【R18】月葬の夜に悪魔は愛をささやく

紫月音湖(旧HN/月音)

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第2章 花探し

11・俺にまで嘘つくんじゃねぇよ

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 闇の街ダークベル。
 明けない夜の闇に包まれた空から、ぽたり、ぽたりと粘着質な黒い靄がこぼれ落ちてくる。
 石畳を覆い尽くしてもなお止まることを知らないシャドウの雫。その汚れた雨の中に佇む銀色の影がひとつ、細い三日月の光を浴びて鋭利に輝く大鎌を背に菫色の瞳を細めて冷酷に笑う。

 石畳に波打つ黒い靄がゆらりとさざめく。隆起し、形を留めたシャドウの群れが、醜悪な獣の姿を模ってレヴィリウスの周囲を隙間なく取り囲んだ。
 涎を垂らし、牙を剥き出しにし、飛び出した眼球でレヴィリウスを睥睨へいげいする。そのどれもが寸分違わず一斉に飛びかかった瞬間、暗い街を切り裂く一本軌跡が銀色の尾を引いて薙ぎ払われた。

「随分荒れてんなぁ。リトベルで何かあったのか?」

 固い音を立てて転がり落ちる黒い珠。切り裂かれたシャドウが変化したその珠の間を縫って、黒猫のネフィがレヴィリウスの足下へ近寄ってきた。

「別に何も」
「そういう顔かよ」
「どういう顔ですか」
「んー? 後悔と憎悪と嫉妬と色情がない交ぜになった感じ? 冷淡で残忍な月葬の死神、久々に見たぜ」

 レヴィリウスの足首を長い尻尾でひと撫でしてから、ネフィが近くの黒い珠をひとつ両手にもって舐め始める。

「こりゃぁ、また随分と濃く出たもんだな。普通は理性が働いて押さえられてる欲望が丸出しじゃねーか。……お前、アイツに術かけただろ。そのせいでストッパーの効かなくなった欲望が溢れ出して、こんなに濃い味のシャドウが出てきたんだ。溢れ出したシャドウにアイツが襲われて、お前は自己嫌悪に陥ってるって……大方そんなところだろ」

 シャドウの黒い珠を舐めながら視線だけを向けてくるネフィに対して、レヴィリウスが表情を変えないまま手にした大鎌を振り下ろした。鋭い銀の切っ先をすれすれで回避したネフィが、石畳に突き刺さる大鎌の先端を見据えてわなわなと震えている。

「おまっ、お前……レヴィン! 何やってんだよっ」
「誰が避けていいと言いました?」
「避けなきゃ死ぬだろが!」
「そのつもりで振り下ろしたので」

 しれっと答えるレヴィリウスに表情の乱れは一片もない。笑みもなく、ただ無表情にネフィを見下ろしている。ただ、その菫色の瞳がかすかな苦悩に揺れているのをネフィは見逃さなかった。

「お前さぁ、ちったぁ落ち着けよ。な?」
「十分落ち着いていますよ」
「何言ってんだよ。どんだけ一緒にいると思ってんだ? 俺にまで嘘つくんじゃねぇよ」

 闇しかない街に、風は吹かない。ゆえにわずかな動揺は大気を微少に震わせ、はっと息を呑む音すらネフィの小さな耳にしっかりと届いてしまう。
 心を見透かされてしまい、ネフィから視線を逸らしたレヴィリウスが自身の両目を右手で覆い隠して項垂れた。

聖女アイツに思いがけず再会したお前の気持ちもよく分かる。だが早まるなよ。同じ魂でも、アイツはルシェラであってフォルセリアじゃない。記憶がなけりゃ、お前の求愛も重いだけだ」
「……」
「こういうもんは焦ったら余計にこじれるぞ。……もう失いたくねぇんだろ」

 顔を覆い隠したまま、レヴィリウスが息を吐く。深くゆっくりと、胸の内に溜まったおりを吐き出すように、燻る熱を冷ますように。
 そして刹那、指の隙間から覗かせた菫色の瞳で足下のネフィを一瞥した。

「……まさか、使い魔ごときに諭されるとは」
主人あるじ思いのいい使い魔だろ?」
「理解できませんね。そういう発言をして私に消されないという保証はどこにもありませんよ?」
「今更何言ってんだよ。俺とお前の仲じゃ……って、何で鎌持ってんだよ!」

 石畳に突き刺さった鎌を引き抜いて構えたレヴィリウスに、ネフィが全身の毛を逆立ててじりじりと後退する。

「え……お前、まさか本気で怒ってんの? レヴィン? レヴィーン?」

 無言のまま、レヴィリウスが細腕に握った大鎌を勢いよく振り上げた。間髪入れず投げられた大鎌は大きく円を描きながらネフィの真上を通り過ぎ、そのまま後ろの建物に鋭く突き刺さる。

「おまっ……マジで投げるなよ!!」
「ネフィ」
「何だよっ、もう!」
「侵入者です」
「あぁ!?」

 訳が分からないと金色の目を大きく見開いたままネフィが振り返ると、がらがらと崩れる建物の壁の向こう――その影に潜んでいた赤毛の男が悪びれる様子もなく勝ち気な笑みを浮かべてそこにいた。

「街に現れたシャドウを追って来たんだが……どうやらアタリだったようだな」

 石畳に散らばった黒い珠をひとつ摘まんで口に入れた男が、ガリガリと豪快に噛み砕きながらレヴィリウスの方へ歩いてくる。
 癖のある短い赤毛と琥珀色の瞳。先程出会ったばかりの若い同族の姿に、レヴィリウスが菫色の瞳をすうっと細めて冷淡に見つめ返した。

