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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編

Part22 過去の記憶/とんでもない報せ

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「近衛さん。それで現状は?」
〔最悪のニュースばかりだ。順番を追って説明しよう〕
「分かった。今、うちのティルトローターヘリの中でな、周りに第2科警研の連中や、涙路署の刑事さんたちも同行してくれている。彼らにも聞かせてやってくれ」
〔良いでしょう〕

 そして新谷はスマートフォンを操作して会話内容をオープンにしてスピーカーに流す。

〔それで現状ですが、まずアトラスとエリオットと連絡が取れないのは予定された事態です。あの街から脱出しない限り連絡は取れないものとして当初から想定していました。アトラスとエリオットの基礎戦闘能力でしたら、脱出はそう難しくはないと思っています〕
「ですが、現に連絡が取れない!」
〔それは承知しています。ですので公安4課の内密な協力を得てディアリオをあの市街地に投入する事となりました〕
「ディアリオを? どうやって!」
〔有る連中に同行させます。盤古・情報戦特化小隊、あえて毒虫の群れにアイツを投入します〕
「な、なんですって?! 正気ですか!」

 驚きの事実を告げる近衛に新谷は声を荒げた。だが近衛は落ち着き払ったままだ。
 
〔えぇ、正気です。公安の大戸島君や大石や小野川とも密に話し合って決断した事なんです。そもそもディアリオの同行を求めてきたのはあいつらの方です。何かを企んでいるのは間違いない。だがディアリオの情報戦能力は今や我々が想定した以上に成長している。それはあの有明事件を乗り越えてきた我々だからこそ言える確信です。だがそれはあの場に居なかった情報戦特化小隊の連中にはそれがわからない。大戸島くんもディアリオには公安の周辺に居る時は実力を見せるなと常に言い聞かせていたと言います。ここは裏のかき合いです。相手の裏を読みぬいた奴が勝ちです。あの毒虫連中が考える想定よりもディアリオの実力が上ならば、秘密のベールに包まれていた情報戦特化小隊の実態が掴めることにもなる。半分は賭けですが、あのディアリオならその程度の事態にも対策はすでに打っているはずです。もし順調にあの街の中へとディアリオが入り込むことができれば、アトラスとエリオットと連絡を取ることは十分に可能です。そして彼らが自力で脱出できる可能性が飛躍的に上がる! 今はあえて敵の手に乗るのが最善策だと思っています〕

 新谷は苦しそうな顔で思案していたが意を決したのか頷くと近衛に答え返した。
 
「わかりました。近衛さんの策にのるとしましょう」
〔貴重な特攻装警たちに危険な橋を渡らせることになって本当にすまないと思っています。それより今はベルトコーネと遭遇戦を行っているセンチュリーとグラウザーたちの救出の方が重要です。情報戦特化小隊が妨害に出るとすればむしろそちらの方が危険だからです。下手をすれば現地に向かっているあなた達にも危害が及びかねない! 現状は大変に剣呑な状態だと言うことをあらためて認識していただきたい〕

 近衛のその言葉はティルトローターヘリの中に響いていた。そしてそれは新谷のみならず、第2科警研の職員や、涙路署の捜査課の捜査員たちにも強い緊張を促すものだった。だがそれを敢えて励ますかのように、近衛の言葉が続いた。
 
〔ですが新谷さん〕
「はい?」
〔わたしはここでもう一つ、いやもう二つの切り札を切ろうと思います。その内の一つをすでに〝市ヶ谷〟から向かわせるべく準備をさせています〕
「は? 市ヶ谷ですと?」
〔えぇ〕

 想定外の地名が出てきたことに新谷も驚かずには居られなかった。だがその真意はわからない。分からないが何かとてつもない手段を講じてくるような気がしてならないのだ。近衛はさらに新谷に告げた。
 
〔それと今からもう一つの切り札のために私自身が動きます。絶対に奴らの思い通りにはさせませんよ〕

 その何よりも強い語り口に新谷も勇気づけられずには居られなかった。想像を超える事態が立て続けに襲ってくるが、ひとりひとりの力は弱くとも皆で連携して力を合わせればなんとかなる――、そう思わせてくれるような力強さが近衛の言葉にはあったのだ。
 新谷が告げる。期待を込めて。
 
「近衛さん。ご協力よろしくお願いします」

 そう新谷が言葉を発するが、不意に新谷のスマートフォンが鳴り響く。緊急の割り込み回線である。新谷は近衛の返事を待たずして告げた。
 
「近衛さん、割り込みが入った少しそちらと話させていただきます。あらためて後ほど」
〔わかりました。こちらでもイギリスから電話が来ているので。それではまた〕

 近衛がその言葉を残して通話を切る。近衛が残したイギリスと言う言葉が新谷の脳裏に妙に引っかかった。

「イギリス?」

 そして自分もスマートフォンの画面を眺めて回線を切り替えようとする。だがそこに映し出された通話相手に新谷も驚くことになる。

【 国際通話:英国、トム・リー 】

 それはあの有明事件においてガドニック教授とともに窮地を乗り越え、ともに手を携えて生還を喜びあった相手だった。英国科学アカデミーの円卓の会の中でももっとも若輩であり若さに裏打ちされた行動力と好奇心に満ち溢れた人物だった。トムも情報工学の博士号を持つ優秀な人物であり、彼ほどの人物ならば国際時差の問題は最初から念頭に置いているはずだ。
 
