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鶏群の一鶴

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――文政5年(1822) 夏――

 「焉馬、お前、からだは大丈夫なのか?」
「……もう長くはないだろう。お前はいま、忙しいだろうに。兵蔵……いや南北、と呼ぶべきか。大先生、ほら、帰った、帰った」
「何もわかっちゃいないなあ。作者は毎日暇なのさ。忙しいのは役者なんだ」
「役者、ねえ。……5代目の市川團十郎は、いい役者で、いい男だった」
「そう言えば、お前は贔屓だったなア」
「あいつは、白猿。俺は死んだら、白煙ってね……人の生き死になんざ、所詮、蝋燭一本よ」
「落とし話のつもりかよ……。逝く前に私怨(紫煙)は?」
「ははは……微塵もないよ……。なあ、俺はずっと思っているんだが……何で人は葬式で笑わないのかねエ?」
「……いきなり何を」
「死者を笑い飛ばしてやることぐらいが、生者が……唯一できることではないかね」
「簡単に言うが、それができないから、人は毎回困るんだろう」
「……歌舞伎や浄瑠璃なら、人が死んだら、拍手なんだ……不思議じゃないかね」
「それは……作り物だからだ」
「葬式が作り物じゃないと、誰が決めた?」
「……どう言う意味だ?」
「ふっ……言葉の通りよ。今のお前なら、何でも……書けるさ」
「焉馬……」
ガラガラガラ。
「おや、“あんた”も来てくれたのかい。少しばかり、懐かしい顔ぶれが、揃いましたナ。はははは」
程なくして、焉馬はこの世を去った。

――平成8年(1998) 3月――

 岡田は森山と偶然に出会い、喫茶店へと立ち寄った。
「僕は……アイスコーヒーで」
「俺も。ああ、ミルクと砂糖、つけてください。出来ればたくさん」
森山は昔から変わらない。
「最近、直子さんとはどうだね」
「……それを聞く前に、俺はお前の今の状況が知りたいね」
「ああ、お陰様で、とある出版社から、一本連載を取れたんだ」
「ほう」
「おい、もっと喜んでくれないのか」
「お前、本当に描きたいこと、描けてるのか?」
「えっ?」
「お前の連載は知ってた。偶々、本屋で見かけたんだ。しかし……」
「しかし?」
「あれはお前らしくねえ。……お前が、あんな女を描く趣味とは思えねえ」
「おんなって?」
「気づいてねえかも知れねえが、あの少女は、死んでるように見えるね。目に、輝きってもんがない」
「……うん」
「それはそうと、だな。ちょっと聞かせたいことがある」
「何だ」
「北斎の一件で、源内が鶴屋南北の話をしていただろ。俺の嫁さんがね、その辺に詳しかったりするんだが……ふふ、面白い話がある」
「面白い話?」
「ああ、それは南北の最期に遡る……」

――天保5年(1835)――

「おうい。今日こそは出かけるぞ」
「やっとこさ行くんだね、鉄蔵」
「いつ行こうが勝手だろ」
「でもさ……ううん、芝居が……そんなに好きだったかね」
「いやあ。南北とかいう奴に、興味が湧いてな」
「南北?ああ、ごく最近、妖怪の類なんかを描くようになったのも、そのせいかい?大南北は、もうとっくに死んでいるヨ」
「いやあ……案外、生きているかも知れねえぞ」
「何を根拠にそんなこと」
「平賀げ……いや、悪運強い奴も、この世にいるだろうからな!はは!」
父は変なことを言い残し、中村座へと向かいました、と。

 北斎は歌舞伎を見に来たわけではなかった。当時は噂でしか聞いたことがなかった、南北の“とんでもない葬式”の話を聞きたかったのだ。
「おい。お前さん。南北の葬式に出たか」
「何だよ、いきなりい。出てない、出てない」
北斎は働く人々全員に声をかけて回った。
「おい、あんたは」
「忙しいのに、話しかけるな!」
「あんたは……」
「邪魔だ、邪魔」
「おい……あんたは、どうだ?」
老体が悲鳴を上げつつあった、その時である。
「俺、大南北の葬式に出たよ」
大道具の男だった。
「あんた、本当かい」
「ああ、何で嘘なんかつく」
「よければ、話を聞かせてくれねえか」
「ふふふ、あの葬式は、面白かったねえ。……あんなことができるのは、後にも先にも、きっと大南北だけだ」
大道具の男は、右手で鼻先をいじりながら、得意そうに話し始めた。
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