神護の猪(しし)

有触多聞(ありふれたもん)

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狐猪の縁

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「忘れもしないわ」
次に、彼らが“飛んだ”先は、俗に丑三つ時とも言う刻限であった。
「どうも薄気味悪い雰囲気ですね……」
「流石に並の人間でも感づくわね。父もこの凶兆を分かっていたみたい」
バタン!ドタドタドンドン!
向こうで大きな音がした。
「また大蛇が出たのですか」
「いや……それよりもっと性が悪い」
傍からそっと覗くと、そこから衝撃的な光景が見えた。明らかに正気を失った人間達が、狂ったように剣を振り回しているのだ。
「道鏡を殺せ!道鏡を滅ぼせ!」
その数は二〇〇にも及ぶだろうか。恐怖で彼はものも言えなかった。「これは……」
「彼らは心を操られているの。そう……九尾狐に」
彼らは道鏡の寝所に一直線に向かった。その勢いは誰にも止められるものではない。まさに押し入らんとしたその時、別の部屋の障子越しに法衣の影が映った。
「おぬしらが来ることは、大方察しがついていたのでな……。汚い手を使いおるやつめ……いざ!」
道鏡は木太刀を手に持ち、必死の応戦を見せた。既の所で一太刀を避け、急所を外した一撃を放つ。道鏡、もとは狐である。体術は出来上がっていた。しかし、多勢に無勢とはこのこと。次第に部屋の端まで追い込まれてしまった。
「道鏡を殺せ!」
容赦のない斬撃が降り掛かろうとした、その時である。
「危ない!」
それを間一髪うけとめたのは、あの清麻呂だった。
「清麻呂殿。なぜ……」
「話は後です!まずは敵を!」
道鏡は体勢を立て直し、構え直した。
「……清麻呂殿、この者たちを殺すことはどうにか避けてくだされ」
「解っておりまする!」
清麿が加わったおかげで、戦いの流れが大きく変わった。
「清麻呂はなぜ操られずに……?」
「覚えているかしら。彼は、心を読まれない。だから、他の者たちのように心を奪われずに済んだ。この朝廷で、ただ一人の男よ。ではなぜ、心が読まれないのか……」
二人は死に物狂いで戦った。……どれほどの時間が経っただろうか。突如として、敵が気を失い始めたのだ。道鏡の脳内に、かの声が響き渡る。

  この国に、我が術が効かぬ臣がおろうとは……。小癪な。……仕方があるまい。くそっ……実に、実に面白くない……
 
  貴様!どこ隠れている!出てこい!


道鏡は周囲を見渡したが、怪しい影は既に消えていた。操られた人間たちは、元に戻ったようである。寝ぼけ眼で、各々の寝所へとよたよたと戻っていった。ふうと大きな溜め息をついた道鏡に、清麻呂が後ろから声をかけた。二人の腕はまだじいんと痺れたままである。
「道鏡様……。はあ、はあ、ご無事で何よりでございます」
「いや。こちらこそ……はあ、本当に危ない所を助けてくださり、
心より感謝申し上げる」
「……あの者達はなんだったのでしょう」
「あれは恐らく……」
道鏡は途中で口をつぐんだ。
「近頃、この朝廷の転覆を企む霊狐が潜んでいるとの噂があります。もしやその類かも知れませんね」
「何!霊狐と?清麻呂殿、その話をどこで」
「夜な夜な、以前この都では見かけられなかった狐が目撃されていると聞きます……。狐は人を化かす存在。悪き敵です。私は貴族の一員として、なんとしてもこの国を守りたい。そのような輩は、断じて許さぬ所存です」
「そうですな……。やはり清麻呂殿、貴殿はこの国になくてはならないお方だ。まだお若いが、いつか必ず救国の雄となられましょう」
「いやいや……。道鏡様、私は一介の俗物にすぎませぬ。救国の雄など、烏滸がましい……」
「貴殿と共に戦って、私は確信を得たのです。貴殿には、何と言うべきか……神の加護がついている」
「神の加護とは……?」
「言葉通りでございます。そうですな、分かりやすく人間の言葉で言いますと……邪悪に染まらぬ、屈託のない清く真っ直ぐな心、とでも申しましょうか」
「人間の言葉?」
「いえ、そこは気にしなくてもよろしい」
「しかし、真っ直ぐとは……。私はただの猪のようなもので……」
「そう仰るなら、貴殿は聡い猪じゃ。軟弱な狐なぞに負けてはなりませぬ」
「ははは。その通りですな。では、私はこれにて失礼」
何事もなかったかのように、長い夜が明け、鳥が朝を迎えに来た。
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