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8月に入り、生田里美の誕生日が迫っていた。ビアガーデンの一件以来、会社ではほとんど会話も交わしていなかったが、彼女に花束を贈ろうと1ヶ月前くらいから考えていた。花言葉を調べるために本を買い、どの花が彼女にふさわしいかを考える時間は楽しかった。
しかし、誕生日が近づくにつれ、『彼氏がいる彼女にアプローチしても無駄ではないだろうか』と弱気な気持ちが膨らんだ。ダメでもともとと思っていたはずなのに、振られることの恐怖が消えなかった。彼女に私はふさわしくないのではないか。そう思い始めると自分の決断が鈍っていった。
結局、彼女の誕生日には何もできなかった。山下と遊びに行った清里で、彼女へのプレゼントにと考えていた土産も渡せぬまま、一ヶ月が過ぎた。9月になっても、彼女をきっぱりと諦めることは出来なかった。夜になると、車で彼女の自宅前を通ってしまう。会社では、彼女の姿を探してしまう。自分にもきっと他にいい人が現れるはずだと言い聞かせながらも、心は彼女に引きずられていた。
はっきり里美の口から、付き合っている人がいると聞くまで納得できそうにはない。かといってそんなことをズバリと聞ける勇気も私にはなかった。仕事もろくに手につかず、ストレスは溜まり、投げやりな気持ちでイライラする毎日が続いた。
10月に入って彼女は、髪型を変えた。今までのソバージュからストレートの髪へと。長い黒髪のストレートヘアは、彼女をさらに魅力的に見せた。
社員の誰かが、髪を切ったその理由を聞いた時に彼女は言ったそうだ。
「昔の自分を忘れるため」
その言葉が胸に刺さった。何を忘れたくて、彼女は変わろうとしたのか。
答えは出ないまま、彼女の姿を遠目で追うことしかできなかった。どれほど想いを募らせても、何も言わなければ伝わるはずもない。それは分かっていた。
11月の会社での慰安旅行。宴会の時も私は、彼女の姿を目で追っていた。宴会が始まって中盤に差し掛かった頃、里美が私の横に来て一度だけビールをグラスに注ぎに来てくれた。
「田村さん飲んで」彼女はグラスにビールを注いだ。私が礼を言うと、
「また後で来るから」と微笑んで、他の社員の中に入って行った。それっきりだった。
酒の席とはいえ、彼女が他の男たちと談笑する姿を見るのは辛かった。耐えきれず、宴会の終盤に席を立ち、外へ出た。
諦めようと思い始めたのはこの頃だった。会社では彼女を目で追い、夜は無意味に彼女の自宅の前を車で走る。ストーカーまがいの行為をしている自分が情けなくなった。これが恋なのか、ただの執着なのかも分からなくなっていた。
里美に出会って二回目の年が明けて、平成五年。課内の忘年会も新年会も私の隣には里美がいた。しかし、私から話していくことはしなかった。後輩たちの配慮が余計に苦痛だった。
忘年会が終わってから根本が私に言った。
「生田さんが、田村さんともっと話がしたかったって言ってたで。私は女だから、こっちから話しかけられなかったけど、男の田村さんから話しかけて欲しかったって」
これは本当のことか。嘘つき常習犯の根本がからかっていたのかは、今となってはわからない。
諦めと未練とを交互に繰り返している私に、根本が新たな情報を持ってきた。
生田さんと彼氏との仲があまり上手く行っていないということだった。このことは生田さんと仲良くしている男性社員も私に話していたので事実だろう。
私はそれを聞いた時、諦めかけていたはずなのに、心の奥に小さな希望が灯った。もう一度だけ。
ゴールデンウィークに入ってから、彼女の自宅に電話をかけた。もし彼女が出ればもう一度誘ってみようと思った。しかし、電話に出たのは彼女の妹だった。
「里美お姉ちゃんは、朝から出かけててまだ帰ってきてないよ」と言っていた。
私はその夜遅くに、彼女の家の前まで行ってみたが、『アルト』は止まっていなかった。もう一度と期待していたが、またもや空振りに終わったみたいだった。
それから1週間ほど経った頃、生田さんと仲の良い梅田から、彼女に誘われて食事に行ったと聞いた。夜のドライブをした後、ゲームセンターで遊んで帰って来たらしい。
