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第八話 暑い日は水遊びをしましょう 4
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「ウェイン」
「はい、なんでしょうか」
夕食後、場所は執務室。
執務机に肘をついてぼんやりと闇に染まる窓を見つめるルイスが、ウェインの名を呼んだ。
第二次成長期に入ってから、夕食後のひと時にウェインと魔界の管理について勉強する時間を設けるようになった。今日も城を管理するウェインから近況報告を受け、書類仕事の手解きを受けていたのだが、ルイスは心ここに在らずといった様子である。
「なんだか最近おかしいのだ」
ルイスの呟きを聞いたウェインは、トントン、と書類をまとめてにこやかな笑顔で口を開いた。
「ルイス様、今日はここまでにしましょう。ルイス様が懸念されていらっしゃることをお伺いしても?」
「ああ……その、アリエッタのことなのだが」
やはり。
ウェインは声には出さずに密かに笑みを深めて、悩める主人の言葉を待つ。
物憂げなルイスは僅かに少年の面影を残してはいるが、もはや青年といったほうが適切であろう。
「ウェイン……この気持ちはなんだ? アリエッタを見ていると身体の奥底から未知の感情が湧き上がってくる。アリエッタの笑顔を見ると胸が満たされる。そばに居てくれると安心するのに、もっと近付きたい、触れたいと思うのだ。余はどこかおかしくなってしまったのだろうか」
「ほほっ。その答えはルイス様の中にあるかと存じますよ。日々を大切に、ご自身の心と真摯に向き合われることです。そうすれば自ずと答えは見えてくるでしょう。――あるいは、ルイス様はすでにその気持ちの名に気付いていらっしゃるのではありませんか?」
ウェインの言葉に、ルイスは黙り込んでしまった。
紅茶のおかわりを用意しながら、ウェインは静かにルイスの言葉を待つ。
「……そうだな。余はアリエッタが好きだ。いや、ずっと好きだったが……そうだ、これが愛おしいという気持ちなのだろう」
呟くように、自分に問いかけるように紡がれたルイスの言葉を受けて、ウェインが咄嗟に口元を手で覆った。
「どうかしたのか」
「いえ、ミーシャがよく言っている『尊い』とはかくいうものだと噛み締めておりました」
「? おかしなやつめ」
ルイスは怪訝な顔で小さく震えるウェインを見ている。
「まあよい。もう一つ聞きたいことがある」
「なんなりと」
ウェインはなんとか平静を取り戻し、胸に手を当ててにこやかに答えた。
「アリエッタは、余のことをどう思っているのだろう」
「んんっ……ごほん、失礼いたしました。ルイス様はあれほど毎日アリエッタ殿に愛情を注がれているというのに、何を心配されているのでしょうか?」
「むう……そうだ、アリエッタは余を大切に思ってくれている。だが、アリエッタの愛は、子供や弟に向けるような家族愛であろう。余のように、情欲に塗れた想いとは別物だ」
すっかり一人の男として恋に悩むルイスを前に、ウェインは身悶えしそうになったが執事の威厳をなんとか保って背筋を伸ばした。
「それはご本人に訊ねてみなければわからないかと思いますよ。ルイス様はこの魔界を統べる王ゆえ、成長速度が著しい。人間であるアリエッタ殿がその変化に戸惑うのも必然」
「そうだろうか……余はアリエッタよりも背が高くなり、声質も変わり、体格もがっしりしてきたと思っているのだが、アリエッタは依然として子供扱いしてくるぞ」
「まあ、ルイス様が愛らしいことに変わりはありませんので……」
「ん? なんだ?」
「いえ、なんでも」
アリエッタの気持ちを代弁するようにウェインが漏らした呟きはルイスには聞こえなかったようだ。
「以前、アリエッタに好きだと伝えたことがあるのだが、まともに取り合ってもらえなかった」
「ほう! それはいつ頃のことでしょう」
初耳情報に、ウェインの赤い目がキラリと光った。
「アリエッタが魔界に来て半年ほど過ぎた頃……そう、城を抜け出してウェインにこっぴどく怒られたあの日だ」
「ああ、懐かしゅうございますね。その頃でしたら、まだ幼かったでしょうから、アリエッタ殿も親愛の念と受け取られたのではないでしょうか」
「はぁ……どうすれば、余の気持ちが伝わるのだろう」
「正直に、全てお話しすればよろしいかと」
「全てとは……女としてアリエッタを愛していることや、アリエッタを閉じ込めて独り占めしたいと思っていることもか?」
