1 / 25
序章
力を失った日
しおりを挟む
「どうしたの? しんどい? 大丈夫?」
上質な生地の袴を着た少女がしゃがみ込み、手を伸ばす先には、ぐったりと力なく横たわる男がいた。
漆黒の艶やかな長髪が男の顔にかかっていて、その表情は読み取れない。
男は胡乱な目で少女を見上げる。けれど、少女の表情は逆光で見えない。
西陽が差し、昼と夜が交わる時間。
人と、人ならざるものが交わる時間――
「……お前、俺が見えるのか」
男の声は、耳の奥に余韻を残すような不思議な声音をしていた。
少女は目を瞬き、こてんと首を傾げる。
「え? うん。私はほおづき家の子だもの。あやかしさんといっしょにお仕事しているんだよ」
「ぐ、そうか……宝月の」
「うん、そう。だから怖がらないで? 私はあやかしさんがすきだから」
「――は?」
「あ、おにーさん。その手首についてる輪っか。そこから強い力があふれてる。そっか、だからしんどいんだね。待っててね、取ってあげる」
少女の言葉に男が呆けている間にも、少女は無邪気に男の腕輪に手を翳す。ぽうっと暖かくて白い光が男の腕輪を包んだ。
「ばっ、それに触るな……!」
「え? ――きゃあっ!?」
慌てた男が腕を振り払った時にはもう遅かった。
とん、と少女が尻餅をついたと同時に、パリンと腕輪が真っ二つに割れた。
途端にぶわりと真っ黒な煙幕のようなものが、一面を覆い尽くして少女を飲み込んだ。
少女の悲鳴すらも飲み込むような闇。
それは激しく渦を巻いて、そして霧散した。
「くそ……っ」
真っ黒な闇から解放された少女は、虚ろな目をしながらふらりと前に倒れた。
男は力が入らずに少女を受け止めることすらできない。
歯を食いしばり、震える手を伸ばす男の目の前で、少女の身体はぐしゃりと地に伏してしまった。
人間たちの住む現世に干渉しないようにと、男の膨大な妖力を封じた腕輪。
それは強力な呪印が施されており、無理に外そうとすれば呪詛返しに合う危険な代物だった。
男が現世を訪れたのは、ほんの道楽であった。
退屈な日々の暇つぶし、そんな軽い気持ちで境界を超えた。
強い力を持ちながら、身勝手な男が、隠世から現世に訪れる条件として付けられた腕輪が、現世の幼気な少女を傷つけてしまった。
だが、まさか――隠世でも有数の呪術師が作った腕輪が壊されるなんて。
この少女はよほどの力を宿しているのだろう。
だが、その力が、今はごく僅かしか感じられない。
うまく魔力の均衡を保てず、酩酊したように頭が回っていた男に差し出された優しくも小さな手。
その手首には今、鎖のような紋様が刻まれ、青白い光を放っている。
呪詛返しによる封印の紋。
少女の秘められた力は、今この時、固く封じられてしまった。
きっと、輝かしいものとして約束されていた少女の未来を、自らの気まぐれが歪めてしまった。
男は力を振り絞り、震える手を少女に伸ばす。その手は透けており、反対側の景色が透過して見えている。
腕輪が破損したことにより、男の身体は強制的に隠世に引き戻されていた。
「ぐ……必ず、必ずお前を守る。【契約の儀】、その時まで待っていろ」
少女の手首で淡く光る紋様にそっと口付けたと同時に、男の姿は現世から跡形もなく消え去った。
上質な生地の袴を着た少女がしゃがみ込み、手を伸ばす先には、ぐったりと力なく横たわる男がいた。
漆黒の艶やかな長髪が男の顔にかかっていて、その表情は読み取れない。
男は胡乱な目で少女を見上げる。けれど、少女の表情は逆光で見えない。
西陽が差し、昼と夜が交わる時間。
人と、人ならざるものが交わる時間――
「……お前、俺が見えるのか」
男の声は、耳の奥に余韻を残すような不思議な声音をしていた。
少女は目を瞬き、こてんと首を傾げる。
「え? うん。私はほおづき家の子だもの。あやかしさんといっしょにお仕事しているんだよ」
「ぐ、そうか……宝月の」
「うん、そう。だから怖がらないで? 私はあやかしさんがすきだから」
「――は?」
「あ、おにーさん。その手首についてる輪っか。そこから強い力があふれてる。そっか、だからしんどいんだね。待っててね、取ってあげる」
少女の言葉に男が呆けている間にも、少女は無邪気に男の腕輪に手を翳す。ぽうっと暖かくて白い光が男の腕輪を包んだ。
「ばっ、それに触るな……!」
「え? ――きゃあっ!?」
慌てた男が腕を振り払った時にはもう遅かった。
とん、と少女が尻餅をついたと同時に、パリンと腕輪が真っ二つに割れた。
途端にぶわりと真っ黒な煙幕のようなものが、一面を覆い尽くして少女を飲み込んだ。
少女の悲鳴すらも飲み込むような闇。
それは激しく渦を巻いて、そして霧散した。
「くそ……っ」
真っ黒な闇から解放された少女は、虚ろな目をしながらふらりと前に倒れた。
男は力が入らずに少女を受け止めることすらできない。
歯を食いしばり、震える手を伸ばす男の目の前で、少女の身体はぐしゃりと地に伏してしまった。
人間たちの住む現世に干渉しないようにと、男の膨大な妖力を封じた腕輪。
それは強力な呪印が施されており、無理に外そうとすれば呪詛返しに合う危険な代物だった。
男が現世を訪れたのは、ほんの道楽であった。
退屈な日々の暇つぶし、そんな軽い気持ちで境界を超えた。
強い力を持ちながら、身勝手な男が、隠世から現世に訪れる条件として付けられた腕輪が、現世の幼気な少女を傷つけてしまった。
だが、まさか――隠世でも有数の呪術師が作った腕輪が壊されるなんて。
この少女はよほどの力を宿しているのだろう。
だが、その力が、今はごく僅かしか感じられない。
うまく魔力の均衡を保てず、酩酊したように頭が回っていた男に差し出された優しくも小さな手。
その手首には今、鎖のような紋様が刻まれ、青白い光を放っている。
呪詛返しによる封印の紋。
少女の秘められた力は、今この時、固く封じられてしまった。
きっと、輝かしいものとして約束されていた少女の未来を、自らの気まぐれが歪めてしまった。
男は力を振り絞り、震える手を少女に伸ばす。その手は透けており、反対側の景色が透過して見えている。
腕輪が破損したことにより、男の身体は強制的に隠世に引き戻されていた。
「ぐ……必ず、必ずお前を守る。【契約の儀】、その時まで待っていろ」
少女の手首で淡く光る紋様にそっと口付けたと同時に、男の姿は現世から跡形もなく消え去った。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~
硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚
多くの人々があやかしの血を引く現代。
猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。
けれどある日、雅に縁談が舞い込む。
お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。
絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが……
「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」
妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。
しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。
扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋
伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。
それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。
途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。
その真意が、テレジアにはわからなくて……。
*hotランキング 最高68位ありがとうございます♡
▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス
【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!
美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』
そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。
目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。
なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。
元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。
ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。
いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。
なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。
このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。
悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。
ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――
変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!
utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑)
妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?!
※適宜内容を修正する場合があります
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
婚約破棄してくださって結構です
二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。
※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる