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第二話 猫耳族レオンとの出会い
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「快眠を促すハーブは……確か、カモミール、オレンジブロッサム、後はローズやスペアミントあたりだったかな」
家の近くの森に入り、頭に思い浮かんだハーブや花を探す。
森には動物も魔物もいるけれど、この森のトップは僕だとみんな知っているので襲ってくることはない。
清らかな小川に沿って森の中を進んでいく。
道すがら目ぼしい草花を採集しては背負った籠に放り込んでいく。ついでに食用の植物や薬草の原料も採集しておく。
「よし、こんなもんかな……ん? あれは」
背中の籠が七割ほど埋まった頃合いで切り上げて帰ろうかと視線を上げた時、視界の端に何かが映った。
スウッと目を細めて見ると、どうやら誰かが倒れているらしい。
「こんな森の奥深くまで迷い込んだのか?」
少し疑問を抱いたものの、見過ごすわけにはいかないので様子を見に行く。
「うにゃ……」
「へえ、猫耳族か。珍しい種族だな」
近づいてみると、明るい橙色の髪色をした猫耳族の子供が倒れていた。髪はボサボサ、服は薄汚れて、身体中に擦り傷や引っ掻き傷がある。
見るからに訳ありのようだな。
痩せ細った様子を見るに、間違いなくお腹も空いているだろう。水も飲ませたほうがよさそう。
とにかく応急処置のため、治癒魔法をかけておこう。
ポウッと黄緑色の淡い光が猫耳族の子供を包み込み、みるみるうちに傷が塞がっていく。
少し表情が和らいだけれど、意識はまだ戻らない。
「仕方がない」
僕は猫耳族の子供に触れると、転移魔法で我が家へと転移した。良質な睡眠のためには程よく体を動かすことも大切なので、できれば歩いて帰りたかったのだけれど緊急事態なので致し方ない。
台所に籠を下ろして、猫耳族の子供をベッドに運ぶ。
さて、恐らくしばらくろくに食事をしていないだろうから、急に胃に負担のあるものを食べると胃が驚いてしまう。昨日の野菜スープの残りがあるので、先ほど積んできた薬草を少し刻んで混ぜておこう。
水には少しレモングラスを絞ってさっぱり飲みやすくしておく。
「う……ここは?」
台所でガサガサと食事の準備を整えていると、猫耳族の子供が目を覚ました。
寝室に顔を出すと、警戒した様子で耳と尻尾を尖らせて、猫特有の威嚇のポーズをとっていた。
サファイアブルーの瞳は美しいけど、瞳孔が開ききっている。
「やあ、具合はどう? 僕の名前はチル。森で倒れていたから僕の家に連れて来たんだ」
「チル……?」
「そう、チル。よろしくね。君は?」
「……レオン」
警戒心を解くために、両手を肩の位置まで上げて無害を主張する。
猫耳族の子供――レオンは耳をピンと尖らせたままではあるが、威嚇の態勢を解いてくれた。
「さて、まずは腹ごしらえだ。随分痩せているから、まともに食事をしていなかったろう? はい。急に食べたら胃がびっくりしちゃうから、ゆっくり咀嚼して食べるんだ」
「……ありがとう」
台所に戻って野菜スープを器によそって手渡すと、レオンは恐る恐るといった様子で器を受け取った。鼻を寄せてクンクン匂いを嗅いでいる。危険なものが入れられていないか確認しているのだろう。安心して飲んでほしいので、存分に確認してくれたまえ。
しばらく匂いを嗅いでいたレオンであるが、意を決したようにスプーンを手に取ると、ひと掬い口に運んだ。
「にゃ!」
一口含んだレオンは、パアッと顔を輝かせるとすごい勢いでがっつき始めた。
「待って待って! 急にたくさん食べたらダメだって! ちょっと、貸して!」
僕は見ていられずに、レオンから器とスプーンを引ったくる。野菜を崩しながらスプーンで掬い、ゆっくりとレオンの口元へと運ぶ。
「ほら、あーん」
「あーん?」
