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第十一話 陽菜と両親の話

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「うっわ……豪邸じゃん」


 俺は小鳥遊に自分の話をしたその翌日、小鳥遊の案内で彼女の家の前に来ていた。

 住所を聞いた時から薄々感じていたが、小鳥遊はかなり裕福な家庭だったようだ。
 昨日、小鳥遊は俺の話を聞いた後、ポツリポツリと自分の身の上について話してくれた。



 ◇◇◇


『私の親は弁護士なの。お父さんは結構大きな弁護士事務所を持ってて、お母さんも弁護士。だから、私も法の道に進むのが当然って感じで育てられたの』


 いつもの元気な声から一点、今にも消えてしまいそうなほどか細い声で言葉を紡ぐ小鳥遊。
 俺は静かに彼女の話に耳を傾けた。


『習い事だって、塾だって、全部親の言う通りにこなしてきた。親が全部決めちゃうってところは、悠馬と似てるかもね』


 いや、俺の話とは明らかに規模が違うだろう。


『お父さんとお母さんは優しかった、と思う。欲しいものは割となんでも買ってもらえたし。あ、ゲームとか時間を浪費するものは絶対買ってくれなかったけど。生活にも困ってないし、私は恵まれているんだって、そう思って一生懸命勉強したわ』


 そこで、小鳥遊の深いため息が聞こえた。


『でも、学年が上がるにつれて、うちは普通じゃないって気づいたの。小学校から私立に通ってたけど、みんな私よりずっと活き活きしていて、将来の夢だって、やりたいことだって、キラキラした目で話してくれたの。私はただ、そうなることが当たり前だと思ってたから、そこまでの熱量を向けたことがなくて、すっごく戸惑ったのを覚えているわ』


 それはよく分かるかもしれない。

 大学に進学した時、俺はその時点で家を出て母さんの束縛から解放されるという目的を果たした。その先のことなんて何にも考えていなかったから、新生活に目を輝かせる同級生たちを見て、虚しさと疎外感を強く感じたっけな。


『アニメだって漫画だって、親が許可したものしか見たことなかったからさ、魔法少女モノとか戦隊モノだって知らなかった。学校はとっても楽しかったなあ……まるで世界が拓けるような感覚っていうの? 学校にいる間は、私も年相応の女の子になれた』


 小鳥遊の声からは昔を懐かしむ様子が感じられた。


『でも、家に帰ったら決められた時間は机に向かわなきゃいけないし、テキストだって毎日どこまでやれって決まってた。家庭教師も毎日来てたから、遊ぶこともできないし。おかげで成績はずっと上位だったけどね~』


 あはは、と明るい笑い声を発するが、その声は俺には無理をしているように聞こえた。


『でね、私、やりたいことを見つけたの。小学校六年生の時だったかな。職場見学って学校行事があってね、流石に訪問先に弁護士事務所なんてないから、好きなところを選んで行ったんだけど、もう、本当に楽しくって。私が行ったのは幼稚園。三日間の職場体験だったけど、小さい子供たちは可愛いし、先生たちも毎日明るく笑って、子供たちを第一に考えて動く素敵な人たちばっかりだった。私の親は、私自身のことは見てくれないけど、ここの先生は子供たち一人一人の個性を伸ばして自由に過ごせるように考えてるんだって思ったのを覚えてる。私、その幼稚園の先生たちみたいになりたいって思ったんだあ』


 小鳥遊は幼稚園の先生になりたかったのか。小鳥遊は底抜けに明るいし、前向きでものを教えるのも上手だから、案外天職だったのかもしれないな。夢を叶える前に死んでしまったから、小鳥遊が子供たちと戯れている姿を見れないのが本当に残念でならない。


『集中力を高めるためにって、ピアノは子供の頃から習ってたから、これまで以上に頑張ってレッスンを受けたよ。法律の勉強は、先生になっても役立つ知識もあったから、夢を見つけてからはもっともっと勉強を頑張れた。そんな私の様子を見て、お父さんもお母さんも嬉しそうにしてたわ。私が弁護士以外の仕事を目指しているって知らずにね』


