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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編

Part26 息子よ――/懐中時計と写真

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 今、2人は向かい合っていた。
 荒れ果てた洋上埋立地の最果て。人跡の地の辺縁。都市の繁栄の残渣が吹きすさぶ場所。
 中央防波堤外域埋立地〝東京アバディーン〟の東の果てに近い場所。そこに彼らはいた。最悪の悪夢の覚醒を前にして、ギリギリの対話が行われようとしていたのである。
 
「なぜ僕があなた達の正体を見抜いたか――、まずはそこから説明しましょう」

 グラウザーの語る声にウラジスノフが頷いている。戦闘部隊のリーダーである彼の意思に逆らいグラウザーに攻撃を加えるものは居なかった。ただ組織のリーダーであるウラジスノフの決定に従うだけだ。命令に服する。それが軍人の基本原則だからだ。だが彼らの従順さはそれだけが理由ではない。グラウザーは彼らの従順さの理由をなんとなく察しつつも説明を始めた。
 
「あなたたちが軍人系の人々である事はその高度なステルス戦闘技術や高度な武装などからもすぐにわかりました。ですがそれ以上にヒントになったのはアナタの発した〝ハポンスキ〟と言う言葉です」

 グラウザーの放つ言葉にさすがのウラジスノフもシブい表情を隠さなかった。冷静さを欠いていたとは言え、素性の特定に繋がる言葉を不用意に漏らすとは流石にバツが悪い。
 
「勘が鋭いんだな君は」

 照れ隠しも含めてウラジスノフがグラウザーを褒める。それを聞いて安易に浮かれるグラウザーではない。
 
「いえ、まだ未熟者ですから聞き落としがないように普段から意識を集中させているだけです」

 グラウザーの謙遜をウラジスノフは素直に受け入れた。微かながら笑顔で頷き返したのがその証だ。だがそれもグラウザーが冷静に言葉を再開すれば、ウラジスノフたちも真面目に耳を傾けていた。

「極めて高度な戦闘スキルを持った元ロシア軍人の人々が居ると言う事に気づいて、僕は僕の兄である特攻装警4号のディアリオがFSBから抜き出したデータのことを思い出しました」
「FSBだと? そいつ正気か?」

 ウラジスノフを始めとして静かなる男たちは誰もが驚きを隠せないでいた。
 
「ロシアは世界中で最もネットセキュリティ対策が高度な事で知られている。アメリカの情報局ですら手をこまねいていると言う。それに手を出すとは――、恐怖心がないのかイカれているのか」

 ウラジスノフは呆れつつもため息をついた。元スペツナズと言う情報を封鎖する側に居たがためにFSBの恐ろしさは身にしみて知っているのだ。

「それは僕も同感です。ですが、結果を出すためであるなら手段は選ばないと常日頃から口にしているような人なんですよ。その兄が掴んだ3件の封印情報。ロシア国内で3件の暴走案件が国家機密レベルで情報統制を受けている。ベルトコーネ暴走の事実を封印していると言う情報を掴んでいます。あのベルトコーネがロシアの国家中枢レベルでの事実封印を食らっているとなれば、当り前に世界中で起こしている暴走案件と同じわけがありません。おそらく数百人、数千人レベルでの犠牲者が出ているはずです。そしてその犠牲者の大半はロシアの最前線の兵士達。それがベルトコーネやマリオネットたちの手により鏖殺されている。そう推測したんです。ならばベルトコーネがここまで追い詰められているこの機会にかたきを討ちたいと思う人々が居たとしても不思議ではありません」
「それが我々だと?」
「はい、そう考えました。そしておそらくは――」

 そしてグラウザーはわずかに言葉を区切ると、じっとウラジスノフの眼を見つめながらこう問いただしたのだ。
 
「あなた達は生還を期せずに目的を果たそうとしていますね? 命を捨てる覚悟で――」

 そこに微笑みはなかった。理解もなかった。ただ静かな怒りがあるだけだ。そう、グラウザーはウラジスノフたちが秘めていた決断に対して強い怒りを抱いていたのである。そしてウラジスノフたちの本意を確かめるようにグラウザーは強く問いただしたのだ。
 
「なぜですか? なぜそんな事ができるんです? たったひとつの命をなぜそんなに無碍に扱う事ができるんですか? 教えてください! 僕には理解できない!」

 それは警察用途のアンドロイドとして人々の平和と命を守ると言う使命のもと産み出され、アイデンティティを形作られたグラウザーだからこそ抱くこと出来る思いだった。ウラジスノフはじっと唇を噛むと無言のままグラウザーを見つめ返した。
 沈黙が存在していた。ウラジスノフだけではない。彼の部下である静かなる男たちも沈黙を守っていた。それはグラウザーを無視する意図の沈黙ではなく、強い迷いと罪悪感を抱くがゆえの沈黙だったのである。
 だがウラジスノフは言葉を発した。
 
「これも神の采配と言うやつか――」

 指揮官として、男として、そしてかつて一人の息子の父親だった者として、目の前の一人の存在に対して伝えるべき言葉を持っていたためである。ウラジスノフは深い溜め息と共にグラウザーに対して告げる。その時のウラジスノフの表情は深い戸惑いに満ちていたのである。
 
