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5・縁談
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「縁談? 私にですか?」
朝から蘇芳に呼ばれて部屋を訪れると、この家の主は腕組みをしたまま薄紅を難しい顔で見つめてきた。
「ゆくゆくは、と言う事だ。何も今すぐにと言う話でもない」
「でも私は……」
「お前の事情を知って、それでも妻にと望んでいる」
薄紅の懸念を察して言葉を被せてきた蘇芳は、眉間に深い皺を刻んだままだ。
記憶に残る父としての蘇芳は、もっとよく笑う人だった。それがいつからか、蘇芳の顔には苦悩や悔恨と言った、笑顔とはほど遠い表情ばかりが貼り付くようになってしまった。それはまるで自責の念に耐えるようでもあり、薄紅が側にいるとその色合いはより濃く表情に表れた。
「もっとも無理強いするつもりはない。お前が嫌だと思えば断ることも出来る」
そう告げた蘇芳の表情が、より強い悔恨の色を纏う。
「だがお前も少なからず好意を持つ相手だろう。まずはお互いに話し合ってみるといい」
「そのお相手というのは……」
***
母屋の縁側で薄紅の横に座る青年は、紺色の風呂敷包みを抱えたまま照れたように笑った。
「急な話で驚かれたでしょう? すみません。東雲先生があっという間に話を決めてしまって……あぁ、でも僕にとってはとても嬉しいお話で」
そこまで言ってしまってから、青年――青磁が誤魔化すように手にした風呂敷包みを薄紅へと差し出した。
「新しい本を持って来ました。どうぞ」
「ありがとうございます」
包みを受け取る薄紅と目が合い、青磁が人好きのする柔らかい笑みを浮かべる。
青磁は東雲の弟子として、郷の者たちからも信頼の厚い青年だ。物腰柔らかで、共にいるだけで心安らぐような雰囲気の彼を慕っている者も少なくはないと聞く。
薄紅よりも五つ年上の青磁に、今まで縁談話がひとつもなかったとは思えない。それがなぜ婚期の遅れた病弱な女を嫁に望むのか。青磁ならばもっとよい条件の娘を娶ることも可能だろう。
薄紅とて青磁に好意は持っている。けれどもそれが恋慕の情かと問われれば、答えをすぐに出す事は出来なかった。
「青磁さん。あの……なぜ、私なのでしょう?」
正面から問われるとは思ってもみなかった青磁が、面食らったように薄紅を凝視した。けれどもすぐに目を細めて笑うと、視線を藤棚へと向けて思いを手繰り寄せるようにぽつりぽつりと話し始めた。
「実は僕……ずっとお嬢様をお慕いしていたんですよ。東雲先生についてこのお屋敷へ出入りするようになってから、ずっと。けれど自分の立場は十分に理解していたので、この思いは誰にも告げず胸にしまっておこうと思っていました」
「でも、私は……私では、きっとご迷惑をおかけします」
「病床の貴女を見て、助けたいと思いました」
声音は静かに、けれど綴る言葉に一片の揺らぎもない。真摯な瞳はどこまでも真っ直ぐに、嘘偽りのない心を乗せて薄紅を見つめてくる。
「貴女を傷付ける全てのものから、貴女を守りたいと思ったんです」
「……青磁さん」
「急がなくてもいい。ただ少しだけ、お互いもう一歩近付いてみませんか?」
優しい微笑みに、薄紅の鼓動がほんの少しだけ色付いた。
否定も肯定もしない。ただ曖昧に視線を揺らす薄紅に同調するように、藤棚から垂れる幾つもの花房が風もないのにさざめいた。
朝から蘇芳に呼ばれて部屋を訪れると、この家の主は腕組みをしたまま薄紅を難しい顔で見つめてきた。
「ゆくゆくは、と言う事だ。何も今すぐにと言う話でもない」
「でも私は……」
「お前の事情を知って、それでも妻にと望んでいる」
薄紅の懸念を察して言葉を被せてきた蘇芳は、眉間に深い皺を刻んだままだ。
記憶に残る父としての蘇芳は、もっとよく笑う人だった。それがいつからか、蘇芳の顔には苦悩や悔恨と言った、笑顔とはほど遠い表情ばかりが貼り付くようになってしまった。それはまるで自責の念に耐えるようでもあり、薄紅が側にいるとその色合いはより濃く表情に表れた。
「もっとも無理強いするつもりはない。お前が嫌だと思えば断ることも出来る」
そう告げた蘇芳の表情が、より強い悔恨の色を纏う。
「だがお前も少なからず好意を持つ相手だろう。まずはお互いに話し合ってみるといい」
「そのお相手というのは……」
***
母屋の縁側で薄紅の横に座る青年は、紺色の風呂敷包みを抱えたまま照れたように笑った。
「急な話で驚かれたでしょう? すみません。東雲先生があっという間に話を決めてしまって……あぁ、でも僕にとってはとても嬉しいお話で」
そこまで言ってしまってから、青年――青磁が誤魔化すように手にした風呂敷包みを薄紅へと差し出した。
「新しい本を持って来ました。どうぞ」
「ありがとうございます」
包みを受け取る薄紅と目が合い、青磁が人好きのする柔らかい笑みを浮かべる。
青磁は東雲の弟子として、郷の者たちからも信頼の厚い青年だ。物腰柔らかで、共にいるだけで心安らぐような雰囲気の彼を慕っている者も少なくはないと聞く。
薄紅よりも五つ年上の青磁に、今まで縁談話がひとつもなかったとは思えない。それがなぜ婚期の遅れた病弱な女を嫁に望むのか。青磁ならばもっとよい条件の娘を娶ることも可能だろう。
薄紅とて青磁に好意は持っている。けれどもそれが恋慕の情かと問われれば、答えをすぐに出す事は出来なかった。
「青磁さん。あの……なぜ、私なのでしょう?」
正面から問われるとは思ってもみなかった青磁が、面食らったように薄紅を凝視した。けれどもすぐに目を細めて笑うと、視線を藤棚へと向けて思いを手繰り寄せるようにぽつりぽつりと話し始めた。
「実は僕……ずっとお嬢様をお慕いしていたんですよ。東雲先生についてこのお屋敷へ出入りするようになってから、ずっと。けれど自分の立場は十分に理解していたので、この思いは誰にも告げず胸にしまっておこうと思っていました」
「でも、私は……私では、きっとご迷惑をおかけします」
「病床の貴女を見て、助けたいと思いました」
声音は静かに、けれど綴る言葉に一片の揺らぎもない。真摯な瞳はどこまでも真っ直ぐに、嘘偽りのない心を乗せて薄紅を見つめてくる。
「貴女を傷付ける全てのものから、貴女を守りたいと思ったんです」
「……青磁さん」
「急がなくてもいい。ただ少しだけ、お互いもう一歩近付いてみませんか?」
優しい微笑みに、薄紅の鼓動がほんの少しだけ色付いた。
否定も肯定もしない。ただ曖昧に視線を揺らす薄紅に同調するように、藤棚から垂れる幾つもの花房が風もないのにさざめいた。
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