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第一部 はじまりの物語

第二十六章 迸る

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 応接間にマリア達は行けば、そこにはバルナバスがすでにおり机の上に古びた地図を広げていた。どうやら、ソロモンが頼んでいたものらしくバルナバスにお礼を言っていた。

「さて、王子。これからわたくしのはかりごとを聞いてはいただけませんか」

 神妙な面持ちでマリアが頷くとソロモンは、あっさりとした答えを提示してきた。

「一気に攻め入り、落とし込みます。今ならばそれが可能です」

 奇策でもあるのかと考えていたマリアは思わずポカンとしてしまう。けれど、ソロモンは至って真面目にそう答えていた。

「驚きましたか」

「ああ、もっと奇策を言うのかと」

 すると、ソロモンは小さく笑ってから策士はいかに相手をだまし、勝利を勝ち取るかを考えるのであって物語のような皆が驚くような奇策などそうそう無いのだと告げた。
 マリアは恥ずかしそうに思わず頬を染めてしまう。わかりやすいマリアにソロモンが、微笑みを浮かべてみせた。

「一気に攻め落とす方が今はいいのですよ。もちろん、戦場へ出ればその時その時の策が必要となることでしょう」

 マリアは頷いてみせる。それでは、と言葉を紡いでからソロモンが皆を見回して告げた。

「エイドス支城は明日の正午に出発する予定ですので我々はそれより少し後に出発いたしましょう。中間地点である、ここで落ち合います」

 告げてソロモンは地図のエイドスとシプリンの直線上で交わる点をさした。ザンサイトはどうなのか、とギルが問いかけるとソロモンは「ああ」と呟いて答えた。

「ザンサイトはここよりずいぶん遠い北方だ。つまり王都へ直接向かった方が早い。ザンサイトには今日から王都へ向かってもらうように頼んである」

 用意周到なソロモンに思わずマリアが嘆息する。やがて、具体的になってきた出陣に手が震えて始めていた。それを必死にマリアが押さえ込む。

(わたしは、王子なのだから)

 心の中で言い聞かせるけれど、震えが止まらない。確かにマリアは弓や剣を教えてもらい、ある程度は扱うことは可能だ。だが、戦となれば話は別で人を殺めなければならない。それにマリアは戦へ出たことはないのだ。当然と言えば当然の反応ではある。
 マリアの様子にソロモンが気づいてほんわりと笑みを浮かべた。

「ご心配なさらずとも、あなた様が武器を取ることはございません。主であるあなた様は本陣でいてくださればよろしい」

 マリアがぱっと顔を上げる。そして、自らの手を小さくはたくとソロモンを真っ直ぐに見つめていった。

「いや、駄目だ。皆が命をかけて戦っているのにわたしだけが安全な場所にいるわけには行かぬ」

「あなた様は主です。あなたがいなくては軍はなりたちません。わかりますよね?」

 言われればマリアも答えられず小さく頷いた。青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳がどこか陰って見える。そんなマリアの後ろでレイヴァンは何か言いたそうな顔をしているが、何も言えず口を噤んだ。