「おお……そこまで思っていらしたのですね。まあ、女性として愛しているとお伝えすれば流石のアリエッタ殿も自覚するかと思いますよ」
「そうか。その、アリエッタは余を嫌いにはなってしまわないだろうか。こんな気持ちを向けられていると知って、気味が悪いとは思わないだろうか……余の前から居なくなりはしないだろうか」
初めての恋に翻弄されるルイスは、随分と弱気だ。そんな主人を温かい目で見つめながら、ウェインはゆっくりと首を振った。
「ルイス様はどう思われますか? アリエッタ殿が本当にそのようなことを思い、ルイス様の前から去るようなお人だとお思いですかな?」
「思わない。あっ」
間髪入れずに否定の言葉が出たことに、自分でも驚いた様子のルイス。
「それが答えではないでしょうか。あとはルイス様のお心次第。今の関係に甘んじるのか、一歩踏み出すのか。それを決めるのは他でもないルイス様ご自身ですよ」
「……ああ。ありがとう、ウェイン」
「ほほっ、いえいえ」
一人で悩んでいたことを打ち明けて、どこかスッキリとした表情となったルイス。
ウェインも一安心して、少し冷めた紅茶を口に含んだ時。
「ところで、ウェインはミーシャとはどうなっているのだ?」
「ブッホォ」
とんでもない話題が飛び出して、ウェインは思わず飲んでいた紅茶を吹き出した。ゲホゲホと咽せながら、素早くテーブルをきれいに拭きとる。
「な、なな、何をおっしゃいますか」
「ははっ、ウェインがそれほど動揺するとは」
いつも毅然として何事も完璧にこなすウェインの慌てように、ルイスは楽しそうに肩を揺らしている。すっかり長くなった脚を組んで、金色の目を細めて手すりに肘をついている。
「ごほん。老いぼれを揶揄うものではございませんよ」
「ん? なんだ、歳のことを気にしているのか? ミーシャはそんな些細なことを気にする女ではないであろうに」
ルイスの言葉に、ウェインは息を呑む。
前にミーシャも言っていた。ウェインは老いぼれなんかではない、素敵な優しい紳士なのだと。その言葉が震えるほどに嬉しかったはずなのに、自分はまだ年齢を盾にミーシャに向き合おうとしていない。
「――老いぼれだと、言い訳をしているのは私だけかもしれませんね」
「ふ、そうだぞ。そろそろ素直に向き合ってはどうだ」
「……考えておきます」
まさかルイスに言われてしまうとは、情けない。
悩める男二人は、顔を見合わせて互いの健闘を祈るように微笑み合った。
「はい、なんでしょうか」
夕食後、場所は執務室。
執務机に肘をついてぼんやりと闇に染まる窓を見つめるルイスが、ウェインの名を呼んだ。
第二次成長期に入ってから、夕食後のひと時にウェインと魔界の管理について勉強する時間を設けるようになった。今日も城を管理するウェインから近況報告を受け、書類仕事の手解きを受けていたのだが、ルイスは心ここに在らずといった様子である。
「なんだか最近おかしいのだ」
ルイスの呟きを聞いたウェインは、トントン、と書類をまとめてにこやかな笑顔で口を開いた。
「ルイス様、今日はここまでにしましょう。ルイス様が懸念されていらっしゃることをお伺いしても?」
「ああ……その、アリエッタのことなのだが」
やはり。
ウェインは声には出さずに密かに笑みを深めて、悩める主人の言葉を待つ。
物憂げなルイスは僅かに少年の面影を残してはいるが、もはや青年といったほうが適切であろう。
「ウェイン……この気持ちはなんだ? アリエッタを見ていると身体の奥底から未知の感情が湧き上がってくる。アリエッタの笑顔を見ると胸が満たされる。そばに居てくれると安心するのに、もっと近付きたい、触れたいと思うのだ。余はどこかおかしくなってしまったのだろうか」
「ほほっ。その答えはルイス様の中にあるかと存じますよ。日々を大切に、ご自身の心と真摯に向き合われることです。そうすれば自ずと答えは見えてくるでしょう。――あるいは、ルイス様はすでにその気持ちの名に気付いていらっしゃるのではありませんか?」
ウェインの言葉に、ルイスは黙り込んでしまった。
紅茶のおかわりを用意しながら、ウェインは静かにルイスの言葉を待つ。
「……そうだな。余はアリエッタが好きだ。いや、ずっと好きだったが……そうだ、これが愛おしいという気持ちなのだろう」
呟くように、自分に問いかけるように紡がれたルイスの言葉を受けて、ウェインが咄嗟に口元を手で覆った。
「どうかしたのか」
「いえ、ミーシャがよく言っている『尊い』とはかくいうものだと噛み締めておりました」
「? おかしなやつめ」
