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第六話 ワガママ王女の災難 2
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日暮れ前、僕たちは目的の泉へと到着した。
我が家からは少し距離があるので、風魔法で空を滑空してやってきた。
「わあ……蕾、いっぱい」
まだ月が昇っていないので、泉を囲むように生い茂っている月光花は蕾のまま、今か今かと月の光を待ち望んでいる。
湧水が貯まった小さな泉は、深い森の一角にポカリと開けた場所に位置している。清らかな水に開けた場所。月光花にとっては絶好の場所である。
「いい頃合いに着いたね。月が昇るまで待っていようか。いいものが見られるよ」
「ん?」
僕たちは宙にふわふわ浮いたまま、日が沈むのを待った。
間も無く、赤く染まっていた空が宵色を深くしていく。太陽が月に主役を譲り、双方が入れ替わるように青白く輝く満月が昇り始めた。やがて、月の光が泉を照らし始めたその時、月の光を求めるように、月光花の蕾が一斉に開き始めた。
「わあ……」
満月に手を伸ばすように花弁を開く月光花は、南国の海のように鮮やかな蒼色だ。
この世のものとは思えないほど美しい光景に、レオンは言葉を失っている。そのサファイアブルーの瞳も、月光を反射して美しい光を放っている。
「綺麗だよね。レオンの瞳の色によく似ている」
「えっ」
波打つ水面のようにレオンの瞳が揺れる。うん、どんな宝石よりも綺麗だ。
「さて、依頼の月光花は満月の夜にしか咲かない。だから早く摘んで持って行かなきゃ萎んでしまう」
僕は月光花を散らさないように静かに近付いていく。
一際大きく花開いているものを選んで、花茎をパキリと折る。花弁が風に遊ばれて鮮やかな蒼を揺らした。
「じゃあ、僕は納品しに行ってくるから、レオンは家で待っていてね」
「……むう、レオン、また一人で待つ? レオンも、行きたい……」
ふよふよと浮き上がってレオンの元に戻ると、レオンは僕の外套をキュッと掴んで、珍しく駄々をこねた。
僕は思わず目を瞬いてしまう。
レオンが自分の意思を述べてくれたのだ。これまで我慢を強いられてきたレオンは、僕の言うことを素直に聞いてくれるものの、反論したり意見したりすることはなかった。もう少しワガママを言って欲しいと思っていたので、自分の気持ちを表明してくれたことがとても嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「よし、一緒に行こうか。一人で来るようにって書かれているから、認識阻害の魔法をかけておこう。誰もレオンが側にいることに気が付かないはずだ。月光花を渡したらすぐにうちに帰ろう」
「ん、ありがとう」
レオンは嬉しそうに頬を桃色に染める。
僕はレオンの手を取って認識阻害魔法をかけ、懐から依頼書を取り出した。
「じゃあ、行こうか。――『転移』」
依頼書に吸い寄せられるようにグニャンと空間が歪み、僕たちは月明かりだけが差し込む薄暗い部屋に転移した。
「ん……ここは?」
僕は夜目が効くので、目を細めて周囲を見渡す。レオンには僕の背に隠れているように伝えてある。
やけに豪華で広い部屋だ。天蓋付きのベッドもあるし家具や装飾品も一級品だ。
「あ、あなたが……大賢者チル、ですの?」
暗闇の中から凛と通る声がして、そちらに顔を向ける。陰の中にいるので、ぼんやりとシルエットを捉えることができるが、表情までは読み取れない。
「うん、あなたが依頼主?」
「ええ、そうですわ。わたくしはザギルモンド王国の第一王女、ロゼリア・ザギルモンドですわ。以後お見知り置きを」
カーテンが開けられ、月光を存分に注ぎ込む窓の前に姿を現した王女ロゼリアは、長く輝くブロンドの髪を靡かせ、エメラルド色の瞳を細めた。確かザギルモンド王国の第一王女は今年で十八歳。僕と三つしか変わらないのに随分と大人びている。
それにしても、どうしてそんなに薄着なのだろうか。ボディラインが透けて見えるようなシルクの夜着を身に纏っている。就寝前だった? でも月光花の依頼をしてきたのは向こうだしなあ……
「そう、よろしく。じゃあこれ、依頼の月光花。確かに渡したからね」
僕は色々と思考を巡らせつつも、月光花を月明かりの下に差し出した。花は依然として美しく光り輝いている。
「まあ……今日依頼をしたばかりなのに、随分早いですわね。噂通り、規格外のお方なのね。見た目は随分と幼く見えるけれど」
「いえいえ。ちょうど満月の夜だったからね。月光花の群生地もたまたま知っていたし。ちなみに年は十五だよ」
「じゅっ……⁉︎」
僕の歳を聞いて絶句するロゼリア王女。まあ、肉体の年齢は十五ってだけなんだけどね。
ロゼリア王女は口元に手を当てて、何やら考え込んでいるようだけれど、スッと顔を上げると妖艶な笑みを浮かべた。ん?
