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第2章 夢のかけら
癒しの力・1
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身も凍るような鋭い絶叫と共に迸る鮮血。
縦にぱっくりと裂かれた背中から、ずるりと這い出したどす黒い塊。黒の中に光った赤い目と、シェリルの瞳が間近で重なった。
「逃げ、ろっ。こいつはディランの呪いだ!」
腹の底から声を絞り出したロヴァルが、耐え難い激痛にぎりっと歯を食いしばる。
守護獣の攻撃を受け、背中に深い傷を負ったロヴァルを治療したのはディランだった。おそらくその時に、ディランは背中の傷に呪いをかけていたのだろう。自分の背中からずるずると這い出してくる「それ」から、ディランと同じ黒い妖気を感じ取ったロヴァルが、悔しそうに拳をぎゅっと握りしめた。
「シェリル! 馬鹿っ、こっちへ来い!」
ロヴァルの背中から上半身だけを出した肉の塊は、辛うじて人の形を留めながら辺りをぐるっと見回して、一番近くにいたシェリルで視線をぴたりと止める。その血のような赤い目に見つめられ、シェリルは金縛りにあったように硬直した。そんなシェリルへぶよぶよした触手をゆっくりと伸ばした魔物が、小さく首を傾げて口らしきものをもごもごと動かす。
「いっ……いや。来ないで」
「シェリル!」
恐怖のあまり見開いた目から涙が零れそうになっていたシェリルは、後ろから聞こえたカインの声にはっと顔を上げて弾かれたように振り返った。姿を確認するより先に助けを求めて伸ばされた手がぐいっと上に引っ張られ、シェリルは瞬時にカインの腕の中に移動する。
「カイン!」
「ディランの奴も凝った事をしてくれる」
ロヴァルの背中に生えたような形となっている魔物を見て舌打ちしたカインは、攻撃してくる触手を軽々と避けながら少しずつ夢のかけらへ近付いた。
「攻撃は何とか防いでやる。お前は夢のかけらを手に入れろ」
そう言ってカインはシェリルを左腕に抱き直すと、空いた右手で空中に素早く指を滑らせた。カインの指の動きに合わせて空中に流れた金色の軌跡は、そこに複雑な文字を連ねた魔法陣を完成させる。
真下で蠢く魔物に向かってゆっくりと向きを変えた魔法陣を確認したカインが、右手から召喚させた剣をその魔法陣の中心に勢いよく突き刺した。
空気の裂けた音が響き渡り、それと同時に魔法陣から金色の光が真下に向かって降り注いだ。ロヴァルの立っている床上にはカインの作り出した魔法陣と同じものが数倍大きく浮き上がり、上下から放たれる金色の光を全身に浴びた魔物が、身を焼かれる痛みに耐え切れず大声を張り上げた。
『グワアアアッ!』
声ともつかない不気味な轟音に、シェリルがびくんと体を震わせる。そんなシェリルを横目で見たカインが、急かすように声を荒げる。
「さっさと夢のかけらを取れ! この結界は長く持たないからな!」
ロヴァルの変貌と状況の悪化に呆然としていたシェリルが、カインの怒鳴り声ではっと目を覚ました。
怯えている場合ではない。自分のやるべき事を思い出して、シェリルが夢のかけらへ手を伸ばした。するとそれを待っていたかのように夢のかけらは更に輝きを増し、青白い光のヴェールがシェリルの指先まで優しく包み込み始める。
青白い光の海を漂い伸ばされたシェリルの指先が、こつんと硬い石に触れた。
『そこに、希望はあったのだ』
シェリルの中にアルディナの悲しげな声が木霊した。かけらを包む青白い光の中にアルディナの姿を見たような気がして、シェリルは手をもっと先の方まで伸ばした。
『愛しい世界。愛しい子供たち。何があろうと私はこの世界すべてのものを護り続けよう。喜びも幸せも、そして不安と恐怖さえも存在する世界。けれど……そこに希望はあった。確かに希望はあったのだ』
「アルディナ様」
