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第4話 雨 篠原沙葉
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左側の脳がズキズキ痛む。そろそろ雨が降るのだろう。梅雨の時期は特に偏頭痛が酷くて困る。グレーの空を見上げると、水滴が一粒瞼に落ちた。それが合図かの様に、一斉に降り始める。降り注ぐ雨で全身あっと言う間に濡れ、髪の毛先から水が肩に滴り落ちた。こんなに地面を叩き付ける様な雨は、あの日を思い出させる。慌てて折り畳み傘を取り出すが、制服は既にびしょ濡れだ。
通学路の人混みの傘の隙間に、健太の後ろ姿が見えた。その横には、モモの姿もある。モモは高校に上がって初めてできた友人で、皆からは百田だからモモと呼ばれている。何故か、下の名前の瑠璃夏で呼ばれるのを嫌がる。本人曰く、きらきらネームっぽいのが嫌らしい。
「沙葉―!おはよー!あ、今佐藤君見てたでしょ。」
親友の鞠莉が後ろから追いつき、横に並ぶ。
「見てないよ。」
鞠莉は、中学からの仲だ。こんな私を親友と言ってくれる、とてもいい人で、私には勿体無い程だ。でも、たまに勘が鋭いのが厄介……。
「でも不思議だよね。中学まであんなに仲良かったのにさ。今はこうして別々に登校してるなんて。」
そう言い、鞠莉は前を歩く健太を観察する。
「健太は元々一人が好きなんだよ。それに、ただの幼馴染ってだけで、そこまで仲良かった訳じゃないよ。」
私は傘を持っていない方の手を、鞠莉の顔の前に持っていき、視界を遮る。
私と健太は幼馴染だ。でも、お互いの親が仲良くて小さい頃から一緒に居たってだけで、成長する過程で、価値観の違いやそれぞれの世界の確立があって、それがはっきりしたのが高校からってだけで、それまでは家が隣だったから一緒に行動していただけだ。高校からは自然とそれもなくなった。
「今日は百田さんと一緒だね。あの二人、元通りになれたかな。こんな雨の日は学校よく休むって噂で聞いたけど、大丈夫なのかな。」
鞠莉は何故か私に聞いてきた。
「大丈夫なんじゃない?モモは最近元気無いけど……。」
恐らくこの雨のせいだろう。こんな土砂降りの大雨は、あの日を思い出させるのだから。だが、健太はモモと一緒に居るからか、気分が良さそうだ。私は、健太の秘密を知っている。それは、モモの事が好きという事だ。それも、森山さんと交際していた頃から……。兄弟の様に育ったせいか、私と健太は、お互いの情報を必要以上に持っている。その為、好意を寄せる相手は、嫌でも何となく分かってしまう。
半年前の冬の日、珍しい季節外れの豪雨が降り続けていた。雨と冬の寒さが刺さる、気味の悪い日だった。私はモモに用事があり、放課後の視聴覚室に向かった。到着すると、何故かドアがちゃんと閉まっておらず、半開きになっている。中からは、雨音に混じり、微かに人の声が聞こえる。恐る恐るドアの隙間から中を覗くと、森山さんが開け放たれた窓を背に立っている。その向いには、健太も。何かを言い争っている様に見える。突如、森山さんが健太の両肩を掴み、何かを訴えながら叫んだ。雨なのか涙なのか、その目は濡れている。雨音に紛れてよく聞き取れないが、口の動きを見ながら聞くと、「逃がさない。」そう言っているように見える。すると、健太は両肩を押さえ付けている腕を掴み、外そうと思い切り振り払う。払われた腕は窓の外に飛び出て、咄嗟に体を支えようとする手は虚しくも空を切る。そして、足元に出来ていた水溜まりで足を滑らせ、窓に吸い込まれる様に森山さんは一瞬で消えた。人の命はこんなにもあっけないものかと、私は呆然と立ち尽くす。健太は窓から下を覗き込んでいた。その時咄嗟に浮かんだのは、「健太を守らないと」それだけだった。そこから先は記憶が曖昧だが、確か、視聴覚室にあった森山さんの荷物を全て屋上に移し、窓を閉め、床を綺麗にし、健太を連れて出来るだけ早くここを立ち去ろうと必死だった事だけは覚えている。その時に、健太から誕生祝いで貰ったヘアピンをどこかで落としてしまった。それだけが気掛かりだった。
