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7_新たな決意

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 俺が施設を抜け出してから二週間が経った頃に草薙は新たな名前と住処を与えてくれた。これからの名前は神宮かみや明。何とありふれた名前だ。住処は古びたアパートだった。実験台になったのだからもう少し豪華なマンションを期待していたのだが。

 俺は、あれからいろいろと考えた。明美の後を追うことが出来なくなった今、俺にできることを。

 明美の母親から託されたお守りを見つめながら、ふつふつと湧き上がる怒りがあった。この怒りの矛先に。怒りの元凶を必ず見つけ出してやると誓った。
 
 草薙からは自由に生活しても構わないと言われていた。ただし、体に何か異常が出た場合はすぐに連絡して欲しいと念押しされた。

 彼の事だから、どこかで見張っているに違いない。あの時の脱走の時もそうだった。監視カメラで脱走したのはわかっていたはずだ。追っても来なかったのは、俺の体のどこかにGPSでも埋め込んでいるのだろう。

 俺は、アパートのコンクリートの階段を上りながらポケットから草薙から預かったキーを取り出すと、三階の302号室のドアを開けた。

 必要なものは取り合えずそろえたと彼は言っていたが、1ⅮKの部屋にあるのは小型の冷蔵庫と電子レンジ、シングルのベットだけだった。

 ポケットからお守りを取り出すとかつて明美が手にしていたそれを見ながら、

「まあ、過ごせなくもないな」独り言のように呟くとふっと笑みが漏れた。

「まずは、腹ごしらえだ」

 俺は持ち込んだリックの中から、神宮明の名義で毎月振り込む予定になっているキャッシュカード、与えられた携帯と運転免許証などを確認した。あの草薙はただの製薬会社の社員などではないことは想像できた。最近の運転免許証やカードなどは偽造防止のためにICチップ等が内臓されている。ほぼ百パーセントの確率でバレるはずだ。それを用意するだけの組織が彼の後ろには付いているのだろう。

 取り敢えず今の俺がやることは、俺や明美を襲った奴らの手がかりを掴むのが先決だった。

 俺は、明美と襲われたあの場所に向かう決意を固めた。

 再び京都へと向かう為に、簡単な準備は必要だったが、それ以上に自分の心を落ち着かせることの方が重要だった。襲撃されたあの夜から時間は経ったものの、記憶は鮮明に残っている。明美と談笑しながら歩いていた平穏なひと時、そして突然の恐怖が迫ってきたあの瞬間。

 奴らは、背後から襲って来た。突然の出来事で防ぐことが出来なかった。守ってやることも出来ないままに、拉致された車内での出来事。自分の目の前で繰り広げられる陵辱。深夜の山林での暴行と明美の俺を呼ぶ声。全て昨日の事のように思い出せる。あれからは、幾度と無く明美の後を追うことを考えていた。俺は両手を見詰める。草薙に切られた手の平には傷跡も残っていなかった。

 俺の中に眠っていた怒りが、再び燃え上がるのを感じた。

 手早く自分のリックの中身を確認していく。観光に行くわけでは無い、行動するのに必要なものは最低限に絞った。着替え、懐中電灯、スマホ、念のためにメモ帳も持った。頭の片隅では、『草薙のことだからどうせ見張られている』と冷静に思っている部分もあったが、今は構わない。これが俺の決めた道だ。俺がこれから生きていく為の使命なのだ。たとえ監視されていたとしても、奴らの手がかりを掴むために行動するのを止めるつもりはない。

 ふとポケットに手を入れると、指先に触れたのは明美の母親が俺に託したお守りだった。今年の初詣に明美と色違いで買ったお守り。俺はグリーン、明美はピンクにした。一年無事に過ごして、来年も参拝に来て、お守りを返納しに来ようとふたり話した。いつも肌身離さずに持っていたのだろう。俺の物は実家に置きっぱなしになっているに違いない。病院から施設に移動してから、両親にも会っていなかった。無事に回復している姿を見れば腰を抜かすに違いない。実家に寄ってついでに自分のお守りも回収して来よう。 

 明美のお守りを手の中で軽く握りしめると、冷たい布地が指先に絡みついた。彼女の想いと共に、失われた平穏への怒りが再び沸き上がってくる。

「待っていろ、必ず見つけ出してやる」

 小さく呟き、部屋のドアを開けた。足早にアパートの階段を下りる、早朝の冷えた空気が肌に触れる外へと踏み出す。階段を下りきった時には、心の中に復讐に燃える決意だけが残っていた。
 
 俺は初秋の京都に降り立った。夕方の澄んだ空気が肌に冷たく感じられ、日が早くも暮れかけていたが、街はまだざわつきに満ちていた。歩き慣れた三条大橋は観光客で溢れ、誰もがそれぞれの思い出に浸っているように見えた。その中で、ジーンズに黒いパーカーをまとった俺だけが、ただ静かに一人で夕闇に溶け込んでいた。

 俺の目的地は、あの夜に襲われた場所だ。三条大橋から四条へと続く鴨川沿いの道。川面には夕焼けが映り、秋風が涼しげに吹き抜ける。その風に乗って、わずかに明美の微笑む顔が脳裏に浮かんでくる。二人でこの場所を歩いたあの春の記憶。あの時は、全てが変わるとは夢にも思わなかった。

 日没からライトアップされた三条大橋のたたずまいは、美しくもどこか冷たい。納涼床の季節は過ぎたが、鴨川沿いの道には恋人たちが静かに寄り添っていた。あの日と同じ光景、だが俺だけが違う。全てが変わってしまったのだ。

 三か月前の痕跡が残っているはずもないことはわかっている。ただ、俺にとっては、そこから始める必要があった。明美と俺が奪われたあの場所から、全てを取り戻すための始まりを。
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