「ここは悪魔を閉じ込める檻の街ですよ。そんな場所へ自ら降りてくるとは、物好きな悪魔ですね」
「神との戦いに敗北した悪魔たちを、だろ? その後に生まれた俺には、この街のルールは通用しねぇよ」
「あぁ、オムツが取れたばかりなのですね。そんな赤子が危険なダークベルへ何用で?」
「テメェ……っ」

 ただでさえ目つきの悪い男が、琥珀色の瞳をつり上げてレヴィリウスを睨み付ける。その視線すら意に介さず、レヴィリウスがかすかに口角を上げて薄笑いを浮かべた。癖のない銀髪がさらりと滑り落ちたその肩に、黒猫のネフィが身軽に飛び乗って赤毛の男を凝視する。

「何だ、コイツ? おい、レヴィン。知り合いか?」
「ルシェラの匂いを意地汚く嗅ぎ回っていた羽虫です」
「え? マジで? うわー……お前度胸あるな」

 口元に肉球を当てて驚くネフィが、男を見る目に憐れみの色を滲ませる。そのどこか嘲笑めいた視線に舌打ちを鳴らすと、握りしめた拳にあからさまな闘志を纏った男がネフィめがけて飛びかかった。

「人の領域テリトリーに無断で入った挙げ句、攻撃を仕掛けるとは……躾がなっていませんね」

 レヴィリウスが細い指をパチンッと鳴らす。と同時に壁を粉砕した大鎌がレヴィリウスへ引き寄せられ、その間にいた男の首を狩り取ろうと銀の刃を鋭く光らせた。
 すれすれで躱された刃は男の赤毛を僅かに切り裂いただけだったが、それでも牽制にはなったらしい。振り上げていた拳を下ろし、深く息を吐いた男が幾分落ち着いた表情でレヴィリウスを見つめ返す。

「強大な魔力を持ちながら、ダークベルへと封印された大鎌使いの悪魔。月葬の死神レヴィリウスってのは、お前なんだろ?」
「答える義務はありません」
「バレバレだっつーの。なぁ、俺と取引しねぇか?」
「え? 何コイツ。マジで生まれたて? レヴィンに取引持ちかけるなんて、どんだけ怖いもの知らずなんだよ」

 ネフィの無自覚な挑発に、さすがの男も今度はぐっと自制する。

「いくら生まれたてとは言え、力の差を計れないほど馬鹿でもないでしょう」
「力量が分かってるからこその取引なんだよ。お前に比べたら、確かに俺は生まれたてだろうし力も弱い。だから強くなりてぇんだよ。手っ取り早くな」
「……シャドウの結晶ですか」

 足下に散らばる黒い珠を拾い上げた男が、手にしたそれを上に放り投げてから口に含んだ。先程と同様にガリガリと噛み砕きながら、口角を上げてニヤリと笑う。

「悪魔に戦いを挑んで力を奪う方法は面倒くせぇし、万が一敗れたら逆に力を奪われちまう。楽して素早く力を得られる方法があるんなら、そっちがいいに決まってんだろ? だからお前が倒したシャドウの結晶、俺にくれよ」
「欲望に忠実なのは実に悪魔らしいですが、あまりにも稚拙で単純な思考にかける言葉が見当たりませんね」

 確かに悪魔の力を残したシャドウの結晶を喰らえば、その力を自分のものとして取り込むことはできる。それはシャドウに限らず悪魔でも同じ事で、レヴィリウス自身もダークベルへ封じられた際、奪われた力を取り戻すために多くの同胞を手にかけた。
 まだ若い悪魔である赤毛の男が、力を得るために安全な方法を選ぶことは分からないでもない。だが、頼む相手が悪すぎた。
 そう思い、ちらりと視線を向けたネフィの鼻先で、レヴィリウスの細く長い溜息がこぼれ落ちた。

「あなたに結晶を与えて、私に何の得があると言うのです?」
「そこはちゃんと取引材料があるから安心しな」
「私が満足する条件を、あなたが持っているとは思いませんが」
「――ルシェラ=メイヴェン」

 男がその名を口にした瞬間、レヴィリウスの周りの温度が一気に下がった。顔からは一切の熱が抜け落ち、冷酷に凍った菫色の瞳が慈悲のかけらさえない視線で男を射抜く。
 風もないのに銀髪がゆらりと動き、レヴィリウスの背後に黒い闇が引き寄せられる。その痙攣する空気の振動に男が慌てて両手を振った。

「ちょっ……待て待て! 何もしてねぇし、するつもりもねぇぞ! 俺が持ってきたのは、そいつが狙われてるかもっていう情報だけだ!」
「……狙われている?」

 振り上げていた鎌を下ろし、レヴィリウスが形のよい眉を顰めて探るように男を凝視する。

「ルシェラ=メイヴェン。アイツは聖女の末裔なんだろ? 誰か分からねぇがあのパーティの後、他の悪魔がそう囁いてる声が聞こえてきたんだよ。姿は見えねぇし、思念をあの会場に飛ばしてきてた感じだったぜ」
「その悪魔は、何と……?」

 静かに、低く。けれど鬼気迫る表情に、男が急かされたように記憶を辿る。
 ルシェラとレヴィリウスが去って行った会場に残された後、不意に頭に響いた誰のものかも分からない男の声。
 暗く深い水底を揺らす、澱んでいるようで一片の曇りもない不思議な声音は何と囁いたか。



『月葬の死神レヴィリウス。お前の愛した聖女を穢すのは、どんなに心地がよいだろう』

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