これは後になって分かったことだが、あの日健太は別れ話を拗らせ、喧嘩になっていたらしい。森山さんが健太に、健太がモモに執着する余りに招いてしまった結果だ。
放課後、教室で鞠莉を待ちながら帰宅準備をしていると、モモが声を掛けてきた。反射的に顔を上げると、目の前に静かに手を出された。掌に乗っていたものは、あの日に落としたヘアピンだった……。
「沙葉、今からちょっといいかな?」
私は覚悟を決め、モモの後を付いて行く。連れて来られたのは視聴覚室だ。そこには健太も居る。
「このヘアピン、去年の冬にここで拾ったの。二人ともそろそろ説明してくれてもいいんじゃないかな。」
モモは今までに見たことのない表情で微笑んだ。
私達はあの日の事を事細かに説明した。ただ、健太は別れ話の原因までは言わなかった。私は友達を失う覚悟と、復讐を受ける覚悟を決めた。
「このヘアピン、警察に見つかる前に拾っといたよ。今まで返せなくてごめんね。」
モモは驚くほど落ち着いた口調で言った。
「私たちの事、恨んでないの?」
「今更何言っても、過ぎたことは仕方ないよ。それに、私たち、友達でしょ?恨まないよ。だから、これからもずーっと友達でいてね。」
恐らくモモは薄々気付いていた。でも、友達という関係を保つために目を瞑っていたのだと思う。友達との距離感は難しい。相手の事を理解しつつ、踏み込み過ぎない。だが、そんな関係の「友達」は名ばかりだと私は思う。
外は相変わらず雨だ。視聴覚室を出るとき、モモに笑顔で見送られた。その時、モモの肩に黒い影が掴まっている様に見えたが、それはすぐに消えた。それと同時に、モモの口が微かに動いた気がした。その影のせいか、それともモモの笑顔がどこか不気味に見えたからか、妙な寒気がずっと背中にまとわりついていた。何故か「ずーっと友達だよ」というモモの言葉が頭の中で反芻している。
鞠莉と合流し、雨の中傘を並べて歩く。不器用な私には傘があると雨が見えづらい。一番大事な物は、直接触れないと分からないんだ……。
通学路の人混みの傘の隙間に、健太の後ろ姿が見えた。その横には、モモの姿もある。モモは高校に上がって初めてできた友人で、皆からは百田だからモモと呼ばれている。何故か、下の名前の瑠璃夏で呼ばれるのを嫌がる。本人曰く、きらきらネームっぽいのが嫌らしい。
「沙葉―!おはよー!あ、今佐藤君見てたでしょ。」
親友の鞠莉が後ろから追いつき、横に並ぶ。
「見てないよ。」
鞠莉は、中学からの仲だ。こんな私を親友と言ってくれる、とてもいい人で、私には勿体無い程だ。でも、たまに勘が鋭いのが厄介……。
「でも不思議だよね。中学まであんなに仲良かったのにさ。今はこうして別々に登校してるなんて。」
そう言い、鞠莉は前を歩く健太を観察する。
「健太は元々一人が好きなんだよ。それに、ただの幼馴染ってだけで、そこまで仲良かった訳じゃないよ。」
私は傘を持っていない方の手を、鞠莉の顔の前に持っていき、視界を遮る。
私と健太は幼馴染だ。でも、お互いの親が仲良くて小さい頃から一緒に居たってだけで、成長する過程で、価値観の違いやそれぞれの世界の確立があって、それがはっきりしたのが高校からってだけで、それまでは家が隣だったから一緒に行動していただけだ。高校からは自然とそれもなくなった。
「今日は百田さんと一緒だね。あの二人、元通りになれたかな。こんな雨の日は学校よく休むって噂で聞いたけど、大丈夫なのかな。」
鞠莉は何故か私に聞いてきた。
「大丈夫なんじゃない?モモは最近元気無いけど……。」