レオンはキョトンと首を傾げながら、言われるがままに口を開けた。
「そうそう、上手。偉い偉い」
野菜スープを気に入ってくれたのか、その後も素直に口を開いてくれる。そうしてゆっくりと無理のないペースでスープを食べ終えた。
「はい、水。常温にしてあるから、こっちもゆっくり飲んで」
レモン風味の水に顔を顰めつつも、レオンはコップ一杯の水を飲み干した。
お腹も膨れて安心したのか、レオンはうつらうつらと船を漕ぎ始めた。余程気を張っていたのだろう。
「いいよ。もう少し眠るといい」
そう微笑みかけると、レオンは目を閉じて丸くなるとすぐに寝息を立て始めた。
そっと毛布を被せてあげて、あどけない寝顔を見つめる。
見た目も幼いけれど、声もまだ高かったし十歳前後の男の子といったところだろうか。
事情は起きてからゆっくり聞くとして、夕飯の支度に取り掛かろう。
シメておいた鶏肉で出汁をとり、積んできた薬草を何種類かちぎって煮込む。パン粥にしたいので、生地をこねるところからパン作りを開始する。自給自足の生活で、料理もそれなりの腕になった。精霊界にいた時は、甘いもの好きな精霊たちによくクッキーを焼いてあげたものだ。
誰かと食べる食事が久しぶりなこともあり、僕は自然と鼻歌を歌いながらパン生地を捏ねていた。
生地を寝かせている間に椅子で仮眠する。少しでも寝ておかないと流石にキツいからな。
そうして、ふっくらとしたパンが焼き上がる頃には日が暮れていた。
「にゃ……」
「ん、起きた? ご飯できてるよ」
ベッドで丸くなっていたレオンがモゾモゾ動き出したので声をかけると、レオンはのそりと身体を起こした。
薬草粥にパンをちぎって浸したものを差し出すと、クンクンと数度匂いを嗅いですぐにスプーンを手にしてくれた。少しは信頼してくれているのかな。
傷は治癒魔法で塞がったとはいえ、泥や垢まみれだし、本当はこのまま風呂に放り込みたいんだけど、猫ってお風呂嫌いだよなあ。
逃げ出されてはたまらないので、せめて明日にするか。
僕は「どう、美味しい?」「そう、よかった」と薬草粥の感想を尋ねる以外に踏み込んだ質問をしないでおいた。気ままな一人暮らしだし、数日の間はレオンの面倒を見るつもりだしね。手を差し伸べると決めたのだから、中途半端で放り出すつもりはない。しっかりと回復するところまでは見届ける。
薬草粥を平らげたレオンは、再び深い眠りについた。身体だけでなく、恐らく精神的にかなり摩耗していたのだろう。
「さて、僕も片付けたら風呂に入って寝るとするか」
今夜こそ眠れたらいいんだけどね。
うーん、と伸びをして食器を静かに台所に運ぶ。水魔法と風魔法を駆使して食器をピカピカに洗うと、いつもの要領で湯船に湯を張って肩まで浸かる。寝支度を整えたら、ロフトから予備の布団一式を運び出す。レオンにベッドを貸し与えているので、当面の寝床に使うつもりだ。
スースー寝息を立ててレオンが寝ているベッドの横に、静かに布団を敷いて横になる。少しカビ臭い。昼間のうちに干しておけばよかったな。なんて考えながら目を閉じた。
どうせ、今日も神様たちが話しかけてくるんだろうな、と半ば諦めていたのだけれど、いつものように勢いよく頭の中で声が鳴り響くことはなかった。
おや? と思っていると、沈黙を破るように女神ヴィーナの低い声が響いた。
『……………………ねえ、チル。その子はだあれ?』
「え? ああ、森で行き倒れていたから保護したんだ」
いつもの甘ったるい声ではなく、随分と棘のある声だな。と、違和感を抱いていると、他の神様たちも口々に話し始めた。
『さすがチル。情に厚い男だ』
『ほほう! 猫耳族とな? 狩猟好きで交戦的な種族ではないか! どれ、オレ様が手合わせをしてやろう。早く海底に連れてくるがいい!』
『阿呆。其奴は随分と弱っておるであろう。チルが甲斐甲斐しく世話をしておるのだ。余計な口出しはよさんか』
