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白雪に散る
しおりを挟む「縁あって、死を看取ったひとがいましてね」
男は言う。「彼」は吐息さえ凍える真冬の夜、降り積もった雪の上に倒れていたのだと。
人の往来もない真夜中。しんしんと音もなく降り続く真綿の雪に覆われて、一瞬それが人だとは気付かないほどだったという。
けれども注意して見れば雪の上には赤い染みがこぼれており、それがさだめを終えた雪椿ではないことを悟ったらしい。慌てて雪を払いのけると、人の手とは思えないほど冷たい指先がほんの少しだけピクリと動いた。
――あぁ、よかった。まだ息がある。
そう思ったのは一瞬。「彼」の胸を深く切り裂く刀傷に、男は「彼」が助からないことを知ってしまった。
「通りかかっただけの縁ですが、冷たい雪に抱かれたまま逝くよりはいいかと思いまして……」
女が出した茶をこくりと飲んで、そのまま湯飲みを両の手で包み込んだ。ゆっくりと冷めていく湯飲みの熱は、まるであの夜の「彼」の手のひらのようだと男は思う。
「もう、声も掠れていましてね。かろうじて聞き取れたのは〝椿〟という言葉だけでした。彼の周りに散った雪椿を見てそう言ったのか、あるいは人の名前だったのか……私にはわかりません。彼はそれだけ言うと、事切れてしまいました」
「……そうですか」
女は先程から目を瞑ったまま、男の話に耳を傾けている。悲しんでいるのか、怒っているのか。その表情は閉じられた瞼の奥に隠されてわからない。ただ、男が「彼」を看取った雪の夜のように、淡々とした静けさだけが伝わってくる。
「彼は腕に自信のあった二刀流の剣士だったようですね。世直しのため、自身の力を役立てようと考えたのかもしれません。あるいは仇討ちだったのかも……。けれども己の力を過信し、命を散らしてしまった」
かちゃり、と金属音がする。畳の上に置かれた二本の刀。それが「彼」の遺品であることは、話の流れから女にもわかった。
「これをあなたにと、預かっています」
受け取った二本の刀。「彼」の振るったそのうちの一本の鞘を外し、手を傷つけないようにそっと刃の腹を指でなぞる。そこに彫られた名を確かめると、女は、ほうっ……と疲れたような溜息をこぼして小さく頭を下げた。
「どうして、私のことだとお分かりになったのですか?」
「刀に名が彫られています。椿さん、あなたのことですよね? 彼はこの刀を売って、そのお金であなたの目を治すように……とも」
目を閉じたままの女が、そこではじめて――ふっと息を漏らして笑った。
「目が見えないからって、何にも分からないわけじゃないのよ」
「……」
「こうして会いに来てくれたんだから、最後くらいちゃんとあなたの言葉で話してちょうだい」
女の前で、男の気配がわずかに揺らいだ。あたたかい部屋の中、男の周りだけが雪の匂いに包まれている。
「ねぇ、あなたなんでしょう?」
光の射さない女の視界に、ぽとりと――赤い雪椿の花が、落ちる。
「……すまない……椿。帰れなくて、すまない」
ぱちんと爆ぜた火の音を合図にして、女の前から男の気配が薄れていく。火鉢の熱に溶けていく雪のように、はらはらと、薄く解けていく。しっとりと濡れた座布団の上に残るは、雪に濡れた雪椿の花がひとつ。
「……ばかなひと」
残された二本の刀を、女はその腕に抱いて静かに泣く。
男が逝った夜を思い、声を殺して――ただただ、静かに泣く。
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