「さて、我々も明日にはここを発ちます。王子は何も心配せず、堂々としていて下さい。でなければ、兵の不安を煽るばかりで不信感しか抱かれませんよ」

「うん、わかった」

 マリアが素直にソロモンの言葉に頷けば、ソロモンは言葉を紡いだ。

「では、今日はもう休んでください。明日の準備は我々がいたしますから」

「うん」

 答えるとマリアは部屋を出て行く。小さなマリアの背が、さらに小さく見えてレイヴァンはやはり不安そうに見つめていた。

「レイヴァン、お前はここに残ってくれ。今すぐにでも王子の元へ参りたいだろうが。エリス、王子についていてくれ」

「はい」

 エリスが答えて部屋を出て行くと、しばし部屋に静寂が満ちる。そんな静寂をソロモンが破った。

「レイヴァン、お前は兵からの人望が厚い。お前には指揮を任せるがいいか」

「ああ、もとよりそのつもりだ。だが、騎士長はそれで納得するのだろうか」

 言ってバルナバスの方を見るとバルナバスがこくこくと頷いてみせる。

「大丈夫でございますよ、レイヴァン殿。騎士長にも今の話は伝えております」

 そうか、と呟いてレイヴァンは少し考えるようにうつむいた。
 この地にずっといる騎士長の方が明らかにレイヴァンよりも年上であるし、その土地のことを詳しかったりするので騎士長を指揮に立てた方が良いのではないだろうかとレイヴァンは思っていた。
 いくらレイヴァンの方が身分は高くとも、その土地にずっといる者としてのプライドがやはりあるだろう。けれど、地主であるバルナバスが言うのなら大丈夫なのだろう。

「実を申しますと1年ほど前に騎士長を勤めていた者が亡くなりましてね、新しい騎士が騎士長に就いたのですがあまり兵をまとめられていないのでレイヴァン殿が指揮してくれる方が嬉しいのです」

 そうでしたか、とレイヴァンは答えた後でそれでこの軍は大丈夫なのだろうかと疑問を浮かべる。けれど、考えたところで仕方ないので軍を指揮することにした。それから、ソロモンが武器などの準備はバルナバス殿に任せてあると言ってから解散した。すると、皆は部屋を出て行く。レイヴァンもマリアの元へ向かうために部屋を出た。
 階段を上りマリアの部屋の前まで行くと、扉をノックする。すると、中から返事がしたかと思えばエリスが扉を開けて中へ通してくれた。
 中へ踏み込むとマリアは何やら思い詰めたような表情をして椅子に座り本を開いていた。けれど、開いた本には目を通していないようで遠いどこかを見つめている。そんなマリアにレイヴァンがそっと近寄る。

「心配ですか」

「ああ、わたしは皆の足を引っ張ってしまうばかりで何も出来ない」

 思い詰めたような声がレイヴァンの耳に届いた。レイヴァンはスッとマリアに跪いて頭を垂れる。

「あなた様はそこにいてくれるだけでよいのです。それだけで我々は救われるのですから」

「ありがとう。だけど、レイヴァン。どうかわたしをこれからも鍛えて欲しい。このままじゃ、わたし自身が皆に申し訳がないから」

 もちろん、と答えてレイヴァンが見上げれば、マリアは立ち上がり微笑みを浮かべる。

「レイヴァン、これから激しい戦いになると思うけれど。無茶だけはしないで欲しい。お前だけは失いたくない」

 正直なマリアの言葉が、すうとレイヴァンの心に満ちていく。それは暖かな温もりを纏って溶けていった。

「はい、俺もあなた様のお側を離れるわけにも参りませんから。あなたが俺を必要としてくれる間はお側にいます」

「ありがとう、わたしの我が儘を聞いてくれて」

 目に僅かに涙が浮かんでいた。レイヴァンを縛り付けていることに後ろめたさと側にいてくれるうれしさを感じているからかも知れない。けれど、レイヴァンとてマリアの側を離れたくはないのだから二人の利害は一致しているとも言える。
 そんな二人を空気を感じ取りつつエリスは心の中で思ってしまう。

(本当にこの二人には敵わない)

 どんなにマリアの周りに人が集まってきても、マリアがレイヴァンに対する特別な感情は変わらない。それはおそらく、これから先も変わらないだろう。

(どこか寂しいと思うとは……)

 慣れたことではあるけれど、やはりマリアとレイヴァンの間には割り込めない空気がある。それがエリスはどうしようもなく寂しく感じてしまうのだ。それは嫉妬からくるものなのかどうかすらエリスにはわからない。
 マリアの側でエリスがそんな風に考えていると、ふとマリアがエリスの方を向いた。