――何かある。そう思わずには居られなかった。

「はい、日本の新谷です」

 新谷が問いかければ、返って来たのは焦りを含んだ強い呼びかけだった。
 
〔ミスター新谷! 今どこにいますか!?〕
「リー博士? 今ですか? 今、東京湾上空です。これからグラウザーたちの回収のために事件現場に向かっています」
〔ではまだグラウザーたちと遭遇しては居ないんですね?〕
「はい。まだ彼らのところへは到達しておりませんが?」

 妙だった。トム・リーはあのパーティーの席上でも明快な言い回しを好み、こんな遠回しな呼びかけはしない人物だった。要件をストレートに明確に問いかけてくるはずだ。その疑問を投げかける前に教授から問いかけられたのは予想を超える言葉だったのだ。
 
〔あなたに今から教える〝条件〟を確認してください! それが満たされたならグラウザーたちの回収は断念するんだ!〕
「なっ? 博士? 何をおっしゃってるんです? 回収の断念などできるわけ――」

 トムも新谷たちがどれほどの思いを込めてアトラスからグラウザーに至るまでの道のりを歩んできたのか知らないわけではないはずだ。ガドニックから話を聞き、第2科警研で新谷たちからもエピソードを聞かせてもらった事で特攻装警への造詣を深めたはずだった。
 だが、そのトムが敢えて投げかけてきた言葉を、強く押し戻せるはずが無かった。新谷の言葉を遮るようにトムがある事実を伝えてくる。トムが強引なまでの強気さで電話回線の向こうから投げてきた言葉に新谷は絶望という言葉を思い知る事となるのだ。
 
「なんですって?」
〔これは事実です。今まで世界中で開示されているベルトコーネ暴走の事実は、全て問題のないレベルの話だったです! 既存の概念で対応可能という意味で! だが重要なのはそこから先だ。やつには通常暴走の他に〝破局的暴走〟と言う物がある! ロシアのFSBでも国際間の情報共有を拒むほどの致命的な被害をもたらした事件! それがこの破局的暴走なんです! もしこれが始まっているなら、一刻も早く現地住民を避難させる事を最優先させなければならない! それほどの事態なんです!〕

 甘かった。事実認識が甘かったのだ。
 マリオネット・ディンキーと言う男が抱えた闇と復讐への執念がどれほど深く、どれほど絶望に満ちた物だったのかを。そしてあのベルトコーネとは、その執念と絶望をその生命を賭してまで詰め込んだ究極の成果だったのだ。
 絶望と、無力感が、新谷の総身を襲っている。思わずスマートフォンを落としそうになる。だがそれでも最後の最後の一線で踏みとどまったのは、第2科警研と言う組織を率いる者として絶対になくしてならない矜持と責任感が有るがゆえだった。残された気力を振り絞って新谷はトムに言葉を返した。
 
「博士、あと少しで現着します。そこでの光景をお伝えします」
〔わかりました。総合的な判断のお手伝いをさせていただきます。ですがミスター新谷〕
「――はい」
〔絶対に危険を犯さないでください。あなたの才能と技術と知識はネットやデータベースではバックアップできないんですよ! あなたにスペアは存在しないんです! あなたが失われれば、特攻装警はその時こそ再起不能です! あなたが最後の一線だという事をわすれないでください!〕

 それは科学者として自ら活動しているトムだからこそ言える言葉だった。悲しいかな機械であるアンドロイドならバックアップを元にある程度復活させる事は可能だろう。だが、人間はそうは行かない。死によって失われた叡智と才覚は、二度と取り戻すことができないのだ。
 そしてそれはなによりも、マリオネット・ディンキーのテロ被害により、身近な人々を失った経験のあるトムだからこそ、強く抱く思いだったのだ。
 新谷は断腸の思いでトムへと言葉を返した。
 
「わかりました。お教えいただいた〝条件〟次第で緊急退避します」

 重く呻くような声。それが示している新谷の心情に、トムも感じたものが有る。必死に返せる言葉を返したのはたった一言であった。
 
〔ありがとうございます〕

 それ以上は何も言えなかった。手塩にかけた特攻装警たちを失うかもしれないと言う絶望的な現実について思うなら、新谷の決断の優劣について部外者がとやかく言える物では無いのだ。そしてトムはある言葉を神谷に送ったのだ。
 
〔あなたに神の恩寵があるよう祈っております〕
「ありがとうございます」

 それがトムと交わした言葉だった。その言葉を最後に二人同時に回線を切ったのだ。
 無言となった新谷だが、トムとの会話を終えた直後に近衛からのコールが来る。おそらく向こうでもガドニック教授かカレル博士辺りから、同様の連絡があったはずだ。
 スマートフォンで通話を受信すると声をかける。
 
「はい、新谷です」
〔近衛です、カレル博士からとんでもない事が伝えられました〕

 重い声の近衛が伝えてくる。それに新谷もトムからの忠告の件について答えた。
 
「私もです。近衛さん」

 もはや抜き差しならぬ致命的な事態へと、状況は進みつつあったのである。
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