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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編
Part28 幕が上がる時/ピアニスト
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そこはとある雑居ビルのワンフロアであった。
東京アバディーンのメインストリートから北側、東京アバディーンの支配者たちが根城を構えているエリアの方である。
15階建ての雑居ビル。その12階にある秘密カジノを兼ねた会員制サロン。無論、そこに集うのは公的な紳士録に記載されるようなまっとうな人物たちではない。そう、言うなれば地下社会の闇の紳士録に列挙されるような〝黒い人物〟たちが集うがための場所であったのだ。
とは言え、そこに集まるものたちに闇社会特有の剣呑さや凶悪さはさほど感じられない。むしろ、地位と力を勝ち得た者特有の余裕のようなものが感じられる。一人きりで来る者は殆どおらず、大抵が護衛か愛人、あるいは若いツバメの様な男を連れているのがほとんどだ。中には明らかに主が妙齢の男性であるのに連れている愛人は若い青年と言う組み合わせもある。それは人目につく事のない人知れぬ場所であるからこそ、普段から抑圧して秘している欲望と情愛を開放させる事ができるのである。
そんな場所であるから、ホステスやホストのたぐいはいずれも美男美女ばかりであり、美しさと知性と気品と器量とを兼ね備えた一級品と称することが出来るような者たちばかりが揃えられていた。時折、客の接待と余興のためにステージにて芸事の真似事を供せられるのはご愛嬌である。
だが、この秘密サロンに不定期に姿を現す人物が居た。
性別は男で、歳の頃は20代半ばくらい。日本人の血が流れているが、その風貌には東欧系の美しさと堀の深さが垣間見えている。長身で痩躯。特徴的な碧眼を黒縁の伊達メガネで目立たなくしている。タキシード姿で前髪をバックにあげた姿で現れれば、女性客を中心に密かに歓声があがるような状況だった。表社会ではほとんど無名だったが、裏社会や音楽事情通には彼の存在と名はかなり知られたものだったのである。
その日もサロン内中央の円形ステージで数曲を奏でていた。得意とする楽曲はショパン、そしてリストも得意とするところだった。その日の予定曲目を演奏し終えてステージ上から客席に向けて丁寧に会釈をする。
客と饒舌に言葉をかわすことは少なかったが、こう言う高級秘密サロンの客の傾向から、数日を置いて直接に個人宅や別荘にてプライベート演奏を依頼される事もある。それらも彼にとって重要な収入源であり、そのピアニストとしての技量を披露する重要な場であった。そして、ステージでの演奏の場こそが、彼が彼として己を取り戻せる唯一の場だったのである。
だが、その演奏依頼の仕事を取り仕切る人物が問題であった。
楽譜を小脇に抱えステージを後にして控室へと繋がる通路へと向かう。サロンの黒服が護衛する通用口ドアをくぐって店の裏側の通路を歩く。するとそこに立っていたのは鋭い視線を持つ剣呑な気配の持ち主だった。
まるで血まみれのレザーエッジのような視線をたたえた闇社会の住人。緋色会若頭・天龍陽二郎から兄弟盃を拝領した六分四分の弟分、かつてはカミソリと呼ばれた剣呑な男である。三つ揃えのスーツを着込み髪の毛はポマードでオールバックに撫で付けてある。その男の視線を受けてピアニストの男はカミソリの異名を持つ男の名を呼んだ。
「氷室様」
ピアニストの彼を待っていた男の名は氷室淳美、天龍陽二郎の懐刀にして有能かつ冷酷で知られた武闘派ヤクザである。この秘密サロンは彼が仕切るシノギの場の一つであるのだ。氷室はピアニストの彼の名を呼んだ。
「コクラ、いい演奏だったな」
「お褒め頂きありがとうございます」
「今夜はいつものショパンでは無かったんだな」