ルイスは怪訝な顔で小さく震えるウェインを見ている。
「まあよい。もう一つ聞きたいことがある」
「なんなりと」
ウェインはなんとか平静を取り戻し、胸に手を当ててにこやかに答えた。
「アリエッタは、余のことをどう思っているのだろう」
「んんっ……ごほん、失礼いたしました。ルイス様はあれほど毎日アリエッタ殿に愛情を注がれているというのに、何を心配されているのでしょうか?」
「むう……そうだ、アリエッタは余を大切に思ってくれている。だが、アリエッタの愛は、子供や弟に向けるような家族愛であろう。余のように、情欲に塗れた想いとは別物だ」
すっかり一人の男として恋に悩むルイスを前に、ウェインは身悶えしそうになったが執事の威厳をなんとか保って背筋を伸ばした。
「それはご本人に訊ねてみなければわからないかと思いますよ。ルイス様はこの魔界を統べる王ゆえ、成長速度が著しい。人間であるアリエッタ殿がその変化に戸惑うのも必然」
「そうだろうか……余はアリエッタよりも背が高くなり、声質も変わり、体格もがっしりしてきたと思っているのだが、アリエッタは依然として子供扱いしてくるぞ」
「まあ、ルイス様が愛らしいことに変わりはありませんので……」
「ん? なんだ?」
「いえ、なんでも」
アリエッタの気持ちを代弁するようにウェインが漏らした呟きはルイスには聞こえなかったようだ。
「以前、アリエッタに好きだと伝えたことがあるのだが、まともに取り合ってもらえなかった」
「ほう! それはいつ頃のことでしょう」
初耳情報に、ウェインの赤い目がキラリと光った。
「アリエッタが魔界に来て半年ほど過ぎた頃……そう、城を抜け出してウェインにこっぴどく怒られたあの日だ」
「ああ、懐かしゅうございますね。その頃でしたら、まだ幼かったでしょうから、アリエッタ殿も親愛の念と受け取られたのではないでしょうか」
「はぁ……どうすれば、余の気持ちが伝わるのだろう」
「正直に、全てお話しすればよろしいかと」
「全てとは……女としてアリエッタを愛していることや、アリエッタを閉じ込めて独り占めしたいと思っていることもか?」
「おお……そこまで思っていらしたのですね。まあ、女性として愛しているとお伝えすれば流石のアリエッタ殿も自覚するかと思いますよ」
「そうか。その、アリエッタは余を嫌いにはなってしまわないだろうか。こんな気持ちを向けられていると知って、気味が悪いとは思わないだろうか……余の前から居なくなりはしないだろうか」
初めての恋に翻弄されるルイスは、随分と弱気だ。そんな主人を温かい目で見つめながら、ウェインはゆっくりと首を振った。
「ルイス様はどう思われますか? アリエッタ殿が本当にそのようなことを思い、ルイス様の前から去るようなお人だとお思いですかな?」
「思わない。あっ」
間髪入れずに否定の言葉が出たことに、自分でも驚いた様子のルイス。
「それが答えではないでしょうか。あとはルイス様のお心次第。今の関係に甘んじるのか、一歩踏み出すのか。それを決めるのは他でもないルイス様ご自身ですよ」
「……ああ。ありがとう、ウェイン」
「ほほっ、いえいえ」
一人で悩んでいたことを打ち明けて、どこかスッキリとした表情となったルイス。
ウェインも一安心して、少し冷めた紅茶を口に含んだ時。
「ところで、ウェインはミーシャとはどうなっているのだ?」
「ブッホォ」
とんでもない話題が飛び出して、ウェインは思わず飲んでいた紅茶を吹き出した。ゲホゲホと咽せながら、素早くテーブルをきれいに拭きとる。
「な、なな、何をおっしゃいますか」
「ははっ、ウェインがそれほど動揺するとは」
いつも毅然として何事も完璧にこなすウェインの慌てように、ルイスは楽しそうに肩を揺らしている。すっかり長くなった脚を組んで、金色の目を細めて手すりに肘をついている。
「ごほん。老いぼれを揶揄うものではございませんよ」
「ん? なんだ、歳のことを気にしているのか? ミーシャはそんな些細なことを気にする女ではないであろうに」
ルイスの言葉に、ウェインは息を呑む。
前にミーシャも言っていた。ウェインは老いぼれなんかではない、素敵な優しい紳士なのだと。その言葉が震えるほどに嬉しかったはずなのに、自分はまだ年齢を盾にミーシャに向き合おうとしていない。
「――老いぼれだと、言い訳をしているのは私だけかもしれませんね」
「ふ、そうだぞ。そろそろ素直に向き合ってはどうだ」
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