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第3章 涙のかけら
死んだ村・2
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「カイン……」
震える小さな声は突風に攫われ、カインの耳に届く事はなかった。
激しい風に吹き飛ばされないようしっかりと抱きとめられた腕の中で、シェリルはそれとは違う意味でカインに強くしがみ付く。
どこまでも続く枯れた大地。しかしシェリルの目に映るそれは闇色の海のように大きくうねり、上空から降りてくるシェリルたちを捕えようとざわめいていた。
「……カイン、お願い。降りないで」
シェリルの声はまるで枯れ葉のように空を舞い、ぼろぼろに崩れていってしまう。
大地に渦巻き、今も残る黒い憎悪の念を敏感に感じ取ったシェリルとは反対に、ゆっくりと地上へ降りて行くカインの表情はどことなく喜びに満ちている。嬉しいような懐かしいような、淡い淡い笑みを浮かべているようにも見えた。
『よく来たな、アルディナ。逃げ出したのかと思ったぞ』
シェリルの中でルシエルの冷たい声が響く。その度にシェリルは心臓を鷲掴みにされたように苦しくなり、息がまったく出来なくなる。そしてその声はシェリルが地上へ近付くに連れて、感情の篭ったはっきりとした声に変わっていった。
『お前の自我は、もう闇を纏う者と同化してしまったのか!』
『我は闇を纏う者であり、ルシエルでもある。お前の声は我を地底へ追いやった憎き女神として、そしてただの姉として我に届く。……もっとも、こうなる事を最終的に望んだのはルシエル自身だがな』
風が地面に散らばった骨を吹き飛ばし、代わりにそこへカインの影が落ちる。影に続いて地面に降り立ったカインとは逆に、シェリルは未だカインの首に腕を回したまま動こうとしない。しがみ付いて地面に足をつこうとしないシェリルを見たカインが、ふっと意地悪な笑みを浮かべながら背中の翼をしまい込んだ。
「きゃっ!」
カインに掴まったまま辛うじて宙に浮いていたシェリルは、消えた翼の代わりに重力を貰って、そのまま抵抗する間もなくすとんと地面に足をつく。
「俺が一緒にいるんだ。余計な心配はするな」
そう言ってシェリルの反論を押さえ込んだカインが、煙草に火を点けながら辺りの様子をぐるりと見回した。その後ろ姿を不安げに見つめたシェリルの瞳が、訳の分からない焦燥に揺れた。
(カイン、気付いてないの? 今、物凄く……嬉しそうな顔をしたわ)
「シェリル?」
立ち止まったまま一向に動かないシェリルを振り返り、カインが不思議そうに首を傾げた。
「シェリル、どうかしたのか?」
「……ううん、何でもない!」
胸に広がる不安と焦燥感を知られてはいけないと、なぜかそう漠然と感じたシェリルは、なるべく元気な声で返事をしてカインの後を追おうと足を踏み出した。
その途端、地面についた足の裏から物凄い量の冷気がシェリルの体内へと流れ込んできた。
「あっ!」
黒く冷たい氷のような冷気を無防備な体へ受け止めて、シェリルの呼吸が一瞬だけ完全に止まる。
消える事のない憎悪。
癒える事のない悲しみ。
その冷たい感情の渦に、心臓が凍り付いてしまいそうだった。
『アルディナに焦がれているなど認める事は出来ぬ。認めてしまえば我はまたひとりになる。孤独な闇に包まれながら、手にする事も叶わぬあの光を羨望するしか……。分かっていても我はそれを望み、生きていくしかないのだ』
――――お前を恨んでいる。この手で殺したいほど……愛している。
足を一歩踏み出しただけで再び動きを止めたシェリルの体が、カインの目の前で力を失ったようにがくんと崩れ落ちた。あまりに突然で何が起こったのかを理解出来ないま、反応の遅れたカインが弾かれたようにシェリルへと駆け寄った。
「シェリル!」
伸ばされたカインの手をすり抜けて、シェリルの体がそのままばたりと地面の上に投げ出された。黒い大地に乱れた金色の髪が記憶に残る誰かの影と重なり合い、まるでそれを望んでいたかのようにカインの胸がほんの一瞬だけ歓喜に震える。けれどそれはカイン本人も気付かないほどの、小さな感情の揺れだった。
「シェリル、どうした!」
ぐったりとした体を抱き起こして呼びかけてはみるものの、シェリルはカインの腕に体を預けたまま小刻みに震えるだけで他には何の反応も示さない。小さな唇はみるみるうちに紫色に変わり始め、カインの腕に預けた体からも急速に熱が奪われていく。まるでこの凍える大地が、シェリルの熱を奪っているようだった。
「……う。違う……わ」
うわ言のように何かを呟きながら力なく首を左右に振るシェリルだったが、きつく閉じた瞳が開く事はなかった。
「シェリル! ……くそっ」
この地に降りてから、カインは妙な感覚に包まれていた。あるべき所へ戻ったような安心感と共に、かすかに存在する孤独感。そして誰かを激しく憎しみながらも強く求めていた、悲しい影の残像。
それらをまるで自分の事のように受け止めて、心を任せてしまいそうになっていたカインは、真後ろのシェリルが目の前で倒れるまで彼女の変化に気付く事が出来なかった。そんな自分に激しい苛立ちを感じて、カインがぎりっと歯を食いしばる。
死んだ大地がこれ以上シェリルから熱を奪う前に、カインはその小さな体をを両腕にしっかりと抱え直して、再び背中の翼を大きく羽ばたかせた。灰色の空高く上昇し、どす黒い大地をぐるりと見回したカインの視線の先に、小さな村が映った。とりあえずシェリルを休ませる事が出来そうだと安心しながら、カインは背中の翼をせわしく羽ばたかせて村の方へと飛んで行った。