「エリスもどうか、無茶はしないでくれ。わたしを守るために誰かが傷つくのはつらいんだ」

 マリアはエリスの手をとった。その指先は氷のように冷たくてエリスの保護欲をかき立てる。けれど、それを何とか押し殺してマリアに笑顔を浮かべて見せた。

「大丈夫ですよ、僕は。守人ですから体は丈夫です」

 すると、マリアがゆるりと首を横に振る。薄い金の髪が左右に揺れた。

「そういうことじゃないよ。丈夫であったとしても、わたしは誰かがケガを負えば悲しいもの」

 マリアの言葉がエリスの心に溶けていく。エリスは「ああ」と心の中だけで感嘆の息を漏らしてスッとマリアに跪く。

「『我らが王』の願いとあらば」

 青い金剛石の瞳が悲しみを宿してエリスを見つめる。

「ううん、違うよ。エリス、『我らが王』の願いなんかじゃない。これはわたし個人の願いなんだよ」

 首を振ってマリアがそう言えばエリスが驚いたように顔を上げてまじまじとマリアを見つめてから、小さく微笑んだ。

「はい、王子」

 凛としてマリアが頷けばエリスは、すくっと立ち上がった。それから、真っ直ぐにマリアを見つめて頷き返す。
 それを眺めてからレイヴァンは小さく微笑んでマリアにまだすべきことがあるからと部屋を後にした。それから、馬小屋へ向かうと馬の毛並みを整えて牧草を与えてやる。そんな風に馬の世話をしていると馬小屋へソロモンが入ってきた。

「忙しないな」

「なんだ、お前か」

「なんだとは何だ。せっかく、心配して来てやったのに」

 どうやら窓からレイヴァンの姿が見えて、わざわざ来てくれたらしい。けれどレイヴァンの眉間にはわずかに皺が寄っている。不機嫌そうだ。

「ずいぶんと落ち着きがないようだが」

 ソロモンに問われ、レイヴァンは思わずどきりとする。それから、ますます不機嫌になって顔を歪めてしまう。心を見透かされた気がしていい気がしないのかも知れない。

「マリア様が誰かに好かれることは臣下として喜ぶべきことかもしれぬ。けれど」

 ぽつりと漏らしたレイヴァンの言葉にソロモンが納得するように頷いて見せた。どうやらエリスがレイヴァンの機嫌を損ねるようなことをしたらしい。おそらくはマリアがエリスに対して何か言ったのだろうが。
 少し触れただけでも嫉妬してしまうような男なのだ。触れていなくとも、嫉妬してしまうのだろう。手に取るようにその景色が浮かび上がってしまう。

「レイヴァン、前にも言ったが――」

「わかっている、マリア様を縛るようなことはしないつもりだ」

 そう答えながら、レイヴァンは馬の毛並みを整え始める。すでにきれいになっているのだから、それ以上整えなくても良いだろう。それでも整えているのはおそらく何かしていないと落ち着かないのだろうが。

