弾き飛ばされ、その力はカインをも吹き飛ばす勢いで膨張する。巻き上がる粉塵から視界を確保しようと腕で顔を覆ったカインの向こうで、ディランの体から信じられないほど大量の黒い魔力が一斉に溢れ出した。
小さな体に蓄える事の出来なかった魔力はあっという間に村を覆い尽くし、その手を灰色の空高くまで伸ばし始める。黒く冷たい力に耐え切れず崩れ落ちた岩壁を粉砕し、取り囲んだその空間の空気を圧縮してくる強力なディランの魔力は大地さえ激しく揺らし、そこに深く鋭い傷跡を走らせた。
「今の君では、僕に近付く事すら出来ない」
少しでも気を抜けば、あっという間に遠くへ弾き飛ばされてしまう。それほどまでに強い魔力の波動を全身に受け、半ば動きを封じられた状態のカインを見つめたディランが、シェリルの上で振り回していた剣をすうっと真上に振りかざした。
「ルシエル様の復活の為、シェリルにはここで死んでもらう」
その言葉を待っていたかのように、ディランの剣が赤黒い輝きを鈍く放つ。
「ディランっ!」
「思い出してごらんよ。君はシェリルを殺したかったはずだ」
ディランの声音は水のようにじわりと体に染みこんで、封印されたカインの記憶にそっと手を伸ばしてくる。その、どこか懐かしい忠誠心を秘めたディランの気配に誘われるように、カインの奥から別の声がゆっくりと目を覚まし始めた。
『神の落し子か。眠りにつくほど弱っているなら、支配者など辞めてしまえばよいものを。世界を救ったその行為も、我にとっては好都合だ。落し子など、所詮人間。力を奪ってくれと言っているようなものだな』
『……我は、支配など望まぬ』
カインの中で二つの声がする。そのどちらもが同じ声であり、そしてまったく別のものでもあるようだった。
『アルディナの死を、望むのであろう? お前が求めたすべてのものの破壊を、望むのであろう? 同じ事だ。お前の望みは叶い、支配者のいなくなったこの世界は我が貰う。お前が支配を望まないのなら我が代わりに支配してやろう。どちらにせよ、お前でも我でも同じ事だ』
『お前は我に、何を望む?』
『お前こそ我に何を望んでいるのだ? 我に体を与え、誇りを捨て、邪神と成り果てたお前が手にしたいものは……何だ?』
『……――――アルディナの……亡骸だ』
声が響く度に頭をかち割られたような激痛が走り、カインは倒れそうな体と消えてしまいそうな意識を必死に引き止めながら、シェリルの真上に浮くディランをぎろりと睨みつけた。汗で滑り落ちてしまいそうになる剣をしっかりと握り直し、そのままディランへ飛びかかろうとするものの、それを止めるように響く声音に耐え切れずその場にがくんと膝を突く。
『この世界の支配を!』
『我にアルディナの完全なる死を!』
「シェリルに死を! そしてルシエル様に目覚めをっ!」
朦朧としていた意識の中で辛うじて開かれていたカインの瞳が、勢いよく振り下ろされたディランの剣を捉えた。闇の尾を引く剣が純粋な白い影を鮮血に染めようとしたその瞬間、カインの中に渦巻いていた黒い影が悲鳴を上げて吹き飛び、激痛を伴うあの声でもなくディランの声でもない、透明で悲しげな女の声が響き渡った。
『死ぬな。……お前を失いたくない』
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