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第二部 ふたりの旅路
第十六章 万華鏡
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王都へ戻るのはあとにして、先にビアンカを待っているという人物のいる街へ行くことにしたマリア達は、街道へ戻って道を進み始めていた。宗教集団は追っ手を寄越していないとのことであったし、街道を通っていった方が近いということで通ることにしたのだ。だがビアンカが馬に乗り慣れていないのもあって、街道を散歩ぐらいの早さで通らねばならない。本人はとても気にしていたが、マリアだけでなくソロモンや守人達も苦ではなかった。そんな中にいると、少しずつ気にもしなくなっていったようすだ。
ビアンカは少しずつであるが、笑顔を向けるようになった。しかし9歳であるのに文句も我が儘も言わないから、逆に大人達が気を遣ってしまっているのはいうまでもない。
「つらくなったら、ちゃんと言うんだよ」
エリスが言っても靴擦れを起こしているのに、我慢するものだから余計だ。クレアが歩き方がおかしいことに気づいてくれなければ、ビアンカは黙ったままだっただろう。
我が儘をいう子でも困りものだが、逆に何もいわない子の方がやっかいだとソロモンは密かに思っていた。マリアも気にはかけているが、洞察力や観察力が高いわけではない。もし下手なことを言えば傷つけてしまうかもしれないから、何かを話そうとするもけっきょくは口を噤んでしまう。自分が情けないけれども、どうすればよいのかわからなかった。
そうこうしているうちに、それなりに活気づいている街へ着いた。ビアンカが初めて見る大きな街に目を輝かせていれば、マリアは手紙を開いて会社のある場所を調べようとした。それは我々の役目ですとソロモンに言われ、ビアンカと一緒に街を見て回るよういわれてしまう。マリアが困惑していると、クレアとジュリア、エリスも同行することになって残りの人たちはソロモンに連れられ会社探しとなった。
ギルもマリア達に同行するとついてきかけたが、聞き入れられずダミアンに引きずられていってしまった。
「じゃあ、ビアンカ。街を見て回ろっか」
「はい!」
マリアの言葉にビアンカは、今まで聞いたことが無いくらい元気な声で返事をして答えた。やはり、街はあまり来たことが無いからか満面の笑みを浮かべ物珍しそうにいろんな店へ目移りさせていく。その視線が、ある店で止まった。
古めかしい看板で「アトリエ」と書かれた店は、ガラス越しに覗き込めば人形がずらりと並んでいる。人形の専門店のようだ。どれも骨董品でゴシックドレスを着ていた。この店の周りだけ人がおらず、誰も寄せ付けない雰囲気を纏っている。
「この店に入ってみる?」
マリアが声をかけると、はっとなってビアンカは首を横に振った。けれども、「気になるのなら行ってみようよ」と背中を押され、店内へ入った。
店の中へ入ると閑散としており、人形ばかりがずらりと並んで人は誰一人としていない。店員もいないから、クレアが声をかけると店の奥から幸薄げな老人が出てきて、「いかがなさいましたか」問いかけた。
「こんなに立派なお人形があるのに、誰もいないのは何故ですか」
エリスに老人は、ひとつの人形を抱き上げると値段を見せた。32マルク40ペニヒと書かれており、とてもではないが民が手を出せる金額では無い。
「これはビスク・ドールでな。これを買っていくのはだいたい上級階級の貴婦人、令嬢なのだよ」
そうだったんですか、とエリスは呟く。マリアを見ればなにかに心を奪われたのか、どこかを見つめていた。主君も女の子であるし、てっきり人形が欲しいのかと視線を追うとビアンカの方が人形に心を奪われていた。
視線の先にある人形もまた赤いゴシックドレスを着ていたが、他の人形よりもうんと派手に着飾られ細かな装飾が美しい。
「ああ、それはこの店で一番、高いんだ。300マルクだよ」
あまりの金額にエリスは驚いてしまう。上流階級の年収が20万マルクであるから、そんなものかもしれない。そんなふうに思っていると、マリアが「欲しいの?」問いかけた。やはりと言うべきか、ビアンカは首を横に振って拒絶する。
「いえ、こうして見ているだけで十分です」
遠慮しなくていいと告げたが、ビアンカは首を横に振り「別の店へ行きましょう」と促されれば店を後にした。しかし、先ほどの人形が気になるらしく、ちらちらと店の方向を見つめる。どうにかして買ってやれないかと考えていると、お腹が鳴る。お昼だと思い出して、マリア達は近くのカフェで昼食を取ることにした。
豚肉を玉葱やセロリなどの香味野菜や、クローブなどの香辛料と共に数時間煮込んで作られたアイスバイン。白アスパラガスを裏ごしした、濃厚なクリームスープであるシュパーゲルズッペ。それから、王冠のような形をしたパンのカイザーゼンメルを注文した後、薄くのばした生地でリンゴを包んで焼いたアプフェルシュトゥルーデルを頼んだ。
料理が運ばれてくれば、ビアンカが食べたことのないものばかりなのか。目をかがやかせて、ぱくぱくと食べていく。美味しそうに食べるビアンカの笑みにつられてマリアが笑みを浮かべると、店内にソロモン達も入ってきて「ここにおられたのですか」と隣に座ってソロモンが問いかけてくる。
「ところで会社は見つかったのか」
「それが見当たらないのです」
