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第2章 夢のかけら
海賊船ブルーファング・1
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さあ、目覚めるのだ。
お前を捨てた女神に復讐を。そして真の神となり、暗黒に染められし世界を支配しようではないか。
どんなに足掻いても我から逃げられはせぬ。
孤独を覚え、女神を憎み、天界に羨望を覚えた時から、我とお前はひとつになったのだ。
同じ顔。同じ声。同じ名前。
――――そう、お前の名は……。
光が射した。
体に纏わりついていたねっとりとした感触が消え、シェリルの体がふっと無重力状態になる。閉じていた瞼の裏側に光を感じて目を開けた先に、どこまでも広がる青い海が見えた。
天界の魔法陣から大海原のど真ん中、しかも空中に召喚されていたシェリルは、足元に広がる光景に驚いて、反射的に後ろへと飛び退いた。その拍子に、シェリルの体がかくんと傾く。
「きゃっ!」
突如として重力の戻った体が、そこから石のように落下した。状況を理解する間もなく、強い風の衝撃を受けながら落ちていくシェリルが、無意識に一番近くにあるものを強く掴んで目を閉じた。
「いきなりコレかよ」
手に掴んだものがそう言ったのと同時に、翼の羽ばたく大きな音が間近に聞こえた。かと思うと体がふわりと浮いて、シェリルの体は再び空中に留められた。違うのは無重力ではなく、今度はカインに抱えられ、彼の翼で浮いている。
「ゲートからどこに出るかくらい、セシリアの奴教えてくれたって良かったのによ」
抱き合う形で支えられ、シェリルはカインの肩越しにどこまでも続く青い海を確認する。眩しい太陽の下に広がる深い青色は、それだけで見る者を誘い込んでしまうくらいに美しかった。
「……こんな所に夢のかけらが?」
広大な海をぐるりと見回しながら呟いたシェリルが、眼下に見えるひとつの島に気付いて小さく声をあげた。
巨大な岩がそのまま島になったようなそこには、海から入っていけそうな洞窟が黒い口を不気味に開けている。その入口付近には藍色の大きな旗を掲げた船が浮かんでいた。鋭い牙と髑髏の絵が描かれた藍色の旗は、どこをどう見てもその船が海賊船だという事を示している。
「海賊がこんな海のど真ん中の洞窟に何の用があるんだか。どう見ても宝のありそうな島じゃないってのに」
「もしかして夢のかけらを狙って……?」
「まさか」
「でもゲートから出てきた場所に夢のかけらがあるのなら、あそこかも」
シェリルの言う事にも一理あると、カインは島と海賊船を見つめながら軽く頷いた。
「なら急ぐか」
そう言ってカインは腕に支えたシェリルを抱き直して、眼下に浮かぶ島の洞窟へと急降下した。
晴れ渡った空に昇る眩しい太陽の光を受けて、きらきらと輝く青い海。海原を撫でるように吹く爽やかな風。
世界にあるものすべてを創造した女神アルディナの、最初に降り立った聖地。そこで女神は何を思い、何を願い、世界を創造したのだろうか。
そして世界を覆っていた闇は、何を感じていたのだろうか。
『我は消えぬ! この地に人間がいる限り、我は決して消えはせぬ! 人の欲を喰い、悪を喰い、力を戻して再びお前の元へ帰ってくる。その時を楽しみに待っているぞ、アルディナ!』
真横で呪いの言葉を聞いたような気がした。幾重にも重なった低くも高くもある不気味な声は、カインの体に響くと同時にじわりと染み込んでいく。女の声でもあり男の声でもあるそれは、幻聴とは思えないほどはっきりとした音でカインの耳元に囁きかけて来た。
『憎いのであろう? 天界の女神が。……我には分かる。お前の心はひどく傷付き、病んでいる』
(……何だ? この声は)
体の細胞ひとつひとつにまで染み込む声音は、まるでカインを内側から黒く塗り潰して行くようだった。逃げても覆い被さる闇の感覚に飲まれまいと、強く歯を食いしばった口内に血の味が充満する。
「カイン?」
体を支える腕に微妙な力の変化を感じて、シェリルが不安げにカインを見上げた。その翡翠色の瞳が、冷や汗を流して苦渋の表情を浮かべるカインを捉えて、ぎょっと大きく見開かれた。
「カインっ? どうしたの?」
その声に反応するように、カインの耳元で囁かれていた不快な声がぴたりと止んだ。けれど未だ耳の奥で木霊する声の残響を、カインは体から振り払うように強く頭を左右に振った。
「……何でもない」
そう言って気を取り直したカインが、安心させるように薄く笑みを浮かべながらシェリルを見つめた。途端、カインの体がびくんと大きく震えた。