いつも根本からは生田さんを誘っても、一人では行かないと聞いていたのに、それも彼女の方から男性社員を誘いデートなんて、私は崖から突き落とされたみたいだった。どん底の気分だった。
「彼女、落ち込んでて、気持ちを晴らすために俺を誘ってきた」と梅田は俺の気持ちを知ってか知らずか、その時の様子を語ってきたが、何の慰めにもなりはしなかった。
課内のイベントで潮干狩りに行った時も、私は立ち直れずにいた。それでも彼女に写真を撮ってあげると言って、最初にシャッターを切ったのは彼女だった。
彼女に会うたび、話すたびどんどん彼女に惹かれていく。それでいながら、周りからの情報や自分の気持ちの浮き沈みもあり、初めて意識しだした頃とは違って、素直な気持ちで『好きだ』と言えなくなってしまった。
夏の焼肉パーティーや、慰安旅行などで彼女に近づく度に、忘れよう、他の女性を見つけようとする私の心が、揺れ動いてしまう。けじめをつけなければならないのは分かっているのに、彼女は私にとって高嶺の花だった。自信のない自分には、到底手の届かない存在に思えた。
いつから好きという感情が芽生えたのかも、今となってはわからない。そもそも恋愛とはそのようなものかもしれない。知らない間に彼女を意識していた。あれから、一年と半年眠れない夜が続いた。自分の勇気の無さに泣いたこともあった。あの頃は周りが何と言おうと本気で彼女を好きだった。愛というものが、ひとりひとり違うものであるのなら、少なくとも私自身あれが愛だと思っていた。
いいところしか見ようとしなかったのかもしれない。そしていくつものチャンスがありながら、はじめの一歩が踏み出せなかった。
人を好きになることって、愛するってのはこんなにも苦しいのか。胸が締め付けられるくらい。彼女の行動や仕草に喜んだり、嫉妬してしまう。自分の不甲斐なさに、自分を憎み。全てのものを破壊したい欲望にかられる。
彼女を守りたい。彼女をいつまでも見つめていたい。一時も忘れられないあの笑顔。沈んだ顔。彼女の表情一つ一つに意味があり、行動にも意味がある。そんな風に思ってしまうのは何故なのだろうか。
他に好きな人ができたら忘れることができるだろうか。そんなことを考えて結婚紹介所に入会したり、親戚からの見合いを受けたりしてみたが、生田里美への想いがますます強くなるだけだった。
しかし、誕生日が近づくにつれ、『彼氏がいる彼女にアプローチしても無駄ではないだろうか』と弱気な気持ちが膨らんだ。ダメでもともとと思っていたはずなのに、振られることの恐怖が消えなかった。彼女に私はふさわしくないのではないか。そう思い始めると自分の決断が鈍っていった。
結局、彼女の誕生日には何もできなかった。山下と遊びに行った清里で、彼女へのプレゼントにと考えていた土産も渡せぬまま、一ヶ月が過ぎた。9月になっても、彼女をきっぱりと諦めることは出来なかった。夜になると、車で彼女の自宅前を通ってしまう。会社では、彼女の姿を探してしまう。自分にもきっと他にいい人が現れるはずだと言い聞かせながらも、心は彼女に引きずられていた。
はっきり里美の口から、付き合っている人がいると聞くまで納得できそうにはない。かといってそんなことをズバリと聞ける勇気も私にはなかった。仕事もろくに手につかず、ストレスは溜まり、投げやりな気持ちでイライラする毎日が続いた。
10月に入って彼女は、髪型を変えた。今までのソバージュからストレートの髪へと。長い黒髪のストレートヘアは、彼女をさらに魅力的に見せた。
社員の誰かが、髪を切ったその理由を聞いた時に彼女は言ったそうだ。
「昔の自分を忘れるため」
その言葉が胸に刺さった。何を忘れたくて、彼女は変わろうとしたのか。
答えは出ないまま、彼女の姿を遠目で追うことしかできなかった。どれほど想いを募らせても、何も言わなければ伝わるはずもない。それは分かっていた。
11月の会社での慰安旅行。宴会の時も私は、彼女の姿を目で追っていた。宴会が始まって中盤に差し掛かった頃、里美が私の横に来て一度だけビールをグラスに注ぎに来てくれた。
「田村さん飲んで」彼女はグラスにビールを注いだ。私が礼を言うと、
「また後で来るから」と微笑んで、他の社員の中に入って行った。それっきりだった。
酒の席とはいえ、彼女が他の男たちと談笑する姿を見るのは辛かった。耐えきれず、宴会の終盤に席を立ち、外へ出た。