マリアの問いかけにソロモンは、首を振った。その間に店員が来たので適当に食事を注文し終えると、手紙にあった住所へ赴いたら建物だけがあり、警察に確認を取ると数ヶ月ほど前まで確かに会社はあったが倒産していたことを告げた。
「それだけなら、良いのですが手紙にあった会社名と警察から聞いた会社名が違いまして」
マリアは眉を寄せて考え込む。果たして自分が勤めている会社の名前を間違えるだろうかと考えていると、ソロモンがクライドとレジーに会社について調べてきて欲しいと頼む。二人は頷くと、運ばれてきた食事を早々に終えて店をあとにする。
とりあえずは、二人に任せて我々はゆっくり街を散策しようとソロモンはゆったり食事を始めた。ビアンカは少し驚いたのか、まねようとしているがうまくいかない。
きちんとした食事も与えて貰っていなかったようであったし、貰えても早く食べないといけなかったのかもしれない。誰かにせかされているわけでもないが、ビアンカの食べるペースは速い。
「ビアンカ、慣れないことはしなくてもかまわないよ」
マリアが声をかけると、ビアンカは手の中にあるちぎったパンを見つめて言葉を紡ぐ。
「あたしに食事の仕方を教えては下さいませんか」
妙なところはないと伝えたが、納得していない表情のままである。
「本当に変なところなんてないよ。ただ、もう少しゆっくり食べた方が体にもいいと思うな」
ビアンカはパンをちぎっては、皿に残っているスープを付けて食べる。ごくんと飲み込む度にこちらの様子を伺うから、食べた気がしないんじゃないかと思うけれども笑顔でうなづいてみせた。笑みを浮かべて嬉しそうにするものだから、少し困りながらもマリアはアイスバインを野萵苣《ラプンツェル》と巻いて指で穴を開けたカイザーゼンメルにはさんで口へ放り込む。城でそんな食べ方をすれば怒られるだろうが、こうやって食べるのが好きだった。
ビアンカは真似すると、美味しそうに頬を綻ばせる。
「クリス様、そのようなはしたない食べ方。城では絶対にしてはいけませんよ」
ソロモンに釘を刺されてしまって、「わかってる」と答えつつ頬張る。真似をしてしまったビアンカも怒られた気がして、小さく縮こまってしまう。マリアは、まったく気にもしていないが。
「大丈夫だよ、どんな食べ方したってここでは怒られないんだから」
「クリス様は自重してください」
マリアは息をつまらせる。ビアンカはうつむいてると思えば、声を上げて笑った。守人達も驚いたが、つられて小さく笑う。
「ビアンカは笑顔が一番、似合うね」
マリアが何気ない言葉に、ビアンカが恥ずかげにうつむいてしまった。ギルはニヤニヤと笑みを浮かべて、「天然たらし」と一言。
「え!」
「だって、そうでしょう。天然でそんな女性を口説くようなことを言うなんて、いつの間に身につけたんですかあ。クリス様」
ソロモンまでも面白がって、「我が主ですから」と言うものだから、マリアは皆の顔を見回してしまう。視線を止め、助けを求めてエリスを見たけれど、目をそらされてしまう始末であった。
「違うだろう、ギル。クリス様は、男だろうが女だろうが口説くのだから」
それもそうかとギルはつぶやき、エリスはうなづいていた。ますます困ってしまって、マリアがクレアに視線を投げれば苦笑いを浮かべられてしまう。ダミアンの方を向いたけれども、同調を示すばかりだ。次にジュリアに視線を移せば、「策士殿に同調する」だった。
「それじゃあ、わたしがとんでもない“たらし”みたいじゃあないか」
ビアンカ以外は大きく頷いたものだから、マリアがガクッとわざとらしく項垂れた。ビアンカは困ってしまい、マリアとソロモン達を交互に見つめる。
「ビアンカ、我が主が項垂れているからといって弁解なさろうと考えなくてもよろしいですよ。クリス様の場合は自業自得ですので」
「そこまで言わなくてもいいではないか」
マリアに不敵な笑みを口元に浮かべて、「間違ってはいない」とソロモンが向き直って告げた。
「我々をここまで連れてきたのは、あなたなのですよ」
マリアはゆるりと笑みを浮かべて、「そんなことない」と首を横に振る。小さな声で「わたしは頼りないから」と呟く。
「あなたのそのまっすぐな瞳に引きつけられ、我々はここにいます。あなたの瞳を見ているとどこまでも心の奥を見透かされた気がして、どうもいい気はしない」
ここまで聞いてマリアが顔をうつむかせたとき、「けれど」ソロモンが言葉を続かせた。
「この人なら今までとはまったく違う未来を見せてくれる。そんな希望に満ちた予感にかき立てられます」
マリアは驚いてソロモンを見つめると、礼をしてアイスバインと野萵苣《ラプンツェル》を挟んだカイザーゼンメルを口の中へ放り込んだ。ソロモンまでもがまねて食べる。どうやら美味しいらしく、頬を綻ばせた。
「この食べ方も美味しいですね」
「幼いとき、バルビナがこっそりそうやって食べていたのを目撃して少し分けて貰ったことがあるんだ」
うっとりとしながらマリアはカイザーゼンメルをちぎると、シュパーゲルズッペを付けて口の中へ放り込んだ。それから、食べ終える頃にアプフェルシュトゥルーデルが運ばれてきてマリア達の前へ並ぶ。
初めて見たのか。ビアンカは好奇心の色をうかべてじっとアプフェルシュトゥルーデルを見つめる。エリスが切り分けて皆に配った。恐る恐るといったようすで、ビアンカが口へ入れる。マリア達はじっと見つめて、どう反応するのか伺っていた。
「おいしい!」
