上 下
14 / 17

14・血に濡れた文

しおりを挟む
 薄紅うすべにが寝ていた場所は、離れの自室ではなく母屋の一室だった。廊下に出ると、空は星も月も見えない深い闇に包まれていた。
 蘇芳すおうの部屋には明かりが付いており、常磐ときわが話したように藤を切り倒す話をしているのだろう。藤や鬼、薄紅うすべにの名前などが、かすかに漏れ聞こえてきた。

『全部思い出して、お気持ちが変わりましたらお戻り下さい。私はここでお待ちしております』

 そう言った常磐ときわ薄紅うすべにの後を付いては来なかった。
 廊下の先に続く暗闇。僅かな月明かりさえない漆黒は、芽生えてしまった不安を助長するように濃さを増す。

 浅縹あさはなだの家には、もういないと言う紫苑しおん
 紫苑しおんの名を持つ、紫苑しおんに似た鬼。
 その答えは、もう薄紅うすべにの中にある。だからこそ、常磐ときわ薄紅うすべにの後を付いては来なかったのだ。
 答えの先に、続く未来はもう失われているのだから。


 さわさわと、風もないのに藤の花が揺れていた。


 ***


 離れの部屋は真っ暗だった。縁側に続く障子を開けると、妖しく光を纏った藤のほのかな紫が部屋の中をぼんやりと照らし出している。
 鬼除けのこうが効いているのか、ほんの少し前までここにいた鬼の姿はどこにも見当たらない。この部屋にも、庭の藤棚の下にも。ただ淡い藤のだけが、鬼除けのこうに混ざって薄く棚引いている。

 箪笥の一番下の引き出しを開けると、薄紅うすべにの羽織や手拭いなどが綺麗に畳んでしまわれていた。その奥、羽織の下に隠されるようにして、白い手拭いが丸められている。
 花模様のあしらわれた手拭い。中に包まれていたのは、細工の美しい一本の藤のかんざしだった。

薄紅うすべにに似合うと思ったんだ。おいで。付けてあげよう』

 耳のすぐ側で、紫苑しおんの声が聞こえた気がした。
 いつかの夢で見た藤のかんざし。山藤の下でこれを髪に挿して貰ったのは間違いなく薄紅うすべにで、胸を甘く染めたあのときめきを今なら鮮やかに思い出すことが出来る。
 恥ずかしくて俯いたことも。触れるだけの柔らかな口づけの感触も。

紫苑しおん様」

 名を呼ぶだけで胸が締め付けられる。かんざしをそっと手に取ると、その下に重ねられていた一枚の紙が乾いた音を立てて滑り落ちた。
 所々についた黒い染みが固まって、紙本来のしなやかさを失っている。破らないようにそうっと開くと、そこには流れるような美しい文字が綴られていた。



 ――今宵、あの藤の下にて君を待つ。



 ざぁっと、風が吹いた。
 藤棚の花房を揺らし、薄紅うすべにの髪を巻き上げた一陣の風は、屋敷を漂う鬼除けのこうを暗い空の彼方へ吹き飛ばしていく。藤の花びらさえ散らす風に薄紅うすべにの手からふみが攫われ、慌てて行方を追った先で白く細い指がそれを掴んでいた。

 さざなみのようにしなやかに揺れる藤の下。
 鬼の手に握られたふみの黒い染みが、時を戻して鮮血に染まる。

『お父様! 止めて下さい!!』

 黒い染みがひとつ、またひとつと赤に染まる度に、薄紅うすべにの記憶が鮮やかによみがえる。
 待ち合わせた山藤の下。
 追いついた蘇芳すおう
 結婚の許しを乞う紫苑しおん
 叫ぶ薄紅うすべにと、月下に光る一振りの刀。

 『紫苑しおん様っ……紫苑しおん様!!』

 頬に飛び散った鮮血の温もりを思い出した瞬間に、はらり――と薄紅うすべにの頬をひとしずくの涙が零れ落ちていった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私はあなたに恋をしたの?

原口源太郎
恋愛
高校生の雪美はまだ本当の恋などしたことがなかったし、するつもりもなかった。人気者の俊輔から交際を申し込まれても断り、友達の夏香や優樹菜から非難される始末。そんなある日、ある事件に巻き込まれて・・・・

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

孤児メイドの下剋上。偽聖女に全てを奪われましたが、女嫌いの王子様に溺愛されまして。

ぽんぽこ@書籍発売中!!
恋愛
孤児のアカーシャは貧乏ながらも、街の孤児院で幸せに過ごしていた。 しかしのちの聖女となる少女に騙され、家も大好きな母も奪われてしまう。 全てを失い絶望するアカーシャだったが、貴族の家のメイド(ステップガール)となることでどうにか生き延びていた。 マイペースなのに何故か仕事は早いアカーシャはその仕事ぶりを雇い主に認められ、王都のメイド学校へ入学することになる。 これをきっかけに、遂に復讐への一歩を進みだしたアカーシャだったが、王都で出逢ったジークと名乗る騎士を偶然助けたことで、彼女の運命は予想外の展開へと転がり始める。 「私が彼のことが……好き?」 復讐一筋だったアカーシャに、新たな想いが芽生えていく。 表紙:ノーコピーライトガール様より

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...