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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/死闘編

Part29 死闘・創造頭脳/天使の言葉

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 グラウザーはその視界に写ったものを愕然として見ていた。
 糸が切られた。最高レベル、最高強度の単分子ワイヤーが。音もなく姿もなく突如としてその最強の戒めの糸は、まるでお釈迦様が地獄へと垂らした蜘蛛の糸のように切れて地面へと落ちていったのである。
 そして、地面へと落下したのは悪漢のカンダタではない。最強最悪のテロアンドロイドである。
 
――ズシッ――

 鈍い音をたててソレは砕けたアスファルトの路面の上へと落ちたのだ。
 その黒い壊れかけの巨体は静かに横たわったままだった。
 当然だ。そのはずだ。グラウザーが、特攻装警たちが、アラブの戦士たちが、ラフマニが、ローラが、シェン・レイが、死に物狂いで、渾身の力を込めて破壊し続けたのだ。
 動かないはずだった、
 動いてはならないはずだった、
 一切の戦闘行動は取れないはずだった。
 そう――
 
【――動いてはならないのだ――】

 グラウザーはその言葉に怒りと戸惑いを入り混ぜながらつぶやいた。

「誰だ?」

 その左手は固く握られていたが、明らかに怒りに震えていた。
 何者かが介在している。間違いなく、妨害行為が行われている。この単分子ワイヤーが自然に切れるなどと言うことがあろうはずがないのだ。対外センサーをフルに駆使して周囲を探索する。だがベルトコーネから視線を外すことができない現在、補助センサーやレーダーブロックを駆使しての探知では、完全ステルス化した第3の敵を捕らえることは不可能に近い。
 
「ならば――」

 妨害行為を目視できないなら、速攻でベルトコーネを仕留めるしか無い。時間的制約をその脳裏に感じると急がねばならないと言う焦りを感じずには居られなかった。
 だが――
 
・‥…焦らないで…‥・

――その囁きは確かにグラウザーの脳裏へと響いていた。

「え?」

 思わずつぶやきを漏らす。だがグラウザーから問い返す前にその声は再びグラウザーの脳裏へと響いたのだ。周囲を見回そうと顔を動かしかけるが、その声は再び響いてくる。

・‥…慌てて引き金を引く必要はない。それより正確を喫すること優先するんだ…‥・

 その声に導かれるように、グラウザーは速やかに落ち着きを取り戻す。確かにそうだ。急いて引き金を引いても何の意味もない。外したら終わりなのだ。一旦、銃口を下ろすと一呼吸置いてから自らの脳裏に響いてくる謎の声に語りかけた。
 
〔だが、ベルトコーネが動き出しかねない〕

 謎の声は答える。
 
・‥…それは分かる。だが奴が動き出すにはまだタイムラグがある。姿勢を整えて射角と射線を確保してからでも遅くはない…‥・

 射線確保――、戦場での重要射撃や狙撃などではターゲットへの確実な命中が必須とされる場合には必ず行わねばならないことだ。闇雲に撃ってどうなると言う物ではないのだ。
 
〔わかった。アドバイス、感謝します〕

 謎の声に向けて答え返しながらグラウザーは射線確保のプロセスへと移った。
 右手の古銃であるカンプピストルを握りしめた時、あの謎の声は再び響いたのだ。
 
・‥…Я молюсь Богу удачи вашей борьбе…‥・

 それはロシア語だった。とっさに頭脳中枢に付随する多言語翻訳システムが意訳をする。
 
【 リアルタイムトランスレーション     】
【  マルチランゲージデータベースエンジン 】
【                     】
【 入力言語:ロシア語           】
【 出力言語:標準日本語          】

――あなたの武運を神に祈ります――

 その言葉の意味を知りグラウザーはそっと頷く。それは多分にして感謝の意味を含むものだった。
 グラウザーは、右手にウラジスノフから受け継いだカンプピストルを握りしめ眼前のベルトコーネへと向ける。今ならまだ間に合う。確実に教えられた通りにベルトコーネの後頭部へと狙いを定めるべく速やかに移動する。狙う場所は忘れていない。後頭部の第3頚椎から第6胸椎までを一気に破壊する。その為には正確に脊髄の鉛直方向からの射撃を成功させなければならないのだ。
 
「焦るな」

 グラウザーは自らに言い聞かせるように狙いを定める。その内心の焦りを抑えつつ姿勢を制御する。地面に横たわったベルトコーネの頚椎の位置に合わせて姿勢を低くする。そうして射撃の射線を慎重にベルトコーネの頚椎鉛直方向へと合わせる。チャンスは一度きりだ。仕損じるわけには〝絶対に〟いかないのだ――
 