「はい、来客にピアノ曲に通じた方がいらっしゃるとお聞きしましたので」
「それでリストか――、リストの〝巡礼の年〟、曲名は〝夕立〟だったか」
「えぇ。リストはほぼ全てマスターしています」
「〝S137〟もか?」
「改訂版でしたら。初版は人間の弾く物ではありませんので」
「流石だな」
リストはショパンと並び高技巧を求められる曲が多いことで知られている。それを彼はほぼ全てマスターしたと言い切った。それがフカシでない事は、問い掛けてきた氷室の反応を見れば明らかだった。
ピアニストの彼は〝コクラ〟と呼ばれた。こう言う闇社会で本名を名乗るのは稀であり、大抵は身を守る必要から異名を使う。本名で名乗れるのは本名を晒しても何の痛痒もない強者か、周りの者に常日頃から守られている高い地位にある者だけである。
「今日は関西から旧主派の老舗ヤクザの流れをくむ大御所が来ていた。その奥方が大のピアノ好きで、若い頃にピアニストを目指していたそうで耳が肥えていた。お前の演奏を聞いてご満悦だったよ」
「楽しんでいただけたようで何よりです」
「あれなら天龍のアニキの交渉もうまくいくだろうよ。アニキが上機嫌なのは何よりだよ」
氷室もまたコクラの腕の確かさを高く買っていた。ここぞと言う時に重要な接待役として使えば、悪い結果に繋がるようなことはただの一度もなかったからだ。その氷室が笑みを消して言葉を続けた。
「さて、次の仕事だ」
「表ですか? 裏ですか?」
「裏だ。アニキからの司令だ」
そう答えながら氷室は右手を出す。コクラもその手に自らが脇に抱えていた楽譜を氷室へと渡した。ピアニストとして大切な楽譜を手放したのは、裏の仕事を受け入れた事の現れであった。
「仕事の内容だが。ひとっ走り行って偵察してこいとさ」
「偵察ですか、何を?」
「ハイヘイズって知ってるか?」
「無戸籍の混血孤児ですね。この街の外れで雑居しているとか」
「そうだ。そいつらの寝起きしている辺りで揉め事が起きてる。そいつを見聞きして来い」
話を額面通りに聞けば、単なる物見でしかない。だが天龍クラスの人物が単なる偵察をさせるはずがなかった。その事をコクラも長年の経験から熟知していた。
「どこまで手を出せば?」
「自分の存在を気取られるな。足跡を含めて何も残さず〝消して〟こい」
無論、何も残さずとは目撃者の命も含めてである。そんなことはこれまでのやり取りから嫌と言うほど叩き込まれている。そして拒否することができないということも。
「承知しました。スグに向かいます」
「あぁ、それと――」
コクラは動き出そうとしたが背後からかけられた声に足を止め体を向き直した。
そこには相変わらず酷薄そうな視線を向けてくる氷室の姿があった。
「これは俺のおせっかいだが、老婆心ながら現状を整理してやる。一度しか言わん。よく聞け。まず、国際テロリストのマリオネット・ディンキーの存在は知っているな?」
その言葉にコクラは頷く。
「そのディンキーの配下で、昨年から逃亡を続けていたテロアンドロイドのベルトコーネが、この東京アバディーンの南側エリアに姿を表したのがそもそもの発端だ。件のハイヘイズのガキどもの所に潜伏していたローラと言う娘が、ベルトコーネの元仲間だったらしい。ガキどもの乳母として馴染んでいたローラをやつは連れ戻そうとしたが当り前のように死に物狂いの抵抗にあった。やつに恨みを持つ者たちなどの加勢もあり一旦は排除に成功した。この時に日本警察が保有するアンドロイド警官の介入もあったと聞く。
まずこれが一つ。
だがベルトコーネには何重ものバックアップが仕掛けられていた。強力な自己再生能力に加え、予備の頭脳があり際限なく暴走と逃亡を可能とするように作られていたのだ。今、ヤツは最後の一手となる破滅的な暴走行為を開始しようとしている。どう言う理屈かはわかりかねるが、破滅的な暴走とやらが始まれば、この東京アバディーンの街区は全てが瓦礫と化す可能性すらあるそうだ」
「この街が――ですか? たった一体のアンドロイドの手で?」