笑顔を咲かせたビアンカに息をついたが、後ろの席に座っていた男が「初めて食べたのかい」と声をかけてきた。おびえてしまって縮こまりマリアの袖を掴む。どうやら、男が預けられていた宿の主人と似ているからのようだった。こんな恐怖を植え付けるなんて、宿の主人は今までどんな仕打ちをしてきたのだろうか。それは話せるようになってからで良いとして、今は怯えているビアンカを落ち着かせなければならない。
「この子は育ちが周りと少し違いまして」
ソロモンが男に話し掛ければ目線が移り、二人は何やら話し始める。マリアはずっとビアンカの手を握り締めていた。やがて男が店から去ると、ほっと息を吐き出す。
「大丈夫だよ、追ってきたりしていない。それにもし君を追って来たとしても、わたし達が守るよ」
水宝玉《アクアマリン》の瞳をマリアに向け、うっすらと涙を浮かべると次の瞬間には数滴こぼれた。
「王子様……」
袖を握る手が強められ、マリアの肩に顔を埋める。泣き顔を見られたくないのと、泣き声をひびかせるわけにはいかないから殺しているのかもしれない。空気の流れを変えるために、出来るだけ明るい声色をソロモンは紡いだ。
「さて、我々も菓子をいただくといたしましょう」
皆がアプフェルシュトゥルーデルを口に付けた。マリアとソロモンだけは口を付けずに、泣き止むのを待った。止まると策士は、ビアンカの前に菓子を置く。
「俺は甘い物があまり好きでは無いので、ビアンカが食べてください」
「いいの?」
ソロモンが頷けば、ビアンカは「ありがとうございます」とアプフェルシュトゥルーデルを頬張って笑顔を浮かべた。
「おいしい!」
笑顔を眺めながら、マリアもフォークを取ってアプフェルシュトゥルーデルを頬張れば甘い味が口の中に広がって頬を綻ばせた。
「ビアンカのいうとおり、美味しいね」
ビアンカに微笑んで見せれば、笑顔を浮かべてマリアを見上げ大きく頷くと、アプフェルシュトゥルーデルを口へ運びぺろりと平らげた。食べ終えると、ソロモンが全員分の金額27ペニヒを支払い店をあとにする。マリアはビアンカから離れて後尾を歩くソロモンに話し掛けた。
「ソロモン、少しいいだろうか」
「はい、なんでしょう」
マリアはビアンカが「アトリエ」で売られていた一番高い人形を眺めていたことを告げ、どうにかして買ってやれないだろうかと相談を仕掛ける。
「おいくらですか」
「さ、300マルク……」
にがい表情のマリアに対し、ソロモンはなんてことのない表情で真剣に考え込んでしまう。じっと眺めていれば、ビアンカがある店で足を止めてガラス越しに見える何かに目を奪われていた。マリアも一緒になって中を見てみると、可愛らしくもきらきらと輝きを放つ“筒状の物”が飾られていた。
「きれい」
呟くビアンカを見た後、「入ってみる?」と声をかければ大きく頷いたのでマリア達は店の中へ入った。どうやらここは、万華鏡《カレイドスコープ》を売っている店のようで「覗き込めばたちまち絵が変わる不思議な筒」と銘打っている文字が目に入る。
やはり、この店も人はあまり寄りつかないようだ。値段を見てみると32マルクと書かれていたから、上流階級の者しか買わないのだろう。中には82ペニヒというものもあるから、上流階級以外のものでも買えなくも無い。
ビアンカが宝石のように煌めく万華鏡を眺めて頬を紅潮させているのをマリアは見つめ、「欲しい?」と問いかけた。
「はい。……っいいえ、かまいません」
ビアンカが慌てて否定したけれど、マリアは遅いとばかりに万華鏡を買ってしまう。店員に包みに入れて貰った万華鏡をビアンカに渡せば、年相応の女の子らしく頬を紅潮させて包みを受け取り嬉しそうに頬を綻ばせる。
「ありがとうございます……」
ソロモンは、それを見て「お人形よりもこちらの方が良かったみたいですよ」と耳打ちすればマリアも笑みを浮かべて頷き「良かった」と呟いていた。
店を出て包みから万華鏡を取りだしてみれば、ビアンカが見ていた青い色の筒だった。覗き込んでみると青い色の世界が広がり、銘打たれていたとおりにころころと景色が変わっていく。
青い世界はマリアの瞳の色を連想させた。ビアンカは外の世界へ連れ出してくれた王子と共にいたいと思ってしまう。万華鏡のようにころころ変わる景色、万華鏡のようにきらきらと輝く世界を見せてくれたからこそ余計に思った。
万華鏡から目を離すとマリアを見上げて、青い金剛石の瞳をまっすぐに見つめる。
「この万華鏡、まるで王子様の瞳と同じ色。あたし、王子様のこと絶対に忘れません!」
ビアンカに言われ、マリアは照れながらも「ありがとう」と言ったときであった。クライドとレジーがマリア達の元へ来て報告してくれた。二人が言うには、会社は表向きは玩具《おもちゃ》を作る会社であったが本当は宗教団体が資金集めをするための会社であったらしい。
「その資金、一体何に使うものだったのだろうか」
マリアの呟きにソロモンが、カルセドニー国へ戻るための資金か別の何かをするための資金かと考えを述べた後、「今はそれよりも」と呟きビアンカを見つめる。ビアンカを引き取りたいと言った会社の者が宗教団体がからんでいるのだとするならば、ビアンカを渡すのは危ないという考えにマリア達は達した。
「ビアンカ、ごめんね。君を引き取りたいと言う人は見つけられそうに無い。それでね、わたしたちと一緒に来ないかな?」
マリアが手を差し伸べると、ビアンカは嬉しそうにその手を取った。
「これで王子様と一緒に居られる。王子様、あたしに恩返しをさせてください」