「その歳だったら、まだ女の魅力を知らないのではないかしら。月光花の報酬として、少しわたくしと遊んでいきませんこと?」
そう言いながら、ロゼリア王女は腕組みをして、豊満な胸を強調し、白く艶やかな脚を少し前に差し出した。
あれ、もしかして僕、誘われているのかな?
「あー……なるほど。やめた方がいいよ」
残念ながら、美の化身である女神ヴィーナの元で百年修行を積んでいるから、正直ロゼリア王女には全く色気を感じない。子供が背伸びして大人の女性を演じているようにしか見えない。
「ふふっ、緊張しているのかしら? いいのよ、特別に触らせてあげても……あなたがわたくしのものになると言うなら」
「っ!」
ニヤリと口角を吊り上げて、下から覗き込むように見上げてきたロゼリア王女。その時、背後に隠れるレオンが身をこわばらせ、ギュウッと僕の外套を握りしめたのが分かった。
「大丈夫だよ、安心して」
僕はレオンにだけ聞こえるように念話で伝えると、ロゼリア王女に微笑みかけた。
「一応警告しておくけど、僕を手篭めにしようと近づかない方が身のためだよ?」
「あははっ、強がっているのね。可愛いじゃない。ますます欲しくなっちゃうわ。あなた、わたくしだけのためにその力を使いなさい。ねえ、ほら……」
ロゼリア王女は僕の忠告を無視して強気な笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と僕に歩み寄る。僕は肩をすくめながらもその場から動かずにいた。ロゼリア王女の細くて長い指が僕の頬に触れようとしたその時――
「きゃあっ⁉︎」
ピッシャァァァン! と空気を張り裂く爆音と共に、窓の外に稲光が走った。
ロゼリア王女は反射的に両耳を覆って、僕の足元で蹲ってしまった。彼女の頭上に、僕は冷静に言葉を降らせる。
「あーあ、だから警告したのに。みんな、本当に嫉妬深くて困るんだよね。ただでさえここ半月、僕との接触を禁じられているから」
「みんな? え? なんのこ……と」
にこやかに微笑む僕の背後の大窓がバァン! と突風により開け放たれた。先程まで雲ひとつなく美しい星空だったはずなのに、雷鳴が轟き、急に降り始めた激しい雨粒が室内を濡らす。バシバシと鋭く叩きつけるような雨がロゼリア王女に降り注いでいる。不思議なことに僕の周りだけは濡れていない。
僕は雨に濡れるのが嫌いだからね。彼女たちはそのことをよく知っているから。
室内だというのに旋風が巻き上がり、愛らしい人形から高そうなグラスまで、部屋に置かれているものを巻き上げて窓の外に吐き出していく。何が起こっているのか全く理解できないという様子のロゼリア王女は、ただひたすらに悲鳴を上げ続けている。
「おいおい、流石にやりすぎじゃないか?」
ここらで仲裁しておかなくては、何をしでかすかわからないので制止しておく。
女の嫉妬は怖いぞ、と顔を引き攣らせながら教えてくれたのはリヴァルドだったかな。ふふ、今それを強く痛感しているよ。
僕の言葉を受けて、少し不満げに風が一筋室内を吹き抜けて、雷雨が収まった。雲が晴れて何事もなかったかのように満月が煌々と地上に光を降り注いでいる。
「ひっ……な、なんだったの……」
ぐっちょりと全身ずぶ濡れになってガタガタ震えているロゼリア王女は、すっかり怯えた様子で僕を見上げてくる。いやいや、僕は何もしていないってば。両手を上げて首を振っておく。
「神様の逆鱗に触れたんだよ」
僕はロゼリア王女に手を翳して温風で全身を乾かしてあげた。ロゼリア王女はホッと息を吐いて両腕で身体を抱え込むように丸くなった。
「僕は誰の所有物になるつもりはないよ。君自身が僕を求めたのか、あるいは他の誰かに唆されたのかは知らないけど、次はないと思った方がいい。きっと神様たちは君を敵と認識してしまっただろうから」
