飛べない天使

紫月音湖(旧HN/月音)

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第1章 天使召喚

三つのかけら・1

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 長い坂道を上り終えた二人の目の前に、それはやっと姿を現した。

 建物の入口まで伸びている薄青の石畳の両脇には、全部で六本の大きな柱が聳え立っていた。柱の上には赤、青、黄、緑、白、黒の半透明の球体が浮いていて、それらは緩やかに自転している。
 六つの色のついた球体は世界、即ち火、水、土、木、そして光と闇。それらを創った女神の住まう場所、月の宮殿。ここに来れば女神に会えるはずだった。

「ねぇ、カイン。アルディナ様は起きる事はないの?」

「さぁな。ただ落し子のお前なら、どうにかなるんじゃないのか?」

「すっごい、いい加減」

 さっさとひとりで歩いていくカインの背中に、シェリルの不満げな声が足音と共に届く。振り返らなくても少し早足で後をついてくるシェリルの姿が手に取るようにわかり、カインが自分でもわからないうちに薄く唇を引いて微笑した。柱と柱に挟まれた薄青の石畳の先、宮殿の入り口まで辿り着いた二人を出迎えるように、頑丈な扉が中からゆっくりと開けられた。

 ぎいっと重い音を立てて開かれた扉の向こうから、物静かな雰囲気をしたひとりの女性が現れる。柔和な笑みを浮かべた顔からは温和な性格が読み取れ、ひとつに編まれた青い髪は床に達する勢いで服の裾を掠めながら揺れていた。

「いらっしゃい、カイン。ここに来るなんて珍しいわね」

「仕事中悪いな、セシリア」

「いいのよ、いつもひとりだし。今日は新しい人を連れてるのね。私、お邪魔かしら?」

 軽い冗談を口にしてくすりと笑ったセシリアは、カインの後ろに立っていたシェリルを見るなり驚いたように表情を変え、その顔から笑みを消した。

「カイン……。彼女」

「ああ、説明するから中に入れてくれ」



 宮殿の中に入り大広間へ通された二人は、大きなテーブルと対になっている椅子に並んで腰掛けた。テーブルの上にはたくさんの分厚い本と書類が置かれてあり、さっきまでセシリアがそれを読んでいた事が分かる。

「さてと。見ての通り、こいつは神の落し子だ」

 セシリアがお茶の用意を終えないうちに、カインがシェリルを軽く見やって説明を始めた。唐突に紹介され、慌てたシェリルがセシリアに向かって軽く頭を下げる。

「あっ……、シェリルと言います」

「昨夜こいつに呼び出されて願いを叶える羽目になったんだが、……こいつ、女神に会いたいんだとさ。――どうだ? 女神には会えるか?」

 カインの簡単すぎるほど略した説明に一瞬驚いた表情を浮かべたセシリアだったが、やがて何かを思案するように俯いたかと思うと、そのまま緩く首を横に振った。

「アルディナ様はあの戦いから今まで一度も目覚めてはいないわ」

「シェリルを連れて行っても無理なのか? 近くに行けば何かしら反応があるかも……」

「違うのよ、カイン」

 カインの言葉を止めて、セシリアが俯いていた顔を上げる。

「アルディナ様に会う事は出来ないの。シェリルも、私たちも」

「どういう事だ?」

「私もアルディナ様に会った事はないのよ。その姿を見た事もないわ」

 その言葉にカインの体から一気に力が抜ける。ここで会う事が出来なければ、カインはシェリルからずっと離れられないのだ。がっくりと肩を落とすカインは、ここに来てやっとルーヴァの言っていた言葉の意味を知る。

「……マジかよ」

「アルディナ様の眠る部屋は封印された扉で重く閉ざされているの。……でも」

 そこで一旦言葉を切って、セシリアが交互に二人を見やった。ゆっくりと流れる視線をシェリルで止めて、ほんの一瞬だけその顔をじっと見つめた。

「シェリル。あなたは、本当にアルディナ様に会いたい? その先にどんな困難が待ち受けていても、その気持ちは変わる事はない?」

 改めて問われ、シェリルの胸がどくんと鳴る。
 両親を殺し、落し子であるシェリルを狙う得体のしれない闇の存在。あの惨劇がいつまた訪れるか脅えながら生きるよりは、その正体を知り、そして仇を討つ目的を持って生きていく方がいい。訳も分からずたったひとりで取り残されたシェリルの生きる意味は、それしかなかった。