「いいかげん、手を止めなければ馬に嫌われてしまうぞ」

 ソロモンの言葉にハッとして、レイヴァンが手を止めれば馬がどこか機嫌が悪そうだ。顔を歪めるとレイヴァンは片付けを始める。

「そんなに落ち着かぬなら、俺の部屋へ来るか? 話ぐらいなら聞いてやってもよいぞ」

 ソロモンが言ったとき、ギルが馬小屋へ駆け込んできた。あまりに勢いが凄まじいものだからレイヴァンとソロモンは二人して驚いてしまう。

「どうかしたのか」

 ソロモンが問いかければ、ギルが息を大きく吐き出してからクレアを撒いていたことを告げる。

「何だって、クレアを撒くんだ? ずいぶんと好かれていて良いではないか」

 何気なくレイヴァンが問うと、ギルが眉を僅かに潜める。

「わかってないねえ、女の子のいる店に行くのにクレアがいたら困るだろう」

 レイヴァンは呆れたように目を細めてギルを見つめた。

「クレアに好かれていながら、よくそんな店に行けるな」

 レイヴァンの言葉にギルは、肩をすくめて見せて口角を上げた。それを見てレイヴァンはやはり呆れたような表情をするのだった。

「俺はあんたみたいに一人の人間につくせないんでね。そうだ、レイヴァン。お前が一緒ならクレアも悪く言わないだろう、お前も一緒に」

「断る」

 短くレイヴァンが拒絶の言葉を口にすればギルはやれやれとでもいうように首を振った。 それから、レイヴァンに近寄ったと思ったら下からのぞき込むように顔を見上げる。

「ガマンしてるくせに」

 レイヴァンが僅かに息を飲めば、ギルが意地悪くにやりと笑う。それを見てソロモンが呆れたように首を振った。

「おい、レイヴァン。ギルのやすい挑発に乗るな。それから、明日にはここを発つんだぞ。遊んでいる暇などない」

 ソロモンの言葉にギルが舌打ちし、レイヴァンは我に返って口を噤んだ。それから、ギルは仕方なくといった様子で馬小屋を出ると外でクレアの小言が扉越しに聞こえてきた。レイヴァンはしばらくぼんやりとそれを聞いているとソロモンが肩を叩く。

「お前が飢えていることもわかっているつもりではあるが。俺だって、ガマンしているんだぞ」

 拗ねて言うソロモンが何だか可笑しくてレイヴァンが小さく笑う。すると、ソロモンは息を吐き出して口角を上げた。

「部屋に来るのか来ないのか」

「行かせてくれ」

 それから二人は、馬小屋を出て支城のソロモンの部屋へ向かう。その途中、少し遠くから風を切る矢の音が聞こえてきた。そのことに驚いて音のする方へ向かうと弓の練習場でマリアが弓を射っていた。そのとなりには、エリスとクライドも一緒だ。
 マリアがギ、と引いて矢を放てばそれは霞的の中心より少しずれて当たった。霞的に当てられるようになったのを見てレイヴァンは少なからずマリアを誇りに思うと共に尊敬にも似た念を抱いた。
 柔らかく微笑んだレイヴァンを横目で眺めてソロモンが小さく笑う。

(恋情が尊敬に変わることもあるんだろうか)

 否、恋情の中に尊敬が含まれているのだろうとソロモンは思う。弓を引くマリアは、こちらには気づいていない様子で弓をまたかまえた。次に矢を空に放てばそれは霞的の中心へ的中する。
 思わずレイヴァンとソロモンが声を漏らした。そのとき、ふとマリアの青い瞳がレイヴァンとソロモンの方へ向いた。
 思わずどきりとする二人にマリアが笑みを浮かべて駆け寄る。

「レイヴァン、ソロモン!」

「マリア様、また俺のいないところで稽古をなさっていたのですか」

 苦笑いを浮かべてレイヴァンが問いかけるとマリアは少し困ったように微笑んだ。

「すまぬ。だけど、じっとしていられなくて」

 レイヴァンが笑みを浮かべれば、マリアがほっとしたように表情を和らげる。

「仕方ありませんね。マリア様、俺もおつきあいいたします」

 レイヴァンが言ったが、ソロモンが小さく息を吐いて言葉を口にした。

「だが、もうすぐ日も暮れるぞ」

 言われ空を見上げると太陽は傾き赤い色を放っていた。それに驚いてマリアは顔を上げて言葉を発する。

「もうこんな時間か。では、今日はもう部屋へ戻るよ」

「俺が送ります」

 レイヴァンの言葉をマリアはやんわりと断る。レイヴァンは軍を率いるのだから体をゆっくり休めてくれとのことだった。ソロモンもそれに賛成し、食い下がろうとするレイヴァンをうまく言いくるめて自分の部屋へ招いた。
 部屋へ着くとソロモンが葡萄酒を取りだした。