見開かれたカインの瞳に映るのは、シェリルではなく別の女の姿だった。緩く波打つ金色の髪は全身を覆い隠し、澄んだ青い瞳がカインをじいっと見つめている。
「カイン?」
心配してかけられた声は、カインに届く事なく風に攫われていく。
「……誰だ、お前は」
掠れて消えそうなカインの声に女の幻がゆらりと揺らめいて、固く結んでいた唇を静かに開いた。その唇から音が零れる事はなかったが、風に流れ、かすかに届いた何かに、カインの全神経が心臓のようにどくんと大きく脈打ち始める。
『殺せっ! その女を殺せばお前は自由になれる!』
再び耳の奥に聞こえた声は、恐ろしいほど強烈な殺意を剥き出しにして体中を駆け巡る。女に対する激しい憎悪。そして、孤独な悲しみ。
「ルシエルかっ!」
『我の名を知る者は、我だけと知れ』
今まで幾重にも重なって聞こえていた声が、ふっとひとつの音に纏まった。直接カインの頭に響くそれは、体を麻痺させてしまうほど神経を激しく震わせる凍った声音だった。
『お前は何を望む? お前がそれを望んだ時、我とお前はひとつになるのだ。同じ姿。同じ名前。……我はお前であり、お前は我なのだ』
感情のない冷たい声は、カインの中から聞こえていた。それに気付いたカインが、声を追い出すように目を閉じて頭を強く横に振る。それ以上声を聞いてはいけないような気がしていた。
『お前は我を、誰だと思っている?』
声は見えない触手となり、カインの足に腕に絡み付いてくる。そのまま得体の知れない空間へ引きずり込むかのように。
『我の名は……』
「やめろっ!」
怒号のような声で叫んだカインの意識が、見えない手によってずるりと闇の中へ引きずり込まれた。
間近で怒鳴られてびくんと震えたシェリルが異変に気付いた時には既に遅く、意識を失ったカインの体はシェリルを抱いたまま海へと真っ逆さまに落下する。
「カインっ!」
シェリルの声はカインに届く事なく流れてゆき、白い羽は風に溶けて消滅する。真下に見える海への落下を免れないと悟ったシェリルが、目をぎゅっと閉じて意識のないカインの体に腕を回したのとほとんど同時に、二人の体が大きな水飛沫をあげて青い海へと落下した。
我は闇に生きる者。そしてお前は、光に生きる者。
我はお前になれはせぬ。暗黒の翼を持つ我は、永遠に闇と共にある。
お前を捨てた女神に復讐を。そして真の神となり、暗黒に染められし世界を支配しようではないか。
どんなに足掻いても我から逃げられはせぬ。
孤独を覚え、女神を憎み、天界に羨望を覚えた時から、我とお前はひとつになったのだ。
同じ顔。同じ声。同じ名前。
――――そう、お前の名は……。
光が射した。
体に纏わりついていたねっとりとした感触が消え、シェリルの体がふっと無重力状態になる。閉じていた瞼の裏側に光を感じて目を開けた先に、どこまでも広がる青い海が見えた。
天界の魔法陣から大海原のど真ん中、しかも空中に召喚されていたシェリルは、足元に広がる光景に驚いて、反射的に後ろへと飛び退いた。その拍子に、シェリルの体がかくんと傾く。
「きゃっ!」
突如として重力の戻った体が、そこから石のように落下した。状況を理解する間もなく、強い風の衝撃を受けながら落ちていくシェリルが、無意識に一番近くにあるものを強く掴んで目を閉じた。
「いきなりコレかよ」
手に掴んだものがそう言ったのと同時に、翼の羽ばたく大きな音が間近に聞こえた。かと思うと体がふわりと浮いて、シェリルの体は再び空中に留められた。違うのは無重力ではなく、今度はカインに抱えられ、彼の翼で浮いている。
「ゲートからどこに出るかくらい、セシリアの奴教えてくれたって良かったのによ」
抱き合う形で支えられ、シェリルはカインの肩越しにどこまでも続く青い海を確認する。眩しい太陽の下に広がる深い青色は、それだけで見る者を誘い込んでしまうくらいに美しかった。
「……こんな所に夢のかけらが?」
広大な海をぐるりと見回しながら呟いたシェリルが、眼下に見えるひとつの島に気付いて小さく声をあげた。
巨大な岩がそのまま島になったようなそこには、海から入っていけそうな洞窟が黒い口を不気味に開けている。その入口付近には藍色の大きな旗を掲げた船が浮かんでいた。鋭い牙と髑髏の絵が描かれた藍色の旗は、どこをどう見てもその船が海賊船だという事を示している。
「海賊がこんな海のど真ん中の洞窟に何の用があるんだか。どう見ても宝のありそうな島じゃないってのに」
「もしかして夢のかけらを狙って……?」
「まさか」