にわかに信じがたい言葉に、コクラのその冷静な面持ちの角に驚きがにじみてでいるのがわかる。その驚きを肯定する事実を氷室はシンプルに言葉にする。
「やつの破滅的暴走は世界各国の軍部においてトップシークレット扱いだ。その一切が民間シンクタンクに流されていない。それが何故なのか? じっくり考えるんだな」
警告ともとれる強い言葉にコクラが頷いている。
「現在、ベルトコーネを中心として露助野郎の精鋭部隊が動いている。ベルトコーネを何とか回収しようとしているのが日本警察のアンドロイド警官の特攻装警だ。さらにそこに介入して逆に破滅的暴走を拡大させようとしている奴も現れたと聞く。これに加えて、偵察だけでもしておこうと言う輩がゴキブリみたいに溢れ始めている。何しろ世界中の軍隊や警察組織を手玉に取り続けてきたその戦歴は本物だからな。たとえ、ネジ一本プログラム数行でも、喉から手が出るほど欲しがっているやつはかならず居る。手段を選ばぬ形で何が何でも余計な真似をするやつが後を絶たないというわけだ。
そもそも、利害も理念も立場も異なる奴らが一斉に集まってきているんだ。混乱は拡大する一方だ。最悪、ここを放棄しなければならないかもしれんからな。その判断材料が必要なんだ。分かるな?」
氷室の言葉にコクラは頷いていた。今宵、自分が何を意図して行動すればいいか即座に理解する。
「承知しました。最高のタイミングでご報告出来るように致します」
「あぁ、報告を待ってるぞ」
そうシンプルに答えると氷室はスグにその場から立ち去っていく。あとに残されたのはコクラただ一人だ。周囲にだれもいないことを確かめると、蝶ネクタイを解き襟元を緩める。さらに手ぐしで髪の毛を崩してウルフカットのショート風に形を整えれば準備完了である。
「行くか」
そうシンプルに声を漏らすとコクラは歩き出した。その際に甲高い足音が残響を残さないのは彼がなんらかのスキルを有しているが故である。
誰もいない裏通路をコクラが歩き出す。そしてほんの僅かの間にコクラの姿はそこから掻き消えていたのである。
そして悪夢に堕ちるか、安寧なる朝を迎えられるのか、この街の行く末を決める戦いへと続いていくのである。
東京アバディーンのメインストリートから北側、東京アバディーンの支配者たちが根城を構えているエリアの方である。
15階建ての雑居ビル。その12階にある秘密カジノを兼ねた会員制サロン。無論、そこに集うのは公的な紳士録に記載されるようなまっとうな人物たちではない。そう、言うなれば地下社会の闇の紳士録に列挙されるような〝黒い人物〟たちが集うがための場所であったのだ。
とは言え、そこに集まるものたちに闇社会特有の剣呑さや凶悪さはさほど感じられない。むしろ、地位と力を勝ち得た者特有の余裕のようなものが感じられる。一人きりで来る者は殆どおらず、大抵が護衛か愛人、あるいは若いツバメの様な男を連れているのがほとんどだ。中には明らかに主が妙齢の男性であるのに連れている愛人は若い青年と言う組み合わせもある。それは人目につく事のない人知れぬ場所であるからこそ、普段から抑圧して秘している欲望と情愛を開放させる事ができるのである。
そんな場所であるから、ホステスやホストのたぐいはいずれも美男美女ばかりであり、美しさと知性と気品と器量とを兼ね備えた一級品と称することが出来るような者たちばかりが揃えられていた。時折、客の接待と余興のためにステージにて芸事の真似事を供せられるのはご愛嬌である。
だが、この秘密サロンに不定期に姿を現す人物が居た。
性別は男で、歳の頃は20代半ばくらい。日本人の血が流れているが、その風貌には東欧系の美しさと堀の深さが垣間見えている。長身で痩躯。特徴的な碧眼を黒縁の伊達メガネで目立たなくしている。タキシード姿で前髪をバックにあげた姿で現れれば、女性客を中心に密かに歓声があがるような状況だった。表社会ではほとんど無名だったが、裏社会や音楽事情通には彼の存在と名はかなり知られたものだったのである。
