67 / 69
第9章 温泉郷へいらっしゃい
朝の風景
しおりを挟む
今日も変わらず朝が来る。
まだ太陽も昇らない早朝から街は起き始め、店を構える店主たちは各々の仕事に取りかかり始める。宿屋は宿泊客の朝食の仕込みを始め、花屋は水を取り替えたバケツに色とりどりの花を入れて店先に並べる。焼き上がったばかりのパンの香ばしい香りが漂う店の斜め向かいには、年季の入った木の台車にフルーツを並べる露店の店主が「あいたっ!」と短い声を上げて商品のひとつを荷台から転がり落としていた。
ごろんごろんと地面を転がった赤いフルーツは、斜め向かいのパン屋から出てきた男の足に当たって止まる。拳くらいの大きさのフルーツを拾い上げると、それはフレズヴェールの太い親指に食らい付こうと赤い表面に歯のようなものを剥き出しにした。
「あ、すみません! それもぎ取ったばっかで活きがいいんで気をつけて下さい!」
袋片手に駆け寄ってきた若い店主が、フレズヴェールの前で頭を下げる。彼の持ってきた袋の中にフルーツを入れながら、フレズヴェールが懐かしそうに目を細めた。
「ミロフィの実か。懐かしいな」
「ここらじゃあんまり見かけませんもんね」
「まぁ、な。こんな見てくれだしな」
二人の視線を受けて、袋の中のフルーツが更に激しくガチガチと歯を鳴らした。
「良かったらそれ、もらって下さい。落とした拍子に傷が付いてるかもしれないけど……味は保証しますよ!」
店主のさりげない心遣いに、フレズヴェールがにやりと笑みを返した。
さっきからガチガチを煩く歯を鳴らす赤いフルーツはミロフィと呼ばれ、主に獣人の国ウルズで食されている。少し、いやかなり珍しい果物で、ミロフィは木からもぎ取る事で熟し始める。木にぶら下がっている状態では普通の赤い実が、もぎ取ると同時に歯を鳴らす。そしてその音が止むと実が熟し、ちょうど食べ頃になるのだ。
少々グロい見た目からは想像できないほど甘く、ジャムやジュースにも加工されるが、生のまま齧り付くのは獣人くらいだ。その為か果物のままで流通することはあまりない。獣人であるフレズヴェールも、ミロフィの実を店頭で見かけたのは随分と久しぶりだった。
「そんじゃ、ありがたく頂戴するぜ。久しぶりに故郷の味でも堪能するかね」
朝食のパンを買いに来たついでに思わぬ収穫を得て、フレズヴェールの顔が自然と綻ぶ。
店主と別れてギルドへ戻るフレズヴェールの脳裏には、ミロフィに誘発されて遠い故郷の自然豊かな国が浮かび上がる。ミロフィに齧り付いた弟が、逆にミロフィに齧り付かれて大泣きした幼い頃の記憶までもが甦り、懐かしさにふっと声を漏らして笑った。
ギルドにつく頃には、空に太陽の光が射し始めていた。
大通りも少しずつ人が増え始め、数時間後にはベルズの街も完全に目を覚ますだろう。
新しい依頼が幾つか来ていた。先日魔物討伐を依頼した冒険者が、そろそろ報酬を取りにも来るだろう。今日もギルドは大忙しだ。
「もう一人くらい補佐が欲しいもんだ」
ぼやいて、おもむろにパンを頬張る。行儀は悪いがここで朝食の時間を短縮し、戻ったらギルドを開けるまでの小一時間で仕事の段取りをしようと咀嚼を早めた。
(あー……カロムティーが切れてたな。マローダでもいいか)
爽やかな味のカロムティーを好んで飲むエルフを思い出して、フレズヴェールの胸が少しだけ鈍い痛みを覚えた。
フィスラ遺跡での惨劇の後、ライリたちは状況が何も分からないまま一方的にパーティ解散を告げられた。イーヴィは困惑しながらも湧き上がる思いを必死に押し止め、反対にライリは怒りのあまり魔力を暴発させてギルドを吹っ飛ばしかけた。そんな二人を心配して、フレズヴェールは旧知の仲であるアシュレイを紹介したのだった。
それ以降、今度はライリたちからの連絡もぱったりと途絶えてしまった。アシュレイに聞いてはみたものの、さすがの彼も掴んでいる情報は何もなかった。
(置いて行かれるもんの気持ちは痛いくらい分かってるはずだろうが。……連絡くらい寄越しやがれってんだ!)
心の中で悪態をつきながら、フレズヴェールが持っていたパンのかけらを口の中に放り込んだ。
――がりっ!