『そうですよ。せっかくチルが付きっきりで看病しているのです……くっ、チルにあーんして貰ったり、チルがいつも寝ているベッドを貸し与えて貰ったり……ぐ、羨む気持ちはお門違いというものですよ』
ん? 話の流れがおかしくなっていないか? と、呑気にそう思っていたら、堰を切ったようにヴィーナが叫んだ。
『何よ! リーフィンこそ、痩せ我慢はやめなさいよね! ああ! 何よ何よ! 羨ましいわよ! 私だってチルに看病してもらいたいっ!』
『なっ、そ、そんな、痩せ我慢など! あなたこそ欲望むき出しで恥ずかしくはないのですか!』
『ぜーんぜん、恥ずかしくないわよ! チルったら、天界になかなか遊びに来てくれないんだもの。寂しい寂しい~! はっ! そうよ、私も下界に降りて、チルの住む森で行き倒れたフリをすれば……ブツブツ』
『おい、全部喋ってんぞ』
『ふむ、行き倒れたフリか。わっちもか弱い小狐の姿になれば、チルの庇護欲をくすぐることができるやも……』
「ちょっと待て待て! 神様がそんな簡単に自分の治める世界から出てくるな!」
しまった。そうか、神様たちは重度の構ってちゃんなのだった。レオンを羨んだり嫉妬したりすることは容易に想像ができたのに。
『ふえーん! だってぇ……ずるいじゃない! 私もチルにあーんして欲しい~』
案の定、ヴィーナがワッと駄々っ子のように泣き出してしまった。こうなったらなかなか大変だ。
『おいおい、いい大人が子供みたいに泣くんじゃねえよ』
『そうだぞ! 女の涙はここぞという時に使わねばならん!』
男神たちはデリカシーのカケラもないし。案の定、ヴィーナに『うるさいわよ!』と一喝されている。
『はあ、ともかく。チルがチルの意志で保護したのじゃ。わっちらはその決断を尊重して助力してやるしかなかろう』
『そ、そうです。それが神であり師の努めです』
キララとリーフィンは幾分かまともなことを言っている。でも騙されないぞ。キララも下界に降りようとしていたし、リーフィンも強がっているのが声で分かる。やれやれ。
『治癒魔法をかけて、薬草を煎じた粥を与えたようじゃのう。ふむ、其奴はどうやら心に深い傷を負っているようじゃ。まずは身体の回復を待ち、事情を聞いてやるのが良かろう』
「なんだ、まともな意見してくれるんだな。ああ、そうするつもりだよ」
『呪いの類にはかかっていないようですね。猫耳族は基本、群れで行動する種族です。周囲に助けてくれる仲間の一人もいないとなると、群れで何かあったのか、うまく馴染めていなかったのか……』
『あ? 見捨てられたって言うのかよ。もしそうならとんだクソどもだな。鉄槌下すか?』
『おお、なんだ、そう言うことならオレ様も協力してやろうぞ!』
「待て待て。リーフィンの考えは現実味があるけどな、リヴァルドとアトラス! 血の気が多すぎるぞ!」
まったく、まだ詳しい事情はわからないっていうのに喧嘩っ早い神様たちで困る。
「とにかく! 僕はレオンを助けると決めたんだ。彼が深く関わることを嫌がったらそこまでだし、助けを必要としているなら助ける。それ以上でも以下でもない。だからあんたたちは見守っていてくれよ」
『チルぅ。ぐすん。わかったわ。チルのお願いなら頷くしかないじゃない』
『おう。一度手を差し伸べたんだ。最後まで面倒見てやれ』
『助太刀が必要になったらいつでも頼るがいい! 主に! 戦闘面でな! ガハハ!』
『おい、アトラス。血の気が多いと嗜められたばかりであろう。やれやれ』
『そうですよ。私たちはこうして遠くから見守ることしかできないのですから。ん……彼?』
よかった。色々心配だけど、なんとか納得してくれたようだ。
『では、もう時間のようじゃし、また次の夜にのう』
「えっ」
ホッと一息付いたところでキララの声を最後に、神様たちの声が聞こえなくなった。
カッと目を見開くと、寝室には温かな朝日が差し込んでいて、光の筋がキラキラと輝いている。
「嘘だろ……また一晩眠れなかった」
