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過去の記憶
しおりを挟む急いで通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。ユーリーの声が聞こえるかと期待していたが、応答のない沈黙がしばらく続いた。そして、途切れたように聞こえたのは、かすかな息の音だった。
「ユーリー?聞こえる?」
やがて、ようやくユーリーの声が聞こえてきた。メッセージのやり取りが多く、滅多に通話はしなかったが、それでも数回話したことがあった。しかし、その声はいつもの明るい調子ではなく、どこか遠く、こもったような響きで低く、何かに怯えているかのように震えている。
「佳苗、今、どこにいる?」
「どこって、家にいるけど、何があったの?今、どうしてこんな」
佳苗の言葉が言い終わらないうちに、ユーリーが息を飲み込む音が聞こえた。
「佳苗、すぐにそこから離れて。今すぐに、誰にも見つからないようにして」
「え、どういうこと?」
不安がますます募り、佳苗は体がこわばって動けなくなった。
「佳苗、ウツロが、君を見つけようとしてる。今すぐ、誰にも見られない場所に隠れて」
「どうして、何が起きてるの?」
ユーリーからの警告に、佳苗の鼓動が一気に早まる。質問をしようとしたその瞬間、ふいに窓の外から視線を感じた。振り向くと、夜の暗闇の中に浮かぶ影が、微動だにせずこちらを見つめているように見えた。
「佳苗、お願いだ。今すぐ、逃げて!」
ユーリーの最後の叫びと共に、通話が途切れた。
佳苗はユーリーの警告に従い、夜の自宅を飛び出して必死に走り続けた。暗い街灯の下、寒気が肌を刺す、ただ風の音と自分の荒い呼吸音だけが耳に響く。なぜ、何から逃げているのかがわからないまま、佳苗はただ無我夢中で走っていた。
走るたびに、街中には『#彼女を探して』と書かれた張り紙が無数に貼られていることに気がついた。見覚えのある街の風景が、投稿で見た不気味な光景と重なり、何かが狂ってしまったように感じる。張り紙の内容はどれも同じだった――
【彼女を探している。まだ見つからない】
気味が悪くて目を逸らそうとするが、ふと、目に入ってきたある張り紙が佳苗の足を止めさせた。その張り紙には、今までと違い、何枚もの破られた紙の下から見えた名前があった。
【真淵佳苗】
それは、彼女の名前だった。佳苗は息を呑み、寒気が背筋を這い上がるのを感じた。見知らぬ誰かが自分の名前を掲げ、探している。けれども、張り紙を見つめていると、心の奥底でふっと何かが引き出されるような感覚がした。
(どうして、私の名前が?)
佳苗は頭が重く感じ、ふらつきながらも街中に貼られた他の張り紙に目を向ける。次々に記憶が揺り戻ってきた。暗闇の奥から、ぼんやりとした光景が浮かび上がる。
それは唐突に、頭の中でフラッシュバックした。突然手足が震え始めると、その時の光景がよみがえってくる。あれは雨が降っていた夜のこと、自分が路地を歩いていた時に遠くから響く車のエンジン音。それから、何かがぶつかってくる衝撃と痛み。そして、自分が地面に倒れこみ、視界がゆっくりと暗くなっていったことを・・・。
(私はあの時に、死んでいた)
冷たい感覚が全身を支配する。佳苗は、自分がこの世を去った存在であるという現実を、ようやく理解した。思わず両手を見詰めてしまう。気づいてしまったことで、彼女の身体の輪郭が薄れ、ぼんやりとした存在に変わり始めているのがわかる。すでに『ここにはいない』ことを知った佳苗は、ふらつきながらも足を前に踏み出し、目を背けたいような記憶の向こうにいる『何か』に導かれるように歩みを進める。
ユーリーが最後に叫んでいた、『誰にも見つからない場所』。佳苗は、そこがどこかをなんとなく理解したような気がした。闇雲に逃げ出した佳苗だったが、今ようやく目的地を見つけた。
人が近づかない静かな公園の奥、街の喧騒が届かない小さな森。その奥にある小さな広場に、彼女は足を踏み入れた。
公園の広場の真ん中に立ち、佳苗は静かに目を閉じる。自分を探している誰かから逃れ、誰にも見つからない場所にたどり着いたのだ。けれども、この場所で待っているのは救いではない。見つけてもらえない存在として消えていく運命を受け入れなければならない。
夜風がそよぎ、冷たい風が頬を撫でる。佳苗は、静かに息を吸い込んで、最後のひとときを待つように目を閉じた。
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