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第1章 お転婆令嬢と毒舌執事

1-1・だから言ったでしょう

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 午前零時の、クランジール共同墓地。
 右手に黒水晶のはめ込まれたステッキを、左手には引っこ抜いたばかりのマンドラゴラを持って、アリシアは闇に包まれた墓地の中を逃げ回っていた。

 月のない夜だ。明かりと言えば持ってきたランタンがあったが、それはさきほど墓地の奥に落としてしまった。
 闇夜を照らす唯一の光源。しかも場所は苔生した墓標が並ぶ、暗く湿った墓地の中。ランタンとしての用途より恐怖を和らげてくれるその明かりを、けれどもアリシアは拾う余裕がなかった。

 その理由は、いままさに背後に迫る「アレ」のせいだ。

「……オォ……ォゥ……」

 アリシアの後ろ。闇の中に蠢く白い何か――ぼろぼろの服を纏った骸骨がいた。腕を伸ばして、アリシアを捕まえようと追って来る。筋肉など既にないのに足が速い。

「……マッ……テェ……」
「きゃあぁぁ! 喋ったぁぁ!」
「ギョェェェェェッ!」

 アリシアの悲鳴と重なって、左手に握ったマンドラゴラも叫ぶ。甲高いその悲鳴を聞いた者は命を落とすと言われているが、幸いにもアリシアはまだ無事のようだ。夜中の墓地を逃げ回るこの状況が無事であるかははなはだ疑問だが、いまはとにかくあの動く骸骨から逃げる方が先である。

「そうだわ! このマンドラゴラの悲鳴で、あの骸骨を倒せるかも……」

 ……と、思って持ち上げたマンドラゴラが。

「ギョエェ……エェー? あ、すみません。今はちょっと喉の調子が」

 想像を絶するほどの美声で喋った。

「きゃぁっ!? こっちも喋る!」
「その言い方はあんまりではありませんか。眠っていた私の髪を掴んで、いきなり起こしたのはお嬢の方だというのに」

 マンドラゴラのくせに口調がやけに丁寧だ。おまけに掴んでいるこの葉っぱは、どうやら髪の毛だったらしい。三枚……いや、三本しかないのだが。

「私だって、あなたを掘り起こす予定はなかったわよ! あんなところに雑草と一緒に生えてるあなたが悪い……って、やだっ。もう追いついてきた」
「オイテ……イカナイ、デェ……」
「却下! あぁん、もう! 出口どっちよ」
「お嬢、右奥に外灯の明かりを発見。おそらく出口の方角かと」
「えっ、ほんと!? ありがとう!」

 いつの間にかアリシアとマンドラゴラの間で、奇妙な絆が芽生えている。暗い墓地の中で骸骨から追われる身としては、同じ恐怖を味わってくれる相手というものは何とも心強い。それがたとえ、骸骨と同じ人外であってもだ。
 無事に屋敷に帰り着くことができたら、マンドラゴラを綺麗な水につけてあげよう、と……そう意識を逸らしたのがまずかった。アリシアは地面のでこぼこに足を取られ、派手に転んでしまった。

「きゃぁ!」
「お嬢! 大丈夫ですか!」

 転んだ拍子に、右手からステッキが離れて飛んでいく。悲鳴も役に立たないマンドラゴラより、正直ステッキの方がまだ使い道があったのに。そう思いながら体を起こしたアリシアの右足に、鋭い痛みが走った。

「痛っ!」
「お嬢!?」
「足……捻ったみたい」

 自覚すればズキズキと痛みを増す右足では、立ち上がるのもやっとの状態だ。そうこうしているうちに骸骨との距離はどんどん縮まっていく。

「早く立ってください、お嬢! このままでは、私たちは骸骨の餌食に……」
「……マンドラゴラ、私あなたのこと忘れない」
「は? え? いや、ちょ……っと、何?」

 何か不穏な空気を感じ取ったマンドラゴラが、太い手足をくねらせてアリシアの手から逃れようとする。けれど貴重な三枚の葉っぱ――彼にとってはなけなしの毛髪が千切れないように、その動きはとてもゆっくりだ。

「ごめんなさい」

 そう呟くと、アリシアは力の限りマンドラゴラを骸骨めがけて放り投げた。

「そんな殺生なぁぁーー!」

 お得意の叫びも忘れて飛んでいくマンドラゴラ。彼に注意が逸れている間、せめて身を隠せればと思っていたアリシアだったが。

 ――がぶり。

 小太りのマンドラゴラは、あっけなく骸骨に噛み付かれてしまった。

「はぅん」

 甘噛みなのか、マンドラゴラの口から甘い吐息がこぼれ落ちる。

「何でそんなに気持ちよさそうなのよ!」
「思ったより優しく噛まれたので。お嬢も一緒にどうですか?」
「……ヤファヒク、フルゥ……(やさしくする)」
「いやよ!」
「フィッヒョニ……アホボ……(いっしょにあそぼ)」

