ファインダー越しの君と過ごす夏

水都 ミナト

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第十話 悠馬の話

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 カメラ屋を出た俺は、気がついたら自分の部屋に戻っていた。

 カメラ屋に行くと言ったらどこか元気がなさそうだった小鳥遊。
 カメラ屋に訪れた小鳥遊の母親。

 カメラ屋のおっちゃん曰く、小鳥遊の母親は今日のように時折小鳥遊のカメラを見に訪れていたらしい。


「大丈夫か? 小鳥遊」

『……うん』


 沈黙に耐えきれずに尋ねると、消え入りそうな返事が聞こえた。あえてファインダーを覗かなくても分かる。きっと三角座りで膝に額を押し付けた体勢で部屋の隅で丸くなっているのだろう。小鳥遊は自分の考えに耽るときは大抵そうするのだ。


『…………やっぱり、私のカメラを売ったのはお母さんだった』

「え?」


 しばらくして、ようやく呟くように言葉を発した小鳥遊。

 そこでやっと俺はハッとした。
 小鳥遊が事故にあった時に大事に抱えていたカメラ。そのカメラがカメラ屋で売られていたわけを。

 そうだ。誰かが小鳥遊のカメラを売った。だから、俺は店でこのカメラを買うことができた。

 我が子が不慮の事故でこの世を去り、残されたのが大事に抱えていたカメラだった。
 どうだろう。俺だったらどうする?
 自分の子供が大事にしてきた、いわば形見のようなものだ。俺だったら、大事にそばに置いておくと思う。

 でも、小鳥遊の母親は、形見であるカメラを手放した。

 カメラを見ると娘のことを思い出して辛いから、とかか? あるいは、もっと他に理由が……?


『お母さん、私がカメラに夢中になることをよく思っていなかったから、だから売ったんだ』

「小鳥遊……」


 消え入るような小鳥遊の声に、キュッと胸が痛んだ。

 小鳥遊と母親は、カメラについて何か揉めていたのだろうか。
 だから、娘との喧嘩の原因になったカメラを手放した――?


「いや、多分違うよ」

『え?』


 確証のない話だけど、俺はポツリポツリと呟くように持論を語った。


「もし、本当に見たくないほどカメラの存在を忌み嫌っているんだったら、おっちゃんの言うように何度も何度もカメラの様子を確認しにきたりはしない。小鳥遊のお母さんは、俺がカメラを持っているのを見て……安心したような、でも、どこか寂しそうな顔をしていた」

『……』


 小鳥遊は何も答えない。それをいいことに、俺は話を続ける。


「母親ってさ、なんであんなに過干渉なんだろうなあ」


 ベッドに両手を投げ出し、後ろに倒れるようにして布団に沈み込む。もう二年は会っていないけど、目を閉じれば実家の賑やかな音が耳に響いてくるようだ。


「俺さ、実家から出たくて遠くの大学に進学したんだ」

 そう、俺が大学を選ぶ基準は、その大学で学べることや学びたい教授がいるか、そういったことは二の次で、とにかく実家から離れて一人暮らしができる場所に位置しているかという点だった。


「俺の両親……特に母親がドがつくほど過保護でさ。兄貴と妹がいるんだけど、中でも一番俺に干渉してきたんだ。まあ、目標もなくいつもふらふらとしていたから、心配だったんだろうけど」


 家族旅行が大好きで、いつもこっちの予定を確認せずに決定事項として旅行が組み込まれていた。あの頃は俺にだって一緒に遊ぶ友達ぐらいはいた。友達と出かける予定を変更してもらったのだって一度や二度の話ではない。

 習い事だって、高校だって、母親が『こっちがいいんじゃない?』『お母さんが決めてあげる』と俺の意思を尊重することなく決めてしまった。その方が、俺のためだと、そう笑っていいながら。

 厄介だったのは、母さんに悪意がないということだ。

 頼りない息子を心配しての善意。ちょっとしたお節介。本人はその程度にしか思っていないだろうし、だからこそタチが悪かった。


「まあ、何も一人で決められない俺が悪いんだけどな……」


 あの頃は、うまくいかないことは全て母親のせいにしてきた。

 けれど、大学を選ぶ年頃になった時、再び進路を母親に決められそうになった俺は、このままではダメだと思った。


「母さんには内緒で、遠方の大学のオープンキャンパスに行ったり、こっそり資料を集めたり。バレないように準備を進めるのはスリルがあって、自分の将来を左右するって時におかしいけど、楽しかったな。初めて本当に自分のために道を選んでいたから」


 このまま実家にいたら腐る。自立しなくては。
 そんな一種の義務感のような、責務を全うせねば、というような、妙な感情につき動かれて受験勉強に励んだ。

 そして、願書を出す段階になって初めて、俺は志望校を母さんに伝えた。
 もちろん母さんは驚いていたし、自分が進める大学を受験しろと言ってきた。でも、俺は自分の行きたい大学に行くと頑なに譲らずに、最終的には渋々ながら母さんが折れた。初めてのことだった。


「結果は無事合格。だからこうして晴れて実家を飛び出して、一人暮らしをしながら大学に通ってるってわけだ」


 合格した時は嬉しかった。やっと、家を出れる、母さんの干渉から逃れられる、ただそう思っていた。

 だけど、家を出ることが目標になっていたから、俺は大学で何をすべきか分からなくなった。

 生きる目標を見失った俺は、人との関わりもめんどくさくなり、せっかく手に入れた自由だというのに、自分で世界を狭めて閉じこもって生きてきた。


「そんな生活を変えてくれたのが、小鳥遊と、このカメラなんだ」

『悠馬……』


 カメラを通して世界を見ると、俺の閉じた世界が開かれるようなそんな錯覚に陥った。
 これまで意固地になってきたことが馬鹿らしくなり、もっと肩の力を抜いて生きよう。そう思えた。

 俺は晴れやかな顔をして、ベッドから身体を起こした。そしてカメラを持ち上げてファインダーを覗き込んだ。
 そこには、困惑したように俺を見る小鳥遊の姿が映されている。


「なあ、小鳥遊。お前、このカメラを通せば、俺以外にも見えるんだろう?」

『……多分』


 歯切れは悪いが、きっとそうなんだろう。そうでなければ、カメラ屋にいるときにわざわざ物陰に隠れる必要もない。


「だったらさ、会いに行こうぜ」

『え?』

「小鳥遊のご両親にさ。今だから聞けることも、言えることもあるだろう?」


 小鳥遊は、カメラを持ってあちこち回れなかったことが未練だと、初めて会った日に言っていた。
 俺も初めは小鳥遊の魂をこの世に縛り付けているのは、カメラに対する強い未練なのだと思っていた。

 でも、きっとそうではない。

 小鳥遊が成仏できない原因は、そんな単純なものではないんだ。


「大丈夫だ。俺がいる」


 小鳥遊は、家族と会って話すべきだ。本当は、命の灯火が尽きてしまったら家族にも友達にも会って話すことはできない。だが、小鳥遊はどういうわけかカメラを介せば姿も見れるし声も聞こえる。会話だって成立する。


「小鳥遊が成仏せずに、カメラを通して話ができることに、意味があると思うんだ」


 ファインダーに映る小鳥遊の大きな瞳は、戸惑いの色を滲ませて激しく揺れていた。
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