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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/潜入編
Part2 船上の会話/2つの警察
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単調なエンジン音が響く船内、その船員居住区の中でアトラスたちは今日の任務の行動についての打ち合わせを始めた。先に口を開いたのは荒真田である。
「さて、お送りいただいてる間に少し話しとこうぜ。今回の任務についての話はできるだけ俺達だけの間でおさえときたいからな」
「たしかに――」
荒真田の言葉にアトラスが頷く。
「本庁で公安の連中に聞かれるのもあまりうれしい状況じゃないからな」
「だろう? いくら大事の前に小異に目をつぶったとは言っても、相手はあの公安だ。目指す物があまりに違いすぎる」
それは今回のベルトコーネ追跡における公安部との共同作戦に対しての強烈な不満の表れであった。荒真田の指摘にアトラスは言葉を続けた。
「奴らのことだ。ベルトコーネを抑えてガサク対策が目鼻がつけば、また奴ら特有の裏の組織の論理が頭をもたげてくるはずだ。そうなれば、俺たち刑事警察と、奴ら公安警察。どっちが『おいしい部分』を握るかで競り合いになる」
「そう言うこった。俺から言わせりゃ公安なんか〝詐欺師の集まり〟みてぇなもんだ。そもそもが法律を端っから無視したようなことを戦前からずっとやってるんだからな。外側の見栄えがヤクザに見えてたってそれなりにルールに則って行動してる俺たち『暴対』のほうがまだマトモだ」
「同感だ。俺の弟であるディアリオの行動を見てると、公安内でどう言う教育をされてるか大体想像がつく」
「『目的のためには手段は選ぶな。結果として辻褄が合っていればいい』みたいなところか?」
「そうだな。去年の秋口の南本牧埠頭で引き起こした大型トレーラーのハッキングの一件なんか典型的な公安のやり口だからな」
「やっかいなこった――」
荒真田はため息吐きながら、アトラスとエリオットに視線を投げかける。
「お前たちも面倒なところに兄弟を捕られたよな」
その言葉に、アトラスはソファに体を預けながら天井を仰いだ。
「否定はせんよ。いずれもっと困ったことになるのは間違いないしな」
公安に身を置くディアリオ。それがどの様な運命をたどるのかアトラスが抱いている不安と疑念は決して晴れることはないだろう。それまで席に腰を下ろしてじっと耳を傾けていたエリオットだったが、その時、初めて口を開いた。兄であるアトラスと荒真田の方へと視線を向け、とある疑問を投げかけた。
「一つ、お聞きしてよろしいですか?」
エリオットの声にアトラスたちは振り向いた。
「なんだ?」
「先程からおっしゃっている『刑事警察』と『公安警察』その違いとは何なのですか?」
それはシンプルで当たり前な問いかけだった。それは日本の警察特有の〝壁〟であり、日本の警察を2つに隔てる物である。警察の内部に居る者なら常に意識せずには居られないはずである。だが、その問いかけをしたのがエリオットであると言う事実にアトラスはため息を吐かずには居られなかった。
「そうか――エリオットは警備部だったな」
「はい」
「なら、刑事と公安――この2つの違いについて意識することはなかなか無いかもしれんな」
「どう云うことですか?」
アトラスがしみじみと呟けばエリオットは更に問いかけの言葉を吐いた。二人のやり取りの隣で見ていた荒真田がエリオットに教え諭した。
「エリオット、いいか? よく聞け」
荒真田は静かに、そして力強く見つめるようにエリオットに告げた。
「犯罪捜査の現場に出れば、刑事と公安と言う2つの存在について嫌でも意識させられることになる。俺達の〝仕事〟に付いて来るならこの2つの違いは重要になる。必ず頭に叩き込んでおけ」
そして、アトラスは荒真田の言葉が終わると同時に確信となる答えをエリオットへと告げた。
「そもそも――〝刑事警察〟と〝公安警察〟では『守ろうとする対象』が根本から異なるんだよ」
「守ろうとする対象?」
「あぁ」
訝しげに問いかけてくるエリオットにアトラスは頷き返した。
「俺たち刑事警察は、本来、刑法に乗っ取り、違法行為を働く犯罪者から『一般市民の安全な生活』を守るために存在している。これは日本だけでなく市民警察と言う枠組みに居る者なら絶対に守るべき鉄則だ。特攻装警で言うなら、暴対の俺、少年犯罪対策のセンチュリー、捜査部のフィール、そして、所轄になるがグラウザーもこの枠の中に入ることになる。当然ながら捜査する対象はあくまでも刑法を破り違法犯罪行為を犯した〝個人〟の犯罪者であり、あるいはその個人犯罪者が集まって存在している〝犯罪組織〟を刑事訴訟法にもとづいて拘束し、処罰することが最終目的となる。これが『刑事警察』と言うものだ」
アトラスは指折り数えながら自分を含めて4人をカウントする。そして、カウント一旦リセットすると更に言葉を続ける。その時、アトラスが再び指を立てたのは1本だけであった。
「それに対して公安警察は、市民と言う存在に象徴される一般社会よりも『国家という枠組み』その物を守るために存在しているんだ。特攻装警で言うなら、まさに情報機動隊のディアリオがこちらの側に入ることになる。国家と言う枠組みは〝国体〟と言う言葉に言い換えることができる。つまり日本国と言う巨大な存在をそのシステムを含めて護りこれを維持する事が最終目的となる。その最終目的を果たすためであれば〝一個人〟と言う物は彼らにとっては比較的どうでもいいと言う事となる。刑事訴訟法から逸脱したり、違法行為を働いたとしても、公安にとっての最終目的である『国体の持護』と言う成果が導き出せるのであれば途中の過程はどうでもいいんだよ」
アトラスの説明をエリオットは咀嚼しようとする。
「つまり、〝個人〟か? 〝全体〟か? と言うことですか?」
エリオットのその回答を採点したのは荒真田だった。
「まぁ、実際にはもっと細かな部署によって微妙な違いがあるんだが、ほぼ正解と言っちまっていいだろうな。まず――、ひとりひとりの犯罪者を単位として違法行為を働いたやつをとっ捕まえて検察に渡して裁判にかけさせるのが俺たち刑事警察だ。だからやり方はあくまでも刑事訴訟法はもとより、あらゆる法律を守って行動することが求められる」
自らが属する組織の事について荒真田は淡々と答える。だが、口調を変えるように低い声でじっとエリオットを見つめながら荒真田は更に答えを続けた。
「だが、公安は違う。国という枠組みを犯すテロリストや様々な思想犯、あるいは自由民主主義に反対する全体主義者――、そう言う〝国家から見た危険分子〟を常日頃から監視の目を光らせておき、少しでも危険だと判断すればすぐに身柄を拘束して〝国家に対する危険性〟を適時排除していく。やり口は荒っぽく、かつ時には狡猾であり、場合によっちゃぁ犠牲者が出るような行為も平気で行う。監視捜査対象となる組織や団体について内部情報を得るために特別利害関係となる『スパイ』を仕立てる事だってやってのけるんだ」
「スパイ? 警察がですか?!」
「あぁ、そのとおりだ――」
疑問の声を発したエリオットに、アトラスは頷いた。
「昔はそういうのを『エス』とか『桜』とか言って頻繁に行われていたんだ。なんの罪もない一般市民を言葉巧みに仲間として取り込み飼いならし、全幅の信頼が築かれた段階で、捜査員は自分が公安警察である事を突きつけて、公安に協力する以外に道はない事を覚悟させる。そして、スパイ役が疲弊しきって使い物にならなくなるまで酷使する。これによって自ら命を断った公安のスパイ役は決して少なくはないんだ。ただ、その全体像が公正に明かされたことは今までただの一度も無いがな」
「なにしろ、奴らの目的はあくまでの〝国家〟であり〝政府〟なんだからな。〝個人〟がどうなろうと奴らにはどうでもいい事なのさ」
アトラスと荒真田が突きつけた現実――、その重さと困難さを理解したのかエリオットの表情は硬かった。
「それではまるで――全く異なる別な組織ではないですか?」
「そのとおり、まるっきり異なる組織だ。実際、戦前は公安警察は別な名前で呼ばれていて、組織自体も建物も別だったんだ」
エリオットの疑問に荒真田が答える。
「戦前は公安ではなく『特別高等警察』――通称『特高』と呼ばれていた。戦前日本は民主主義ではなく全体主義だったから一般警察よりも特高の方が権限が遥かに強かった。国家を脅かすと判断した者や団体を情け容赦なく連行しては強引な捜査で吊るしあげていった。戦時中は拷問も行われたと言う。それが戦後日本の流れの中で糾弾され解体され、そして、一般警察の中に飲み込まれることとなる。だが、戦後の冷戦対立の中で起きた赤狩りや、学生過激派によるテロ活動、その他、先鋭化した一部の労働運動家などを対象として、刑事警察では対応しきれないケースが増え続けることとなった。そして、一旦は姿を消したはずの〝彼ら〟は公安と名を変えて、再び姿を表すこととなる。それが時代に応じて変節しながら現在まで脈々と受け継がれていると言われているんだ。そう言う連中と肩を並べて捜査活動をする――それがどれだけ大変で困難なことなのか? 分かるよな? エリオット」
それは日本警察の裏の顔であった。そして、目を背けてはならない現実でもある。思わず息を飲むエリオットにアトラスは更に告げるのだ。
「だが、そこで微妙な立場となるのが、お前の所属する『警備部』だ。なぜだか分かるか?」
兄たるアトラスの指摘を耳にして、エリオットは思索を巡らせる。そして、導き出した答えを口にする。
「それはつまり――〝市民生活を脅かすモノ〟も、〝国家の枠組みを脅かすモノ〟も、我々警備部は状況に応じてどちらも対処しなければなりません。捜査活動ではなく『武力制圧』や『武装警備』や『治安維持活動』――その行動のためには刑事警察とも公安警察とも、そのどちらとも連携する可能性があります。どちらが正しく、どちらが間違っているのか? それを私の所属する警備部は、適時、適正に、そして速やかに判断しなければなりません。その判断を誤れば、さらなる問題を引き起こしかねません。だからこそ兄さんは、私をそのどちらにもカウントしなかったのでしょう?」
「そのとおりだエリオット。それこそが今回、近衛さんがお前を我々のところへと預けてきた理由なんだ。分かるな?」
それはエリオットにとり〝師〟とも言える人物から与えられた課題であった。そしてそれはエリオットに、ただ指示を受けるのを待つのではなく、自ら考え自らの意志で行動する存在へとステップアップする事が求められているのだと思い知らされる出来事でもあった。エリオットは得心がいった顔で頷きながら答える。
「うちの近衛課長はかつて兄さんたちと同じ暴対に所属していたと聞きました。にいさんたちが私に突きつけた問題についても課長自身なんども考えあぐねたと思います。そして、それがわかっているからこそ、近衛課長は自分自ら何度も現場へと足を運ぶのでしょう。私もそう言う存在でありたい。いや、そういう存在でなければならない。それが――」
エリオットはアトラスと荒真田の顔を交互に眺めながら力強く告げる。
「今回の私に課された任務なのだと思います」
その言葉を述べるとき、エリオットの目には力強い光が宿っていた。それはいつもの戦闘任務の中で現場へと空中投下され強行襲撃する際に、全てにおいて覚悟を決めた時に浮かべる眼である。
エリオットの言葉にアトラスも荒真田を満足気に頷いていた。そして、アトラスは告げる。
「それじゃ、公安についての講義はこれくらいにして、今夜の現場状況について最後の確認をしよう――」
偽装船の船内で彼らの話し合いはなおも続いたのである。
「さて、お送りいただいてる間に少し話しとこうぜ。今回の任務についての話はできるだけ俺達だけの間でおさえときたいからな」
「たしかに――」
荒真田の言葉にアトラスが頷く。
「本庁で公安の連中に聞かれるのもあまりうれしい状況じゃないからな」
「だろう? いくら大事の前に小異に目をつぶったとは言っても、相手はあの公安だ。目指す物があまりに違いすぎる」
それは今回のベルトコーネ追跡における公安部との共同作戦に対しての強烈な不満の表れであった。荒真田の指摘にアトラスは言葉を続けた。
「奴らのことだ。ベルトコーネを抑えてガサク対策が目鼻がつけば、また奴ら特有の裏の組織の論理が頭をもたげてくるはずだ。そうなれば、俺たち刑事警察と、奴ら公安警察。どっちが『おいしい部分』を握るかで競り合いになる」
「そう言うこった。俺から言わせりゃ公安なんか〝詐欺師の集まり〟みてぇなもんだ。そもそもが法律を端っから無視したようなことを戦前からずっとやってるんだからな。外側の見栄えがヤクザに見えてたってそれなりにルールに則って行動してる俺たち『暴対』のほうがまだマトモだ」
「同感だ。俺の弟であるディアリオの行動を見てると、公安内でどう言う教育をされてるか大体想像がつく」
「『目的のためには手段は選ぶな。結果として辻褄が合っていればいい』みたいなところか?」
「そうだな。去年の秋口の南本牧埠頭で引き起こした大型トレーラーのハッキングの一件なんか典型的な公安のやり口だからな」
「やっかいなこった――」
荒真田はため息吐きながら、アトラスとエリオットに視線を投げかける。
「お前たちも面倒なところに兄弟を捕られたよな」
その言葉に、アトラスはソファに体を預けながら天井を仰いだ。
「否定はせんよ。いずれもっと困ったことになるのは間違いないしな」
公安に身を置くディアリオ。それがどの様な運命をたどるのかアトラスが抱いている不安と疑念は決して晴れることはないだろう。それまで席に腰を下ろしてじっと耳を傾けていたエリオットだったが、その時、初めて口を開いた。兄であるアトラスと荒真田の方へと視線を向け、とある疑問を投げかけた。
「一つ、お聞きしてよろしいですか?」
エリオットの声にアトラスたちは振り向いた。
「なんだ?」
「先程からおっしゃっている『刑事警察』と『公安警察』その違いとは何なのですか?」
それはシンプルで当たり前な問いかけだった。それは日本の警察特有の〝壁〟であり、日本の警察を2つに隔てる物である。警察の内部に居る者なら常に意識せずには居られないはずである。だが、その問いかけをしたのがエリオットであると言う事実にアトラスはため息を吐かずには居られなかった。
「そうか――エリオットは警備部だったな」
「はい」
「なら、刑事と公安――この2つの違いについて意識することはなかなか無いかもしれんな」
「どう云うことですか?」
アトラスがしみじみと呟けばエリオットは更に問いかけの言葉を吐いた。二人のやり取りの隣で見ていた荒真田がエリオットに教え諭した。
「エリオット、いいか? よく聞け」
荒真田は静かに、そして力強く見つめるようにエリオットに告げた。
「犯罪捜査の現場に出れば、刑事と公安と言う2つの存在について嫌でも意識させられることになる。俺達の〝仕事〟に付いて来るならこの2つの違いは重要になる。必ず頭に叩き込んでおけ」
そして、アトラスは荒真田の言葉が終わると同時に確信となる答えをエリオットへと告げた。
「そもそも――〝刑事警察〟と〝公安警察〟では『守ろうとする対象』が根本から異なるんだよ」
「守ろうとする対象?」
「あぁ」
訝しげに問いかけてくるエリオットにアトラスは頷き返した。
「俺たち刑事警察は、本来、刑法に乗っ取り、違法行為を働く犯罪者から『一般市民の安全な生活』を守るために存在している。これは日本だけでなく市民警察と言う枠組みに居る者なら絶対に守るべき鉄則だ。特攻装警で言うなら、暴対の俺、少年犯罪対策のセンチュリー、捜査部のフィール、そして、所轄になるがグラウザーもこの枠の中に入ることになる。当然ながら捜査する対象はあくまでも刑法を破り違法犯罪行為を犯した〝個人〟の犯罪者であり、あるいはその個人犯罪者が集まって存在している〝犯罪組織〟を刑事訴訟法にもとづいて拘束し、処罰することが最終目的となる。これが『刑事警察』と言うものだ」
アトラスは指折り数えながら自分を含めて4人をカウントする。そして、カウント一旦リセットすると更に言葉を続ける。その時、アトラスが再び指を立てたのは1本だけであった。
「それに対して公安警察は、市民と言う存在に象徴される一般社会よりも『国家という枠組み』その物を守るために存在しているんだ。特攻装警で言うなら、まさに情報機動隊のディアリオがこちらの側に入ることになる。国家と言う枠組みは〝国体〟と言う言葉に言い換えることができる。つまり日本国と言う巨大な存在をそのシステムを含めて護りこれを維持する事が最終目的となる。その最終目的を果たすためであれば〝一個人〟と言う物は彼らにとっては比較的どうでもいいと言う事となる。刑事訴訟法から逸脱したり、違法行為を働いたとしても、公安にとっての最終目的である『国体の持護』と言う成果が導き出せるのであれば途中の過程はどうでもいいんだよ」
アトラスの説明をエリオットは咀嚼しようとする。
「つまり、〝個人〟か? 〝全体〟か? と言うことですか?」
エリオットのその回答を採点したのは荒真田だった。
「まぁ、実際にはもっと細かな部署によって微妙な違いがあるんだが、ほぼ正解と言っちまっていいだろうな。まず――、ひとりひとりの犯罪者を単位として違法行為を働いたやつをとっ捕まえて検察に渡して裁判にかけさせるのが俺たち刑事警察だ。だからやり方はあくまでも刑事訴訟法はもとより、あらゆる法律を守って行動することが求められる」
自らが属する組織の事について荒真田は淡々と答える。だが、口調を変えるように低い声でじっとエリオットを見つめながら荒真田は更に答えを続けた。
「だが、公安は違う。国という枠組みを犯すテロリストや様々な思想犯、あるいは自由民主主義に反対する全体主義者――、そう言う〝国家から見た危険分子〟を常日頃から監視の目を光らせておき、少しでも危険だと判断すればすぐに身柄を拘束して〝国家に対する危険性〟を適時排除していく。やり口は荒っぽく、かつ時には狡猾であり、場合によっちゃぁ犠牲者が出るような行為も平気で行う。監視捜査対象となる組織や団体について内部情報を得るために特別利害関係となる『スパイ』を仕立てる事だってやってのけるんだ」
「スパイ? 警察がですか?!」
「あぁ、そのとおりだ――」
疑問の声を発したエリオットに、アトラスは頷いた。
「昔はそういうのを『エス』とか『桜』とか言って頻繁に行われていたんだ。なんの罪もない一般市民を言葉巧みに仲間として取り込み飼いならし、全幅の信頼が築かれた段階で、捜査員は自分が公安警察である事を突きつけて、公安に協力する以外に道はない事を覚悟させる。そして、スパイ役が疲弊しきって使い物にならなくなるまで酷使する。これによって自ら命を断った公安のスパイ役は決して少なくはないんだ。ただ、その全体像が公正に明かされたことは今までただの一度も無いがな」
「なにしろ、奴らの目的はあくまでの〝国家〟であり〝政府〟なんだからな。〝個人〟がどうなろうと奴らにはどうでもいい事なのさ」
アトラスと荒真田が突きつけた現実――、その重さと困難さを理解したのかエリオットの表情は硬かった。