 数歩後ずさりしたところで捻った足がずきりと痛んで、アリシアはその場にぺたんと尻餅をついてしまった。足も痛いが、迫りくる骸骨も怖くて、もう一歩も動けそうにない。せめてステッキがあれば、叩いたり突いたりして骨を崩せるかもしれないが……。悲しいかな。ステッキは遠くに放り投げられていて、どんなに手を伸ばしても届くことはなかった。

「……アホボ……。アホボ……(あそぼ、あそぼ)」
「さぁ、お嬢も一緒に」

 早くも敵に鞍替えしたマンドラゴラが、骸骨にくわえられたままアリシアに手招きした。戦力的には皆無だが、唯一の味方を失ってしまい、アリシアの心には絶望がさざなみを打つ。
 恐怖に怯えるアリシアを見て興奮したのか、それまで緩慢な動きだった骸骨が狂ったようにガタガタと震えはじめた。その勢いも衰えぬまま、骸骨がアリシアめがけて両腕を広げ飛びかかる。マンドラゴラか骸骨か、どちらともわからない奇声が夜を裂いて響き渡った瞬間。

「だから言ったでしょう」

 まるでざわめく闇をひと撫でするかのように、涼やかで冷たい男の声がした。

「お嬢様に仕事はまだ早いと、何度も申し上げた気がするのですが……その耳は飾りですか?」

 無意識に閉じていた瞼を開くと、アリシアに抱きつこうとしていた骸骨の首が飛んでいた。がらがらと乾いた音を立てて崩れていく骸骨の向こう、夜の闇に溶け合う色を纏ったひとりの青年が立っている。
 艶のある黒髪。少し長めの前髪からのぞく瞳は、冷たい輝きをたたえたネイビーブルー。銀縁の眼鏡をくいっと押し上げる白手袋をしたその手には、骸骨の頭を吹き飛ばした黒い鞭が握られていた。

「ノ……ノクス」
「耳も頭も、存分に使えないのなら意味がない。あなたが放り投げたステッキと同じです」

 ひゅんっと鞭をしならせて、ノクスが転がったままのステッキを手繰り寄せる。そのステッキを崩れたままの骸骨に向けると、黒水晶が鈍い光に煌めいて――骸骨とマンドラゴラをあっという間に吸い込んでしまった。

「帰りますよ、お嬢様。馬車を用意してあります」
「ノクス……あ、ありがとう」
「礼には及びません」

 手を引かれ、立ち上がる。くじいた足が痛んでふらついた体をふわりと持ち上げられて、アリシアはそのまま横抱き……ではなく、肩にずだ袋のように担ぎ上げられてしまった。

「ちょっ……ノクス! 扱いが雑じゃなくて!? 私は荷物なんかじゃないわよ」
「人の忠告を聞かないあなたなど、お荷物以外の何でもありません」
「主人に対してあんまりじゃない!? レディに対する扱いじゃないわ。降ろしてちょうだい」
「深夜なので誰も見ていませんし、そもそも私のあるじはお嬢様ではなく、あなたの父セドリック・ロウンズ様です。それに……レディ扱いしてほしいのなら、それ相応の立ち振る舞いをお願いしたいものですね」

 ぐうの音も出ない。口では勝てたことのないノクス相手に、これ以上何を言っても恥をかくだけだ。せめてもの反抗に背中をぽかぽかと叩いてみても、アリシアを担ぐノクスの腕は少しも緩まない。体格的には細身であるというのに、いつもと変わらない軽やかな足取りはまるでアリシアなど担いでいないかのようだ。

「ねぇ……、本当に……ちょっと恥ずかしいから降ろして」

 格好的にこの状況は、ノクスの顔の横にアリシアのお尻がある状態だ。何だかそれは女性としてひどく恥ずかしいし居心地が悪い。
 そんな心情を知ってか知らずか、ノクスの腕がわざとらしくスカートを撫で下ろした。

「丸みの足りないお嬢様のお尻に欲情などしませんので、どうぞご安心を」
「……っ! だいっきらい!」

 そう叫んで、アリシアは出せる限りの力でノクスの背中を叩いた。それでもアリシアの攻撃など全く意に介さないのだろう。ノクスの足取りは止まることなく、アリシアは荷物のように抱えられたまま、夜の墓場から連れ出されてしまった。


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