諦めようと思い始めたのはこの頃だった。会社では彼女を目で追い、夜は無意味に彼女の自宅の前を車で走る。ストーカーまがいの行為をしている自分が情けなくなった。これが恋なのか、ただの執着なのかも分からなくなっていた。
里美に出会って二回目の年が明けて、平成五年。課内の忘年会も新年会も私の隣には里美がいた。しかし、私から話していくことはしなかった。後輩たちの配慮が余計に苦痛だった。
忘年会が終わってから根本が私に言った。
「生田さんが、田村さんともっと話がしたかったって言ってたで。私は女だから、こっちから話しかけられなかったけど、男の田村さんから話しかけて欲しかったって」
これは本当のことか。嘘つき常習犯の根本がからかっていたのかは、今となってはわからない。
諦めと未練とを交互に繰り返している私に、根本が新たな情報を持ってきた。
生田さんと彼氏との仲があまり上手く行っていないということだった。このことは生田さんと仲良くしている男性社員も私に話していたので事実だろう。
私はそれを聞いた時、諦めかけていたはずなのに、心の奥に小さな希望が灯った。もう一度だけ。
ゴールデンウィークに入ってから、彼女の自宅に電話をかけた。もし彼女が出ればもう一度誘ってみようと思った。しかし、電話に出たのは彼女の妹だった。
「里美お姉ちゃんは、朝から出かけててまだ帰ってきてないよ」と言っていた。
私はその夜遅くに、彼女の家の前まで行ってみたが、『アルト』は止まっていなかった。もう一度と期待していたが、またもや空振りに終わったみたいだった。
それから1週間ほど経った頃、生田さんと仲の良い梅田から、彼女に誘われて食事に行ったと聞いた。夜のドライブをした後、ゲームセンターで遊んで帰って来たらしい。
いつも根本からは生田さんを誘っても、一人では行かないと聞いていたのに、それも彼女の方から男性社員を誘いデートなんて、私は崖から突き落とされたみたいだった。どん底の気分だった。
「彼女、落ち込んでて、気持ちを晴らすために俺を誘ってきた」と梅田は俺の気持ちを知ってか知らずか、その時の様子を語ってきたが、何の慰めにもなりはしなかった。
課内のイベントで潮干狩りに行った時も、私は立ち直れずにいた。それでも彼女に写真を撮ってあげると言って、最初にシャッターを切ったのは彼女だった。
彼女に会うたび、話すたびどんどん彼女に惹かれていく。それでいながら、周りからの情報や自分の気持ちの浮き沈みもあり、初めて意識しだした頃とは違って、素直な気持ちで『好きだ』と言えなくなってしまった。
夏の焼肉パーティーや、慰安旅行などで彼女に近づく度に、忘れよう、他の女性を見つけようとする私の心が、揺れ動いてしまう。けじめをつけなければならないのは分かっているのに、彼女は私にとって高嶺の花だった。自信のない自分には、到底手の届かない存在に思えた。
いつから好きという感情が芽生えたのかも、今となってはわからない。そもそも恋愛とはそのようなものかもしれない。知らない間に彼女を意識していた。あれから、一年と半年眠れない夜が続いた。自分の勇気の無さに泣いたこともあった。あの頃は周りが何と言おうと本気で彼女を好きだった。愛というものが、ひとりひとり違うものであるのなら、少なくとも私自身あれが愛だと思っていた。
いいところしか見ようとしなかったのかもしれない。そしていくつものチャンスがありながら、はじめの一歩が踏み出せなかった。
人を好きになることって、愛するってのはこんなにも苦しいのか。胸が締め付けられるくらい。彼女の行動や仕草に喜んだり、嫉妬してしまう。自分の不甲斐なさに、自分を憎み。全てのものを破壊したい欲望にかられる。
彼女を守りたい。彼女をいつまでも見つめていたい。一時も忘れられないあの笑顔。沈んだ顔。彼女の表情一つ一つに意味があり、行動にも意味がある。そんな風に思ってしまうのは何故なのだろうか。
他に好きな人ができたら忘れることができるだろうか。そんなことを考えて結婚紹介所に入会したり、親戚からの見合いを受けたりしてみたが、生田里美への想いがますます強くなるだけだった。
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