淑女のように手を取り微笑んだビアンカの側を、柔らかい風が吹き抜けてピナフォアのスカートとエプロンを揺らす。その風には、希望に満ちた太陽の香りが孕んでいた。
***
「王妃様、それは本当ですか」
その話を聞いたとき、バルビナは声を荒げて王妃に問いただしてしまった。
このところメイド長代理として駆け回っていたバルビナは、息つく間もなく今日になってやっと時間が出来たところに王妃に呼び出されていた。とても忙しく駆け回っていたが為に親睦会でカルセドニー国の皇子がマリアを招待したいという旨を今はじめて聞かされた次第である。何を考えているのかわからないカルセドニー国の皇子に何かされるんじゃないか、とバルビナが考えていると王妃が口を開く。
「あなたは本来ならばマリア専属のメイド。聞いていないだろうから、それだけを言いたかったのよ。忙しいときにごめんなさいね」
「いえ、とんでもございません。しかし、王妃様。マリア様の共には誰を付けるおつもりなのですか」
バルビナの問いかけに王妃は、ソロモンと守人達を付けることを答えればどこか嫌そうに顔を歪める。
「守人達はまだわかりますが、なぜあんな男を」
バルビナは隠しもせずに“あんな男”と呼ぶ。名も呼ぶのも嫌なのかと王妃は失笑しつつ、「彼がいれば安心だもの」と告げた。確かにとも思ったが、バルビナはソロモンを好ましく思っていない。そのため、彼がマリアの側に居ることがとんでもなく不愉快であった。
「バルビナ、堪えて。あなたがソロモンを好ましく思っていないのは良く理解しているつもりよ。だけどね、彼を必要としているのは他でもない“マリア自身”なのよ」
渋々とバルビナは頷いて、部屋を後にした。ちょうどエイドリアンと、ばったり出くわしてしまい溜息を吐いた。
「なんだ、人の顔を見るなり」
「申し訳ございません。少し、疲れておりまして」
「ああ、そうだったな。国王が倒れたり、他国からの来訪があったり大変だったもんな。お疲れ!」
元気よく言われれば、励まされた感じがしてバルビナは小さく微笑むと礼を告げて軽く頭を下げる。
「いいってことよ! それで王妃様に呼ばれていたようだが、何の用だったんだ」
王妃の部屋から出てきたのを見ていたらしく、問いかけてきたのでバルビナは隠す必要も無いと思いマリアがカルセドニー国へ招かれたという旨を話した。
「ああ、そのことか。みんな知っている話ではあるな」
バルビナは項垂れる。自分が知らないところで、マリアがそんなことになっているのだ。といっても、マリアもまだ戻ってきていないし、王都へ戻ってきたら本人も驚く話であろう。
「陛下は姫様をカルセドニー国へ行かせたくない様子だったが、向こうの皇子に言いくるめられてなあ」
ボリボリと頭をかきながらエイドリアンは、言って困ったような表情を浮かべる。
「こうなってしまった以上は、マリア様をカルセドニー国へ行かせるしかございません」
バルビナはあきらめたように言って息を吐いたとき、ふわりと広がるワンピースを気にした様子も無くぱたぱたとセシリーが走ってきた。バルビナとエイドリアンの姿を見つけると足を止めて、ぺこりと頭を下げた。
「エイドリアン様にバルビナ様、こんにちは!」
元気よくセシリーが言えば、二人して笑顔を浮かべて挨拶すれば何をしていたかと問いかける。材料を足しに行っていたと答えた。
「材料が足りなくなっていたので」
「そうだったのか。というか、いつも忙しないな」
笑って頭をかくと手に煤のようなものがついていたのか、触れた部分だけ黒くなってしまう。エイドリアンが指摘すると、セシリーは自らの手を見て「手を洗うの忘れていた」と呟いた。どうやら、実験を行って材料が無いことに気づき、そのままの状態で外へ出かけたようだった。
「グレンもよくお前を止めなかったな」
「グレンにはね、別の材料を採りに行って貰ってて今日はいなくて」
歯切れ悪く言いつつセシリーは項垂れてしまう。グレンという存在がどんなに大切ということか思い知った瞬間であった。次からは一緒に採取に出かけようと考えているとちょうど、グレンが戻って来て不思議そうに師を見つめた。
「こんなところで何をなさっているのですか。今日は薬の調合をすると仰っていたではございませんか」
セシリーに声をかけた後でバルビナとエイドリアンの存在に気づき、軽く二人に会釈をすれば二人もそれに応じ軽く会釈を返した。
「それがね、薬の材料が足りないことに気づいて少し採取に出かけてたの」
グレンは「そうでしたか」と呟いて何かに気づいたのか、セシリーの目から視線を外して髪にふれる。
「まったく、きれいな髪を汚して」
指で黒くなっている所を拭えば、セシリーは目を瞬かせグレンに言った。
「私の髪、くせっ毛だしすぐにはねちゃうからあまり好きじゃないけれど」
セシリーの明るい茶色の髪は、曲がっていたりなどしてまとまりには欠く。だが太陽を浴びて輝く毛は、美しいものだ。
「何を仰いますか。あなたのきれいな髪をうらやましがる女性だっているのですよ。エイドス支城の下女達は口を揃えて『美しい』と言っておりました」
ぱっと顔を上げるとグレンの真摯な瞳が目に入り、嘘では無いと感じ取れる。けれど、まだ何か言おうとするセシリーに今度はバルビナが口を開く。
「私だって、羨ましいと思っていたんですよ? そのきれいな髪」
バルビナの髪はアッシュカラーの茶髪であったので、セシリーのような髪は本当に憧れるし、羨ましいと思っていた。
