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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編

Part24 静かなる男・後編/ミハイルの記憶Ⅰ

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 ウラジスノフ・ポロフスキー――
 極東ロシア最大の港湾都市ウラジオストックに生を受け若くしてロシア軍人となった男。
 ロシア各地を転戦し一時は中央ロシアの特殊部隊スペツナズにも在籍したことがある。その後、ハイテク化の波に飲まれる軍事情勢の中にあってステルス戦闘技術のエキスパートとしてその腕を磨いていくことになる。
 激戦地を転戦し続けていた彼が大事故による怪我から第一線を退き知人の紹介で妻を娶ったのは壮年期も後半に差し掛かった頃である。そして、特殊戦闘技術の指導教官として職を得ると、故郷ウラジオストックの郊外に居を構えてやがては一子を設けることになる。
 彼とは歳の離れた息子である『ミハイル』である。
 
 口数少なく子供には厳しく接する厳格な父親だったウラジスノフだったが、それでも軍人として矜持を持って任務をこなし、人より優れた特殊スキルを持った父を、息子のミハイルは誇りに思っていた。
 多忙であり家を留守にすることが多い父だったが、筆まめであったこともあり息子には手紙を欠かさず送る古風な面があった。妻も母親として人前で夫をけなすようなことはなく、当然のように息子のミハイルは父に多大な畏敬の念を懐きながら成長していくこととなる。
 幼い頃から軍の幼年学校に入り、父の背中を追いながら士官学校の階段を登っていくことになる。そして17歳の時、ミハイルは父と将来について対話することになる。
 
 ある冬の季節、多忙な任務の間を縫っての帰郷、風雪厳しい極東ロシアの郊外の邸宅で、ウラジスノフはミハイルと対峙していた。将来の進路について話し合うためである。無論、それをウラジスノフからは求めていない。話を切り出したのはミハイルである。
 息子は父に2人だけで話し合いたいと求めてきたのである。それを拒む理由はどこにもなかった。
 暖炉の温かみの前で、2人でソファーに腰を下ろして暖炉に向かって並び合う。正面から向かい合わなかったのは無意識のうちにお互いが威圧し合うことを避けたためだろう。
 父ウラジスノフはパイプタバコを燻らせながら息子の言葉に耳を傾けていた。
 
「父さん、俺、これからの事について決めたことがあるんだ」

 それは息子がこの時のために精一杯に知恵を働かせて考えた言葉であろうということは痛いほどに分かっていた。冷やかしもせず、問い詰めもせず、ウラジスノフは落ち着いた声で問い返す。
 
「それで?」

 返答を求める声。軍人としての立ち振舞が身に染み付いているために、必要最低限の会話で要点を確実に伝える話し方をするウラジスノフ。もちろん、息子はそんな父の癖を幼いころから十分わかっていた。
 
「軍に入る。父さんと同じように士官を目指す。この国を守る力になりたいんだ」

 それはミハイルがウラジスノフと同じ、陸軍将校を目指す意志があることを意味していた。そんな息子の決意をウラジスノフは軽んじることはない。
 
「そうか」

 パイプを手に持ったまましばらく口をつむぐ。暖炉で揺れる赤い炎をウラジスノフは見つめていた。そしてウラジスノフはそっと言葉を吐く。
 
「給料は安いぞ?」
「知ってるよ」
「訓練もシゴキも厳しい。無理に酒を飲まされることなんてしょっちゅうだ。毎年、音を上げて脱走するやつが山のように居るんだ。理想だけでやっていける世界じゃない」
「うん」

 父の言葉にミハイルはそっと頷いていた。だがそれに対する言葉をミハイルは用意していた。
 
「でも、軍人を一つにまとめ、そして突き動かすのは、その〝理想〟でしょ?」

 ウラジスノフはその言葉に即座に答えられなかった。国家も、政治も、軍隊も、スタート地点にあるのは全て〝理想〟である。そしてその理想を達成すべく、数多の人々が一つに集まるのである。たとえ理想とかけ離れた答えとなったとしても理想というゴールポストがあるからこそ人は集団を形成して動くことが出来るのである。

「半端な覚悟では務まらんぞ? いつか絶対後悔することがある。違う道を選べばよかったのではないか? ――と。たとえそうなったとしても人生に帰り道はない。一度その手に銃火を握りしめたら戦場で倒れるか、老いて戦えなくなるまで動き続けるしか無い。それが軍人と言う生き物だ。お前もそうなると言うんだな?」

 戦場での過酷な任務を幾度もくぐり抜けてきた父だからこそ言える言葉だった。それは理想に対する言葉、すなわち〝現実〟である。しかし若いがゆえに現実に対する切り返し方をミハイルは心得ていた。
 
「先の事はわからないよ。退役の日まで戦えるか、どこかの戦場で骨となるか、それはなってみなければわからない。ただ、今は父さんの背中の向こうに見えた軍人と言う世界に進んでみたいんだ。たとえ何があったとしても」

 それは覚悟だった。ウラジスノフが隣のミハイルを眺めれば、彼は迷う事なくまっすぐに前を見つめていた。ウラジスノフはその視線を止める術は持ち合わせていなかった。
 
「わかった。好きにしろ。かあさんには儂から言っておく。ただ機を見て詫びの一つも言っておけ。母親にとって、息子が自分のもとを離れると言うことほど辛いことはないんだ。そしていつかお前の理想がかなった時、その晴れ姿を見せてやれ。それがお前がするべき一番の親孝行だ。いいな?」

 息子を押しとどめる術がもう無いことをウラジスノフは悟った。そして軍人としてではなく、一人の男として息子に言葉を送った。
 
「ミハイル」
「はい」
「負けるなよ」

 たった一言だがそこに全ての思いが詰まっていた。この父たる自分と同じ道を歩むというのなら、かけられる言葉はそれしかないのだ。
 
「ここで待て」

 そう告げて立ち上がる。部屋の壁際の戸棚から1つの酒瓶と2つのグラスを取り出す。そして父はそれを二つのソファーの間にある丸テーブルの上に置くとこう告げたのだ。
 
「お前に、軍の若い連中が飲む酒というのを教えてやる。こう言うのを先輩や同僚から嫌と言うほど飲まされる。世界でもロシア人の酒好きは群を抜いてるからな」

 そう告げながら、一振りのナイフを取り出すとそれで器用にコルク栓を抜く。そして濃厚なアルコール臭を撒き散らしながらウォッカをグラスへと注いだ。

「これはウォッカでも度数の高い方で60度くらい。まぁ、普通はコレより低くて40度くらいだがな」
 
 父が先にグラスを取り、ミハイルがそれに続く。
 
「乾杯」
「乾杯」

 静かに乾杯を交わすとグラスの中を喉へと流し込む。飲みなれているウラジスノフはなんともないが、流石に若いミハイルには無理な代物だった。何とか飲み干したが、大きく息を吐いている。みるみる間に顔が赤くなっていく。そんな息子の反応に父は笑顔でこうつげたのだ。
 
「ほう? 吐き出さずに飲みほしたか。少しは見どころがありそうだな」

 咳き込みながらもミハイルは父の顔を見る。そこには久しぶりに見る父の笑顔が浮かんでいたのである。
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