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第2章 夢のかけら
甘い誘惑・2
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ふわふわと雲の上を漂っている感覚だった。
ふわりと優しく温かく、体を包んでくれる。とても安らかで穏やかな時間が、ゆっくりゆっくり流れていく。優しい香りに包まれ、強い力に身を委ね、シェリルは久しぶりに落ち着いて目を閉じる事が出来た。かすかに揺れ動く感じが揺りかごのように心地よく、ずっとこのままでいたいとさえ思ってしまう。
間近で声が聞こえた。
それはずっとずっとシェリルが求めていた声だったのかもしれない。
「……カイン」
閉じ込められていた部屋に再び戻ってきたカインが扉を閉めたのと同時に、腕の中でシェリルが小さく身じろぎした。
「ああ」
ただのうわ言だと思い適当に返事をしながらシェリルをベッドへ寝かせたカインは、右手首に僅かな力を感じて不思議そうにシェリルの顔を覗き込んだ。
「カイン。……行かないで」
「何だ、シェリル。淋しいのか?」
いつものように冗談っぽく返しながらシェリルの手を解こうとしたカインの耳に、とてもシェリルが発したとは思えない言葉が飛び込んできた。
「……淋しいわ。ここにいて」
カルヴァール酒は薄めて飲んでもかなり強い酒だ。カインが一緒に飲んでいた海賊たちも何人かが泥酔し、目の前で倒れていった。その酒を、シェリルは原液で二杯も飲み干している。わけが分からないほど酔い潰れるのは目に見えていたが、実際そんな事を間近で言われると、さすがのカインも一瞬慌てて胸を高鳴らせてしまう。
改めて見るシェリルは酒に酔っているせいか頬も淡く色づき、かすかに開けた瞳も潤んでいてカインの心を激しく乱していく。
「……参ったな。酔った女は相手にしないんだが」
騒がしくなる胸の鼓動を落ち着かせようと大きく息を吸ったカインは暫く考えて、そして自分の手首を掴んでいたシェリルの手を上からぎゅっと握り返した。その力と熱を感じてカインを見上げたシェリルが、まるで安心するかのようにふわりと微笑みを向ける。
「お前が誘ったんだぞ?」
確認された言葉の意味が分かっているのか、シェリルは小さく頷いてカインの手に頬をすり寄せた。
「うん。……カインって――――お父さんみたい」
ベッドに腰かけてゆっくりとシェリルへ身を屈めていたカインは、その言葉で一気に体中から力が抜けた。そんなカインの脱力感など知りもせず、シェリルはまるで甘えた子供のようにカインへ体をすり寄せてくる。
「私ね、一人っ子だったの。お父さんとお母さんと三人で暮らしてた。リスティールっていう、小さな村よ。……すごく幸せだった」
気持ちは見事に空振りしたが、シェリルがぽつぽつと話し始めた事はずっと隠してきた過去であり、カイン自身興味がない訳でもなかった。シェリルが夢に怯える理由、女神に会いたいと願う理由が理解出来るかもしれない。
ふうっと大きく溜息をついて心を入れ替えたカインは、ベッドの端に座り直すと、握っていたシェリルの手を両手で優しく包み込んだ。
「自分が神の落し子だなんてそんな事知らなかったし、この額の印もただの傷だと思っていたわ。……あの夜までは……っ」
急に何かを思い出したように声を荒げて震え始めたシェリルは、握っていたカインの手にもっと強く力を込めた。
闇に連れて行かれないように。見つからないように。
「シェリル、大丈夫だ。ここには俺とお前の二人しかいない」
静かに呟いて、カインが優しくシェリルの髪を撫でてやる。その手つきに微睡むように、シェリルがゆっくりと瞼を閉じて小さく頷いた。