彼らと話しているとあっという間に時間が過ぎる。今日も今日とて僕は眠れなかったようだ。
のそりと起き上がって洗面台で顔を洗う。
ああ、今日もひどい顔だ。
家の近くの森に入り、頭に思い浮かんだハーブや花を探す。
森には動物も魔物もいるけれど、この森のトップは僕だとみんな知っているので襲ってくることはない。
清らかな小川に沿って森の中を進んでいく。
道すがら目ぼしい草花を採集しては背負った籠に放り込んでいく。ついでに食用の植物や薬草の原料も採集しておく。
「よし、こんなもんかな……ん? あれは」
背中の籠が七割ほど埋まった頃合いで切り上げて帰ろうかと視線を上げた時、視界の端に何かが映った。
スウッと目を細めて見ると、どうやら誰かが倒れているらしい。
「こんな森の奥深くまで迷い込んだのか?」
少し疑問を抱いたものの、見過ごすわけにはいかないので様子を見に行く。
「うにゃ……」
「へえ、猫耳族か。珍しい種族だな」
近づいてみると、明るい橙色の髪色をした猫耳族の子供が倒れていた。髪はボサボサ、服は薄汚れて、身体中に擦り傷や引っ掻き傷がある。
見るからに訳ありのようだな。
痩せ細った様子を見るに、間違いなくお腹も空いているだろう。水も飲ませたほうがよさそう。
とにかく応急処置のため、治癒魔法をかけておこう。
ポウッと黄緑色の淡い光が猫耳族の子供を包み込み、みるみるうちに傷が塞がっていく。
少し表情が和らいだけれど、意識はまだ戻らない。
「仕方がない」
僕は猫耳族の子供に触れると、転移魔法で我が家へと転移した。良質な睡眠のためには程よく体を動かすことも大切なので、できれば歩いて帰りたかったのだけれど緊急事態なので致し方ない。
台所に籠を下ろして、猫耳族の子供をベッドに運ぶ。
さて、恐らくしばらくろくに食事をしていないだろうから、急に胃に負担のあるものを食べると胃が驚いてしまう。昨日の野菜スープの残りがあるので、先ほど積んできた薬草を少し刻んで混ぜておこう。
水には少しレモングラスを絞ってさっぱり飲みやすくしておく。
「う……ここは?」
台所でガサガサと食事の準備を整えていると、猫耳族の子供が目を覚ました。
寝室に顔を出すと、警戒した様子で耳と尻尾を尖らせて、猫特有の威嚇のポーズをとっていた。
サファイアブルーの瞳は美しいけど、瞳孔が開ききっている。
「やあ、具合はどう? 僕の名前はチル。森で倒れていたから僕の家に連れて来たんだ」
「チル……?」
「そう、チル。よろしくね。君は?」
「……レオン」
警戒心を解くために、両手を肩の位置まで上げて無害を主張する。
猫耳族の子供――レオンは耳をピンと尖らせたままではあるが、威嚇の態勢を解いてくれた。
「さて、まずは腹ごしらえだ。随分痩せているから、まともに食事をしていなかったろう? はい。急に食べたら胃がびっくりしちゃうから、ゆっくり咀嚼して食べるんだ」
「……ありがとう」
台所に戻って野菜スープを器によそって手渡すと、レオンは恐る恐るといった様子で器を受け取った。鼻を寄せてクンクン匂いを嗅いでいる。危険なものが入れられていないか確認しているのだろう。安心して飲んでほしいので、存分に確認してくれたまえ。
しばらく匂いを嗅いでいたレオンであるが、意を決したようにスプーンを手に取ると、ひと掬い口に運んだ。
「にゃ!」
一口含んだレオンは、パアッと顔を輝かせるとすごい勢いでがっつき始めた。
「待って待って! 急にたくさん食べたらダメだって! ちょっと、貸して!」
僕は見ていられずに、レオンから器とスプーンを引ったくる。野菜を崩しながらスプーンで掬い、ゆっくりとレオンの口元へと運ぶ。
「ほら、あーん」
「あーん?」
レオンはキョトンと首を傾げながら、言われるがままに口を開けた。
「そうそう、上手。偉い偉い」
野菜スープを気に入ってくれたのか、その後も素直に口を開いてくれる。そうしてゆっくりと無理のないペースでスープを食べ終えた。