震える小さな声は突風に攫われ、カインの耳に届く事はなかった。
激しい風に吹き飛ばされないようしっかりと抱きとめられた腕の中で、シェリルはそれとは違う意味でカインに強くしがみ付く。
どこまでも続く枯れた大地。しかしシェリルの目に映るそれは闇色の海のように大きくうねり、上空から降りてくるシェリルたちを捕えようとざわめいていた。
「……カイン、お願い。降りないで」
シェリルの声はまるで枯れ葉のように空を舞い、ぼろぼろに崩れていってしまう。
大地に渦巻き、今も残る黒い憎悪の念を敏感に感じ取ったシェリルとは反対に、ゆっくりと地上へ降りて行くカインの表情はどことなく喜びに満ちている。嬉しいような懐かしいような、淡い淡い笑みを浮かべているようにも見えた。
『よく来たな、アルディナ。逃げ出したのかと思ったぞ』
シェリルの中でルシエルの冷たい声が響く。その度にシェリルは心臓を鷲掴みにされたように苦しくなり、息がまったく出来なくなる。そしてその声はシェリルが地上へ近付くに連れて、感情の篭ったはっきりとした声に変わっていった。
『お前の自我は、もう闇を纏う者と同化してしまったのか!』
『我は闇を纏う者であり、ルシエルでもある。お前の声は我を地底へ追いやった憎き女神として、そしてただの姉として我に届く。……もっとも、こうなる事を最終的に望んだのはルシエル自身だがな』
風が地面に散らばった骨を吹き飛ばし、代わりにそこへカインの影が落ちる。影に続いて地面に降り立ったカインとは逆に、シェリルは未だカインの首に腕を回したまま動こうとしない。しがみ付いて地面に足をつこうとしないシェリルを見たカインが、ふっと意地悪な笑みを浮かべながら背中の翼をしまい込んだ。
「きゃっ!」
カインに掴まったまま辛うじて宙に浮いていたシェリルは、消えた翼の代わりに重力を貰って、そのまま抵抗する間もなくすとんと地面に足をつく。
「俺が一緒にいるんだ。余計な心配はするな」
そう言ってシェリルの反論を押さえ込んだカインが、煙草に火を点けながら辺りの様子をぐるりと見回した。その後ろ姿を不安げに見つめたシェリルの瞳が、訳の分からない焦燥に揺れた。
(カイン、気付いてないの? 今、物凄く……嬉しそうな顔をしたわ)
「シェリル?」
立ち止まったまま一向に動かないシェリルを振り返り、カインが不思議そうに首を傾げた。
「シェリル、どうかしたのか?」
「……ううん、何でもない!」
胸に広がる不安と焦燥感を知られてはいけないと、なぜかそう漠然と感じたシェリルは、なるべく元気な声で返事をしてカインの後を追おうと足を踏み出した。
その途端、地面についた足の裏から物凄い量の冷気がシェリルの体内へと流れ込んできた。
「あっ!」
黒く冷たい氷のような冷気を無防備な体へ受け止めて、シェリルの呼吸が一瞬だけ完全に止まる。
消える事のない憎悪。
癒える事のない悲しみ。
その冷たい感情の渦に、心臓が凍り付いてしまいそうだった。
『アルディナに焦がれているなど認める事は出来ぬ。認めてしまえば我はまたひとりになる。孤独な闇に包まれながら、手にする事も叶わぬあの光を羨望するしか……。分かっていても我はそれを望み、生きていくしかないのだ』
――――お前を恨んでいる。この手で殺したいほど……愛している。
足を一歩踏み出しただけで再び動きを止めたシェリルの体が、カインの目の前で力を失ったようにがくんと崩れ落ちた。あまりに突然で何が起こったのかを理解出来ないま、反応の遅れたカインが弾かれたようにシェリルへと駆け寄った。
「シェリル!」
伸ばされたカインの手をすり抜けて、シェリルの体がそのままばたりと地面の上に投げ出された。黒い大地に乱れた金色の髪が記憶に残る誰かの影と重なり合い、まるでそれを望んでいたかのようにカインの胸がほんの一瞬だけ歓喜に震える。けれどそれはカイン本人も気付かないほどの、小さな感情の揺れだった。
「シェリル、どうした!」
ぐったりとした体を抱き起こして呼びかけてはみるものの、シェリルはカインの腕に体を預けたまま小刻みに震えるだけで他には何の反応も示さない。小さな唇はみるみるうちに紫色に変わり始め、カインの腕に預けた体からも急速に熱が奪われていく。まるでこの凍える大地が、シェリルの熱を奪っているようだった。
「……う。違う……わ」
うわ言のように何かを呟きながら力なく首を左右に振るシェリルだったが、きつく閉じた瞳が開く事はなかった。
「シェリル! ……くそっ」
この地に降りてから、カインは妙な感覚に包まれていた。あるべき所へ戻ったような安心感と共に、かすかに存在する孤独感。そして誰かを激しく憎しみながらも強く求めていた、悲しい影の残像。
それらをまるで自分の事のように受け止めて、心を任せてしまいそうになっていたカインは、真後ろのシェリルが目の前で倒れるまで彼女の変化に気付く事が出来なかった。そんな自分に激しい苛立ちを感じて、カインがぎりっと歯を食いしばる。
死んだ大地がこれ以上シェリルから熱を奪う前に、カインはその小さな体をを両腕にしっかりと抱え直して、再び背中の翼を大きく羽ばたかせた。灰色の空高く上昇し、どす黒い大地をぐるりと見回したカインの視線の先に、小さな村が映った。とりあえずシェリルを休ませる事が出来そうだと安心しながら、カインは背中の翼をせわしく羽ばたかせて村の方へと飛んで行った。
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