「この前はろくに飲めなかったからな」

「だが、明日にはここを出るのに」

「少しくらいかまわないだろう。それに飲みたい気分なのだ」

 レイヴァンも飲みたかったので承諾することにする。そのとき、窓からは赤い光もついには消えて辺りを闇が包み込んだ。
 注がれた葡萄酒を煽りながら二人はしばし談笑を始めていた。


 一方、エリスとクライドに部屋へ送ってもらったマリアは落ち着かずに本を開いては閉じてを繰り返していた。落ち着かないらしい。そんなマリアを見かねてエリスが口を開こうとしたけれど、扉のノックの音が響き仕方なく扉を開ける。すると、そこにはドミニクがいた。

「ドミニク殿、どうかなさいましたか」

 エリスが問うたけれど、無視されて王子はいるかと問いかける。むっとしつつもエリスがマリアの方を向くとマリアがはっとして椅子から立ち上がり扉に近寄った。

「どうかしましたか」

 マリアが問いかけるとドミニクはどこか厳つい表情でマリアを見つめていた。

「なぜ、どこの骨とも知れぬ人間をお側に置くのですか。我はいつでもあなた様をお守りするため参上いたしますのに」

 ドミニクの言葉にマリアが思わずぱちくりさせてしまう。それから、小さく微笑んで見せた。

「彼らはわたしについてきてくれた仲間達だ。もちろん、お主達もすでに大切なわたしの仲間だ。ただ、皆は心配性なだけなんだ」

「ですが」

「もちろん、お主がわたしの護衛についてもかまわないがお主は次期地主となる者だろう。そんな時間は無いのではないか?」

 マリアが優しく問いかければドミニクは何も言い出せなくなり、口を噤んだ。

「お主の気持ちだけで十分だよ、ありがとう」

 マリアはそう言えばドミニクは大人しく引き下がりどこかへ足を向けて歩き出した。その背をマリアがじっと眺めているとエリスがマリアに問いかける。

「どうかなされたのですか」

「ただ、空しいと思っただけだよ」

「空しい?」

「ああ。あの者からすればわたしはただの王族の血を引く子。そんなたかだか小娘の気を引こうとするなんて空しいと思っただけ」

 寂しげに呟いたマリアの言葉にエリスが僅かに顔を伏せる。刹那、今の今までじっとしていたクライドがうめき声を上げた。

「クライド、どうかしたの?」

 慌てた様子でマリアが駆け寄って問いかけるとクライドはうつろな目でマリアを見つめ返して薄く開いた唇から言葉を紡ぎ出した。

「我らが王は嘆いた
 国を統治しても争うことを止めぬ者らを
 自らがどんなに傷ついても守ろうとする王を
 彼らは知らぬまま この世を去った」

 マリアはその言葉に戦慄を覚えた。それから、クライドに問いかけた。

「“闇”の声なのか」

 こくりとうなづいてクライドはマリアに跪いて頭を垂れた。

「先ほどの人間のような者は何も見えてはおりません。ただ主に認めてもらいたくて、時折無鉄砲なことをなさいます。どうか、気にとめてやってくださいませ。いつか、あなた様のお心が彼に通じますように」

 うん、とマリアが力強く頷いてクライドの手と自らの手を重ね合わせた。すると、暖かな温もりが伝わってくる。

「お主もいつかわたしに何でも話せるようになってくれると嬉しいかな」

 マリアの言葉がクライドの心のトゲを溶かして冷め切っていた心に光が射した。
 クライドの頬を暖かな涙が伝ったが、当の本人はなぜ涙が流れるのかわからなかった。ただマリアの言葉に温もりに触れて何か心が温かくなっていくのを感じていた。