恐らくこの雨のせいだろう。こんな土砂降りの大雨は、あの日を思い出させるのだから。だが、健太はモモと一緒に居るからか、気分が良さそうだ。私は、健太の秘密を知っている。それは、モモの事が好きという事だ。それも、森山さんと交際していた頃から……。兄弟の様に育ったせいか、私と健太は、お互いの情報を必要以上に持っている。その為、好意を寄せる相手は、嫌でも何となく分かってしまう。
半年前の冬の日、珍しい季節外れの豪雨が降り続けていた。雨と冬の寒さが刺さる、気味の悪い日だった。私はモモに用事があり、放課後の視聴覚室に向かった。到着すると、何故かドアがちゃんと閉まっておらず、半開きになっている。中からは、雨音に混じり、微かに人の声が聞こえる。恐る恐るドアの隙間から中を覗くと、森山さんが開け放たれた窓を背に立っている。その向いには、健太も。何かを言い争っている様に見える。突如、森山さんが健太の両肩を掴み、何かを訴えながら叫んだ。雨なのか涙なのか、その目は濡れている。雨音に紛れてよく聞き取れないが、口の動きを見ながら聞くと、「逃がさない。」そう言っているように見える。すると、健太は両肩を押さえ付けている腕を掴み、外そうと思い切り振り払う。払われた腕は窓の外に飛び出て、咄嗟に体を支えようとする手は虚しくも空を切る。そして、足元に出来ていた水溜まりで足を滑らせ、窓に吸い込まれる様に森山さんは一瞬で消えた。人の命はこんなにもあっけないものかと、私は呆然と立ち尽くす。健太は窓から下を覗き込んでいた。その時咄嗟に浮かんだのは、「健太を守らないと」それだけだった。そこから先は記憶が曖昧だが、確か、視聴覚室にあった森山さんの荷物を全て屋上に移し、窓を閉め、床を綺麗にし、健太を連れて出来るだけ早くここを立ち去ろうと必死だった事だけは覚えている。その時に、健太から誕生祝いで貰ったヘアピンをどこかで落としてしまった。それだけが気掛かりだった。
これは後になって分かったことだが、あの日健太は別れ話を拗らせ、喧嘩になっていたらしい。森山さんが健太に、健太がモモに執着する余りに招いてしまった結果だ。
放課後、教室で鞠莉を待ちながら帰宅準備をしていると、モモが声を掛けてきた。反射的に顔を上げると、目の前に静かに手を出された。掌に乗っていたものは、あの日に落としたヘアピンだった……。
「沙葉、今からちょっといいかな?」
私は覚悟を決め、モモの後を付いて行く。連れて来られたのは視聴覚室だ。そこには健太も居る。
「このヘアピン、去年の冬にここで拾ったの。二人ともそろそろ説明してくれてもいいんじゃないかな。」
モモは今までに見たことのない表情で微笑んだ。
私達はあの日の事を事細かに説明した。ただ、健太は別れ話の原因までは言わなかった。私は友達を失う覚悟と、復讐を受ける覚悟を決めた。
「このヘアピン、警察に見つかる前に拾っといたよ。今まで返せなくてごめんね。」
モモは驚くほど落ち着いた口調で言った。
「私たちの事、恨んでないの?」
「今更何言っても、過ぎたことは仕方ないよ。それに、私たち、友達でしょ?恨まないよ。だから、これからもずーっと友達でいてね。」
恐らくモモは薄々気付いていた。でも、友達という関係を保つために目を瞑っていたのだと思う。友達との距離感は難しい。相手の事を理解しつつ、踏み込み過ぎない。だが、そんな関係の「友達」は名ばかりだと私は思う。
外は相変わらず雨だ。視聴覚室を出るとき、モモに笑顔で見送られた。その時、モモの肩に黒い影が掴まっている様に見えたが、それはすぐに消えた。それと同時に、モモの口が微かに動いた気がした。その影のせいか、それともモモの笑顔がどこか不気味に見えたからか、妙な寒気がずっと背中にまとわりついていた。何故か「ずーっと友達だよ」というモモの言葉が頭の中で反芻している。
鞠莉と合流し、雨の中傘を並べて歩く。不器用な私には傘があると雨が見えづらい。一番大事な物は、直接触れないと分からないんだ……。
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