――グッ――

 旧時代の世界大戦の異物であるソレの引き金に力をかける。まだベルトコーネが自力で動き出していない現状下ではこれ以上は引き伸ばせなかった。グラウザーは覚悟を決める。グラウザーの中で姿勢制御のための全体統括制御が一斉に作動した。
 
【特攻装警身体機能統括管理システム     】
【          射撃統括制御プログラム】
【                     】
【 弾丸射角瞬間計算開始          】
【 射撃対象、及び射手間          】
【     3次元空間位置座標シュミレート 】
【 計算対象:制圧対象攻撃阻止最大効果射線 】
【 >シュミレート演算完了         】
【 >全身各部関節位置高速アジャスト    】
【 使用拳銃銃種:標準装備外        】
【 個体名称:シュツルム・カンプ・ピストル 】
【 弾種:硬化弾芯徹甲弾          】
【 射撃タイミング:自由意志マニュアルモード】
【                     】
【     ――射撃準備完了――      】

 すべての準備は整った。引き金を引くべく右手の人差指に力をかける。
 
――コレで終わる!――

 グラウザーがそう確信を抱いたときである。
 
・‥…危ない!…‥・

 再び謎の声が響く。それは強い警告であり、グラウザーを救わんとする声だった。声が響くと同時に反射的に後方へと退いて周囲を警戒する。そしてその時に兄のセンチュリーからも叫びが響いた。
 
「グラウザー!! 上だぁ!!!」

 センチュリーの裂帛の怒声がこだまする。その声に反応する暇もなくグラウザーが握りしめていたその古拳銃は空のアルミ缶を踏み潰すがごとく潰されてしまう。その瞬間、グラウザーはおのれのすぐ傍らに、とてつもなく剣呑なものが立ちはだかっている事をその本能で悟った。しかし光学的な姿は見えない。音響も響かない。それが極めて高度なステルス装備を有している事の証拠に他ならなかった。
 
「何か居る!」

 グラウザーの声が響く。それは卑劣な狙撃により負傷していたウラジスノフや彼の部下にも聞こえていた。
 
「メイヨール」

 ウラジスノフの部下が叫べば、ウラジスノフも事態を認識していた。
 
「モレンコフ、〝アレ〟を使え」
даダー!」

 重症を負いつつもウラジスノフはどこまでも冷静だった。その老いてもなお鋭い視線で事態を認識していた。忘れてはならない。ウラジスノフもまたステルス戦闘のエキスパートであると言う事を――
 モレンコフと言う名の部下に指示を出す。部下も速やかに返答すると着込んでいたジャケットの内側から一つのアイテムを取り出す。オーバー風のジャケットの裾の後ろ側に左手を回すと、その周辺に設けておいた隠しポケットから小型の手榴弾のようなモノを後ろ手に取り出し掌の内に収める。そして、周囲の事情に静かに耳を澄ませる。チャンスは一度きりだ。
 
――フォッ!――

 最小限のモーションで左手首をアンダースローの動きで動かし、手にしていた手榴弾の様な器物を投げ放つ。気配をさとられぬように無駄な動きを一切排除しての特殊技法だ。
 それは勘だ。人間だけが持つ第六感に基づく判断と認識だった。
 周囲状況から察して相手がどこに居るのか、誰がどこに居るのかを推測する。
 人間は情報だけを処理する生き物ではない。感情と、感覚と、想像と、情報と、事実。そして、それらをフルに駆使することによって〝勘〟を働かせることの出来る生き物である。それが単なるロボットやAIとは、人間が大きく異る特徴なのである。
 
 それは余分な雑音や動きを簡単には見せなかった。ごく自然に、なおかつ唐突なモーションだった。むしろ、ウラジスノフの側近である彼の存在は誰の目にも全くの警戒の外だったはずだ。その彼が放ったアイテムは闇夜の中で放物線を描いて、空中へと放り投げられる。そしてそれは、対物センサーによる近接信管によって空中にて炸裂する。
 
「ど……、どこの――、誰かは知らんが――」
 
 ウラジスノフは苦しそうに荒れた息ながらそっと呟く。それこそは長年に渡り戦場のステルス戦闘の現場にて戦い続けてきた熟練老兵が編み出した渾身の策だった。

「覚えておけ! ステルス戦闘を世界で初めてモノにしたのは我がロシアだ!」

 炸裂した手榴弾型アイテム、それはそれは外装容器の破片を撒き散らしながら内部に詰められていた内容物を辺り一面に散布する。ベルトコーネの単分子ワイヤーを無思慮に断ち切った無法者に対してウラジスノフは渾身の言葉を叩きつける。