「……はい」

 短く返事をしてまっすぐに向けた翡翠色の瞳の奥に確かな意思を見て、セシリアが満足げに頷きながら立ち上がった。

「わかりました。あなたの決意は本物みたいね。それなら私も協力します」

「セシリアさん?」

「可能性がない訳ではないの。落し子であるシェリルになら、三つのかけらを探し出す事が出来るかもしれないわ」

 言葉の意味を理解出来ないでいる二人を立ち上がるように促して、セシリアがそのまま部屋の奥にある扉をゆっくりと開いた。

「説明するよりその目で見てもらった方が早いわ。アルディナ様の所まで案内します」





 セシリアを先頭に大広間から出たシェリルたちは、長い廊下の途中にある分岐点をすべて通り過ぎてひたすらまっすぐに進んで行った。
 そうして歩く事数分。同じような部屋ばかりが並ぶ廊下を、三人はまだ延々と歩いていた。さっき初めて会ったばかりのセシリアと会話が弾むはずもなく、服の裾あたりで左右に揺れ動くセシリアの髪を見ていたシェリルは、その視線をふと隣のカインへと向けた。
 リリスとの仲を嫌いじゃないから一緒にいると言ったカイン。その彼が今度はリリスとはまったくタイプの違うセシリアと一緒にいる。

(セシリアさんの事も嫌いじゃないから一緒にいるのかしら)

「何だよ」

 いつの間にか凝視していたシェリルの視線に気付かないわけがなく、カインが訝しむようにシェリルを見つめ返した。

「べ、別に。……ただ、リリスとは随分性格の違う相手だなぁと思って」

「お前、もしかして妬いてるのか?」

「ばっ、馬鹿! 違うわよっ!」

「……ふぅん」

 意味ありげに細めた目で見つめられ、居心地の悪くなったシェリルがふいっと顔を逸らす。そんな二人のやり取りを聞いていたセシリアが、堪えきれずに笑いながら後ろを振り返った。

「安心して頂戴、シェリル。こんな年上の女が相手だなんて、カインが可哀相だわ」

「俺は別に年齢なんて関係ないんだが、セシリアに手を出すとルーヴァが煩いからな」

「え? それじゃあ、セシリアさんはルーヴァの……恋人?」

 女性よりもその美容に興味を持っていそうなルーヴァだったが、彼にもちゃんとした人がいる事を知って、少し別の意味で驚いてしまう。そんなシェリルの言葉にがっくり肩を落としたカインが、呆れたように大きく溜息をついた。

「お前、マジで言ってんのか? セシリアはルーヴァの姉貴だよ。顔見りゃ分かるだろ?」

「……えっ!」

 その言葉に目を丸くしたシェリルの脳内で、セシリアとルーヴァの姿が重なり合う。同じ青みがかった髪と上品な顔つき。そしてルーヴァから感じていた穏やかな雰囲気は、そっくりそのままセシリアからも感じる事が出来る。
 最初から自分がとんでもない勘違いをしていた事に気付き、シェリルが恥ずかしさのあまり目をぎゅっと閉じて下を向いた。

「ごめんなさいっ!」

「いいのよ。別に気にする事じゃないわ」

 慌てた様子で俯くシェリルと、その様子を呆れ顔で見下ろすカイン。そんな二人を見つめながら、セシリアがさっきとは違う穏やかな笑みを浮かべた。

「随分と可愛い彼女を見つけて来たわね、カイン。これであなたも少しは落ち着くかしら?」

「おいおい、こいつは別にそんなんじゃねぇよ。第一、昨日初めて会ったばかりだぞ?」

「あら、いつどこで誰と恋に落ちるかなんて分からないものよ。明日になればシェリルの事が気になってくるかもしれないわ」

「そういうもんかね」

 さして興味もなさそうに隣を見たカインの瞳が、シェリルの瞳と重なり合う。かと思うと物凄い勢いで顔を逸らされ、悪戯心に火が付いたカインが、軽く身を屈めてシェリルの耳元へと唇を寄せた。

「……だってさ。お前、どうする?」

 囁くように甘い色を乗せた声音で呟かれ、これ以上ないくらい頬を紅潮させたシェリルが、耳元を抑えてカインから逃げるように後退した。羞恥なのか拒絶なのかわからない表情でカインをひと睨みすると、怒ったように顔を背ける。

「知らないっ!」

 語気を強めてそれだけ叫ぶと、シェリルはセシリアさえ追い抜いて早足で先へと歩き出してしまった。その様子にセシリアがカインを窘めるように一瞥したが、当の本人は素知らぬ顔で肩を竦めるだけだった。





 目の前の角を右に曲がると、廊下の突き当たりにひとつの扉が姿を現した。今まで目にした他の扉とは違い、真っ白な石で頑丈に作られたその扉の鍵穴に、セシリアが腰帯にかけていた鍵束の中から取り上げた銀色の鍵を差し込む。
 がちゃりと重い音がして、鍵が外れた。ゆっくりと開け放たれた扉の中から冷たい空気が流れ出し、シェリルの足元を通り過ぎていく。真っ暗だと思っていた扉の向こうは仄かに青白く光り、足元を照らす明かりさえいらないほどだった。

「アルディナ様はこの地下の部屋で眠っているわ」

 そう言いながら長い螺旋階段を降りていくセシリアの声が、やけに響いて辺りに木霊する。久しぶりに開けたと言う感じはなく、階段にも手すりにも埃ひとつない。
 女神のいる地下室へ続く空間は壁自体が淡く光を放ち、不思議な感覚をシェリルに与える。降りる度に高鳴っていく胸の鼓動を抑えながら、シェリルはゆっくりと、しかし確実に女神へと近付いていった。
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