「ここに居るのがお前でなければ一笑に付して排除するところだが――」

 ウラジスノフは一歩進み出るとグラウザーに対して告げる。だがその時の彼の表情にグラウザーはある感情を垣間見ることになる。胸の奥から絞り出すような声はグラウザーの耳にひどくこびりついた。

「相手がお前では、そうする事はどうしてもできん。なぜだかわかるか?」

 ウラジスノフからグラウザーが受け取ったもの。それは〝悲しみ〟と〝慈しみ〟である。ウラジスノフはズボンのポケットから一つの小さな蓋付きの懐中時計を取り出した。それは軍隊経験者の猛者が持ち歩くにはあまりに不自然かつ不似合いな物だった。アンティークで非効率的、現場任務で使うには不便極まりないはずだ。だがそれをウラジスノフは所有していた。ならばそれが意味する所は一つしか無かったからだ。
 懐中時計のリューズボタンを押して蓋を開く、そして蓋の裏側に貼り付けてあった一枚の傷んだカラー写真をグラウザーの方へと見せる。ウラジスノフは過去を思い出すような憂いのある表情で告げた。
 
「これがお前を簡単に排除できない理由だ」

 そこにはロシア軍人としての正装で誇らしげに胸を張り写真に映る一人の若者の姿があった。髪型こそ異なるが、顔立ちはほぼ同じ、凛として未来を見つめるような強い視線。そして髪の毛は亜麻色がかった栗色――そう、そこにはグラウザーと〝瓜二つ〟の容姿の若者が写り込んでいたのだ。そしてその写真にはこう記されていたのだ。
 
――Мой сын――

 すなわち『我が息子』と――
 その写真の意味する所をわからぬグラウザーではなかった。グラウザー自身が言い当てた事実。そして色あせた写真。それらの事実を組み合わせた時、それが形見の品である事くらい痛いほどに伝わってくる。そしてそれをもたらしたのがここに居るベルトコーネであろうと言う事も。 
 グラウザーが驚きつつも悲しげにそれを見つめた事に気づいて、ウラジスノフは懐中時計をしまい込む。
 
「ロシア国内で最初の破局的暴走の時だ。物理的に完全に追い詰められたベルトコーネが一切の人間性を排除した上での完全暴走――、中ロ国境の無人地帯を荒野に変える破壊行動に俺の息子は巻き込まれた。国境警備部隊の士官としてディンキー一味を追い詰め、あと一歩と言うところまで迫った時にヤツの通常暴走が発生した。近代兵器をことごとく排除する奴らに手を焼いたロシア軍は、周辺地域が無人の森林地帯である事を利用して局地限定の小型核砲弾をベルトコーネに向けて撃ち込んだんだ。そして、完全停止を確認しようとしたその時だ。奴は一切の感情も理念も理性も消去された状態でノーリミッターで〝悪魔の力〟を開放した――」

 悪魔の力――その正体をグラウザーは知っていた。
 
「質量慣性制御能力ですね?」

 張り詰めた表情でウラジスノフは頷く。
 
「そうだ。先程ここで、その片鱗を見たはずだ。あれを制限無しで暴走させた時、生身の兵隊ごときに出来ることは何もない。どんな近代装備を有していたとしてもだ。抵抗も逃亡もする暇もなく、俺の息子を含めて五千人以上が無慈悲にも犠牲となったんだ」

 そして過去の忌まわしい記憶にたどり着いたウラジスノフは忌々しげに吐き捨てた。
 
「お前、人間が〝数メートルの肉の球体〟として突き固められた物を見たことはあるか?」
「肉の球体?」

 一瞬、ウラジスノフが何を言っているのかグラウザーにはわからなかった。だがベルトコーネの能力を考慮しながら情景を思い描いた時にその肉の球体と言うものの実状をリアルに想起するに至った。瞬時にしてグラウザーの表情が蒼白になる。そんなばかなと一笑に付すことはどうしてもできなかった。
 
「俺の息子は〝肉の球体〟にされた。たった一枚の認識票を残してな。あれでは遺骨を拾ってやることもできん。そのあげく、軍の上層部に事件が機密扱いされた事で任務内消息不明とされて死亡証明証すら拒否された。俺の息子は今でもどこかの戦場で彷徨っていることにされているんだ。だから息子の墓の下には何も入っていない。墓碑銘もない小さな十字架が極東ロシアの野原に立てられているだけだ。だがあれでは、あれでは――」

 不意にウラジスノフの声が震えだす。その手にあの古ぼけた懐中時計を握りしめたまま、嗚咽するように彼は叫んだのだ。
 
「あれでは、息子の魂を弔って天に送ってやることもできない!」

 その叫びとともにウラジスノフの頬を一筋の涙が伝った。そしてそれはウラジスノフに従う静かなる男たちも同じであった。無言のまま拳を固める者、その顔を片手で覆う者。天を仰いで哀しみをこらえる者、いずれもがあの無人の荒野で起きた悲劇を知る者たちだったのだ。
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