「アメリカのステルス技術を拝借しているだけの若造が――粋がるな!!!」

――ボオオォォン!――

 鈍い爆発音を響かせてソレは砕け散った。
 手榴弾様の外装容器が吹き飛び、内部から広範囲に飛散したのは鈍い銀色に輝く微粉末である。微粉末が降り注ぐ真下の一定範囲、キラキラと光り輝きながら不可視だった透明なる存在は徐々にその姿を表していく。本性の現し方はまだらであり均一ではない。ところどころ半透明であったり、透明で不可視なままな部分もある。だがその存在を白日のもとに晒すには十分である。
 
「なに?!」

 グラウザーが驚きの声を漏らし、センチュリーが語る。
 
「クモ型? まさか義体外装機?!」

 サーモグラフィーと音響三次元センサーの組み合わせで隠されていたシルエットが鮮明に浮かび上がる。それは6本の足と2本の腕を装備したクモ型の義体外装だ。大きさは全長で2.5m程度、色は味気のない漆黒に近いダークアーミーグリーン、その姿はある意味軍事兵器然としたルックスであると同時に、化け物じみた生物性を色濃く放っていた。
 頭部センサーは12基もの多種多様なセンサーやカメラの集合体であるのだが、大型の光学系カメラが2基、目のような配置となり、残る10基のセンサーが頭部前面に集められている。まさに複眼と単眼とが組み合わされた蜘蛛その物といえる頭部を形成していた。
 人ならざる存在、人間性を自ら放棄した存在、その非人道性を体現したかのようなルックスの敵対者に向けてウラジスノフは言い放つ。
 
「どうだ?! 蛍光性アルミニウム合金の微粉末と重磁性体性ナノマシンの混合パウダーは? どんなに巧妙にホログラム迷彩装置を働かせていても、ソレを阻害する手段は必ず存在する! ステルス技術を駆使するということは、自らが姿を隠す技術だけでは半人前だ! 敵の存在を見抜き、その姿を白日のもとに晒してこそ一流のステルス戦闘者と言えるのだ!」

 ウラジスノフの部下が放った手榴弾型アイテムから散布された微粉末――、それはステルス戦闘の要であるホログラム迷彩装置の光学擬装効果を阻害するためのものであった。
 蛍光性アルミニウム合金は鈍く光る蛍光効果を持たせたアルミニウム系の特殊合金を削り出し微粉末化した物だ。散布すると物体表面に張り付き容易には落ちてくれない。さらには蛍光効果でぼんやりと蓄積光を放つ効果さえ有し姿を消している対象者の光学擬装効果を阻害し、誤作動を生じさせる。さらには強い磁性効果を持つ重金属ナノマシンの粉末を混合することで、攻撃対象の電子回路の動作を阻害する効果もある。完全にその姿を現させるわけではないが、その存在をおぼろげに浮かび上がらせることは十分に可能だ。
 位置――、形――、動き――、それらを掌握可能な状態にすることで次の攻撃への繋がりを確保する。これはそのための攻撃兵装だったのである。
 そして、ウラジスノフは己の戦闘経験から導き出された言葉を一気に放った。

「己より弱い者しか相手できない半人前風情が!」

 厳しい言葉が響く中、完璧だったはずのステルス機能は、もはやその意味を失っていた。クモ型機体のホログラム迷彩機能がエラーを生じてマトモに動作していない。それ故に、衆目に晒された不気味なシルエットは、それを目の当たりにしたセンチュリーの脳裏にある人物たちの存在を想起させていた。

「そういや居やがったぜ! 非人間型のサイボーグ人体拡張装置を好んで使うイカれ野郎が隊長やってる連中を! なぁ! 情報戦特化小隊さんよぉ!」

 今、センチュリーには見えていた。突如として現れた情報戦特化小隊が何を企図してこの地に現れたかということを。その裏側に潜む邪悪な狙いにセンチュリーの内心は煮えくり返っていた。
 そしてセンチュリーは、左手でデルタエリートを構え、突如姿を表した〝蜘蛛〟へとその銃口を向けつつ、彼の周囲を囲んでいた3人の静かなる男の工作兵に向けて告げた。

「早く、あの隊長のおっさんのところへ行け。此処から先は、人間やめた連中と人間以上の連中だけの戦いだ!」

 そう告げつつセンチュリーの視線は空中からの狙撃にて負傷したウラジスノフの容態を案じていた。その視線の意図をセンチュリーを囲んでいた3人も察したのだろう。小声でそっと言葉を返す。
 
「спасибо」

――スパシーバ――

 感謝を意味する言葉だった。その言葉を残して男たちはセンチュリーから離れて隊長のウラジスノフの下へと向かおうとする。
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