その日もサロン内中央の円形ステージで数曲を奏でていた。得意とする楽曲はショパン、そしてリストも得意とするところだった。その日の予定曲目を演奏し終えてステージ上から客席に向けて丁寧に会釈をする。
客と饒舌に言葉をかわすことは少なかったが、こう言う高級秘密サロンの客の傾向から、数日を置いて直接に個人宅や別荘にてプライベート演奏を依頼される事もある。それらも彼にとって重要な収入源であり、そのピアニストとしての技量を披露する重要な場であった。そして、ステージでの演奏の場こそが、彼が彼として己を取り戻せる唯一の場だったのである。
だが、その演奏依頼の仕事を取り仕切る人物が問題であった。
楽譜を小脇に抱えステージを後にして控室へと繋がる通路へと向かう。サロンの黒服が護衛する通用口ドアをくぐって店の裏側の通路を歩く。するとそこに立っていたのは鋭い視線を持つ剣呑な気配の持ち主だった。
まるで血まみれのレザーエッジのような視線をたたえた闇社会の住人。緋色会若頭・天龍陽二郎から兄弟盃を拝領した六分四分の弟分、かつてはカミソリと呼ばれた剣呑な男である。三つ揃えのスーツを着込み髪の毛はポマードでオールバックに撫で付けてある。その男の視線を受けてピアニストの男はカミソリの異名を持つ男の名を呼んだ。
「氷室様」
ピアニストの彼を待っていた男の名は氷室淳美、天龍陽二郎の懐刀にして有能かつ冷酷で知られた武闘派ヤクザである。この秘密サロンは彼が仕切るシノギの場の一つであるのだ。氷室はピアニストの彼の名を呼んだ。
「コクラ、いい演奏だったな」
「お褒め頂きありがとうございます」
「今夜はいつものショパンでは無かったんだな」
「はい、来客にピアノ曲に通じた方がいらっしゃるとお聞きしましたので」
「それでリストか――、リストの〝巡礼の年〟、曲名は〝夕立〟だったか」
「えぇ。リストはほぼ全てマスターしています」
「〝S137〟もか?」
「改訂版でしたら。初版は人間の弾く物ではありませんので」
「流石だな」
リストはショパンと並び高技巧を求められる曲が多いことで知られている。それを彼はほぼ全てマスターしたと言い切った。それがフカシでない事は、問い掛けてきた氷室の反応を見れば明らかだった。
ピアニストの彼は〝コクラ〟と呼ばれた。こう言う闇社会で本名を名乗るのは稀であり、大抵は身を守る必要から異名を使う。本名で名乗れるのは本名を晒しても何の痛痒もない強者か、周りの者に常日頃から守られている高い地位にある者だけである。
「今日は関西から旧主派の老舗ヤクザの流れをくむ大御所が来ていた。その奥方が大のピアノ好きで、若い頃にピアニストを目指していたそうで耳が肥えていた。お前の演奏を聞いてご満悦だったよ」
「楽しんでいただけたようで何よりです」
「あれなら天龍のアニキの交渉もうまくいくだろうよ。アニキが上機嫌なのは何よりだよ」
氷室もまたコクラの腕の確かさを高く買っていた。ここぞと言う時に重要な接待役として使えば、悪い結果に繋がるようなことはただの一度もなかったからだ。その氷室が笑みを消して言葉を続けた。
「さて、次の仕事だ」
「表ですか? 裏ですか?」
「裏だ。アニキからの司令だ」
そう答えながら氷室は右手を出す。コクラもその手に自らが脇に抱えていた楽譜を氷室へと渡した。ピアニストとして大切な楽譜を手放したのは、裏の仕事を受け入れた事の現れであった。
「仕事の内容だが。ひとっ走り行って偵察してこいとさ」
「偵察ですか、何を?」
「ハイヘイズって知ってるか?」
「無戸籍の混血孤児ですね。この街の外れで雑居しているとか」
「そうだ。そいつらの寝起きしている辺りで揉め事が起きてる。そいつを見聞きして来い」
話を額面通りに聞けば、単なる物見でしかない。だが天龍クラスの人物が単なる偵察をさせるはずがなかった。その事をコクラも長年の経験から熟知していた。
「どこまで手を出せば?」
「自分の存在を気取られるな。足跡を含めて何も残さず〝消して〟こい」