「闇は突然現れた。そして、お父さんとお母さんを……っ。私は必死に逃げて、それでも地を這うような声はどこまでも追ってきて……私を殺そうとした」
『お前はアルディナだ。その存在は我にとって憎むべき者以外の何者でもない』
「闇は私からすべてを奪っていくわ。エレナ様もクリスも、もうこれ以上大切な人を失いたくなかったから、私はひとりでいた。……でも、カイン。あなたは私を守ってくれると言った」
「ああ」
顔の向きを変えて上を見上げたシェリルが、翡翠色の瞳をカインに真っ直ぐ投げかける。
「私はその言葉を、信じていいの?」
「お前はどう思うんだ?」
反対に尋ねられ、いつもなら俯いてしまうシェリルだったが、今夜だけは目を逸らさずにじっとカインを見つめ返した。その魅惑的な視線に思わずカインの方が目を逸らしそうになってしまう。
「……私は、信じたいわ」
真っ直ぐに言われて、カインの心が奥からふわりと温かくなる。酔っているからこそ聞く事の出来たシェリルの本心に、カインは口元を緩めてかすかに微笑むと、そのままシェリルの体をもっと近くに抱き寄せた。カルヴァール酒のせいで体にほとんど力の入らないシェリルは簡単にカインの腕の中におさまり、その胸元にことんと頭を傾けてくる。
「お前、どうせ明日になれば何も覚えてないんだろ」
返事の代わりに規則正しい寝息が届く。
「ったく、男の腕の中で気持ちよく寝る女がいるかよ。少しは俺の身にもなってくれ」
「……ん。カイ、ン。……どこにも、行かないで」
カインの体温が気持ちいいのか、目を閉じたまま頬を寄せた胸元にもっと顔を埋めたシェリルに、カインが肩を落として脱力する。
「明日の朝が大変だな。……この俺がここまでされて手を出さないんだ。これくらいはさせてもらうぜ」
そう言ってカインは腕の力を少し強めて、シェリルの額へ静かに静かに唇を落とした。
額に柔らかな唇の感触を感じてかすかに身じろぎしただけのシェリルを見つめながら、カインは明日の朝必ず訪れるであろう喧騒を思い浮かべながら、かすかに微笑みを浮かべていた。
ふわりと優しく温かく、体を包んでくれる。とても安らかで穏やかな時間が、ゆっくりゆっくり流れていく。優しい香りに包まれ、強い力に身を委ね、シェリルは久しぶりに落ち着いて目を閉じる事が出来た。かすかに揺れ動く感じが揺りかごのように心地よく、ずっとこのままでいたいとさえ思ってしまう。
間近で声が聞こえた。
それはずっとずっとシェリルが求めていた声だったのかもしれない。
「……カイン」
閉じ込められていた部屋に再び戻ってきたカインが扉を閉めたのと同時に、腕の中でシェリルが小さく身じろぎした。
「ああ」
ただのうわ言だと思い適当に返事をしながらシェリルをベッドへ寝かせたカインは、右手首に僅かな力を感じて不思議そうにシェリルの顔を覗き込んだ。
「カイン。……行かないで」
「何だ、シェリル。淋しいのか?」
いつものように冗談っぽく返しながらシェリルの手を解こうとしたカインの耳に、とてもシェリルが発したとは思えない言葉が飛び込んできた。
「……淋しいわ。ここにいて」
カルヴァール酒は薄めて飲んでもかなり強い酒だ。カインが一緒に飲んでいた海賊たちも何人かが泥酔し、目の前で倒れていった。その酒を、シェリルは原液で二杯も飲み干している。わけが分からないほど酔い潰れるのは目に見えていたが、実際そんな事を間近で言われると、さすがのカインも一瞬慌てて胸を高鳴らせてしまう。
改めて見るシェリルは酒に酔っているせいか頬も淡く色づき、かすかに開けた瞳も潤んでいてカインの心を激しく乱していく。
「……参ったな。酔った女は相手にしないんだが」
騒がしくなる胸の鼓動を落ち着かせようと大きく息を吸ったカインは暫く考えて、そして自分の手首を掴んでいたシェリルの手を上からぎゅっと握り返した。その力と熱を感じてカインを見上げたシェリルが、まるで安心するかのようにふわりと微笑みを向ける。
