神護の猪(しし)

有触多聞(ありふれたもん)

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大神の斎(いは)へる国

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途端に夜は静かになった。
「道鏡。……外の様子を教えてくれぬか」
「そうですな……それは美しい月が出ております。たいそう快い夜風も」
「そうか……朕にはもったいない代物だな。思い返せば……朕はこの治世で……何もできなかったな……。あの世で父上、母上に顔向けできぬ。いや、父上と比べるとは、畏れ多いこと極まるが……」
「そのようなことは一切ございませぬ。陛下の仕事は、私が一番間近で見ておりました」
「……道鏡よ、朕が死んだのち、この国はどうなると思う。後継の者もろくに指さず……」
「きっと……。きっと大丈夫でございます。まもなく世は平安へと向かうことでしょう」
「ふふ……平安とな……それは本当か……?」
「狐は化かすことはしても、嘘は申しません。それに……」
「それに?」
「あの忠臣が残るのですから」
「忠臣……ああ、清麻呂のことか……。奴には、悪いことをした……。奴だけには、真実を伝えても良いと思ったのだが……その機会は失われてしまったようじゃ。結局のところ真実を知るのは、この世で、朕と、おぬしだけ……。少しばかり、寂しいのう」
しばしの沈黙が流れた。
「ううむ……。これは苦肉の策とも言えますが……そのことは、私の子どもに、託すことにいたしませぬか」
「ほう……。どういう意味じゃ……」
「我々狐の一族は、自身の持つ記憶を、他人と共有することができます。その力を使って、私の子どもが、清麻呂殿の子孫に、この真実を必ずや伝えましょう」
「そうか……。されど、おぬしの子たちは、清麻呂の子孫と、本当にめぐり逢えるのか……?」
「陛下。ご心配なさらず。縁とは、不思議なものだと思いませぬか。よく考えてみてくだされ……。ただいまこうして、陛下のおそばに私がいるのも……」
「あの時、朕の命が救われたのも……」
「そうでしょう、そうでしょう。縁はどこかで、必ず結ばれまする。帝もそう“仰っていた”ではありませんか。全て、大神が図ったかのように……」
「ははは……。そうじゃな……。わかった……」
白い雲が月を優しく隠した。

それからしばらく後、清麻呂は念願の帰京を果たす。そこで家臣からとある話を耳にした。
「何だと。道鏡様が消えた……?」
「は。先帝が亡き後、数ヶ月は都にいらっしゃったそうなのですが……。忽然と……」
「まるで狐につままれたような話だな」
「あまりにも急なことでしたので……。というのも、道鏡様はその前日まで、御陵におられたとのことなのです。どうも真相は不明とのことですので、先の件で都から追放と、記録されたご様子」
「先の件……そうか……。私はどうも道鏡様が死んだとは、思えないのだがな……」
「何か、心当たりでもございますか」
清麻呂は足を止めた。
「いや……。そんな気が、するだけのことよ」
世は着々と、平安へと歩み始めていた。
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