と、パンと一緒に頬の内側まで一緒に噛んでしまい、慌てて飲み込んだパンが鉄臭い味に変化する。
「……っ」
ミロフィを貰っていい朝だと思った矢先に、これだ。
はあっと溜息をひとつ零して、沈みかけた気持ちを浮上させるように、今度は胸いっぱいに朝の新鮮な空気を吸い込んだ。腕をぐっと上げて大きく伸びをしたフレズヴェールが、見上げた青空から視線を戻して前方を見やると、まだ開いていないギルドの入り口に人影が見えた。
白い法衣を纏った栗色の髪の女がこちらを見ると同時に、フレズヴェールも気付けば走り出していた。
「レフィス!」
手に持った袋の中で、ミロフィが嬉しそうに鳴っていた。
まだ太陽も昇らない早朝から街は起き始め、店を構える店主たちは各々の仕事に取りかかり始める。宿屋は宿泊客の朝食の仕込みを始め、花屋は水を取り替えたバケツに色とりどりの花を入れて店先に並べる。焼き上がったばかりのパンの香ばしい香りが漂う店の斜め向かいには、年季の入った木の台車にフルーツを並べる露店の店主が「あいたっ!」と短い声を上げて商品のひとつを荷台から転がり落としていた。
ごろんごろんと地面を転がった赤いフルーツは、斜め向かいのパン屋から出てきた男の足に当たって止まる。拳くらいの大きさのフルーツを拾い上げると、それはフレズヴェールの太い親指に食らい付こうと赤い表面に歯のようなものを剥き出しにした。
「あ、すみません! それもぎ取ったばっかで活きがいいんで気をつけて下さい!」
袋片手に駆け寄ってきた若い店主が、フレズヴェールの前で頭を下げる。彼の持ってきた袋の中にフルーツを入れながら、フレズヴェールが懐かしそうに目を細めた。
「ミロフィの実か。懐かしいな」
「ここらじゃあんまり見かけませんもんね」
「まぁ、な。こんな見てくれだしな」
二人の視線を受けて、袋の中のフルーツが更に激しくガチガチと歯を鳴らした。
「良かったらそれ、もらって下さい。落とした拍子に傷が付いてるかもしれないけど……味は保証しますよ!」
店主のさりげない心遣いに、フレズヴェールがにやりと笑みを返した。
さっきからガチガチを煩く歯を鳴らす赤いフルーツはミロフィと呼ばれ、主に獣人の国ウルズで食されている。少し、いやかなり珍しい果物で、ミロフィは木からもぎ取る事で熟し始める。木にぶら下がっている状態では普通の赤い実が、もぎ取ると同時に歯を鳴らす。そしてその音が止むと実が熟し、ちょうど食べ頃になるのだ。
少々グロい見た目からは想像できないほど甘く、ジャムやジュースにも加工されるが、生のまま齧り付くのは獣人くらいだ。その為か果物のままで流通することはあまりない。獣人であるフレズヴェールも、ミロフィの実を店頭で見かけたのは随分と久しぶりだった。
「そんじゃ、ありがたく頂戴するぜ。久しぶりに故郷の味でも堪能するかね」
朝食のパンを買いに来たついでに思わぬ収穫を得て、フレズヴェールの顔が自然と綻ぶ。
店主と別れてギルドへ戻るフレズヴェールの脳裏には、ミロフィに誘発されて遠い故郷の自然豊かな国が浮かび上がる。ミロフィに齧り付いた弟が、逆にミロフィに齧り付かれて大泣きした幼い頃の記憶までもが甦り、懐かしさにふっと声を漏らして笑った。
ギルドにつく頃には、空に太陽の光が射し始めていた。
大通りも少しずつ人が増え始め、数時間後にはベルズの街も完全に目を覚ますだろう。
新しい依頼が幾つか来ていた。先日魔物討伐を依頼した冒険者が、そろそろ報酬を取りにも来るだろう。今日もギルドは大忙しだ。
「もう一人くらい補佐が欲しいもんだ」
ぼやいて、おもむろにパンを頬張る。行儀は悪いがここで朝食の時間を短縮し、戻ったらギルドを開けるまでの小一時間で仕事の段取りをしようと咀嚼を早めた。
(あー……カロムティーが切れてたな。マローダでもいいか)
爽やかな味のカロムティーを好んで飲むエルフを思い出して、フレズヴェールの胸が少しだけ鈍い痛みを覚えた。
フィスラ遺跡での惨劇の後、ライリたちは状況が何も分からないまま一方的にパーティ解散を告げられた。イーヴィは困惑しながらも湧き上がる思いを必死に押し止め、反対にライリは怒りのあまり魔力を暴発させてギルドを吹っ飛ばしかけた。そんな二人を心配して、フレズヴェールは旧知の仲であるアシュレイを紹介したのだった。
それ以降、今度はライリたちからの連絡もぱったりと途絶えてしまった。アシュレイに聞いてはみたものの、さすがの彼も掴んでいる情報は何もなかった。
(置いて行かれるもんの気持ちは痛いくらい分かってるはずだろうが。……連絡くらい寄越しやがれってんだ!)
心の中で悪態をつきながら、フレズヴェールが持っていたパンのかけらを口の中に放り込んだ。
――がりっ!
と、パンと一緒に頬の内側まで一緒に噛んでしまい、慌てて飲み込んだパンが鉄臭い味に変化する。
「……っ」
ミロフィを貰っていい朝だと思った矢先に、これだ。
はあっと溜息をひとつ零して、沈みかけた気持ちを浮上させるように、今度は胸いっぱいに朝の新鮮な空気を吸い込んだ。腕をぐっと上げて大きく伸びをしたフレズヴェールが、見上げた青空から視線を戻して前方を見やると、まだ開いていないギルドの入り口に人影が見えた。
白い法衣を纏った栗色の髪の女がこちらを見ると同時に、フレズヴェールも気付けば走り出していた。
「レフィス!」
手に持った袋の中で、ミロフィが嬉しそうに鳴っていた。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

👨一人用声劇台本「告白」
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
彼氏が3年付き合っている彼女を喫茶店へ呼び出す。
所要時間:5分以内
男一人
◆こちらは声劇用台本になります。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる