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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/洋上スラム編

Part10 セイギノミカタ/拒絶反応

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 そして、それと同時にグラウザーは通信を飛ばす。
 
〔ディアリオ兄さん!〕

 問いかける相手は兄の一人であるディアリオだ。
 
〔どうしました? グラウザー?〕

 通信妨害やハッキングの多いこの街で、即座に返事が帰ってきたのは僥倖だった。安堵しつつディアリオに告げる。
 
〔大至急、第2科警研へと通信接続願います!〕
〔ハッキング対策の中継ですね? 了解。直ちにつなぎます!〕

 ディアリオが返答と同時に自らの体内システムを使ってグラウザーと第2科警研を中継接続する。グラウザーはすかさずネット越しに呼びかけた。
 
【 緊急通信呼び出し            】
【 呼び出し先:開発G班研究ルーム     】

 大久保はグラウザーが重要任務で行動中の時は、可能な限り第2科警研で待機してくれている。今も居るはずなのだが――
 
――頼む! 出てくれ!――

――数秒のタイムラグが、何時間にも感じられる。今、グラウザーは大久保の力を必要としていたのだ。それがなければ今度こそ万事休すだ。だが――

〔こちらG班大久保! どうした! グラウザー!〕

 返答があった。グラウザーの胸中を安堵がよぎる。
 
〔大久保さん! お願いがあります!〕
〔なんだ?! 遠隔サポートならいつでも可能だ。何が必要か言ってみろ〕

 生みの親たる大久保にグラウザーは告げる。それは乾坤一擲の賭けである。
 
〔僕の2次武装装甲システムの遠隔装着を願います!〕
〔2次武装? 遠隔装着だと?!〕

 グラウザーから告げられた言葉に大久保は絶句した。即時返答出来ぬ事が、それがどれだけ困難なことなのかを明確にしていた。先の極秘施設でのテストでも自動装着はできなかったのだ。機能面でも今だ完全動作には至っていないのだ。あまりに危険すぎる賭けである。
 だが、グラウザーは迷っていなかった。なぜなら――
 
〔ベルトコーネを倒すにはもうこれしかないんです!〕
〔失敗したら完全に対策は絶たれるぞ! いいんだな?〕
〔解っています! でもやるしか無いんです!〕

 〝ベルトコーネ〟――その存在が大久保の方にも伝わっている。それがいかに危険な事態の真っ直中にあるかを如実に示している。その危険度を大久保も察していた。
 
〔分かった! 2分耐えろ! 遠隔操作システムを立ち上げる!〕
〔了解!〕

 一か八かの賭けである。不確定的な要素のあるチャレンジは警察としての任務においては許される物ではない。だが、今はまさにこれしかないのだ。
 焦りがグラウザーの心理を襲う中、眼前の敵は不完全な復活を果たして攻撃のための拳を固めつつあった。残された時間は少ない、だがやるしか無いのだ。
 
 
 @     @     @
 
 
 ローラは見つめていた。
 ベルトコーネと戦う〝彼〟の姿を。
 絶体絶命の窮地に突如として現れベルトコーネを吹き飛ばし、そして、ベルトコーネと〝戦う〟と告げた人。
 
 ローラは神など信じない。
 否、アンドロイドであるが故に、テロリズムアンドロイドとして生を受けたが故に、神と言うものが理解できない。
 これまで手に掛けてきた人々が神に祈るさまをなんど見てきただろう。そしてその姿をどれ程に愚かしいとあざ笑っただろう。どんなに祈っても助けに来るはずがない。なぜなら神は地上には存在しないのだから。過去のローラならそう笑い飛ばしたはずだ。犠牲者がどんなに祈ったとしても、テロリズムから救ってくれた神など存在しないのだ。
 だが、今なら分かる。かつてのあの犠牲者たちが最後まで神に祈っていた時の気持ちを。それを思うと罪悪感で胸が締め付けられそうになる。そしてローラはココロの中でつぶやいていた。
 
――ごめんなさい――

 今、この夜に自分が味わった苦痛と無力感は己の罪に対して課せられた罰である。そして、最悪の状況に陥りながらも救いの手が差し伸べられたことの幸運を噛み締めずにはいられなかった。これが神に感謝するという気持ちなのだろうと。そしてローラは、自分たちをベルトコーネと言う恐怖から救ってくれた彼の姿にある言葉を見出していた。
 
 すなわち――〝正義の味方〟――である。
 それはおとぎ話ではない。これは現実なのだ。

 ローラはそんなグラウザーの戦いを横目に見ながらラフマニを連れて戦いの場から離れつつあった。肩を貸して支え合うラフマニにローラは問いかける。

「大丈夫?」

 だがラフマニは答えない。ぐっと唇を噛みしめうつむいたままだ。足取りもおぼつかずこのままでは歩行すら困難である。症状は悪化の一途を辿っていた。ローラは周囲を見回し道端へと運ぶ。そして少し開けた場所を見つけるとラフマニを引きずるように連れて行く。
 