「はい、水。常温にしてあるから、こっちもゆっくり飲んで」
レモン風味の水に顔を顰めつつも、レオンはコップ一杯の水を飲み干した。
お腹も膨れて安心したのか、レオンはうつらうつらと船を漕ぎ始めた。余程気を張っていたのだろう。
「いいよ。もう少し眠るといい」
そう微笑みかけると、レオンは目を閉じて丸くなるとすぐに寝息を立て始めた。
そっと毛布を被せてあげて、あどけない寝顔を見つめる。
見た目も幼いけれど、声もまだ高かったし十歳前後の男の子といったところだろうか。
事情は起きてからゆっくり聞くとして、夕飯の支度に取り掛かろう。
シメておいた鶏肉で出汁をとり、積んできた薬草を何種類かちぎって煮込む。パン粥にしたいので、生地をこねるところからパン作りを開始する。自給自足の生活で、料理もそれなりの腕になった。精霊界にいた時は、甘いもの好きな精霊たちによくクッキーを焼いてあげたものだ。
誰かと食べる食事が久しぶりなこともあり、僕は自然と鼻歌を歌いながらパン生地を捏ねていた。
生地を寝かせている間に椅子で仮眠する。少しでも寝ておかないと流石にキツいからな。
そうして、ふっくらとしたパンが焼き上がる頃には日が暮れていた。
「にゃ……」
「ん、起きた? ご飯できてるよ」
ベッドで丸くなっていたレオンがモゾモゾ動き出したので声をかけると、レオンはのそりと身体を起こした。
薬草粥にパンをちぎって浸したものを差し出すと、クンクンと数度匂いを嗅いですぐにスプーンを手にしてくれた。少しは信頼してくれているのかな。
傷は治癒魔法で塞がったとはいえ、泥や垢まみれだし、本当はこのまま風呂に放り込みたいんだけど、猫ってお風呂嫌いだよなあ。
逃げ出されてはたまらないので、せめて明日にするか。
僕は「どう、美味しい?」「そう、よかった」と薬草粥の感想を尋ねる以外に踏み込んだ質問をしないでおいた。気ままな一人暮らしだし、数日の間はレオンの面倒を見るつもりだしね。手を差し伸べると決めたのだから、中途半端で放り出すつもりはない。しっかりと回復するところまでは見届ける。
薬草粥を平らげたレオンは、再び深い眠りについた。身体だけでなく、恐らく精神的にかなり摩耗していたのだろう。
「さて、僕も片付けたら風呂に入って寝るとするか」
今夜こそ眠れたらいいんだけどね。
うーん、と伸びをして食器を静かに台所に運ぶ。水魔法と風魔法を駆使して食器をピカピカに洗うと、いつもの要領で湯船に湯を張って肩まで浸かる。寝支度を整えたら、ロフトから予備の布団一式を運び出す。レオンにベッドを貸し与えているので、当面の寝床に使うつもりだ。
スースー寝息を立ててレオンが寝ているベッドの横に、静かに布団を敷いて横になる。少しカビ臭い。昼間のうちに干しておけばよかったな。なんて考えながら目を閉じた。
どうせ、今日も神様たちが話しかけてくるんだろうな、と半ば諦めていたのだけれど、いつものように勢いよく頭の中で声が鳴り響くことはなかった。
おや? と思っていると、沈黙を破るように女神ヴィーナの低い声が響いた。
『……………………ねえ、チル。その子はだあれ?』
「え? ああ、森で行き倒れていたから保護したんだ」
いつもの甘ったるい声ではなく、随分と棘のある声だな。と、違和感を抱いていると、他の神様たちも口々に話し始めた。
『さすがチル。情に厚い男だ』
『ほほう! 猫耳族とな? 狩猟好きで交戦的な種族ではないか! どれ、オレ様が手合わせをしてやろう。早く海底に連れてくるがいい!』
『阿呆。其奴は随分と弱っておるであろう。チルが甲斐甲斐しく世話をしておるのだ。余計な口出しはよさんか』
『そうですよ。せっかくチルが付きっきりで看病しているのです……くっ、チルにあーんして貰ったり、チルがいつも寝ているベッドを貸し与えて貰ったり……ぐ、羨む気持ちはお門違いというものですよ』
ん? 話の流れがおかしくなっていないか? と、呑気にそう思っていたら、堰を切ったようにヴィーナが叫んだ。