「なのに、何も手入れをしないセシリーは何だかもったいない! なんでしたら、私が腕によりをかけてきれいにめかし込ませてあげましてよ」
セシリーは「仕事があるから」と断りを入れて、グレンと共に去って行ってしまう。その背を眺めていたが、二人の姿が見えなくなったところでバルビナが呟いた。
「本当に一度、思いっきりめかし込ませようかしら」
ビアンカは少しずつであるが、笑顔を向けるようになった。しかし9歳であるのに文句も我が儘も言わないから、逆に大人達が気を遣ってしまっているのはいうまでもない。
「つらくなったら、ちゃんと言うんだよ」
エリスが言っても靴擦れを起こしているのに、我慢するものだから余計だ。クレアが歩き方がおかしいことに気づいてくれなければ、ビアンカは黙ったままだっただろう。
我が儘をいう子でも困りものだが、逆に何もいわない子の方がやっかいだとソロモンは密かに思っていた。マリアも気にはかけているが、洞察力や観察力が高いわけではない。もし下手なことを言えば傷つけてしまうかもしれないから、何かを話そうとするもけっきょくは口を噤んでしまう。自分が情けないけれども、どうすればよいのかわからなかった。
そうこうしているうちに、それなりに活気づいている街へ着いた。ビアンカが初めて見る大きな街に目を輝かせていれば、マリアは手紙を開いて会社のある場所を調べようとした。それは我々の役目ですとソロモンに言われ、ビアンカと一緒に街を見て回るよういわれてしまう。マリアが困惑していると、クレアとジュリア、エリスも同行することになって残りの人たちはソロモンに連れられ会社探しとなった。
ギルもマリア達に同行するとついてきかけたが、聞き入れられずダミアンに引きずられていってしまった。
「じゃあ、ビアンカ。街を見て回ろっか」
「はい!」
マリアの言葉にビアンカは、今まで聞いたことが無いくらい元気な声で返事をして答えた。やはり、街はあまり来たことが無いからか満面の笑みを浮かべ物珍しそうにいろんな店へ目移りさせていく。その視線が、ある店で止まった。
古めかしい看板で「アトリエ」と書かれた店は、ガラス越しに覗き込めば人形がずらりと並んでいる。人形の専門店のようだ。どれも骨董品でゴシックドレスを着ていた。この店の周りだけ人がおらず、誰も寄せ付けない雰囲気を纏っている。
「この店に入ってみる?」
マリアが声をかけると、はっとなってビアンカは首を横に振った。けれども、「気になるのなら行ってみようよ」と背中を押され、店内へ入った。
店の中へ入ると閑散としており、人形ばかりがずらりと並んで人は誰一人としていない。店員もいないから、クレアが声をかけると店の奥から幸薄げな老人が出てきて、「いかがなさいましたか」問いかけた。
「こんなに立派なお人形があるのに、誰もいないのは何故ですか」
エリスに老人は、ひとつの人形を抱き上げると値段を見せた。32マルク40ペニヒと書かれており、とてもではないが民が手を出せる金額では無い。
「これはビスク・ドールでな。これを買っていくのはだいたい上級階級の貴婦人、令嬢なのだよ」
そうだったんですか、とエリスは呟く。マリアを見ればなにかに心を奪われたのか、どこかを見つめていた。主君も女の子であるし、てっきり人形が欲しいのかと視線を追うとビアンカの方が人形に心を奪われていた。
視線の先にある人形もまた赤いゴシックドレスを着ていたが、他の人形よりもうんと派手に着飾られ細かな装飾が美しい。
「ああ、それはこの店で一番、高いんだ。300マルクだよ」
あまりの金額にエリスは驚いてしまう。上流階級の年収が20万マルクであるから、そんなものかもしれない。そんなふうに思っていると、マリアが「欲しいの?」問いかけた。やはりと言うべきか、ビアンカは首を横に振って拒絶する。
「いえ、こうして見ているだけで十分です」
遠慮しなくていいと告げたが、ビアンカは首を横に振り「別の店へ行きましょう」と促されれば店を後にした。しかし、先ほどの人形が気になるらしく、ちらちらと店の方向を見つめる。どうにかして買ってやれないかと考えていると、お腹が鳴る。お昼だと思い出して、マリア達は近くのカフェで昼食を取ることにした。
豚肉を玉葱やセロリなどの香味野菜や、クローブなどの香辛料と共に数時間煮込んで作られたアイスバイン。白アスパラガスを裏ごしした、濃厚なクリームスープであるシュパーゲルズッペ。それから、王冠のような形をしたパンのカイザーゼンメルを注文した後、薄くのばした生地でリンゴを包んで焼いたアプフェルシュトゥルーデルを頼んだ。
料理が運ばれてくれば、ビアンカが食べたことのないものばかりなのか。目をかがやかせて、ぱくぱくと食べていく。美味しそうに食べるビアンカの笑みにつられてマリアが笑みを浮かべると、店内にソロモン達も入ってきて「ここにおられたのですか」と隣に座ってソロモンが問いかけてくる。
「ところで会社は見つかったのか」
「それが見当たらないのです」
マリアの問いかけにソロモンは、首を振った。その間に店員が来たので適当に食事を注文し終えると、手紙にあった住所へ赴いたら建物だけがあり、警察に確認を取ると数ヶ月ほど前まで確かに会社はあったが倒産していたことを告げた。
「それだけなら、良いのですが手紙にあった会社名と警察から聞いた会社名が違いまして」
マリアは眉を寄せて考え込む。果たして自分が勤めている会社の名前を間違えるだろうかと考えていると、ソロモンがクライドとレジーに会社について調べてきて欲しいと頼む。二人は頷くと、運ばれてきた食事を早々に終えて店をあとにする。