シェリルがその名を口にした瞬間、かけらを包んでいた光が大きく膨張し、そして端からさらさらと崩れ始めた。砂のように流れ出した光の粒はまるで何かに導かれるように、シェリルの胸元で揺れる三日月の首飾りへと吸収されていく。驚いて手を引き戻したシェリルは、胸元の温かい力にアルディナの限りない優しさを感じて首飾りを静かに握りしめた。シェリルの熱を喜ぶように、三日月の首飾りが淡い紫銀の光をきらりと反射する。
光の中心にあったはずの夢のかけらは消失し、それがさっきの光に溶け込んでいた事を確信したシェリルは、首飾りに宿った優しい力を心に直接感じながら大きく息を吸い込んだ。
「カイン、終わったみたい。夢のかけらは手に入れたわ」
そう言ったシェリルの言葉をかき消して、魔物を押さえ込んでいた結界が轟音を上げて勢いよく弾け飛んだ。間髪入れずに、真下からカインめがけて触手がぐわっと伸ばされる。素早く右へ避けたカインの動きに付いていけず、大きく揺れた体に恐怖したシェリルが、振り落とされないようにカインに強くしがみ付いた。粉砕された結界の破片がきらきらと降り注ぎ、その下でさっきよりももっと人間らしい姿を象った魔物が、怒りに燃えた赤い目をぎらつかせていた。
「あいつ、ロヴァルの命を吸収してやがる!」
「ロヴァルを助けないと……」
「魔物の心臓、ロヴァルと一緒だ。あいつを殺せばロヴァルも死ぬぞ」
「そんなっ!」
大きな二本の触手を自由自在に操りシェリルたちを叩き落そうとしている魔物の下で、今もなお体を強張らせて激痛に耐えていたロヴァルが、出せる限りの声を張り上げて叫んだ。
「……早く、行けっ。俺の事は構うな!」
空間に響き渡ったロヴァルの言葉を拒絶するように、両側からシェリルたちを挟みうちにした触手の先端が、突然網の目のように変形してぶわりと空中に広がった。
細かい網の目はシェリルを抱えたカインが通り抜けられるほど大きくなく、二人は触手の檻の中に閉じ込められた形となる。逃げ場を失い空中で立ち止まったカインを見上げて勝ち誇った笑みを浮かべた魔物が、網の目と化していた触手を一気に元の形へ戻した。
縦にぱっくりと裂かれた背中から、ずるりと這い出したどす黒い塊。黒の中に光った赤い目と、シェリルの瞳が間近で重なった。
「逃げ、ろっ。こいつはディランの呪いだ!」
腹の底から声を絞り出したロヴァルが、耐え難い激痛にぎりっと歯を食いしばる。
守護獣の攻撃を受け、背中に深い傷を負ったロヴァルを治療したのはディランだった。おそらくその時に、ディランは背中の傷に呪いをかけていたのだろう。自分の背中からずるずると這い出してくる「それ」から、ディランと同じ黒い妖気を感じ取ったロヴァルが、悔しそうに拳をぎゅっと握りしめた。
「シェリル! 馬鹿っ、こっちへ来い!」
ロヴァルの背中から上半身だけを出した肉の塊は、辛うじて人の形を留めながら辺りをぐるっと見回して、一番近くにいたシェリルで視線をぴたりと止める。その血のような赤い目に見つめられ、シェリルは金縛りにあったように硬直した。そんなシェリルへぶよぶよした触手をゆっくりと伸ばした魔物が、小さく首を傾げて口らしきものをもごもごと動かす。
「いっ……いや。来ないで」
「シェリル!」
恐怖のあまり見開いた目から涙が零れそうになっていたシェリルは、後ろから聞こえたカインの声にはっと顔を上げて弾かれたように振り返った。姿を確認するより先に助けを求めて伸ばされた手がぐいっと上に引っ張られ、シェリルは瞬時にカインの腕の中に移動する。
「カイン!」
「ディランの奴も凝った事をしてくれる」
ロヴァルの背中に生えたような形となっている魔物を見て舌打ちしたカインは、攻撃してくる触手を軽々と避けながら少しずつ夢のかけらへ近付いた。
「攻撃は何とか防いでやる。お前は夢のかけらを手に入れろ」
そう言ってカインはシェリルを左腕に抱き直すと、空いた右手で空中に素早く指を滑らせた。カインの指の動きに合わせて空中に流れた金色の軌跡は、そこに複雑な文字を連ねた魔法陣を完成させる。