「それではまるで――全く異なる別な組織ではないですか?」
「そのとおり、まるっきり異なる組織だ。実際、戦前は公安警察は別な名前で呼ばれていて、組織自体も建物も別だったんだ」
エリオットの疑問に荒真田が答える。
「戦前は公安ではなく『特別高等警察』――通称『特高』と呼ばれていた。戦前日本は民主主義ではなく全体主義だったから一般警察よりも特高の方が権限が遥かに強かった。国家を脅かすと判断した者や団体を情け容赦なく連行しては強引な捜査で吊るしあげていった。戦時中は拷問も行われたと言う。それが戦後日本の流れの中で糾弾され解体され、そして、一般警察の中に飲み込まれることとなる。だが、戦後の冷戦対立の中で起きた赤狩りや、学生過激派によるテロ活動、その他、先鋭化した一部の労働運動家などを対象として、刑事警察では対応しきれないケースが増え続けることとなった。そして、一旦は姿を消したはずの〝彼ら〟は公安と名を変えて、再び姿を表すこととなる。それが時代に応じて変節しながら現在まで脈々と受け継がれていると言われているんだ。そう言う連中と肩を並べて捜査活動をする――それがどれだけ大変で困難なことなのか? 分かるよな? エリオット」
それは日本警察の裏の顔であった。そして、目を背けてはならない現実でもある。思わず息を飲むエリオットにアトラスは更に告げるのだ。
「だが、そこで微妙な立場となるのが、お前の所属する『警備部』だ。なぜだか分かるか?」
兄たるアトラスの指摘を耳にして、エリオットは思索を巡らせる。そして、導き出した答えを口にする。
「それはつまり――〝市民生活を脅かすモノ〟も、〝国家の枠組みを脅かすモノ〟も、我々警備部は状況に応じてどちらも対処しなければなりません。捜査活動ではなく『武力制圧』や『武装警備』や『治安維持活動』――その行動のためには刑事警察とも公安警察とも、そのどちらとも連携する可能性があります。どちらが正しく、どちらが間違っているのか? それを私の所属する警備部は、適時、適正に、そして速やかに判断しなければなりません。その判断を誤れば、さらなる問題を引き起こしかねません。だからこそ兄さんは、私をそのどちらにもカウントしなかったのでしょう?」
「そのとおりだエリオット。それこそが今回、近衛さんがお前を我々のところへと預けてきた理由なんだ。分かるな?」
それはエリオットにとり〝師〟とも言える人物から与えられた課題であった。そしてそれはエリオットに、ただ指示を受けるのを待つのではなく、自ら考え自らの意志で行動する存在へとステップアップする事が求められているのだと思い知らされる出来事でもあった。エリオットは得心がいった顔で頷きながら答える。
「うちの近衛課長はかつて兄さんたちと同じ暴対に所属していたと聞きました。にいさんたちが私に突きつけた問題についても課長自身なんども考えあぐねたと思います。そして、それがわかっているからこそ、近衛課長は自分自ら何度も現場へと足を運ぶのでしょう。私もそう言う存在でありたい。いや、そういう存在でなければならない。それが――」
エリオットはアトラスと荒真田の顔を交互に眺めながら力強く告げる。
「今回の私に課された任務なのだと思います」
その言葉を述べるとき、エリオットの目には力強い光が宿っていた。それはいつもの戦闘任務の中で現場へと空中投下され強行襲撃する際に、全てにおいて覚悟を決めた時に浮かべる眼である。
エリオットの言葉にアトラスも荒真田を満足気に頷いていた。そして、アトラスは告げる。
「それじゃ、公安についての講義はこれくらいにして、今夜の現場状況について最後の確認をしよう――」
偽装船の船内で彼らの話し合いはなおも続いたのである。
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