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第一章 代行稼業と迷い猫
結衣と迷い猫②
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そして翌日。時刻は間も無く十七時になろうとしている。空は茜色と青紫色が溶け合っている。冬の空気を孕み始め、日が暮れるのも随分と早くなってきた。
西陽が差し、昼と夜が交わる時間。
人と、人ならざるものが交わる時間――
(……あれ? なんだか、子供の頃にもこれぐらいの時間に屋敷を出たことがあったような……)
結衣はなぜか今の状況に既視感を覚えたが、どうしてもその時のことを思い出せない。
思い出そうとしても、脳裏に靄がかかったように何も映像が浮かばない。
「おい、結衣。始めるぞ」
夕陽に照らされて長く伸びる影をボーッと見つめていた結衣は、鬼丸の声にハッと我に帰った。
「ご、ごめん。お願い」
民代の家の裏にある小さな公園。滑り台、鉄棒、そして隅にちょこんと小さな祠が建てられている。中にはお地蔵様が祀られていて、地域の人によって綺麗に維持されている。
鬼丸はぐるりと祠を一周し、裏側の台座あたりを指差した。
「ここだ。ここに綻びがある」
結衣は指さされた場所をジッと見つめた。けれど、巫力が乏しい結衣にはただの台座にしか見えなかった。
鬼丸は、民代を振り返り、「持ってきたか?」と尋ねた。
「ええ。タマの好物のおやつを持ってきたわ」
そう言って民代が差し出したのは、スティック状のペーストタイプの猫のおやつである。
鬼丸は民代からおやつを受け取ると、ピッと封を切って台座の一角へと差し出した。
「鬼丸、それだけでタマが戻って来るの?」
鬼丸には申し訳ないが、俄には信じられない結衣がおずおずと尋ねた時、何もない空間からぬらりと三毛猫が顔を出した。
「ぎゃっ……!」
叫び声をあげそうになった結衣は、慌てて両手で口を覆う。猫は大きな物音に敏感だ。せっかく顔を出してくれたのに、叫んでしまっては驚いて引っ込んでしまうに違いない。
けれど、叫ぶなと言う方が無理な話ではある。
模様からして、顔を出した三毛猫は間違いなくタマだ。そう、顔を出している。恐らく隠世に迷い込んでいたであろうタマ。世界の境界に生じた綻びから、こちらに顔だけ出している状態。つまり、今タマは顔だけこちらにいるというわけで、誰がどう見ても生首状態なのだ。
結衣が慌てて民代の様子を確認しようと振り向くが、民代はこれでもかと目を見開いた状態で固まってしまっていた。悲鳴さえも出なかったことは幸いだったのかもしれない。
結衣と民代が固唾を飲んで見守る中、鬼丸がスティックをフリフリと左右に振ってタマを誘い出そうとしている。タマは鼻をひくひくさせ、上半身を伸ばすように鬼丸の手元に顔を寄せていく。あと少し。あと少しで全身こちらに戻ってくる。
固唾を飲んで見守っていると、タマは何を思ったのかスッと身体を引いて隠世に引っ込んでしまった。
「え……」
結衣と民代、そして鬼丸さえも想定外の事態に言葉を失う。
もしや、失敗か? そんな空気が流れ始めた時、再びタマが顔を出した。
今度は躊躇いなく鬼丸の元に歩み寄っていく。
けれど、タマがすぐにおかしのペーストを口にすることはなかった。
なぜなら、タマの口は既に塞がっていたのだから。
「こ、子猫……?」
タマは、口にまだ生まれて間もないと思われる子猫を咥えていた。それだけでも驚くべきことであるが、なんと子猫の尻尾は二股に分かれている。
呆気に取られていると、タマの後ろからもう一匹の猫が姿を現した。タマより一回り大きい猫。だが、その猫の尻尾もまた二股に分かれている。
「猫又と番になったのか」
いつも澄ましている鬼丸でさえ、予想だにしなかったことに目を瞬いている。タマは自らの足元に子猫を下ろすと、顔をぺろぺろと舌で舐めてからおかしのペーストを食べ始めた。
そして途中で口を離すと、猫又に譲るように一歩後ろに下がった。
まるで、「これが私の世界のご馳走よ」と紹介しているようにさえ見える。
猫又はチラリと鬼丸を一瞥してから恐る恐るペーストをひと舐めした。
「ああ、タマ。無事に戻ってよかったわ。あなた、子供を産んだのねえ」
民代には猫又は見えていない。けれど、タマの子供はしっかりと見えているようだ。
「鬼丸、どうしよう?」
どうやら、タマは隠世に迷い込んだことをきっかけに、向こうで伴侶を見つけたようだ。ここ数日姿を眩ましていたのは、出産のためだったのだろう。
番を見つけて子をもうけたのは喜ばしいことだ。けれど、その相手がまさかあやかしとなろうとは。