「か、神様……?」
何が何だかわからないといった様子のロゼリア王女だけれど、その反応になるのも致し方ない。詳しく説明してあげる義理もないので、そろそろお暇しようかな。
「そんなペラッペラな服のままだと風邪引いちゃうよ。まあ、月光花には解熱作用もあるからうまく煎じて飲むといい」
僕は後ろ手でレオンの両手を掴み、我が家へと転移した。
ようやく家に辿り着き、僕は安堵の息を吐いた。やっぱり我が家が一番だ。最高。
「いやあ、とんだ災難だったね。あれ、レオン? レオン~~~~⁉︎」
花を渡しに行くだけのつもりが、王女に迫られ、神様(多分あれはヴィーナだな)が怒り狂いと、どうしてこうなったと思わずにいられない。
レオンもびっくりしただろうな、と思って後ろを振り向くと、立ったまま白目を剥いて気絶していた。そっか! 猫耳族は人間よりも耳がいいから、恐らく突然の雷に驚きすぎて意識が飛んでしまったんだ。
「レオン、起きて、レオン~~~~~‼︎」
やっぱり今度からレオンには留守番していてもらおう。そう誓いながら、僕はレオンの頬をペチペチ叩いて意識を呼び戻そうと奮闘した。
◇◇◇
「な、なんだったのよ……」
ロゼリアは、先ほど起きたことが理解できずに呆然としたまま座り込んでいた。いや、正確には腰が抜けて動けなかったのだ。
もしかして、夢でも見ていたのか。そう現実逃避しようにも、旋風に荒らされた室内を見ると、先の出来事が現実であると嫌でも痛感する。
「ロゼリア様っ⁉︎ な、なんですかこれは!」
そこでようやく、お付きの侍女がロゼリアの部屋に飛び込んできた。いつもなら「ノックをしなさい!」と叱咤するところであるが、彼女の顔を見て、ロゼリアは緊張の糸が解けたように安堵の気持ちに包まれた。
「ロゼリア様、そちらは……大賢者様がいらしていたのですね」
「え? あ……」
侍女の視線を辿ると、そこには青白く輝く月光花が、荒らされた部屋の中で異質な美しさを放っていた。まるで、先ほどやってきた大賢者だとかいう少年と同じように。そう、彼はあまりにも異質だった。
今回ロゼリアは、父王であるロスターからの指示もあり、チルを手中に収めようと考えていた。もちろんそれだけでなく、ロゼリア自身も、唯一無二の存在を自身の支配下に置きたいという野心があった。
けれど、この世には触れてはいけないものがあるのだと、その身をもって痛感した。
チルの言っていたことが本当ならば、チルに危害を加えようとした時点で神々の怒りを買い、先ほどのロゼリアのように鉄槌を下され得るということだ。そのようなことがあっていいのだろうか。たった一人のただ人間に、世界を統べる神々があれほどまでに傾倒してもいいのだろうか。いや、きっとチルという少年が、ただの人間ではないのだ。決して、安易に手を出してはならない人物、それが彼なのだ。
「ダメよ……お父様に伝えなくちゃ……」
チルに関わるな、と。
我が家からは少し距離があるので、風魔法で空を滑空してやってきた。
「わあ……蕾、いっぱい」
まだ月が昇っていないので、泉を囲むように生い茂っている月光花は蕾のまま、今か今かと月の光を待ち望んでいる。
湧水が貯まった小さな泉は、深い森の一角にポカリと開けた場所に位置している。清らかな水に開けた場所。月光花にとっては絶好の場所である。
「いい頃合いに着いたね。月が昇るまで待っていようか。いいものが見られるよ」
「ん?」
僕たちは宙にふわふわ浮いたまま、日が沈むのを待った。
間も無く、赤く染まっていた空が宵色を深くしていく。太陽が月に主役を譲り、双方が入れ替わるように青白く輝く満月が昇り始めた。やがて、月の光が泉を照らし始めたその時、月の光を求めるように、月光花の蕾が一斉に開き始めた。
「わあ……」
満月に手を伸ばすように花弁を開く月光花は、南国の海のように鮮やかな蒼色だ。
この世のものとは思えないほど美しい光景に、レオンは言葉を失っている。そのサファイアブルーの瞳も、月光を反射して美しい光を放っている。
「綺麗だよね。レオンの瞳の色によく似ている」
「えっ」
波打つ水面のようにレオンの瞳が揺れる。うん、どんな宝石よりも綺麗だ。
「さて、依頼の月光花は満月の夜にしか咲かない。だから早く摘んで持って行かなきゃ萎んでしまう」
僕は月光花を散らさないように静かに近付いていく。
一際大きく花開いているものを選んで、花茎をパキリと折る。花弁が風に遊ばれて鮮やかな蒼を揺らした。
「じゃあ、僕は納品しに行ってくるから、レオンは家で待っていてね」
「……むう、レオン、また一人で待つ? レオンも、行きたい……」
ふよふよと浮き上がってレオンの元に戻ると、レオンは僕の外套をキュッと掴んで、珍しく駄々をこねた。
僕は思わず目を瞬いてしまう。
レオンが自分の意思を述べてくれたのだ。これまで我慢を強いられてきたレオンは、僕の言うことを素直に聞いてくれるものの、反論したり意見したりすることはなかった。もう少しワガママを言って欲しいと思っていたので、自分の気持ちを表明してくれたことがとても嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「よし、一緒に行こうか。一人で来るようにって書かれているから、認識阻害の魔法をかけておこう。誰もレオンが側にいることに気が付かないはずだ。月光花を渡したらすぐにうちに帰ろう」
「ん、ありがとう」
レオンは嬉しそうに頬を桃色に染める。
僕はレオンの手を取って認識阻害魔法をかけ、懐から依頼書を取り出した。
「じゃあ、行こうか。――『転移』」
依頼書に吸い寄せられるようにグニャンと空間が歪み、僕たちは月明かりだけが差し込む薄暗い部屋に転移した。
「ん……ここは?」
僕は夜目が効くので、目を細めて周囲を見渡す。レオンには僕の背に隠れているように伝えてある。
やけに豪華で広い部屋だ。天蓋付きのベッドもあるし家具や装飾品も一級品だ。
「あ、あなたが……大賢者チル、ですの?」
暗闇の中から凛と通る声がして、そちらに顔を向ける。陰の中にいるので、ぼんやりとシルエットを捉えることができるが、表情までは読み取れない。
「うん、あなたが依頼主?」
「ええ、そうですわ。わたくしはザギルモンド王国の第一王女、ロゼリア・ザギルモンドですわ。以後お見知り置きを」
カーテンが開けられ、月光を存分に注ぎ込む窓の前に姿を現した王女ロゼリアは、長く輝くブロンドの髪を靡かせ、エメラルド色の瞳を細めた。確かザギルモンド王国の第一王女は今年で十八歳。僕と三つしか変わらないのに随分と大人びている。
それにしても、どうしてそんなに薄着なのだろうか。ボディラインが透けて見えるようなシルクの夜着を身に纏っている。就寝前だった? でも月光花の依頼をしてきたのは向こうだしなあ……
「そう、よろしく。じゃあこれ、依頼の月光花。確かに渡したからね」
僕は色々と思考を巡らせつつも、月光花を月明かりの下に差し出した。花は依然として美しく光り輝いている。
「まあ……今日依頼をしたばかりなのに、随分早いですわね。噂通り、規格外のお方なのね。見た目は随分と幼く見えるけれど」
「いえいえ。ちょうど満月の夜だったからね。月光花の群生地もたまたま知っていたし。ちなみに年は十五だよ」
「じゅっ……⁉︎」
僕の歳を聞いて絶句するロゼリア王女。まあ、肉体の年齢は十五ってだけなんだけどね。
ロゼリア王女は口元に手を当てて、何やら考え込んでいるようだけれど、スッと顔を上げると妖艶な笑みを浮かべた。ん?
「その歳だったら、まだ女の魅力を知らないのではないかしら。月光花の報酬として、少しわたくしと遊んでいきませんこと?」
そう言いながら、ロゼリア王女は腕組みをして、豊満な胸を強調し、白く艶やかな脚を少し前に差し出した。
あれ、もしかして僕、誘われているのかな?
「あー……なるほど。やめた方がいいよ」
残念ながら、美の化身である女神ヴィーナの元で百年修行を積んでいるから、正直ロゼリア王女には全く色気を感じない。子供が背伸びして大人の女性を演じているようにしか見えない。
「ふふっ、緊張しているのかしら? いいのよ、特別に触らせてあげても……あなたがわたくしのものになると言うなら」
「っ!」
ニヤリと口角を吊り上げて、下から覗き込むように見上げてきたロゼリア王女。その時、背後に隠れるレオンが身をこわばらせ、ギュウッと僕の外套を握りしめたのが分かった。
「大丈夫だよ、安心して」
僕はレオンにだけ聞こえるように念話で伝えると、ロゼリア王女に微笑みかけた。
「一応警告しておくけど、僕を手篭めにしようと近づかない方が身のためだよ?」
「あははっ、強がっているのね。可愛いじゃない。ますます欲しくなっちゃうわ。あなた、わたくしだけのためにその力を使いなさい。ねえ、ほら……」
ロゼリア王女は僕の忠告を無視して強気な笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と僕に歩み寄る。僕は肩をすくめながらもその場から動かずにいた。ロゼリア王女の細くて長い指が僕の頬に触れようとしたその時――
「きゃあっ⁉︎」
ピッシャァァァン! と空気を張り裂く爆音と共に、窓の外に稲光が走った。
ロゼリア王女は反射的に両耳を覆って、僕の足元で蹲ってしまった。彼女の頭上に、僕は冷静に言葉を降らせる。
「あーあ、だから警告したのに。みんな、本当に嫉妬深くて困るんだよね。ただでさえここ半月、僕との接触を禁じられているから」
「みんな? え? なんのこ……と」
にこやかに微笑む僕の背後の大窓がバァン! と突風により開け放たれた。先程まで雲ひとつなく美しい星空だったはずなのに、雷鳴が轟き、急に降り始めた激しい雨粒が室内を濡らす。バシバシと鋭く叩きつけるような雨がロゼリア王女に降り注いでいる。不思議なことに僕の周りだけは濡れていない。
僕は雨に濡れるのが嫌いだからね。彼女たちはそのことをよく知っているから。
室内だというのに旋風が巻き上がり、愛らしい人形から高そうなグラスまで、部屋に置かれているものを巻き上げて窓の外に吐き出していく。何が起こっているのか全く理解できないという様子のロゼリア王女は、ただひたすらに悲鳴を上げ続けている。
「おいおい、流石にやりすぎじゃないか?」
ここらで仲裁しておかなくては、何をしでかすかわからないので制止しておく。
女の嫉妬は怖いぞ、と顔を引き攣らせながら教えてくれたのはリヴァルドだったかな。ふふ、今それを強く痛感しているよ。
僕の言葉を受けて、少し不満げに風が一筋室内を吹き抜けて、雷雨が収まった。雲が晴れて何事もなかったかのように満月が煌々と地上に光を降り注いでいる。
「ひっ……な、なんだったの……」
ぐっちょりと全身ずぶ濡れになってガタガタ震えているロゼリア王女は、すっかり怯えた様子で僕を見上げてくる。いやいや、僕は何もしていないってば。両手を上げて首を振っておく。
「神様の逆鱗に触れたんだよ」