とりあえずは、二人に任せて我々はゆっくり街を散策しようとソロモンはゆったり食事を始めた。ビアンカは少し驚いたのか、まねようとしているがうまくいかない。
きちんとした食事も与えて貰っていなかったようであったし、貰えても早く食べないといけなかったのかもしれない。誰かにせかされているわけでもないが、ビアンカの食べるペースは速い。
「ビアンカ、慣れないことはしなくてもかまわないよ」
マリアが声をかけると、ビアンカは手の中にあるちぎったパンを見つめて言葉を紡ぐ。
「あたしに食事の仕方を教えては下さいませんか」
妙なところはないと伝えたが、納得していない表情のままである。
「本当に変なところなんてないよ。ただ、もう少しゆっくり食べた方が体にもいいと思うな」
ビアンカはパンをちぎっては、皿に残っているスープを付けて食べる。ごくんと飲み込む度にこちらの様子を伺うから、食べた気がしないんじゃないかと思うけれども笑顔でうなづいてみせた。笑みを浮かべて嬉しそうにするものだから、少し困りながらもマリアはアイスバインを野萵苣《ラプンツェル》と巻いて指で穴を開けたカイザーゼンメルにはさんで口へ放り込む。城でそんな食べ方をすれば怒られるだろうが、こうやって食べるのが好きだった。
ビアンカは真似すると、美味しそうに頬を綻ばせる。
「クリス様、そのようなはしたない食べ方。城では絶対にしてはいけませんよ」
ソロモンに釘を刺されてしまって、「わかってる」と答えつつ頬張る。真似をしてしまったビアンカも怒られた気がして、小さく縮こまってしまう。マリアは、まったく気にもしていないが。
「大丈夫だよ、どんな食べ方したってここでは怒られないんだから」
「クリス様は自重してください」
マリアは息をつまらせる。ビアンカはうつむいてると思えば、声を上げて笑った。守人達も驚いたが、つられて小さく笑う。
「ビアンカは笑顔が一番、似合うね」
マリアが何気ない言葉に、ビアンカが恥ずかげにうつむいてしまった。ギルはニヤニヤと笑みを浮かべて、「天然たらし」と一言。
「え!」
「だって、そうでしょう。天然でそんな女性を口説くようなことを言うなんて、いつの間に身につけたんですかあ。クリス様」
ソロモンまでも面白がって、「我が主ですから」と言うものだから、マリアは皆の顔を見回してしまう。視線を止め、助けを求めてエリスを見たけれど、目をそらされてしまう始末であった。
「違うだろう、ギル。クリス様は、男だろうが女だろうが口説くのだから」
それもそうかとギルはつぶやき、エリスはうなづいていた。ますます困ってしまって、マリアがクレアに視線を投げれば苦笑いを浮かべられてしまう。ダミアンの方を向いたけれども、同調を示すばかりだ。次にジュリアに視線を移せば、「策士殿に同調する」だった。
「それじゃあ、わたしがとんでもない“たらし”みたいじゃあないか」
ビアンカ以外は大きく頷いたものだから、マリアがガクッとわざとらしく項垂れた。ビアンカは困ってしまい、マリアとソロモン達を交互に見つめる。
「ビアンカ、我が主が項垂れているからといって弁解なさろうと考えなくてもよろしいですよ。クリス様の場合は自業自得ですので」
「そこまで言わなくてもいいではないか」
マリアに不敵な笑みを口元に浮かべて、「間違ってはいない」とソロモンが向き直って告げた。
「我々をここまで連れてきたのは、あなたなのですよ」
マリアはゆるりと笑みを浮かべて、「そんなことない」と首を横に振る。小さな声で「わたしは頼りないから」と呟く。
「あなたのそのまっすぐな瞳に引きつけられ、我々はここにいます。あなたの瞳を見ているとどこまでも心の奥を見透かされた気がして、どうもいい気はしない」
ここまで聞いてマリアが顔をうつむかせたとき、「けれど」ソロモンが言葉を続かせた。
「この人なら今までとはまったく違う未来を見せてくれる。そんな希望に満ちた予感にかき立てられます」
マリアは驚いてソロモンを見つめると、礼をしてアイスバインと野萵苣《ラプンツェル》を挟んだカイザーゼンメルを口の中へ放り込んだ。ソロモンまでもがまねて食べる。どうやら美味しいらしく、頬を綻ばせた。
「この食べ方も美味しいですね」
「幼いとき、バルビナがこっそりそうやって食べていたのを目撃して少し分けて貰ったことがあるんだ」
うっとりとしながらマリアはカイザーゼンメルをちぎると、シュパーゲルズッペを付けて口の中へ放り込んだ。それから、食べ終える頃にアプフェルシュトゥルーデルが運ばれてきてマリア達の前へ並ぶ。
初めて見たのか。ビアンカは好奇心の色をうかべてじっとアプフェルシュトゥルーデルを見つめる。エリスが切り分けて皆に配った。恐る恐るといったようすで、ビアンカが口へ入れる。マリア達はじっと見つめて、どう反応するのか伺っていた。
「おいしい!」
笑顔を咲かせたビアンカに息をついたが、後ろの席に座っていた男が「初めて食べたのかい」と声をかけてきた。おびえてしまって縮こまりマリアの袖を掴む。どうやら、男が預けられていた宿の主人と似ているからのようだった。こんな恐怖を植え付けるなんて、宿の主人は今までどんな仕打ちをしてきたのだろうか。それは話せるようになってからで良いとして、今は怯えているビアンカを落ち着かせなければならない。
「この子は育ちが周りと少し違いまして」
