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第九話 カメラ屋での遭遇
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「うーん、やっぱり調子悪いな」
島根から戻った翌日、カメラの手入れをしていた俺は唸り声を上げていた。
少しカメラの挙動がいつもより遅い気がするのだ。
長く潮風に当たりすぎたのか、鋭い日差しに晒しすぎたのか。とにかく、カメラ初心者の俺に原因の特定ができるはずもない。
「カメラ屋のじいさんに見てもらうか」
こういうことは専門家に聞くのが早い。思い立ったが吉日だ。
そう思った俺は、カメラをケースに入れると、カメラを買った店へと向かうことにした。
『あの店に行くの?』
「ああ、俺はカメラに詳しくないからな。プロに見てもらうんだ」
『そう……』
なんだ? 元気がない?
いつもハキハキとしていて明るい小鳥遊なのだが、妙に歯切れが悪い。行きたくなさそうな、そんな感じがする。
「どうかしたか?」
『ううん、なんでもない!』
まあ、聞いて答えてくれるわけもないよな。小鳥遊の様子は気になるけど、とにかく来週も出かける予定があるのだ。それまでにカメラのメンテナンスを間に合わせたい。
駅までの道、電車に乗っている間。いつもだったら他愛のない話を振ってくる小鳥遊はずっと静かに黙り込んでいた。
◇◇◇
「すみませーん」
「はいはい、いらっしゃいませ。おや、君は」
かなり古いカメラから、最新のカメラまで幅広く取り扱っている老舗の中古カメラ屋。
大学の帰りにいつもと違う道から帰ろうと入った通りで見つけた店だ。なぜか惹かれるものがあり、俺は店のドアを開けた。そうして俺の手に回ってきたのが小鳥遊のカメラだったのだ。
偶然が重なったら、それはもはや必然。昔誰かが言っていた気がする。テレビや本で見たのかもしれないが、覚えていない。
店主のおっちゃんは俺のことを覚えていたらしく、「カメラの調子が悪いのかい?」とこちらから申し出る前にメガネをかけて手を差し出した。
そういえば、以前に小鳥遊に尋ねたことがあるのだが、店主のおっちゃんがファインダーを覗く時は死角になる場所に隠れて姿を現さなかったようだ。理由を聞くと、「幽霊付きカメラなんて、商品になるわけないじゃない。私はカメラ屋から外に出て、いろんな場所に連れて行ってくれる人の手に渡りたかったのよ」と離してくれた。
確かに一理ある。俺だって、カメラ屋で埃を被るぐらいなら外に出て旅先の光景を写したいと思うだろう。それに、もしかしたら気味が悪いと捨てられる可能性だってあるからな。
俺は何も言わずにカメラをおっちゃんに差し出した。おっちゃんはファインダーを覗いたり、絞りを調整したり、色んな角度からカメラを見て調整してくれている。
「……よし、大丈夫そうだ」
そう言って、慈しみの込められた目でカメラを見つめ、優しく撫でるおっちゃん。
俺の視線に気付いたのか、僅かに目線を上げてからおっちゃんは口を開いた。
「このカメラの元の持ち主は事故にあったんだが、奇跡的にカメラの損傷は少なく、カメラとしての機能を失わなかった。きっと持ち主の子がカメラを抱えるようにして守ったんだろうよ。それほど大事にされていたカメラだ。兄ちゃんも大切にしてやってくれ。また調子が悪くなったらいつでも見せにきなさい」
「……ありがとうございます」
小鳥遊の死因は交通事故だった。
確かに、車に撥ねられたのなら、カメラは投げ出されてバラバラになっていてもおかしくはない。こうして今俺の手元でカメラとして生き続けているのも、小鳥遊がカメラを守ったからなのだ。
カメラを受け取り、改めて大事にしようという気持ちが深まる。
「あの、代金は……」
「大したことはしていない。金はいらん」
「え、でも」
流石にタダという訳にはいかない。俺が食い下がると、おっちゃんはニッとイタズラ小僧のような笑みを浮かべた。
「そうだな、じゃあ、そのカメラで撮った写真を見せてくれ。ちょっとしたアドバイスもできるかもしれんしな」
「え……そんなことでよければ」
ちょうど店に他の客はいない。俺はおっちゃんが出してくれたパイプ椅子に腰掛けて、液晶画面にこれまで写してきた写真を表示する。
「ほう。五島列島に……この星空は?」
「これは長野の阿智村ってところで……」
「ふむ。綺麗に撮れてるな。誰かにカメラの使い方を教わったのか? まだ買って一月も経っていないだろうに」
おっちゃんが感心したように顎を撫でている。
まあ、俺には小鳥遊先生がついているもんで。なんて言えるわけがないので、頭を掻きながら濁して答える。
「あー……はい。そうっすね。知り合いにカメラに詳しい奴がいて」
「そうか。それはいい。お、こいつは島根か」
ゆっくりと写真を表示させながら、ここ数週のことを思い返す。