「はい!」



 翌日、夕刻が近づいてから馬と荷の用意が完了してマリア達はシプリン支城を旅立った。
 ここへ来たときよりも多くの人数がマリアの仲間になっている。
 歩兵約数万人、騎馬兵約数千人がそこにいた。もちろん、軍の先頭にはレイヴァンがスタールビーの宝石を胸に付けて佇んでいる。そのとなりにはソロモンにギル、レジーがいて救護班の方にクレアとヘルメス、カミラがいる。その後ろにはエイドリアンがおり、そのさらに後ろにはディルクとドミニクも兵を従えている。
 それから一番の先頭にはマリア。その側にはエリスとクライドが控えていた。マリアは一人での馬には乗り慣れていないため、補助の役割というのもある。ちなみにバルナバスは支城の主であるため、数十の兵とともに支城へ残っている。
 ふとマリアは兵達を見回して自らが背負うものの大きさを感じ、思わず怖じ気づきそうになる。けれど、その感情を消して威厳のある声を出した。

「行こう、我らの国を取り戻すために!」

 兵達は沸き上がった。それから、マリアが馬に一むち打って駆け出せば皆はマリアの後ろへ続く。
 何万もの足音が駆けだし土埃が舞う。その中でマリアは凛とした瞳で前をまっすぐに見つめていた。そんなマリアに思わずエリスとクライドは「この方が主でよかった」と心の中で呟いた。
 ふと二人の視線に気づいてマリアが不思議そうに二人を交互に見るとエリスが口を開いた。

「いえ、あなたが主でよかったと思っただけですよ」

「ありがとう、エリス。わたしもお前がいてくれて良かった」

 柔らかく微笑んでマリアが答える。

(そうだ、わたしはこの者達の主なのだ。わたしが巻き込んだのだからわたし自身が決着を付けなくてはならない)

 マリアは心の中で決意を固めれば、凛と背筋を伸ばす。それを見てソロモンが笑みを浮かべた。

「どうかしたのか」

 隣にいるレイヴァンが問いかけるとソロモンはくつくつと嗤いながら答えた。

「いや、あのお方はどうも強い意志に動かされていられるようでな。あの方の中では、もうすでにこれからどうするべきなのか決まっているようだ」

 レイヴァンは驚いて、マリアの背を見つめる。小さかった背中が、今はとても大きく凛々しく見えた。

「そうだな、今はとても凛々しくていらっしゃる」

 笑みを浮かべて漏らせば、ソロモンがレイヴァンをちらりと見た後でマリアに視線を戻した。

「あの方がどのような決断をくだされるのか、俺は楽しみで仕方がない」

 意地悪く言うソロモンにレイヴァンは、あきれ顔を作ったけれど、すぐに顔を引き締めて眩しそうにマリアを見つめた。
 熱い何かが体中を駆けめぐるのを確かに感じながら。

***

「ここがベスビアナイト国」

 外套を羽織りフードを深く被った女性アレシアが、町を見下ろしながら呟いた。すると、彼女の隣にいる男性が声をかける。

「そろそろ、参りましょう。日が暮れる前には町へ降りなければ寒さで凍えてしまいます」

「ええ、そうね。エリアス、行きましょう」

 答えてアレシアは、男性ことエリアスと共に町は降りていった。二人の後ろには数人の歩兵もおり、どうやらエリアスの部下のようであった。歩兵達は二人の後ろを歩きつつも表情はどこか優れない。どうやら、アレシアのことを心配しているらしかった。
 最近、引きこもるばかりのアレシアが「ベスビアナイト国へ向かう」と地主が言うただけで「ついて行く」と言ってきかず、エリアスや部下である歩兵達と共に来たのだ。
 いつも外へ出ることもない彼女にとってここまで来るだけであっても、とても大変だったであろう。しかし、彼女は我が儘も特に言わずついてきた。我が儘放題なアレシアがそんな風だから歩兵達は少々、戸惑っている。もちろん、そんなこと一切口にはしてはいないが。
 ただ兵達の頭を疑問がもたげたのであった。
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