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第2章 夢のかけら
癒しの力・2
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目の前には、ただただ闇が続くばかりだった。その中に浮かんでは消えていくセレスティアの幻に、ロヴァルはゆっくり手を伸ばす。
「……セレスティア」
虫の音ほどのか細い声で、愛しい名前を口にする。瞳から、透明な涙が零れ落ちた。
偽りの命を与えられ、何も知らずに短い時を刻み、最期の瞬間まで道具として扱われ死んでいったセレスティア。闇が彼女に求めたものは、ロヴァルにとって何の意味も持たない。操られた運命の中で願った夢は、夢のままで終わった。
あの時、光に崩れ、風に攫われた乙女のように。
「……幸せを、望んだだけだ」
セレスティアの幻がゆらりと揺れて、次第に薄れていく。その残像を追うように、ロヴァルが手を伸ばした。
「お前の望みは何だった? お前を追い詰めたあいつの望みは何だったんだっ」
薄れゆくセレスティアの姿をそこから連れ去るように吹いた風が、かすかに灰青の影を形成する。
伸ばした手に、硬く冷たい何かが触れた。
「あいつの思い通りになるのはごめんだ!」
強く叫んで引き戻した手に握られていたのは、ロヴァルの愛用していた短剣だった。
「ちっ!」
右手に持った剣で結界を作り出し、触手に押し潰されそうになるのを寸前のところで防いだカインが、左腕に抱えたシェリルへと顔を向けた。
「大丈夫か?」
「うん。何とか」
そう返事をした矢先、肉の塊と化した触手が二人を押し潰そうと、更に圧力をかけ始めた。剣の輝きが作り出していた結界がぐんと狭められ、シェリルはカインに体をぎゅうっと押し付ける形となる。
「馬鹿力がっ」
シェリルになるべく圧力がかからないよう、左腕と羽でシェリルの体を近くに抱き寄せて包み込んだカインが、結界の核となっている剣へ全力を注ぎ込む。
カインの胸に頬をぴったりと寄せたシェリルが、そこから聞こえてくる鼓動の速さに驚いてぱっと顔を上げた。そこに、いつもの余裕に満ちた表情はない。誰かを守りながら戦うという事がこんなにも困難だという事を、シェリルは改めて思い知らされる。そして今、この状況で確実に足手まといになっているのは自分であると言う事に、シェリルは苛立ちを感じて唇をぎゅっと噛み締めた。
「カイン。……ごめんなさい」
「何だ? もしかして夢のかけらを取り損ねたとか言うんじゃないだろうな」
冗談っぽく言いながらシェリルを一瞥し、カインはすぐに結界の核である剣に意識を集中させる。
「私、足手まといになってる。……少しもカインの役に立てなくて」
「人間のお前に力なんて求めてねぇよ」
「……でも」
「俺はお前の守護天使だ。黙って俺に守られてろ」
体を支えるカインの腕に更に力が込められたのを感じたシェリルは、胸の奥によみがえった温かく懐かしい気持ちに目を閉じた。
全身でシェリルを守ってくれるカインの力は、シェリルに無償の愛を注いでくれた両親を思い出させる。エレナやクリスティーナとは違い、無防備のまま安心して自分のすべてを委ねられる存在だと、シェリルは心の奥で確かにそう感じていた。
「シェリル、俺から手を離すなよ」
「どうするの?」
「ここから出るんだよ」
そう言って深く息を吸い込んだカインが、右手に握りしめた剣に力を集中させる。ふわりと髪が舞い上がり、カインの体が剣の作り出した結界と同じ淡い光に包まれた。
触れている部分から感じるカインの強大な力の渦は、そのまま津波のようにシェリルの中へと流れ込み、所狭しと駆け巡る。細胞の奥にまで染み込んできた力の波に震えながら、それでも必死にカインへとしがみ付いたシェリルは、その強大な力の影に隠れた靄のような黒い波に気付いてはっと目を見開いた。
『我はここにいる』
体中に響いた黒い声音にぎくんと震えたシェリルの瞳が、カインの左耳で光る紫銀のピアスを捉えた。
セレスティアとの戦いで一本の罅が入った丸いピアス。それが不気味な血色に光ったかと思うと、次の瞬間シェリルの見ている前で新たな亀裂を走らせた。
「……っ!」
先に入っていた亀裂と交差して罅割れた新たな亀裂は、丸いピアスに十字の傷をくっきりと浮かび上がらせる。それがもう一度赤く光り、カインの力にさっきよりも強い黒の靄を漂わせた。
『我はここにいる』
体の震えが止まらない。
指先までがくがくと震え、カインにしがみ付いていた手に力が入らず、シェリルはそのままずり落ちてしまいそうになる。