この店でカメラを買ってから、俺の夏は一気に色彩を得た。きっと、一人だったら旅に出て写真を撮ったところで、心に響くような一枚は撮れなかっただろう。旅の同行者に小鳥遊がいて、カメラの撮り方を教えてくれて、話し相手になってくれて――
小鳥遊が生きている時に、二人でカメラを持って旅に出たかったな。
そう思ってしまうほどには、充実した日々を過ごしている。
旅やカメラを通じて、これまで拗らせてきた胸の奥のシコリのようなものも、少しずつ融解しているのを感じる。
大学生活のこと、友人のこと、そして、大学に入ってから一度も会っていない家族のこと。
どこか懐かしい気持ちで感傷に浸っていると、ガタッと店の入り口から物音がした。
「ん?」
「いらっしゃい。ああ、あなたは」
客かな? と思って顔を上げると、店の入り口に立っていたのは一人の女性だった。
歳は四〇過ぎといったところか? 落ち着いたシックな服装をしているが、何処か品のある女性だ。誰かに似ているような気が……
どこか引っ掛かりを感じて首を捻っていると、女性は口元に手を当てて、俺のカメラを震える手で指差した。
「あ、あなた……それ……」
「ああ、この子が買い取ってくれたんです。今ちょうど写真を見せてもらっていたのですが、なかなかにいい」
おっちゃんがしみじみと写真を褒めてくれるのが嬉しくて、思わず「いやあ……」と頭を掻いてしまう。
二人は知り合いみたいだし、この人はよく店にやって来るのだろうか。
「そう、ですか。そう……そうね、これでよかったのかもしれないわ」
女性はブツブツと呟くように何かを言うと、目尻を押さえながら俺を見た。
「そのカメラ、大事に使ってくださいね」
「え……あ、はい……」
突然話しかけられて、言葉に詰まってしまった。
女性は俺の言葉足らずな返事を聞くと、弱々しく微笑んでから会釈をして店を出て行ってしまった。
誰だったんだろう。
おっちゃんからカメラを受け取ってケースに仕舞おうとした時、これまでずっと沈黙を守ってきていた小鳥遊の声が聞こえた。
「………………お母さん」
「えっ」
驚いて危うくカメラを落とすところだった。慌てて受け止めて息を吐く。おっちゃんにも少し非難されるような視線を向けられてしまった。いや、だって、え?
「あ、あの……さっきの女の人って」
もしかして、そうなのか? 俺の心臓がドクドクと激しく脈打っている。
「ん? ああ、あの人ね。よくそのカメラを見に来ていたんだ。誰かいい人に買われたか、とね」
「それは――」
なぜ、カメラの買い手を気にするのか。
買い手を気にするということは、やっぱり、この人は――
「そう、あの人はこのカメラの元の持ち主だった女子高生の母親さ」
島根から戻った翌日、カメラの手入れをしていた俺は唸り声を上げていた。
少しカメラの挙動がいつもより遅い気がするのだ。
長く潮風に当たりすぎたのか、鋭い日差しに晒しすぎたのか。とにかく、カメラ初心者の俺に原因の特定ができるはずもない。
「カメラ屋のじいさんに見てもらうか」
こういうことは専門家に聞くのが早い。思い立ったが吉日だ。
そう思った俺は、カメラをケースに入れると、カメラを買った店へと向かうことにした。
『あの店に行くの?』
「ああ、俺はカメラに詳しくないからな。プロに見てもらうんだ」
『そう……』
なんだ? 元気がない?
いつもハキハキとしていて明るい小鳥遊なのだが、妙に歯切れが悪い。行きたくなさそうな、そんな感じがする。
「どうかしたか?」
『ううん、なんでもない!』
まあ、聞いて答えてくれるわけもないよな。小鳥遊の様子は気になるけど、とにかく来週も出かける予定があるのだ。それまでにカメラのメンテナンスを間に合わせたい。
駅までの道、電車に乗っている間。いつもだったら他愛のない話を振ってくる小鳥遊はずっと静かに黙り込んでいた。
◇◇◇
「すみませーん」
「はいはい、いらっしゃいませ。おや、君は」
かなり古いカメラから、最新のカメラまで幅広く取り扱っている老舗の中古カメラ屋。
大学の帰りにいつもと違う道から帰ろうと入った通りで見つけた店だ。なぜか惹かれるものがあり、俺は店のドアを開けた。そうして俺の手に回ってきたのが小鳥遊のカメラだったのだ。
偶然が重なったら、それはもはや必然。昔誰かが言っていた気がする。テレビや本で見たのかもしれないが、覚えていない。
店主のおっちゃんは俺のことを覚えていたらしく、「カメラの調子が悪いのかい?」とこちらから申し出る前にメガネをかけて手を差し出した。
そういえば、以前に小鳥遊に尋ねたことがあるのだが、店主のおっちゃんがファインダーを覗く時は死角になる場所に隠れて姿を現さなかったようだ。理由を聞くと、「幽霊付きカメラなんて、商品になるわけないじゃない。私はカメラ屋から外に出て、いろんな場所に連れて行ってくれる人の手に渡りたかったのよ」と離してくれた。
確かに一理ある。俺だって、カメラ屋で埃を被るぐらいなら外に出て旅先の光景を写したいと思うだろう。それに、もしかしたら気味が悪いと捨てられる可能性だってあるからな。