『何よ! リーフィンこそ、痩せ我慢はやめなさいよね! ああ! 何よ何よ! 羨ましいわよ! 私だってチルに看病してもらいたいっ!』
『なっ、そ、そんな、痩せ我慢など! あなたこそ欲望むき出しで恥ずかしくはないのですか!』
『ぜーんぜん、恥ずかしくないわよ! チルったら、天界になかなか遊びに来てくれないんだもの。寂しい寂しい~! はっ! そうよ、私も下界に降りて、チルの住む森で行き倒れたフリをすれば……ブツブツ』
『おい、全部喋ってんぞ』
『ふむ、行き倒れたフリか。わっちもか弱い小狐の姿になれば、チルの庇護欲をくすぐることができるやも……』
「ちょっと待て待て! 神様がそんな簡単に自分の治める世界から出てくるな!」
しまった。そうか、神様たちは重度の構ってちゃんなのだった。レオンを羨んだり嫉妬したりすることは容易に想像ができたのに。
『ふえーん! だってぇ……ずるいじゃない! 私もチルにあーんして欲しい~』
案の定、ヴィーナがワッと駄々っ子のように泣き出してしまった。こうなったらなかなか大変だ。
『おいおい、いい大人が子供みたいに泣くんじゃねえよ』
『そうだぞ! 女の涙はここぞという時に使わねばならん!』
男神たちはデリカシーのカケラもないし。案の定、ヴィーナに『うるさいわよ!』と一喝されている。
『はあ、ともかく。チルがチルの意志で保護したのじゃ。わっちらはその決断を尊重して助力してやるしかなかろう』
『そ、そうです。それが神であり師の努めです』
キララとリーフィンは幾分かまともなことを言っている。でも騙されないぞ。キララも下界に降りようとしていたし、リーフィンも強がっているのが声で分かる。やれやれ。
『治癒魔法をかけて、薬草を煎じた粥を与えたようじゃのう。ふむ、其奴はどうやら心に深い傷を負っているようじゃ。まずは身体の回復を待ち、事情を聞いてやるのが良かろう』
「なんだ、まともな意見してくれるんだな。ああ、そうするつもりだよ」
『呪いの類にはかかっていないようですね。猫耳族は基本、群れで行動する種族です。周囲に助けてくれる仲間の一人もいないとなると、群れで何かあったのか、うまく馴染めていなかったのか……』
『あ? 見捨てられたって言うのかよ。もしそうならとんだクソどもだな。鉄槌下すか?』
『おお、なんだ、そう言うことならオレ様も協力してやろうぞ!』
「待て待て。リーフィンの考えは現実味があるけどな、リヴァルドとアトラス! 血の気が多すぎるぞ!」
まったく、まだ詳しい事情はわからないっていうのに喧嘩っ早い神様たちで困る。
「とにかく! 僕はレオンを助けると決めたんだ。彼が深く関わることを嫌がったらそこまでだし、助けを必要としているなら助ける。それ以上でも以下でもない。だからあんたたちは見守っていてくれよ」
『チルぅ。ぐすん。わかったわ。チルのお願いなら頷くしかないじゃない』
『おう。一度手を差し伸べたんだ。最後まで面倒見てやれ』
『助太刀が必要になったらいつでも頼るがいい! 主に! 戦闘面でな! ガハハ!』
『おい、アトラス。血の気が多いと嗜められたばかりであろう。やれやれ』
『そうですよ。私たちはこうして遠くから見守ることしかできないのですから。ん……彼?』
よかった。色々心配だけど、なんとか納得してくれたようだ。
『では、もう時間のようじゃし、また次の夜にのう』
「えっ」
ホッと一息付いたところでキララの声を最後に、神様たちの声が聞こえなくなった。
カッと目を見開くと、寝室には温かな朝日が差し込んでいて、光の筋がキラキラと輝いている。
「嘘だろ……また一晩眠れなかった」
彼らと話しているとあっという間に時間が過ぎる。今日も今日とて僕は眠れなかったようだ。
のそりと起き上がって洗面台で顔を洗う。
ああ、今日もひどい顔だ。
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