「お前が誘ったんだぞ?」
確認された言葉の意味が分かっているのか、シェリルは小さく頷いてカインの手に頬をすり寄せた。
「うん。……カインって――――お父さんみたい」
ベッドに腰かけてゆっくりとシェリルへ身を屈めていたカインは、その言葉で一気に体中から力が抜けた。そんなカインの脱力感など知りもせず、シェリルはまるで甘えた子供のようにカインへ体をすり寄せてくる。
「私ね、一人っ子だったの。お父さんとお母さんと三人で暮らしてた。リスティールっていう、小さな村よ。……すごく幸せだった」
気持ちは見事に空振りしたが、シェリルがぽつぽつと話し始めた事はずっと隠してきた過去であり、カイン自身興味がない訳でもなかった。シェリルが夢に怯える理由、女神に会いたいと願う理由が理解出来るかもしれない。
ふうっと大きく溜息をついて心を入れ替えたカインは、ベッドの端に座り直すと、握っていたシェリルの手を両手で優しく包み込んだ。
「自分が神の落し子だなんてそんな事知らなかったし、この額の印もただの傷だと思っていたわ。……あの夜までは……っ」
急に何かを思い出したように声を荒げて震え始めたシェリルは、握っていたカインの手にもっと強く力を込めた。
闇に連れて行かれないように。見つからないように。
「シェリル、大丈夫だ。ここには俺とお前の二人しかいない」
静かに呟いて、カインが優しくシェリルの髪を撫でてやる。その手つきに微睡むように、シェリルがゆっくりと瞼を閉じて小さく頷いた。
「闇は突然現れた。そして、お父さんとお母さんを……っ。私は必死に逃げて、それでも地を這うような声はどこまでも追ってきて……私を殺そうとした」
『お前はアルディナだ。その存在は我にとって憎むべき者以外の何者でもない』
「闇は私からすべてを奪っていくわ。エレナ様もクリスも、もうこれ以上大切な人を失いたくなかったから、私はひとりでいた。……でも、カイン。あなたは私を守ってくれると言った」
「ああ」
顔の向きを変えて上を見上げたシェリルが、翡翠色の瞳をカインに真っ直ぐ投げかける。
「私はその言葉を、信じていいの?」
「お前はどう思うんだ?」
反対に尋ねられ、いつもなら俯いてしまうシェリルだったが、今夜だけは目を逸らさずにじっとカインを見つめ返した。その魅惑的な視線に思わずカインの方が目を逸らしそうになってしまう。
「……私は、信じたいわ」
真っ直ぐに言われて、カインの心が奥からふわりと温かくなる。酔っているからこそ聞く事の出来たシェリルの本心に、カインは口元を緩めてかすかに微笑むと、そのままシェリルの体をもっと近くに抱き寄せた。カルヴァール酒のせいで体にほとんど力の入らないシェリルは簡単にカインの腕の中におさまり、その胸元にことんと頭を傾けてくる。
「お前、どうせ明日になれば何も覚えてないんだろ」
返事の代わりに規則正しい寝息が届く。
「ったく、男の腕の中で気持ちよく寝る女がいるかよ。少しは俺の身にもなってくれ」
「……ん。カイ、ン。……どこにも、行かないで」
カインの体温が気持ちいいのか、目を閉じたまま頬を寄せた胸元にもっと顔を埋めたシェリルに、カインが肩を落として脱力する。
「明日の朝が大変だな。……この俺がここまでされて手を出さないんだ。これくらいはさせてもらうぜ」
そう言ってカインは腕の力を少し強めて、シェリルの額へ静かに静かに唇を落とした。
額に柔らかな唇の感触を感じてかすかに身じろぎしただけのシェリルを見つめながら、カインは明日の朝必ず訪れるであろう喧騒を思い浮かべながら、かすかに微笑みを浮かべていた。
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