俺は何も言わずにカメラをおっちゃんに差し出した。おっちゃんはファインダーを覗いたり、絞りを調整したり、色んな角度からカメラを見て調整してくれている。
「……よし、大丈夫そうだ」
そう言って、慈しみの込められた目でカメラを見つめ、優しく撫でるおっちゃん。
俺の視線に気付いたのか、僅かに目線を上げてからおっちゃんは口を開いた。
「このカメラの元の持ち主は事故にあったんだが、奇跡的にカメラの損傷は少なく、カメラとしての機能を失わなかった。きっと持ち主の子がカメラを抱えるようにして守ったんだろうよ。それほど大事にされていたカメラだ。兄ちゃんも大切にしてやってくれ。また調子が悪くなったらいつでも見せにきなさい」
「……ありがとうございます」
小鳥遊の死因は交通事故だった。
確かに、車に撥ねられたのなら、カメラは投げ出されてバラバラになっていてもおかしくはない。こうして今俺の手元でカメラとして生き続けているのも、小鳥遊がカメラを守ったからなのだ。
カメラを受け取り、改めて大事にしようという気持ちが深まる。
「あの、代金は……」
「大したことはしていない。金はいらん」
「え、でも」
流石にタダという訳にはいかない。俺が食い下がると、おっちゃんはニッとイタズラ小僧のような笑みを浮かべた。
「そうだな、じゃあ、そのカメラで撮った写真を見せてくれ。ちょっとしたアドバイスもできるかもしれんしな」
「え……そんなことでよければ」
ちょうど店に他の客はいない。俺はおっちゃんが出してくれたパイプ椅子に腰掛けて、液晶画面にこれまで写してきた写真を表示する。
「ほう。五島列島に……この星空は?」
「これは長野の阿智村ってところで……」
「ふむ。綺麗に撮れてるな。誰かにカメラの使い方を教わったのか? まだ買って一月も経っていないだろうに」
おっちゃんが感心したように顎を撫でている。
まあ、俺には小鳥遊先生がついているもんで。なんて言えるわけがないので、頭を掻きながら濁して答える。
「あー……はい。そうっすね。知り合いにカメラに詳しい奴がいて」
「そうか。それはいい。お、こいつは島根か」
ゆっくりと写真を表示させながら、ここ数週のことを思い返す。
この店でカメラを買ってから、俺の夏は一気に色彩を得た。きっと、一人だったら旅に出て写真を撮ったところで、心に響くような一枚は撮れなかっただろう。旅の同行者に小鳥遊がいて、カメラの撮り方を教えてくれて、話し相手になってくれて――
小鳥遊が生きている時に、二人でカメラを持って旅に出たかったな。
そう思ってしまうほどには、充実した日々を過ごしている。
旅やカメラを通じて、これまで拗らせてきた胸の奥のシコリのようなものも、少しずつ融解しているのを感じる。
大学生活のこと、友人のこと、そして、大学に入ってから一度も会っていない家族のこと。
どこか懐かしい気持ちで感傷に浸っていると、ガタッと店の入り口から物音がした。
「ん?」
「いらっしゃい。ああ、あなたは」
客かな? と思って顔を上げると、店の入り口に立っていたのは一人の女性だった。
歳は四〇過ぎといったところか? 落ち着いたシックな服装をしているが、何処か品のある女性だ。誰かに似ているような気が……
どこか引っ掛かりを感じて首を捻っていると、女性は口元に手を当てて、俺のカメラを震える手で指差した。
「あ、あなた……それ……」
「ああ、この子が買い取ってくれたんです。今ちょうど写真を見せてもらっていたのですが、なかなかにいい」
おっちゃんがしみじみと写真を褒めてくれるのが嬉しくて、思わず「いやあ……」と頭を掻いてしまう。
二人は知り合いみたいだし、この人はよく店にやって来るのだろうか。
「そう、ですか。そう……そうね、これでよかったのかもしれないわ」
女性はブツブツと呟くように何かを言うと、目尻を押さえながら俺を見た。
「そのカメラ、大事に使ってくださいね」
「え……あ、はい……」
突然話しかけられて、言葉に詰まってしまった。
女性は俺の言葉足らずな返事を聞くと、弱々しく微笑んでから会釈をして店を出て行ってしまった。
誰だったんだろう。
おっちゃんからカメラを受け取ってケースに仕舞おうとした時、これまでずっと沈黙を守ってきていた小鳥遊の声が聞こえた。
「………………お母さん」
「えっ」
驚いて危うくカメラを落とすところだった。慌てて受け止めて息を吐く。おっちゃんにも少し非難されるような視線を向けられてしまった。いや、だって、え?
「あ、あの……さっきの女の人って」
もしかして、そうなのか? 俺の心臓がドクドクと激しく脈打っている。
「ん? ああ、あの人ね。よくそのカメラを見に来ていたんだ。誰かいい人に買われたか、とね」
「それは――」
なぜ、カメラの買い手を気にするのか。
買い手を気にするということは、やっぱり、この人は――
「そう、あの人はこのカメラの元の持ち主だった女子高生の母親さ」
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