恐らくタマが隠世を訪れるためにこの場所の綻びを利用していたのだろう。愛しい番に会うために健気に通っていたタマ。けれど、世界の境界に生じた綻びをこのままにしておくことはできない。小さな綻びはやがて大きくなり、危険なあやかしを呼び寄せる可能性がある。結衣は宝月家の者として、それを見過ごすことはできない。
「閉じるしかあるまい。猫又には俺が話をつけよう」
西陽が差し、昼と夜が交わる時間。
人と、人ならざるものが交わる時間――
(……あれ? なんだか、子供の頃にもこれぐらいの時間に屋敷を出たことがあったような……)
結衣はなぜか今の状況に既視感を覚えたが、どうしてもその時のことを思い出せない。
思い出そうとしても、脳裏に靄がかかったように何も映像が浮かばない。
「おい、結衣。始めるぞ」
夕陽に照らされて長く伸びる影をボーッと見つめていた結衣は、鬼丸の声にハッと我に帰った。
「ご、ごめん。お願い」
民代の家の裏にある小さな公園。滑り台、鉄棒、そして隅にちょこんと小さな祠が建てられている。中にはお地蔵様が祀られていて、地域の人によって綺麗に維持されている。
鬼丸はぐるりと祠を一周し、裏側の台座あたりを指差した。
「ここだ。ここに綻びがある」
結衣は指さされた場所をジッと見つめた。けれど、巫力が乏しい結衣にはただの台座にしか見えなかった。
鬼丸は、民代を振り返り、「持ってきたか?」と尋ねた。
「ええ。タマの好物のおやつを持ってきたわ」
そう言って民代が差し出したのは、スティック状のペーストタイプの猫のおやつである。
鬼丸は民代からおやつを受け取ると、ピッと封を切って台座の一角へと差し出した。
「鬼丸、それだけでタマが戻って来るの?」
鬼丸には申し訳ないが、俄には信じられない結衣がおずおずと尋ねた時、何もない空間からぬらりと三毛猫が顔を出した。
「ぎゃっ……!」
叫び声をあげそうになった結衣は、慌てて両手で口を覆う。猫は大きな物音に敏感だ。せっかく顔を出してくれたのに、叫んでしまっては驚いて引っ込んでしまうに違いない。
けれど、叫ぶなと言う方が無理な話ではある。
模様からして、顔を出した三毛猫は間違いなくタマだ。そう、顔を出している。恐らく隠世に迷い込んでいたであろうタマ。世界の境界に生じた綻びから、こちらに顔だけ出している状態。つまり、今タマは顔だけこちらにいるというわけで、誰がどう見ても生首状態なのだ。
結衣が慌てて民代の様子を確認しようと振り向くが、民代はこれでもかと目を見開いた状態で固まってしまっていた。悲鳴さえも出なかったことは幸いだったのかもしれない。
結衣と民代が固唾を飲んで見守る中、鬼丸がスティックをフリフリと左右に振ってタマを誘い出そうとしている。タマは鼻をひくひくさせ、上半身を伸ばすように鬼丸の手元に顔を寄せていく。あと少し。あと少しで全身こちらに戻ってくる。
固唾を飲んで見守っていると、タマは何を思ったのかスッと身体を引いて隠世に引っ込んでしまった。
「え……」
結衣と民代、そして鬼丸さえも想定外の事態に言葉を失う。
もしや、失敗か? そんな空気が流れ始めた時、再びタマが顔を出した。
今度は躊躇いなく鬼丸の元に歩み寄っていく。
けれど、タマがすぐにおかしのペーストを口にすることはなかった。
なぜなら、タマの口は既に塞がっていたのだから。
「こ、子猫……?」
タマは、口にまだ生まれて間もないと思われる子猫を咥えていた。それだけでも驚くべきことであるが、なんと子猫の尻尾は二股に分かれている。
呆気に取られていると、タマの後ろからもう一匹の猫が姿を現した。タマより一回り大きい猫。だが、その猫の尻尾もまた二股に分かれている。
「猫又と番になったのか」
いつも澄ましている鬼丸でさえ、予想だにしなかったことに目を瞬いている。タマは自らの足元に子猫を下ろすと、顔をぺろぺろと舌で舐めてからおかしのペーストを食べ始めた。
そして途中で口を離すと、猫又に譲るように一歩後ろに下がった。
まるで、「これが私の世界のご馳走よ」と紹介しているようにさえ見える。
猫又はチラリと鬼丸を一瞥してから恐る恐るペーストをひと舐めした。
「ああ、タマ。無事に戻ってよかったわ。あなた、子供を産んだのねえ」
民代には猫又は見えていない。けれど、タマの子供はしっかりと見えているようだ。
「鬼丸、どうしよう?」
どうやら、タマは隠世に迷い込んだことをきっかけに、向こうで伴侶を見つけたようだ。ここ数日姿を眩ましていたのは、出産のためだったのだろう。
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