ソロモンが男に話し掛ければ目線が移り、二人は何やら話し始める。マリアはずっとビアンカの手を握り締めていた。やがて男が店から去ると、ほっと息を吐き出す。
「大丈夫だよ、追ってきたりしていない。それにもし君を追って来たとしても、わたし達が守るよ」
水宝玉《アクアマリン》の瞳をマリアに向け、うっすらと涙を浮かべると次の瞬間には数滴こぼれた。
「王子様……」
袖を握る手が強められ、マリアの肩に顔を埋める。泣き顔を見られたくないのと、泣き声をひびかせるわけにはいかないから殺しているのかもしれない。空気の流れを変えるために、出来るだけ明るい声色をソロモンは紡いだ。
「さて、我々も菓子をいただくといたしましょう」
皆がアプフェルシュトゥルーデルを口に付けた。マリアとソロモンだけは口を付けずに、泣き止むのを待った。止まると策士は、ビアンカの前に菓子を置く。
「俺は甘い物があまり好きでは無いので、ビアンカが食べてください」
「いいの?」
ソロモンが頷けば、ビアンカは「ありがとうございます」とアプフェルシュトゥルーデルを頬張って笑顔を浮かべた。
「おいしい!」
笑顔を眺めながら、マリアもフォークを取ってアプフェルシュトゥルーデルを頬張れば甘い味が口の中に広がって頬を綻ばせた。
「ビアンカのいうとおり、美味しいね」
ビアンカに微笑んで見せれば、笑顔を浮かべてマリアを見上げ大きく頷くと、アプフェルシュトゥルーデルを口へ運びぺろりと平らげた。食べ終えると、ソロモンが全員分の金額27ペニヒを支払い店をあとにする。マリアはビアンカから離れて後尾を歩くソロモンに話し掛けた。
「ソロモン、少しいいだろうか」
「はい、なんでしょう」
マリアはビアンカが「アトリエ」で売られていた一番高い人形を眺めていたことを告げ、どうにかして買ってやれないだろうかと相談を仕掛ける。
「おいくらですか」
「さ、300マルク……」
にがい表情のマリアに対し、ソロモンはなんてことのない表情で真剣に考え込んでしまう。じっと眺めていれば、ビアンカがある店で足を止めてガラス越しに見える何かに目を奪われていた。マリアも一緒になって中を見てみると、可愛らしくもきらきらと輝きを放つ“筒状の物”が飾られていた。
「きれい」
呟くビアンカを見た後、「入ってみる?」と声をかければ大きく頷いたのでマリア達は店の中へ入った。どうやらここは、万華鏡《カレイドスコープ》を売っている店のようで「覗き込めばたちまち絵が変わる不思議な筒」と銘打っている文字が目に入る。
やはり、この店も人はあまり寄りつかないようだ。値段を見てみると32マルクと書かれていたから、上流階級の者しか買わないのだろう。中には82ペニヒというものもあるから、上流階級以外のものでも買えなくも無い。
ビアンカが宝石のように煌めく万華鏡を眺めて頬を紅潮させているのをマリアは見つめ、「欲しい?」と問いかけた。
「はい。……っいいえ、かまいません」
ビアンカが慌てて否定したけれど、マリアは遅いとばかりに万華鏡を買ってしまう。店員に包みに入れて貰った万華鏡をビアンカに渡せば、年相応の女の子らしく頬を紅潮させて包みを受け取り嬉しそうに頬を綻ばせる。
「ありがとうございます……」
ソロモンは、それを見て「お人形よりもこちらの方が良かったみたいですよ」と耳打ちすればマリアも笑みを浮かべて頷き「良かった」と呟いていた。
店を出て包みから万華鏡を取りだしてみれば、ビアンカが見ていた青い色の筒だった。覗き込んでみると青い色の世界が広がり、銘打たれていたとおりにころころと景色が変わっていく。
青い世界はマリアの瞳の色を連想させた。ビアンカは外の世界へ連れ出してくれた王子と共にいたいと思ってしまう。万華鏡のようにころころ変わる景色、万華鏡のようにきらきらと輝く世界を見せてくれたからこそ余計に思った。
万華鏡から目を離すとマリアを見上げて、青い金剛石の瞳をまっすぐに見つめる。
「この万華鏡、まるで王子様の瞳と同じ色。あたし、王子様のこと絶対に忘れません!」
ビアンカに言われ、マリアは照れながらも「ありがとう」と言ったときであった。クライドとレジーがマリア達の元へ来て報告してくれた。二人が言うには、会社は表向きは玩具《おもちゃ》を作る会社であったが本当は宗教団体が資金集めをするための会社であったらしい。
「その資金、一体何に使うものだったのだろうか」
マリアの呟きにソロモンが、カルセドニー国へ戻るための資金か別の何かをするための資金かと考えを述べた後、「今はそれよりも」と呟きビアンカを見つめる。ビアンカを引き取りたいと言った会社の者が宗教団体がからんでいるのだとするならば、ビアンカを渡すのは危ないという考えにマリア達は達した。
「ビアンカ、ごめんね。君を引き取りたいと言う人は見つけられそうに無い。それでね、わたしたちと一緒に来ないかな?」
マリアが手を差し伸べると、ビアンカは嬉しそうにその手を取った。
「これで王子様と一緒に居られる。王子様、あたしに恩返しをさせてください」
淑女のように手を取り微笑んだビアンカの側を、柔らかい風が吹き抜けてピナフォアのスカートとエプロンを揺らす。その風には、希望に満ちた太陽の香りが孕んでいた。
***
「王妃様、それは本当ですか」
その話を聞いたとき、バルビナは声を荒げて王妃に問いただしてしまった。