「ラフマニ!?」

 地面へと横たえてあらためてラフマニの様子を見るが、視線も不確かであり呼吸も荒く顔色も蒼白である。医学的知識のあるものが見るならショック症状寸前なのは明らかだ。だがそのような知識、ローラにあろうはずがない。不安にかられながらもただひたすら眺めるしか無い。その手を必死握りしめて祈るだけで精一杯だった。
 
「どうしたら――どうしたらいいの?」

 戸惑い嘆きつつも時は一刻一刻と過ぎていく。そして今まさに救いの手が現れなければ万事休すになってしまうのだ。ローラは思わずある者の名を口にした。
 
「シェンレイ」

 それは普段から子どもたちとローラのことを守ってくれるはずの人の名前だった。正義の味方と呼び称されてもおかしくない筈の人だった。だが、彼は何故にか現れない。
 
「どうして? なぜ来てくれないの?」

 疑問を口にしてこの場にいない者をなじるが最早それすらも無駄な行為である。絶望がローラの心の中に広がっていく。遠くではベルトコーネと戦う〝彼〟の姿が見えているが、打撃戦の末に片足が捕らえれているのが見える。
 
「あっ!」

 ローラが思わず叫ぶ。だが今の彼女ではもうどうしようもない。振り回され地面へと叩きつけられている。無残な姿に思わず目を背けたくなる。そしてこうしている間にもラフマニの生命の危機は悪化の一途を辿っている。現実から目を背けても命が助かるわけではないのだ。
 
「ラフマニ?! ねぇ、大丈夫? ねぇ! 返事して!」

 絶望は恐怖へと変わる。破滅的な最後の予感がローラの総身を苛んでいく。そしてその恐怖の感覚は強い痛みへと代わりローラに新たな苦しみを与えようとするのだ。
 救いを求める気力さえ無くなりそうな現実がそこには在った。

――だが、神は彼女を見放したわけでは無かった。救いの糸はまだ絶たれていなかったのである。開けた空き地の向こう側、別な廃ビルの二階の裏口のドアが開き、錆びた非常階段から飛び降りてくる者達がいる。その数3名。

「おい! 大丈夫か!」

 姿を表したのは黒人である。東京アバディーンのメインストリート入口近くに縄張りを持つ黒人グループの手のものである。クラブ系のファッションに身を包んだその姿はどことなくストリートギャングを彷彿とさせるが、それとは裏腹に彼らが発する言葉は優しさに満ちていた。
 
「待ってろ! 今行く!」

 3人の黒人たちの中には肩から大きめのカバンを下げているものも居る。少し歳を重ねた初老の男性だった。アゴ周りに蓄えた白髪交じりの髭が印象的だった。彼が先頭になりローラのところへと駆けつけてくる。
 
「何があった?」

 そうローラに問いかけつつ地面に横たわったままのラフマニへと視線を向ける。ローラは即座に現状について説明を始めた。
 
「彼が――彼が拒絶反応の急性発作を起こしたんです! 無理な戦闘でサイボーグ体が拒絶反応を引き起こしてしまって――」

 ローラのその説明を聞きつつ初老の黒人男性は胸ポケットから小型のペンライトを取り出す、そして目に光を当てつつ首筋で脈を測る。その彼の視線と仕草で同行していた若い黒人男性が速やかに作業を始める。襟元を緩め鎖骨のあたりの素肌を露出させる。
 
「ドクター、準備いいぜ」
「よし、手足をしっかり抑えてくれ。射った直後の薬効の副作用で少々暴れるからな」
「わかった――、おい!」

 若い黒人男性はドクターと呼ばれた彼からの指示を受けて、同行していた残り一人にも声をかけた。指示通りにラフマニの手足を押さえるためにだ。ローラは彼が始めた作業に対して思わず疑問の問いかけをせずには居られなかった。
 
「あの――彼になにを?」

 不安げに問いかけるローラに老ドクターは柔らかい口調ながら冷静な表情のまま告げた。

「注射だよ、注射。おれはこれでも元は米軍の軍医でね。事情があってトンズラこいてここまで流れてきたんだ。古巣じゃ軍用のサイボーグ化兵士のメンテナンスケアを専門にしてたんだが、戦場じゃコイツみたいに無理のし過ぎで拒絶反応発作を起こすやつはいくらでも居た。そんな時にコイツをぶち込むんだ」

 ドクターが取り出したのは銃のような形状の電動式の動力注射器である。専用の形状の瓶型アンプルを銃身の真下に弾倉のように取り付けスイッチを入れてポンプを作動させれば準備は完了する。そして注射を打ち込む場所として鎖骨付近を探り始めた。

