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第2章 夢のかけら
闇の従者・1
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――――私……私は一体、誰なの。
街から少し離れた人目につかない森の中で、セレスティアは肩を震わせて泣いていた。
記憶に残る不気味な声。ロヴァルの言葉。そして、今さっきすれ違ったもう一人の落し子。
「……わた……私っ」
――――セレスティア。君はもう一度甦る。
頭をかち割られたような激しい頭痛が、セレスティアを襲った。両手で頭を抱え込んで蹲ったセレスティアの中で、不気味な声が延々と響く。その度に、まるで怯えるように震える神経が、セレスティアの体に危険信号を伝えていった。
『神の落し子はもう一人いた』
『……もしかして、セレスティア?』
隠された真実。二人の落し子。闇に響く無気味な声音。三日月の刻印。
「私は誰なの……?」
消えそうなほど小さな声で呟いたセレスティアの言葉に、答えは真上から降ってきた。
「知りたいかい? 偽りの落し子セレスティア」
俯いたまま目を見開いたセレスティアのすぐ前に、影が立っていた。気配すら感じさせずいつのまにか自分のすぐ真正面に立っていた男に驚いて、思わず逃げ出しそうになったセレスティアの体がぎくんと震えた。
見上げた瞳に映る、淡い笑みを浮かべた灰青の髪をした男の姿。それはセレスティアのかすかに残る記憶の中で、闇から自分を呼び戻した男の顔と重なり合う。
「……あなたは」
驚きと恐怖に満ちた瞳を大きく見開いたセレスティアの前で、冷たい微笑みを浮かべたディランが細い指をすうっと上げた。
「遊びの時間は終わりだ」
しなやかに空を泳ぐ細い指を見た瞬間、セレスティアの意識がそこで完全に途切れた。
閉めきった教会の中に漂う、濃い血臭。
真紅に染まったアルディナ像が見下ろすのは、床にじわりと広がった緑色の物体。あちこちに飛び散った肉片と、頭部を粉砕され液体になり損ねた神父の体が、ただそこにあった。
荒々しく扉を開けて中へ駆け込んだカインは、真っ先に瞳が捉えた光景に思わず声を失って立ち尽くした。神聖な教会は鮮血に汚され、それを直視する事も躊躇われる。残った体が痙攣するようにぴくぴくと動いている様子から、カインは神父がついさっき殺された事を知った。
神経を研ぎ澄まし辺りの様子を注意深く探ってみても、そこに第三者の気配はまったくない。端からどろどろに溶け落ち、今はもう上半身しか残っていない神父の体に屈み込んだカインは、目を覆いたくなるようなその光景に顔を歪ませた。
「……っ」
緑色のどろりした液体に変わっていく体は、神父が人間ではない事を物語っていた。しかしその神父が何者かに殺されたとなると、セレスティアに黒魔術をかけた犯人は他にいる事になる。
一体誰が、何の為に。
「カイン!」
教会の外でシェリルの声がした。その声にはっと顔を上げたカインの背後で、教会の扉がぎいっと音を立てながらゆっくりと開かれた。光が差し込み、長く伸びたシェリルの影がカインの背中にまで伸びる。
「来るな!」
血に汚れた凄惨な光景をシェリルに見せまいと、慌てて立ち上がったカインより数秒早く、教会の中から落ち着いた静かな声音が響いた。
「シェリル、君は見ない方がいい」
突然聞こえたその声に、カインの体がぎくんと震えた。
「あれ? ディラン、ここにいたの?」
教会の中には、カインと死んだ神父以外誰もいなかった。それなのに、あたかも最初からそこにいたかのように振る舞うディランに、カインの鼓動が本能的に早鐘を打つ。
「ウォアズ神父は死んでる。殺されたみたいだ」
感情のない声で言葉を紡いだディランがゆっくりと後ろを振り返って、そこに立ち尽くすカインを見つめ返した。瞳は冷たく凍ったまま、口元だけが妖しく笑みを作る。
「シェリル! そいつから離れろ!」
「もう遅いよ」