「……カ、イン?」
からからに干上がった喉からは掠れた声しか出ず、シェリルの乾いた声音はカインに届く前に枯れて崩れて落ちていく。
「カインっ」
カインが力を込める度に赤く光るピアス。
このまま黒い靄の波にカインが飲み込まれ、二度と戻って来ないような気がした。
「カイン、やめてっ!」
必死になって叫んだシェリルが、カインの手の上から剣の柄を握りしめた。
「シェリルっ?」
呪文を中断され、ぎょっと目を見開いたカインの腕の中で、シェリルが縋るような目を向けて首を強く横に振った。
「手を離せ! 剣から力が暴走する!」
「嫌! 力を使っちゃ駄目っ」
両手の塞がっているカインは剣からシェリルの手を離す事が出来ず、苛立ったように怒鳴り声を上げた。
「シェリル! 死にたいのかっ!」
「お願い……消えないで!」
叫んだシェリルがカインの胸に顔を埋めると同時に、剣に集められていた力が制御主を失い狂ったように爆発した。
二人を守るはずの結界内は激しい突風に埋め尽くされ、息をするのも困難な状況になる。言う事を聞かなくなった力の塊は次々に結界の薄い壁を突き破り、そこから侵入を許された触手が待っていたと言わんばかりに結界の壁を粉砕した。
「くそっ!」
この機を逃さず二人を押し潰そうとしてくる触手を剣で切り裂くものの、切られた部分はすぐに塞がりカインに逃げ道を与えない。苦戦するカインの状況を嫌というほど見せつけられ、シェリルの胸が鋭い痛みを伴う後悔に埋め尽くされた。
(私っ。私、どうしてあんな事を……)
自分の取った行動を悔やみ、苛立ち、シェリルは唇をぎゅっと強く噛み締める。自分が愚かだという事は分かっていた。あの一瞬にシェリルを突き動かしたものはたったひとつの思いだけだ。カインを失いたくないと言う思いだけ。
『ヴアアアッ!』
素早く逃げ回るカインに痺れを切らしたのか、魔物が雄叫びのような声を上げた。その声にびくんと体を震わせたシェリルの視界が、一瞬で魔物の黒に埋め尽くされる。かと思うと、どす黒い肉塊を覆い隠すように、紫銀の髪が流れた。
「カ……――――」
名前を呼ぶ間もなく、シェリルはカインに痛いほど強く抱きしめられた。息すらまともに出来ず、あまりの苦しさに顔をずらしたシェリルのすぐ目の前で、紫銀の髪に見え隠れしていた肉の塊が鋭い爪へと変形させた触手を勢いよく振り下ろした。
「……セレスティア」
虫の音ほどのか細い声で、愛しい名前を口にする。瞳から、透明な涙が零れ落ちた。
偽りの命を与えられ、何も知らずに短い時を刻み、最期の瞬間まで道具として扱われ死んでいったセレスティア。闇が彼女に求めたものは、ロヴァルにとって何の意味も持たない。操られた運命の中で願った夢は、夢のままで終わった。
あの時、光に崩れ、風に攫われた乙女のように。
「……幸せを、望んだだけだ」
セレスティアの幻がゆらりと揺れて、次第に薄れていく。その残像を追うように、ロヴァルが手を伸ばした。
「お前の望みは何だった? お前を追い詰めたあいつの望みは何だったんだっ」
薄れゆくセレスティアの姿をそこから連れ去るように吹いた風が、かすかに灰青の影を形成する。
伸ばした手に、硬く冷たい何かが触れた。
「あいつの思い通りになるのはごめんだ!」
強く叫んで引き戻した手に握られていたのは、ロヴァルの愛用していた短剣だった。
「ちっ!」
右手に持った剣で結界を作り出し、触手に押し潰されそうになるのを寸前のところで防いだカインが、左腕に抱えたシェリルへと顔を向けた。
「大丈夫か?」
「うん。何とか」
そう返事をした矢先、肉の塊と化した触手が二人を押し潰そうと、更に圧力をかけ始めた。剣の輝きが作り出していた結界がぐんと狭められ、シェリルはカインに体をぎゅうっと押し付ける形となる。
「馬鹿力がっ」
シェリルになるべく圧力がかからないよう、左腕と羽でシェリルの体を近くに抱き寄せて包み込んだカインが、結界の核となっている剣へ全力を注ぎ込む。
カインの胸に頬をぴったりと寄せたシェリルが、そこから聞こえてくる鼓動の速さに驚いてぱっと顔を上げた。そこに、いつもの余裕に満ちた表情はない。誰かを守りながら戦うという事がこんなにも困難だという事を、シェリルは改めて思い知らされる。そして今、この状況で確実に足手まといになっているのは自分であると言う事に、シェリルは苛立ちを感じて唇をぎゅっと噛み締めた。
「カイン。……ごめんなさい」
「何だ? もしかして夢のかけらを取り損ねたとか言うんじゃないだろうな」
