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最終話 新しい日常

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「悠馬ー。次どこだっけ」

「ん? 大講義室だろ」


 まだまだ夏の暑さが残る秋口、長い夏休みが明けて大学生活が始まっていた。

 キャンパスを行き交う人の多さに、日常が戻ってきたのだと感じる。
 だが、夏休み前と違うことがいくつかある。


「はぁ、夏休み一瞬だったわ。悠馬はどっか行ったの?」

「ああ、結構色んなところに行ったよ。カメラを買ってさ、あちこち」

「へえ、いいじゃん! 今度俺の写真も撮ってよ」

「練習台にしてやるよ」


 ずっと周囲と壁を作って孤立していた俺の隣を、講義でたまに隣に座っていた同学年の三好みよし琢磨たくまが歩いている。

 授業が始まってすぐ、俺は同じ講義で顔を合わせた琢磨に積極的に話しかけた。琢磨はすぐに俺の変化と覚悟に気づいてくれたようで、あっという間に打ち解けることができた。これまでの二年はなんだったのかと思うぐらい、あっさりと友達になった。

 友達といえば、バイト先の圭一とも映画以降何度か遊びに出かけた。ゲーセンだったり、互いの下宿先だったり。すっかり気の置けない関係になっている。

 あれだけ意固地に周りと距離を取っていたけれど、歩み寄ってみれば案外すぐに交友関係が広がるものなのだと驚いた。そりゃ、相手が壁を作っているのか、友達になる気があるのかなんていうのは自ずと感じ取れてしまうものだ。俺の纏う空気がピリピリしたものではなくなったことが大きいのだろう。俺の心を溶かしてくれた奴には、もう会えないのだが。


「あ、そうだ。夏休みに帰省した時にさ、色々食材やらなんやら持たされたんだけどさー。俺一人じゃ食べきれねえから、ちょっと貰ってくれない?」

「いいのか? じゃあ、今度部屋に寄るよ」

「サンキュー。そういえば、悠馬は実家に帰ったのか?」

「……ああ、久しぶりにな」


 そう、俺は小鳥遊家を訪れた数日後、大学に入って以来初めて実家に帰った。

 なんだか気まずくて、連絡もなしに帰ったにも関わらず、母さんは大喜びで迎え入れてくれた。
 とにかく山盛りの料理を作ってくれて、ああ、これ好きだったな。懐かしいな。なんて思いながらありがたく頂戴した。

 お節介でおしゃべり好きな母さんだけど、俺の大学生活のことについては何も触れなかった。


『……何も聞かないの』


 痺れを切らしたのは俺の方。料理から視線を上げることができなかったので、母さんの表情は分からなかった。


『悠馬が元気でいてくれれば、母さんはそれだけで十分』


 ただ一言。それだけでこれまでのわだかまりが溶けて消えていくようだった。
 母さんはただ、俺に幸せに生きて欲しいだけ。そんなこと自明であるはずなのに、「ああ、そうか」と、どうしてか初めてストンと胸に落ちてきた。


『あのさ、俺、カフェでバイトしてて、そこに圭一って奴がいるんだけど……』


 ポツポツと話す俺の話に、母さんは嬉しそうに『うんうん』と頷きながら静かに耳を傾けてくれた。
 大学でどんな勉強をしているのか。バイトでの出来事。圭一と見た映画の話。それに、カメラを買った話。


『母さん、兄貴も帰ってるんだろう? みんな揃ったらさ、家族写真、撮ろうよ』


 おずおずとカメラを掲げて提案すると、母さんは泣き笑いを浮かべながら『もちろんよ』と答えてくれた。

 家族だから、言わなくてもなんでも伝わっていると思いがちだ。けれど、その人自身の考えは、その人にしか分からない。だから、自分の考えは言葉にして伝えなければだめなんだ。自分の意見しかり、感謝の気持ちしかり。


 その日の夜、俺がいることに兄貴も妹も驚いていたが、それ以上に喜んでくれた。

 俺のカメラで撮った初めての家族写真は、みんな笑顔でとてもいい一枚になったと思う。


 一週間ほど実家に滞在している間に、俺はこれまで感じていたこと、考えていたことを母さんに打ち明けた。母さんは少し寂しそうに笑っていた。


『母さん、悠馬に干渉しすぎていたよね。三人の中でもあんたが一番心ここに在らずって感じで、放っておけなかったの。あんたが居なくなってからようやく踏み込みすぎていたって気づいたんだよ。ごめんねえ』


 だからこそ、俺から連絡をするまで俺への連絡は控えていたのだとか。滞在中、何度も『帰って来てくれて嬉しい』と言われ、申し訳ない気持ちになった。これからはこまめに連絡を取ろうと誓った。ようやく、家族としての時間が動き出したような、そんな気がした。いつかまた、家族旅行に行きたい。そう言うと、母さんはまた泣きそうな顔をして笑った。





「あ、そういえば、今日だっけ。部室見学に行くの」

「そう、写真部。なんかちょうど一年休学してた部長が戻って来ているらしくてさ。行ってくるよ」


 俺は大学二年生。これまで腐って過ごして来たけれど、まだまだ大学生活を取り戻すことができる時期だ。
 そう思って、思い切って部活に入ろうと決心した。

 部活案内を眺めていて目に止まった写真部。きっとカメラに詳しい人もいるだろうし、カメラの技術をもっと磨きたいと思っていた俺にはピッタリだと思った。


 そして夕方。西陽もまだまだ鋭く眩しい。一日の講義を全て受け終えた俺は、部活棟に足を踏み入れていた。

 時間的にも随分と人の往来が多く、とても賑わっている。
 事前に確認していたフロアまで登り、喧騒が遠ざかる中、目的の部屋を探す。


「ここか」


 年季の入った扉には、『写真部 新入部員年中募集中』と書かれた貼り紙が貼られている。

 コンコン、とノックをしてからガチャリとドアノブを捻る。

 部屋の中には人影が一つ。その人が背にしている窓から容赦なく日差しが差し込んでいるために顔が見えない。


「やあ、青年。また会ったね」

「え? ……ああっ!?」


 人と人の繋がりというのは不思議なものだ。
 言葉一つ、態度一つでその関係性は容易に形を変えてしまう。
 それは家族であれ、友人であれ、恋人であれ、一緒なのだろう。

 大学二年生の夏、俺は大切なものを取り戻すことができた。

 どこか遠くで、小鳥遊が得意げな笑みを漏らしたような、そんな気がした。
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