無論、何も残さずとは目撃者の命も含めてである。そんなことはこれまでのやり取りから嫌と言うほど叩き込まれている。そして拒否することができないということも。
「承知しました。スグに向かいます」
「あぁ、それと――」
コクラは動き出そうとしたが背後からかけられた声に足を止め体を向き直した。
そこには相変わらず酷薄そうな視線を向けてくる氷室の姿があった。
「これは俺のおせっかいだが、老婆心ながら現状を整理してやる。一度しか言わん。よく聞け。まず、国際テロリストのマリオネット・ディンキーの存在は知っているな?」
その言葉にコクラは頷く。
「そのディンキーの配下で、昨年から逃亡を続けていたテロアンドロイドのベルトコーネが、この東京アバディーンの南側エリアに姿を表したのがそもそもの発端だ。件のハイヘイズのガキどもの所に潜伏していたローラと言う娘が、ベルトコーネの元仲間だったらしい。ガキどもの乳母として馴染んでいたローラをやつは連れ戻そうとしたが当り前のように死に物狂いの抵抗にあった。やつに恨みを持つ者たちなどの加勢もあり一旦は排除に成功した。この時に日本警察が保有するアンドロイド警官の介入もあったと聞く。
まずこれが一つ。
だがベルトコーネには何重ものバックアップが仕掛けられていた。強力な自己再生能力に加え、予備の頭脳があり際限なく暴走と逃亡を可能とするように作られていたのだ。今、ヤツは最後の一手となる破滅的な暴走行為を開始しようとしている。どう言う理屈かはわかりかねるが、破滅的な暴走とやらが始まれば、この東京アバディーンの街区は全てが瓦礫と化す可能性すらあるそうだ」
「この街が――ですか? たった一体のアンドロイドの手で?」
にわかに信じがたい言葉に、コクラのその冷静な面持ちの角に驚きがにじみてでいるのがわかる。その驚きを肯定する事実を氷室はシンプルに言葉にする。
「やつの破滅的暴走は世界各国の軍部においてトップシークレット扱いだ。その一切が民間シンクタンクに流されていない。それが何故なのか? じっくり考えるんだな」
警告ともとれる強い言葉にコクラが頷いている。
「現在、ベルトコーネを中心として露助野郎の精鋭部隊が動いている。ベルトコーネを何とか回収しようとしているのが日本警察のアンドロイド警官の特攻装警だ。さらにそこに介入して逆に破滅的暴走を拡大させようとしている奴も現れたと聞く。これに加えて、偵察だけでもしておこうと言う輩がゴキブリみたいに溢れ始めている。何しろ世界中の軍隊や警察組織を手玉に取り続けてきたその戦歴は本物だからな。たとえ、ネジ一本プログラム数行でも、喉から手が出るほど欲しがっているやつはかならず居る。手段を選ばぬ形で何が何でも余計な真似をするやつが後を絶たないというわけだ。
そもそも、利害も理念も立場も異なる奴らが一斉に集まってきているんだ。混乱は拡大する一方だ。最悪、ここを放棄しなければならないかもしれんからな。その判断材料が必要なんだ。分かるな?」
氷室の言葉にコクラは頷いていた。今宵、自分が何を意図して行動すればいいか即座に理解する。
「承知しました。最高のタイミングでご報告出来るように致します」
「あぁ、報告を待ってるぞ」
そうシンプルに答えると氷室はスグにその場から立ち去っていく。あとに残されたのはコクラただ一人だ。周囲にだれもいないことを確かめると、蝶ネクタイを解き襟元を緩める。さらに手ぐしで髪の毛を崩してウルフカットのショート風に形を整えれば準備完了である。
「行くか」
そうシンプルに声を漏らすとコクラは歩き出した。その際に甲高い足音が残響を残さないのは彼がなんらかのスキルを有しているが故である。
誰もいない裏通路をコクラが歩き出す。そしてほんの僅かの間にコクラの姿はそこから掻き消えていたのである。
そして悪夢に堕ちるか、安寧なる朝を迎えられるのか、この街の行く末を決める戦いへと続いていくのである。
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