「軍人ってのは怪我や病気で手足を無くすのは決して珍しくない。昔はそのまま傷痍軍人として除隊となって雀の涙の恩給生活を受けるんだが、今じゃ医療用義肢の発達で義手義足をつけて戦場復帰するやつが増えたんだ。だが、戦場じゃ適切な治療が受けられるとは限らない。過酷な環境に放り込まれて肉体に負担が掛かりまくる。そうすると移植された義手義足や人工臓器に身体が急性拒絶反応を起こす。放っておけば必ず死ぬ。鉛玉を食らうよりも確実に棺桶行きだ。初期の頃は治療が追いつかなくてかなりの兵士が拒絶反応でやられたよ」

 老ドクターは鎖骨の下にある太い静脈を探っているようだった。鎖骨下には全身のリンパ管が集約される大静脈がある。そこへと薬剤を打ち込むのだ。触診でどうやら鎖骨下静脈を探り当てたようではっきりと頷いていた。
 
「そこで拒絶反応の元になる免疫反応を制御する薬が急遽開発された。薬効重視で副作用は度外視。ひどい頭痛にやられるし、あとから全身の筋肉に痛みが走る。胃腸が消化不良を起こして下痢にもなるから一週間はトイレと往復するはめになる。あんまりヒドイんで現場の兵士からは『下痢薬』ってあだ名が付けられたんだ。俺は現場の兵士からは下痢の先生って呼ばれてたよ」

 静かな語り口の中に悲壮で決して楽ではない現実を笑い飛ばそうとする減らず口が垣間見えている。過酷な世界に身を置く軍人ならではの言い回しでワイズダックと呼ばれるものだ。己の過去を笑い飛ばす事でこの場の重い空気を吹き飛ばそうとしているのだ。老ドクターがローラに微笑みかけながら冗談交じりに告げた。
 
「そういう訳だ。当分の間はアンタの彼氏はトイレに篭りきりになるから。覚悟してくれよ」

 そのあまりに軽い言い方にローラも思わず笑いそうになる。そんなローラの姿を確かめながら、老ドクターは告げる。 

「よし、鍼を打つ場所は決まった。おい! 坊主!」

 ドクターが大声で怒鳴りつければうっすらと目が開く。視線は定まらないがまだ正気はなくしていなかった。それを確かめながらドクターはラフマニの口に折りたたんだタオルを咥えさせる。その様子にただ見守るだけだったローラもラフマニの頭の方へと回り込むと彼の頭部に両手を添えていく。

「ラフマニ、もうちょっとだからね」

 ローラのその言葉を耳にしてラフマニは頷いていた。準備は終わった。あとは銃型注射器の先端を注射箇所へと宛てがい打ち込むだけである。
 
「今から薬をぶち込む! 内臓がひっくり返りそうになるが踏ん張れ! 男なら彼女にいいところ見せてみろ! キン○マ付いてんだろ?!」

 ドクターの大声にラフマニははっきりと頷いていた。そしてラフマニの視線は傍らにて彼のことを案じているローラにも向けられたのだ。
 
「よーし、いい顔だ。行くぞ!」

 掛け声とともに補助の二人がラフマニの体を押さえ込む。そして、カウントが始まった。
 
「3! 2! 1!」

――プシッ!!――

 ラフマニの体内へと注射針が打ち込まれ、電動ポンプが働き薬液を送り出すシリンダーが作動する。そして、速やかに薬液が体内へと送り込まれていく。軍用と言い切るだけあって一般の医療用とは異なり本来の用途に特化した荒々しさが在った。そしてアンプル瓶の薬剤が全量投入されたのを確認するとドクターは注射針をラフマニから引き抜いた。
 薬効は即座に現れる。同時に副作用も速やかにラフマニの身体を襲ったのである。

「そら来やがった! 押さえろ!!」

 ドクターが叫ぶのとほぼ同時にラフマニはその体を激しく暴れさせ捩り始めた。それは抗拒絶反応薬が中枢系にも強く作用するが故の反応であった。薬効が安定するまでの間の数分間は中枢神経の興奮そのままに激しく身体を硬直させて跳ねるように身体を激しく動かしていく。薬剤の副作用が中枢神経系に強く働くが故の副作用。こればかりは急性反応が落ち着くのを待つしか無い。大の大人が3人がかりで押さえ込んでいく。
 その光景にローラは、戦場と言う場所で世界中で今なお行われている残酷な現実の一端を垣間見たような気がした。ローラの背後遠くではベルトコーネとグラウザーが戦っている音が聞こえている。その光景を見る余裕はないが、向こう側の戦いが今なお止んでいないことは明らかだった。
 そしてローラもラフマニの身体を守るべく手を出した。ラフマニの頭部を両手で掴むと上半身で抱きしめるように抑え始める。
 
「ラフマニ、頑張って!」

 ローラはラフマニにそっと声を掛けた。これもまた戦いである。ローラはラフマニが勝つと信じていたのである。
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