冗談っぽく言いながらシェリルを一瞥し、カインはすぐに結界の核である剣に意識を集中させる。
「私、足手まといになってる。……少しもカインの役に立てなくて」
「人間のお前に力なんて求めてねぇよ」
「……でも」
「俺はお前の守護天使だ。黙って俺に守られてろ」
体を支えるカインの腕に更に力が込められたのを感じたシェリルは、胸の奥によみがえった温かく懐かしい気持ちに目を閉じた。
全身でシェリルを守ってくれるカインの力は、シェリルに無償の愛を注いでくれた両親を思い出させる。エレナやクリスティーナとは違い、無防備のまま安心して自分のすべてを委ねられる存在だと、シェリルは心の奥で確かにそう感じていた。
「シェリル、俺から手を離すなよ」
「どうするの?」
「ここから出るんだよ」
そう言って深く息を吸い込んだカインが、右手に握りしめた剣に力を集中させる。ふわりと髪が舞い上がり、カインの体が剣の作り出した結界と同じ淡い光に包まれた。
触れている部分から感じるカインの強大な力の渦は、そのまま津波のようにシェリルの中へと流れ込み、所狭しと駆け巡る。細胞の奥にまで染み込んできた力の波に震えながら、それでも必死にカインへとしがみ付いたシェリルは、その強大な力の影に隠れた靄のような黒い波に気付いてはっと目を見開いた。
『我はここにいる』
体中に響いた黒い声音にぎくんと震えたシェリルの瞳が、カインの左耳で光る紫銀のピアスを捉えた。
セレスティアとの戦いで一本の罅が入った丸いピアス。それが不気味な血色に光ったかと思うと、次の瞬間シェリルの見ている前で新たな亀裂を走らせた。
「……っ!」
先に入っていた亀裂と交差して罅割れた新たな亀裂は、丸いピアスに十字の傷をくっきりと浮かび上がらせる。それがもう一度赤く光り、カインの力にさっきよりも強い黒の靄を漂わせた。
『我はここにいる』
体の震えが止まらない。
指先までがくがくと震え、カインにしがみ付いていた手に力が入らず、シェリルはそのままずり落ちてしまいそうになる。
「……カ、イン?」
からからに干上がった喉からは掠れた声しか出ず、シェリルの乾いた声音はカインに届く前に枯れて崩れて落ちていく。
「カインっ」
カインが力を込める度に赤く光るピアス。
このまま黒い靄の波にカインが飲み込まれ、二度と戻って来ないような気がした。
「カイン、やめてっ!」
必死になって叫んだシェリルが、カインの手の上から剣の柄を握りしめた。
「シェリルっ?」
呪文を中断され、ぎょっと目を見開いたカインの腕の中で、シェリルが縋るような目を向けて首を強く横に振った。
「手を離せ! 剣から力が暴走する!」
「嫌! 力を使っちゃ駄目っ」
両手の塞がっているカインは剣からシェリルの手を離す事が出来ず、苛立ったように怒鳴り声を上げた。
「シェリル! 死にたいのかっ!」
「お願い……消えないで!」
叫んだシェリルがカインの胸に顔を埋めると同時に、剣に集められていた力が制御主を失い狂ったように爆発した。
二人を守るはずの結界内は激しい突風に埋め尽くされ、息をするのも困難な状況になる。言う事を聞かなくなった力の塊は次々に結界の薄い壁を突き破り、そこから侵入を許された触手が待っていたと言わんばかりに結界の壁を粉砕した。
「くそっ!」
この機を逃さず二人を押し潰そうとしてくる触手を剣で切り裂くものの、切られた部分はすぐに塞がりカインに逃げ道を与えない。苦戦するカインの状況を嫌というほど見せつけられ、シェリルの胸が鋭い痛みを伴う後悔に埋め尽くされた。
(私っ。私、どうしてあんな事を……)
自分の取った行動を悔やみ、苛立ち、シェリルは唇をぎゅっと強く噛み締める。自分が愚かだという事は分かっていた。あの一瞬にシェリルを突き動かしたものはたったひとつの思いだけだ。カインを失いたくないと言う思いだけ。
『ヴアアアッ!』
素早く逃げ回るカインに痺れを切らしたのか、魔物が雄叫びのような声を上げた。その声にびくんと体を震わせたシェリルの視界が、一瞬で魔物の黒に埋め尽くされる。かと思うと、どす黒い肉塊を覆い隠すように、紫銀の髪が流れた。
「カ……――――」
名前を呼ぶ間もなく、シェリルはカインに痛いほど強く抱きしめられた。息すらまともに出来ず、あまりの苦しさに顔をずらしたシェリルのすぐ目の前で、紫銀の髪に見え隠れしていた肉の塊が鋭い爪へと変形させた触手を勢いよく振り下ろした。
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