このところメイド長代理として駆け回っていたバルビナは、息つく間もなく今日になってやっと時間が出来たところに王妃に呼び出されていた。とても忙しく駆け回っていたが為に親睦会でカルセドニー国の皇子がマリアを招待したいという旨を今はじめて聞かされた次第である。何を考えているのかわからないカルセドニー国の皇子に何かされるんじゃないか、とバルビナが考えていると王妃が口を開く。
「あなたは本来ならばマリア専属のメイド。聞いていないだろうから、それだけを言いたかったのよ。忙しいときにごめんなさいね」
「いえ、とんでもございません。しかし、王妃様。マリア様の共には誰を付けるおつもりなのですか」
バルビナの問いかけに王妃は、ソロモンと守人達を付けることを答えればどこか嫌そうに顔を歪める。
「守人達はまだわかりますが、なぜあんな男を」
バルビナは隠しもせずに“あんな男”と呼ぶ。名も呼ぶのも嫌なのかと王妃は失笑しつつ、「彼がいれば安心だもの」と告げた。確かにとも思ったが、バルビナはソロモンを好ましく思っていない。そのため、彼がマリアの側に居ることがとんでもなく不愉快であった。
「バルビナ、堪えて。あなたがソロモンを好ましく思っていないのは良く理解しているつもりよ。だけどね、彼を必要としているのは他でもない“マリア自身”なのよ」
渋々とバルビナは頷いて、部屋を後にした。ちょうどエイドリアンと、ばったり出くわしてしまい溜息を吐いた。
「なんだ、人の顔を見るなり」
「申し訳ございません。少し、疲れておりまして」
「ああ、そうだったな。国王が倒れたり、他国からの来訪があったり大変だったもんな。お疲れ!」
元気よく言われれば、励まされた感じがしてバルビナは小さく微笑むと礼を告げて軽く頭を下げる。
「いいってことよ! それで王妃様に呼ばれていたようだが、何の用だったんだ」
王妃の部屋から出てきたのを見ていたらしく、問いかけてきたのでバルビナは隠す必要も無いと思いマリアがカルセドニー国へ招かれたという旨を話した。
「ああ、そのことか。みんな知っている話ではあるな」
バルビナは項垂れる。自分が知らないところで、マリアがそんなことになっているのだ。といっても、マリアもまだ戻ってきていないし、王都へ戻ってきたら本人も驚く話であろう。
「陛下は姫様をカルセドニー国へ行かせたくない様子だったが、向こうの皇子に言いくるめられてなあ」
ボリボリと頭をかきながらエイドリアンは、言って困ったような表情を浮かべる。
「こうなってしまった以上は、マリア様をカルセドニー国へ行かせるしかございません」
バルビナはあきらめたように言って息を吐いたとき、ふわりと広がるワンピースを気にした様子も無くぱたぱたとセシリーが走ってきた。バルビナとエイドリアンの姿を見つけると足を止めて、ぺこりと頭を下げた。
「エイドリアン様にバルビナ様、こんにちは!」
元気よくセシリーが言えば、二人して笑顔を浮かべて挨拶すれば何をしていたかと問いかける。材料を足しに行っていたと答えた。
「材料が足りなくなっていたので」
「そうだったのか。というか、いつも忙しないな」
笑って頭をかくと手に煤のようなものがついていたのか、触れた部分だけ黒くなってしまう。エイドリアンが指摘すると、セシリーは自らの手を見て「手を洗うの忘れていた」と呟いた。どうやら、実験を行って材料が無いことに気づき、そのままの状態で外へ出かけたようだった。
「グレンもよくお前を止めなかったな」
「グレンにはね、別の材料を採りに行って貰ってて今日はいなくて」
歯切れ悪く言いつつセシリーは項垂れてしまう。グレンという存在がどんなに大切ということか思い知った瞬間であった。次からは一緒に採取に出かけようと考えているとちょうど、グレンが戻って来て不思議そうに師を見つめた。
「こんなところで何をなさっているのですか。今日は薬の調合をすると仰っていたではございませんか」
セシリーに声をかけた後でバルビナとエイドリアンの存在に気づき、軽く二人に会釈をすれば二人もそれに応じ軽く会釈を返した。
「それがね、薬の材料が足りないことに気づいて少し採取に出かけてたの」
グレンは「そうでしたか」と呟いて何かに気づいたのか、セシリーの目から視線を外して髪にふれる。
「まったく、きれいな髪を汚して」
指で黒くなっている所を拭えば、セシリーは目を瞬かせグレンに言った。
「私の髪、くせっ毛だしすぐにはねちゃうからあまり好きじゃないけれど」
セシリーの明るい茶色の髪は、曲がっていたりなどしてまとまりには欠く。だが太陽を浴びて輝く毛は、美しいものだ。
「何を仰いますか。あなたのきれいな髪をうらやましがる女性だっているのですよ。エイドス支城の下女達は口を揃えて『美しい』と言っておりました」
ぱっと顔を上げるとグレンの真摯な瞳が目に入り、嘘では無いと感じ取れる。けれど、まだ何か言おうとするセシリーに今度はバルビナが口を開く。
「私だって、羨ましいと思っていたんですよ? そのきれいな髪」
バルビナの髪はアッシュカラーの茶髪であったので、セシリーのような髪は本当に憧れるし、羨ましいと思っていた。
「なのに、何も手入れをしないセシリーは何だかもったいない! なんでしたら、私が腕によりをかけてきれいにめかし込ませてあげましてよ」
セシリーは「仕事があるから」と断りを入れて、グレンと共に去って行ってしまう。その背を眺めていたが、二人の姿が見えなくなったところでバルビナが呟いた。
「本当に一度、思いっきりめかし込ませようかしら」
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