冷たい声でそう言ったディランが素早く手を伸ばして、シェリルの体をがっちりと捕えた。そのあまりにも強い力に驚いて顔を上げたシェリルの視界が、ぐらりと大きく揺らめいた。
「きゃっ!」
ディランの片腕に捕えられたまま教会の天井近くまで連れ去られたシェリルを追って、カインが背中の翼を瞬時に具現化する。真白い大きな翼に一瞬目を細めたディランだったが、その表情はすぐに無感情の冷たい笑みに変わった。
「へぇ、やっぱり君は天使だったんだ。落し子の守護天使にしては少し変わった気を持っていたから、どうかと思ったんだけど」
口調はいつものディランなのにその微笑みから感じるものは、人間とは思えないほどひどく凍り付いている。ディランから漂う気は、シェリルを狙うあの闇にとてもよく似ていた。
「どういう事っ? ディラン、あなたまさか」
「気付くのが少し遅かったようだね。最も、ばれるとは思ってなかったけど。……君たちをおびき寄せる為にセレスティアを蘇生させたのも、そこに転がっている神父を殺したのも、僕だ」
「どうして? あなた一体……何者なの?」
「シェリル。君には悪いけど、地界ガルディオスまで来てもらう」
表情を変えずに淡々と語ったディランが、シェリルを捕まえている腕に力を込めた。感情のない冷たいだけの声に怯え、瞳を大きく見開いたシェリルの前で、ディランがもう片方の手を真下のカインへと向ける。
「その前に、邪魔者には消えてもらおうか」
冷たく流れた声音はそのまま暗黒の呪文と化し、標的をカインへ定めたディランの手のひらに集中する。ばちばちっと激しい音を上げて火花を散らす真紅の光弾はみるみるうちに大きくなり、それの放つ衝撃波だけで教会全体が悲鳴を上げて軋み出した。
「ディラン、やめてっ!」
「僕に命令できるのは君じゃない」
射殺すような冷たい視線をシェリルへ向けたディランが、次の瞬間今にも弾けそうな真紅の光を真下のカインめがけて勢いよく振り落とした。
「カインっ!」
「すべてはルシエル様の為に」
呪文のように呟かれたディランの言葉と、絶叫にも近いシェリルの悲鳴を飲み込んで、真紅の光は飛び散った鮮血のように爆発した。
街から少し離れた人目につかない森の中で、セレスティアは肩を震わせて泣いていた。
記憶に残る不気味な声。ロヴァルの言葉。そして、今さっきすれ違ったもう一人の落し子。
「……わた……私っ」
――――セレスティア。君はもう一度甦る。
頭をかち割られたような激しい頭痛が、セレスティアを襲った。両手で頭を抱え込んで蹲ったセレスティアの中で、不気味な声が延々と響く。その度に、まるで怯えるように震える神経が、セレスティアの体に危険信号を伝えていった。
『神の落し子はもう一人いた』
『……もしかして、セレスティア?』
隠された真実。二人の落し子。闇に響く無気味な声音。三日月の刻印。
「私は誰なの……?」
消えそうなほど小さな声で呟いたセレスティアの言葉に、答えは真上から降ってきた。
「知りたいかい? 偽りの落し子セレスティア」
俯いたまま目を見開いたセレスティアのすぐ前に、影が立っていた。気配すら感じさせずいつのまにか自分のすぐ真正面に立っていた男に驚いて、思わず逃げ出しそうになったセレスティアの体がぎくんと震えた。
見上げた瞳に映る、淡い笑みを浮かべた灰青の髪をした男の姿。それはセレスティアのかすかに残る記憶の中で、闇から自分を呼び戻した男の顔と重なり合う。
「……あなたは」
驚きと恐怖に満ちた瞳を大きく見開いたセレスティアの前で、冷たい微笑みを浮かべたディランが細い指をすうっと上げた。
「遊びの時間は終わりだ」
しなやかに空を泳ぐ細い指を見た瞬間、セレスティアの意識がそこで完全に途切れた。
閉めきった教会の中に漂う、濃い血臭。
真紅に染まったアルディナ像が見下ろすのは、床にじわりと広がった緑色の物体。あちこちに飛び散った肉片と、頭部を粉砕され液体になり損ねた神父の体が、ただそこにあった。