真下で蠢く魔物に向かってゆっくりと向きを変えた魔法陣を確認したカインが、右手から召喚させた剣をその魔法陣の中心に勢いよく突き刺した。
空気の裂けた音が響き渡り、それと同時に魔法陣から金色の光が真下に向かって降り注いだ。ロヴァルの立っている床上にはカインの作り出した魔法陣と同じものが数倍大きく浮き上がり、上下から放たれる金色の光を全身に浴びた魔物が、身を焼かれる痛みに耐え切れず大声を張り上げた。
『グワアアアッ!』
声ともつかない不気味な轟音に、シェリルがびくんと体を震わせる。そんなシェリルを横目で見たカインが、急かすように声を荒げる。
「さっさと夢のかけらを取れ! この結界は長く持たないからな!」
ロヴァルの変貌と状況の悪化に呆然としていたシェリルが、カインの怒鳴り声ではっと目を覚ました。
怯えている場合ではない。自分のやるべき事を思い出して、シェリルが夢のかけらへ手を伸ばした。するとそれを待っていたかのように夢のかけらは更に輝きを増し、青白い光のヴェールがシェリルの指先まで優しく包み込み始める。
青白い光の海を漂い伸ばされたシェリルの指先が、こつんと硬い石に触れた。
『そこに、希望はあったのだ』
シェリルの中にアルディナの悲しげな声が木霊した。かけらを包む青白い光の中にアルディナの姿を見たような気がして、シェリルは手をもっと先の方まで伸ばした。
『愛しい世界。愛しい子供たち。何があろうと私はこの世界すべてのものを護り続けよう。喜びも幸せも、そして不安と恐怖さえも存在する世界。けれど……そこに希望はあった。確かに希望はあったのだ』
「アルディナ様」
シェリルがその名を口にした瞬間、かけらを包んでいた光が大きく膨張し、そして端からさらさらと崩れ始めた。砂のように流れ出した光の粒はまるで何かに導かれるように、シェリルの胸元で揺れる三日月の首飾りへと吸収されていく。驚いて手を引き戻したシェリルは、胸元の温かい力にアルディナの限りない優しさを感じて首飾りを静かに握りしめた。シェリルの熱を喜ぶように、三日月の首飾りが淡い紫銀の光をきらりと反射する。
光の中心にあったはずの夢のかけらは消失し、それがさっきの光に溶け込んでいた事を確信したシェリルは、首飾りに宿った優しい力を心に直接感じながら大きく息を吸い込んだ。
「カイン、終わったみたい。夢のかけらは手に入れたわ」
そう言ったシェリルの言葉をかき消して、魔物を押さえ込んでいた結界が轟音を上げて勢いよく弾け飛んだ。間髪入れずに、真下からカインめがけて触手がぐわっと伸ばされる。素早く右へ避けたカインの動きに付いていけず、大きく揺れた体に恐怖したシェリルが、振り落とされないようにカインに強くしがみ付いた。粉砕された結界の破片がきらきらと降り注ぎ、その下でさっきよりももっと人間らしい姿を象った魔物が、怒りに燃えた赤い目をぎらつかせていた。
「あいつ、ロヴァルの命を吸収してやがる!」
「ロヴァルを助けないと……」
「魔物の心臓、ロヴァルと一緒だ。あいつを殺せばロヴァルも死ぬぞ」
「そんなっ!」
大きな二本の触手を自由自在に操りシェリルたちを叩き落そうとしている魔物の下で、今もなお体を強張らせて激痛に耐えていたロヴァルが、出せる限りの声を張り上げて叫んだ。
「……早く、行けっ。俺の事は構うな!」
空間に響き渡ったロヴァルの言葉を拒絶するように、両側からシェリルたちを挟みうちにした触手の先端が、突然網の目のように変形してぶわりと空中に広がった。
細かい網の目はシェリルを抱えたカインが通り抜けられるほど大きくなく、二人は触手の檻の中に閉じ込められた形となる。逃げ場を失い空中で立ち止まったカインを見上げて勝ち誇った笑みを浮かべた魔物が、網の目と化していた触手を一気に元の形へ戻した。
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