 ククッと喉を鳴らす小鳥遊はきっと悪戯っ子のような顔をしているのだろう。


『それとね、もう一つ勉強したいなって思ったことがあったの。職場体験で何度かカメラ担当をさせてもらって、初めてカメラに触れたんだけど、子供たちの笑顔とか、その時の楽しい空間とか、なんでも写真に切り取って残すことができるってすごい! って感動しちゃった。ピアノとカメラが上手な陽菜先生。ふふっ、素敵じゃない? それから私はお小遣いをせっせと貯金し始めたの。それで、高校三年生になってやっと、その一眼レフカメラを買うことができたの』


 小鳥遊のいうカメラというのは、俺が中古のカメラ屋で買ったこいつのことを指すのだろう。

 おっちゃんから元の値段を聞いていたけど、結構な額だった。それを何年もかけて貯金をしてようやく手にした時は本当に嬉しかったことだろう。


『カメラを買ってからは嬉しくってさ~。こっそり学校に持って行っては帰り道に写真を撮りまくったよね。本屋でカメラの仕組みや設定について勉強して、あとは実践。色々試してみるのは本当に楽しかった。塾や家庭教師の時間には間に合うように帰らなきゃだったから、毎日ほんの少しの時間だったけど、私にとってはかけがえのない時間だった』


 そこで言葉を切った小鳥遊。しばしの沈黙が落ちる。なんとなくこの話の続きは想像できてしまった。


『……でも、しばらくして、カメラを買ったことがバレたの。たまたま家庭教師の先生が、私が帰り道にカメラでお花を撮っているところを見かけたんだって。悪気はなかったの。でも、先生はカメラのことを両親の前で話題にあげてしまった。すごいね、写真見てみたいな、今度私も撮って。ってね。先生が帰ってからは大変だったよ~。いつの間にカメラなんて高価なものを、勉強は、時間の無駄だ、本当に好き勝手に言われたわね。親の言うことに従順だと思っていたら勉強をサボってよそ見をしていたんだもの。お父さんとお母さんにとっては晴天の霹靂だったのよ。だから、あの人たちは私のカメラを取り上げて、隠したわ』


 ……そうか。小鳥遊はずっと、戦っていたんだ。俺とは違って、心の強い子だ。


『売り言葉に買い言葉ってやつ? 無駄だ無駄だってカメラを馬鹿にされてさ、私思わず、弁護士にはならない! 私は幼稚園の先生になるんだって言っちゃった。しばらく家に閉じ込められちゃったけど、その間に隠されたカメラを見つけて、こっそり家出したの。カメラ一つ持ってね。夕方、もうほとんど夜に変わる時間帯だったと思う。とにかく家から離れたくて、ひたすら走った。走って走って、ヘロヘロになって、信号が赤ってことに気づかずに突っ込んできた大型トラックに撥ねられた。咄嗟にカメラだけは守ったけど、ほぼ即死だったみたい』


 驚いた。事故死なんて不確実な死因なのだから、死亡前後のことは曖昧になっていてもおかしくないのに、小鳥遊は随分と詳しく覚えている。


『痛くはなかったよ。一瞬だったもん。気がついた時にはもう私はあのカメラ屋にいたんだけどね。あ、幽霊になったんだって何故かすぐ理解しちゃった。最初はほぼ毎日、しばらくしてからは毎週木曜日、お母さんがカメラが売れていないか見に来るようになった。私はすぐに悟ったわ。きっと私の大事なカメラは、お母さんが売っちゃったんだって。すっごく悲しかった。私の形見も同然なのに、この人はそれを売るのかって』


 そうだよな。俺もそう思ったぞ。


「そこからは店主のおじちゃんの目から隠れつつ、店内をウロウロしてたわ。カメラからどこまで離れられるかとか色々検証したりね。そうして過ごしていたら、あなたが現れた」
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