荒々しく扉を開けて中へ駆け込んだカインは、真っ先に瞳が捉えた光景に思わず声を失って立ち尽くした。神聖な教会は鮮血に汚され、それを直視する事も躊躇われる。残った体が痙攣するようにぴくぴくと動いている様子から、カインは神父がついさっき殺された事を知った。
神経を研ぎ澄まし辺りの様子を注意深く探ってみても、そこに第三者の気配はまったくない。端からどろどろに溶け落ち、今はもう上半身しか残っていない神父の体に屈み込んだカインは、目を覆いたくなるようなその光景に顔を歪ませた。
「……っ」
緑色のどろりした液体に変わっていく体は、神父が人間ではない事を物語っていた。しかしその神父が何者かに殺されたとなると、セレスティアに黒魔術をかけた犯人は他にいる事になる。
一体誰が、何の為に。
「カイン!」
教会の外でシェリルの声がした。その声にはっと顔を上げたカインの背後で、教会の扉がぎいっと音を立てながらゆっくりと開かれた。光が差し込み、長く伸びたシェリルの影がカインの背中にまで伸びる。
「来るな!」
血に汚れた凄惨な光景をシェリルに見せまいと、慌てて立ち上がったカインより数秒早く、教会の中から落ち着いた静かな声音が響いた。
「シェリル、君は見ない方がいい」
突然聞こえたその声に、カインの体がぎくんと震えた。
「あれ? ディラン、ここにいたの?」
教会の中には、カインと死んだ神父以外誰もいなかった。それなのに、あたかも最初からそこにいたかのように振る舞うディランに、カインの鼓動が本能的に早鐘を打つ。
「ウォアズ神父は死んでる。殺されたみたいだ」
感情のない声で言葉を紡いだディランがゆっくりと後ろを振り返って、そこに立ち尽くすカインを見つめ返した。瞳は冷たく凍ったまま、口元だけが妖しく笑みを作る。
「シェリル! そいつから離れろ!」
「もう遅いよ」
冷たい声でそう言ったディランが素早く手を伸ばして、シェリルの体をがっちりと捕えた。そのあまりにも強い力に驚いて顔を上げたシェリルの視界が、ぐらりと大きく揺らめいた。
「きゃっ!」
ディランの片腕に捕えられたまま教会の天井近くまで連れ去られたシェリルを追って、カインが背中の翼を瞬時に具現化する。真白い大きな翼に一瞬目を細めたディランだったが、その表情はすぐに無感情の冷たい笑みに変わった。
「へぇ、やっぱり君は天使だったんだ。落し子の守護天使にしては少し変わった気を持っていたから、どうかと思ったんだけど」
口調はいつものディランなのにその微笑みから感じるものは、人間とは思えないほどひどく凍り付いている。ディランから漂う気は、シェリルを狙うあの闇にとてもよく似ていた。
「どういう事っ? ディラン、あなたまさか」
「気付くのが少し遅かったようだね。最も、ばれるとは思ってなかったけど。……君たちをおびき寄せる為にセレスティアを蘇生させたのも、そこに転がっている神父を殺したのも、僕だ」
「どうして? あなた一体……何者なの?」
「シェリル。君には悪いけど、地界ガルディオスまで来てもらう」
表情を変えずに淡々と語ったディランが、シェリルを捕まえている腕に力を込めた。感情のない冷たいだけの声に怯え、瞳を大きく見開いたシェリルの前で、ディランがもう片方の手を真下のカインへと向ける。
「その前に、邪魔者には消えてもらおうか」
冷たく流れた声音はそのまま暗黒の呪文と化し、標的をカインへ定めたディランの手のひらに集中する。ばちばちっと激しい音を上げて火花を散らす真紅の光弾はみるみるうちに大きくなり、それの放つ衝撃波だけで教会全体が悲鳴を上げて軋み出した。
「ディラン、やめてっ!」
「僕に命令できるのは君じゃない」
射殺すような冷たい視線をシェリルへ向けたディランが、次の瞬間今にも弾けそうな真紅の光を真下のカインめがけて勢いよく振り落とした。
「カインっ!」
「すべてはルシエル様の為に」
呪文のように呟かれたディランの言葉と、絶叫にも近いシェリルの悲鳴を飲み込んで、真紅の光は飛び散った鮮血のように爆発した。
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