「でもゲートから出てきた場所に夢のかけらがあるのなら、あそこかも」
シェリルの言う事にも一理あると、カインは島と海賊船を見つめながら軽く頷いた。
「なら急ぐか」
そう言ってカインは腕に支えたシェリルを抱き直して、眼下に浮かぶ島の洞窟へと急降下した。
晴れ渡った空に昇る眩しい太陽の光を受けて、きらきらと輝く青い海。海原を撫でるように吹く爽やかな風。
世界にあるものすべてを創造した女神アルディナの、最初に降り立った聖地。そこで女神は何を思い、何を願い、世界を創造したのだろうか。
そして世界を覆っていた闇は、何を感じていたのだろうか。
『我は消えぬ! この地に人間がいる限り、我は決して消えはせぬ! 人の欲を喰い、悪を喰い、力を戻して再びお前の元へ帰ってくる。その時を楽しみに待っているぞ、アルディナ!』
真横で呪いの言葉を聞いたような気がした。幾重にも重なった低くも高くもある不気味な声は、カインの体に響くと同時にじわりと染み込んでいく。女の声でもあり男の声でもあるそれは、幻聴とは思えないほどはっきりとした音でカインの耳元に囁きかけて来た。
『憎いのであろう? 天界の女神が。……我には分かる。お前の心はひどく傷付き、病んでいる』
(……何だ? この声は)
体の細胞ひとつひとつにまで染み込む声音は、まるでカインを内側から黒く塗り潰して行くようだった。逃げても覆い被さる闇の感覚に飲まれまいと、強く歯を食いしばった口内に血の味が充満する。
「カイン?」
体を支える腕に微妙な力の変化を感じて、シェリルが不安げにカインを見上げた。その翡翠色の瞳が、冷や汗を流して苦渋の表情を浮かべるカインを捉えて、ぎょっと大きく見開かれた。
「カインっ? どうしたの?」
その声に反応するように、カインの耳元で囁かれていた不快な声がぴたりと止んだ。けれど未だ耳の奥で木霊する声の残響を、カインは体から振り払うように強く頭を左右に振った。
「……何でもない」
そう言って気を取り直したカインが、安心させるように薄く笑みを浮かべながらシェリルを見つめた。途端、カインの体がびくんと大きく震えた。
見開かれたカインの瞳に映るのは、シェリルではなく別の女の姿だった。緩く波打つ金色の髪は全身を覆い隠し、澄んだ青い瞳がカインをじいっと見つめている。
「カイン?」
心配してかけられた声は、カインに届く事なく風に攫われていく。
「……誰だ、お前は」
掠れて消えそうなカインの声に女の幻がゆらりと揺らめいて、固く結んでいた唇を静かに開いた。その唇から音が零れる事はなかったが、風に流れ、かすかに届いた何かに、カインの全神経が心臓のようにどくんと大きく脈打ち始める。
『殺せっ! その女を殺せばお前は自由になれる!』
再び耳の奥に聞こえた声は、恐ろしいほど強烈な殺意を剥き出しにして体中を駆け巡る。女に対する激しい憎悪。そして、孤独な悲しみ。
「ルシエルかっ!」
『我の名を知る者は、我だけと知れ』
今まで幾重にも重なって聞こえていた声が、ふっとひとつの音に纏まった。直接カインの頭に響くそれは、体を麻痺させてしまうほど神経を激しく震わせる凍った声音だった。
『お前は何を望む? お前がそれを望んだ時、我とお前はひとつになるのだ。同じ姿。同じ名前。……我はお前であり、お前は我なのだ』
感情のない冷たい声は、カインの中から聞こえていた。それに気付いたカインが、声を追い出すように目を閉じて頭を強く横に振る。それ以上声を聞いてはいけないような気がしていた。
『お前は我を、誰だと思っている?』
声は見えない触手となり、カインの足に腕に絡み付いてくる。そのまま得体の知れない空間へ引きずり込むかのように。
『我の名は……』
「やめろっ!」
怒号のような声で叫んだカインの意識が、見えない手によってずるりと闇の中へ引きずり込まれた。
間近で怒鳴られてびくんと震えたシェリルが異変に気付いた時には既に遅く、意識を失ったカインの体はシェリルを抱いたまま海へと真っ逆さまに落下する。
「カインっ!」
シェリルの声はカインに届く事なく流れてゆき、白い羽は風に溶けて消滅する。真下に見える海への落下を免れないと悟ったシェリルが、目をぎゅっと閉じて意識のないカインの体に腕を回したのとほとんど同時に、二人の体が大きな水飛沫をあげて青い海へと落下した。
我は闇に生きる者。そしてお前は、光に生きる者。
我はお前になれはせぬ。暗黒の翼を持つ我は、永遠に闇と共にある。
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