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第一章 代行稼業と迷い猫

結衣と鬼丸④

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 使い魔契約時を思い返し、結衣は歯を食いしばる。


(鬼丸は鬼なのに、私と契約したせいで軽んじられてしまうのね)


 先ほど中庭を抜ける際に囁かれた悪意ある言葉は、結衣だけでなく鬼丸までも侮蔑するものであった。
 結衣はふう、と息を一つ吐き出すと、笑顔を貼り付けて鬼丸を振り返る。


「ごめんね。私なんかと使い魔契約をしたから、鬼丸まで悪く言われて――」


 バンッ!

 結衣の謝罪を遮るように、鬼丸が机を勢いよく叩いた。びくり、と結衣の肩が跳ねる。
 鬼丸は、鋭い目線を結衣に向ける。明らかに怒気を孕んだ視線に、結衣は思わず後退りする。


「謝るな。俺の主人を『なんか』なんて言うな。俺は、結衣だから契約を結んだ。結衣じゃなければ呼びかけに応えなかった。俺が、俺がどれほど契約の日を待ち望んでいたか――」


 結衣を壁際に追い詰めるようにズンズンと歩みを進める鬼丸が、不意に視線を落とした。


「鬼丸?」


(契約の日を待っていた? どういうこと?)


 結衣は鬼丸の言葉の真意を探るべく、鬼丸にそっと手を伸ばす。けれど、触れる直前に鬼丸が顔を上げたため、慌てて手を引っ込めた。鬼丸は子供扱いされることを特段嫌うのだ。


「とにかく、俺の主人を悪くいうことは許さない。結衣はもっと胸を張れ。この俺の主人なんだからな」

「うん。ごめ……ううん、ありがとう」


 再び謝罪の言葉を口にしそうになり、慌てて言い直す。謝るなと言われたばかりで謝ってしまっては、今度こそ鬼丸に叱られてしまう。


「結衣様、鬼丸様、お戻りですか?」


 その時、部屋の扉の前に影が差した。声の主は、離れ唯一の使用人である時子だ。


「うん、今帰ったところ」

「時子、熱い湯を沸かしてくれ。風呂に入りたい」

「はいはい。いつもの湯加減ですね」


 主人を置いて一番風呂にあずかろうとする鬼丸に、結衣は思わず吹き出しそうになる。使い魔契約を結んだあやかしだけれど、鬼丸は友人のようであり、弟のようであり、兄のようであり、結衣にとっての大切な家族に違いなかった。

 時子が湯の準備をしに風呂場に向かい、鬼丸はいそいそと着替えの準備をしている。あやかしがみんな風呂好きかは知らないが、鬼丸は熱い湯に浸かるのが好きらしい。


「ねえ、たまには一緒に入る?」


 ベッドに腰掛けながら、風呂の用意をする鬼丸に声をかける。


「なっ……! ド阿呆。俺は一人でゆっくり浸かるのが好きなんだ。絶対に入ってくるなよ!」


 僅かに狼狽して頬を赤く染めながら、噛み付くように拒絶する鬼丸。その姿はなんでも一人でやりたがる年頃の子供にしか見えなくて、結衣は密かに笑みを深める。


「鬼丸様、準備が整いましたよ」

「お、早いな。さすが時子。じゃあ、行ってくる。覗くなよ!」

「はいはい、覗かないってば。ごゆっくり」


 あっという間に風呂の準備をした時子の声かけに、鬼丸はしつこく念を押してから部屋を出ていった。少し足取りが弾んで見えたのは気のせいではないだろう。
 そんな唯一無二の使い魔を見送りながら、結衣は膝の上で肘をついて鬼丸が出ていった扉をじっと見つめる。


(鬼丸はきっと知らないよね。私がどれだけ鬼丸の存在に救われているか――)


 鬼丸が風呂から上がれば次は自分の番だ。結衣は荷物を片付けて部屋着の用意をしようとして、「あっ」と呟いた。

 カサリ、とウエストポーチから取り出したのは安田のおばあちゃんに貰った依頼料。


「依頼料持ってきちゃった。勘定係に渡して来なきゃ」


 代行業を請け負った見返りに頂戴する依頼料は、母家の勘定係が一元管理している。いつもは帰宅後すぐに依頼料を預けに行って離れに帰るのだが、うっかりしていた。


「うーん。一人で母屋に行ったら、鬼丸怒りそうだけど……お金のことはきっちりしておかなきゃだよね」


 耳を澄ませば、湯を浴びる音に乗って鬼丸の鼻歌が聞こえてくる。この様子だと長風呂になりそうだ。


「よし、行こう」


 結衣は、依頼料の入った封筒を手に、気合を入れて立ち上がった。少し勘定係の元に寄るだけ。そう自身に言い聞かせるようにして部屋を出た。
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