僕はロゼリア王女に手を翳して温風で全身を乾かしてあげた。ロゼリア王女はホッと息を吐いて両腕で身体を抱え込むように丸くなった。
「僕は誰の所有物になるつもりはないよ。君自身が僕を求めたのか、あるいは他の誰かに唆されたのかは知らないけど、次はないと思った方がいい。きっと神様たちは君を敵と認識してしまっただろうから」
「か、神様……?」
何が何だかわからないといった様子のロゼリア王女だけれど、その反応になるのも致し方ない。詳しく説明してあげる義理もないので、そろそろお暇しようかな。
「そんなペラッペラな服のままだと風邪引いちゃうよ。まあ、月光花には解熱作用もあるからうまく煎じて飲むといい」
僕は後ろ手でレオンの両手を掴み、我が家へと転移した。
ようやく家に辿り着き、僕は安堵の息を吐いた。やっぱり我が家が一番だ。最高。
「いやあ、とんだ災難だったね。あれ、レオン? レオン~~~~⁉︎」
花を渡しに行くだけのつもりが、王女に迫られ、神様(多分あれはヴィーナだな)が怒り狂いと、どうしてこうなったと思わずにいられない。
レオンもびっくりしただろうな、と思って後ろを振り向くと、立ったまま白目を剥いて気絶していた。そっか! 猫耳族は人間よりも耳がいいから、恐らく突然の雷に驚きすぎて意識が飛んでしまったんだ。
「レオン、起きて、レオン~~~~~‼︎」
やっぱり今度からレオンには留守番していてもらおう。そう誓いながら、僕はレオンの頬をペチペチ叩いて意識を呼び戻そうと奮闘した。
◇◇◇
「な、なんだったのよ……」
ロゼリアは、先ほど起きたことが理解できずに呆然としたまま座り込んでいた。いや、正確には腰が抜けて動けなかったのだ。
もしかして、夢でも見ていたのか。そう現実逃避しようにも、旋風に荒らされた室内を見ると、先の出来事が現実であると嫌でも痛感する。
「ロゼリア様っ⁉︎ な、なんですかこれは!」
そこでようやく、お付きの侍女がロゼリアの部屋に飛び込んできた。いつもなら「ノックをしなさい!」と叱咤するところであるが、彼女の顔を見て、ロゼリアは緊張の糸が解けたように安堵の気持ちに包まれた。
「ロゼリア様、そちらは……大賢者様がいらしていたのですね」
「え? あ……」
侍女の視線を辿ると、そこには青白く輝く月光花が、荒らされた部屋の中で異質な美しさを放っていた。まるで、先ほどやってきた大賢者だとかいう少年と同じように。そう、彼はあまりにも異質だった。
今回ロゼリアは、父王であるロスターからの指示もあり、チルを手中に収めようと考えていた。もちろんそれだけでなく、ロゼリア自身も、唯一無二の存在を自身の支配下に置きたいという野心があった。
けれど、この世には触れてはいけないものがあるのだと、その身をもって痛感した。
チルの言っていたことが本当ならば、チルに危害を加えようとした時点で神々の怒りを買い、先ほどのロゼリアのように鉄槌を下され得るということだ。そのようなことがあっていいのだろうか。たった一人のただ人間に、世界を統べる神々があれほどまでに傾倒してもいいのだろうか。いや、きっとチルという少年が、ただの人間ではないのだ。決して、安易に手を出してはならない人物、それが彼なのだ。
「ダメよ……お父様に伝えなくちゃ……」
チルに関わるな、と。
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