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第1章ルーキーPartⅢ『天空のコロッセオ』

幕間 ――出立―― 『波間を越えて』

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■東京湾洋上


 そこは頭上の太陽が傾き始めた東京湾の片隅だった。
 東京都のエリアの一角に、東京湾中央防波堤外域とよばれるエリアがある。そしてそこからさらに海ほたる寄りの洋上――
 陸地から少し離れた海域に浮かんでいる一隻の小舟があった。
 埋立工事などに用いられる土砂運搬船の小型の物を改造した洋上バラックである。
 
 波間に漂うようにそれはただ静かにしていた。息を潜めてだれにも気付かれないようにと気配を消そうとしている。そして、そのバラック船のそばを行くのは海上保安庁所属の巡視船である。
 
「よーし、チビども。もう少しだからな」

 そう力強くやや男っぽい声を発するのは、黒い素肌の持ち主で黒髪の散切り頭の少女だった。
 船内には数人の子どもたちが息を潜めてじっとしている。そして年老いたもう一人の女性がその子どもたちを必死になだめていた。だがそんな彼らを余裕の態度で見持っていたのが、件の黒い肌の黒髪の少女である。
 脚は編み上げのブーツで腰から下はオリーブ色のニッカボッカ。上半身はネイビーカラーの長袖シャツの上に迷彩柄の半袖丈のジャケットを羽織っていた。その腰にはポケット付きのベルトとガンベルトが巻かれ銃やナイフも備えられている。それは〝傭兵〟と呼ぶに差し支えないような物々しさを感じるような出で立ちである。
 そして、海保の巡視船が通り過ぎていくと、船の外から声がしてきた。
 
「行ったよ。もう大丈夫~」

 いささか力の抜けそうな柔和な声が響いてくる。まるで水中でイルカが鳴いているかのような抑揚があった。
 黒い肌の彼女が外に出て顔を出す。
 
「おぅ! ご苦労さん! デュウ」
「へいきだよ、コレくらい」

 デュウと名を呼ばれた少女は船外で甲板の端に腰掛けていた。
 髪はウェービーなアクアブルーのロングヘアで背中の中ほどにまで伸びている。その髪の左の端に羽つきの小さなヘアアクセがついていた。上半身は純白の袖なしのトップスに、腰から下には紺色のティアードの巻きスカート、足元には濃紺と水色と金色のストライプのミドルブーツを履いていた。さらには襟元から両肩を覆うようなハイロングのマフラーを肩の周囲に巻いており、それが風にたなびくように両肩から左右後方へと流れていた。 

「だろうな。海の上で蜃気楼を操るなんてデュウの十八番おはこだからな」
「ふふ、ありがとう。ダエア」

 黒い肌の黒髪の少女の名はダエア、彼女と行動をともにするアクアブルーの髪の少女の名はデュウと言う。
 よく見れば洋上バラックの周囲には濃い霧のような陰りが立ち込めていた。それが光を散乱・屈折させて居るのだろう。
 
「じゃあ解除していい?」
「あぁ、もう良いだろう」
「オッケー」

 弾むような声で語りながらデュウは右手を掲げてそれを周囲に向けて一振りする。するとバラック船を覆い隠すように張り巡らされていた奇妙な霧煙はまたたく間に霧散して行ったのである。それを視認して、ダエアは船内の親子たちにこう告げたのである。
 
「ほら、もう大丈夫だぜ」
「ほ、本当ですか?」

 ダエアの言葉に顔を出してきたのは白髪が髪のいたるところに浮かんだ初老の女性だった。あまりいい暮らしはしていないのだろう。その容貌には苦しい生活の実態がありありと浮かんでいる。そんな彼女を労るようにダエアは語る。

「あぁ、ポリスの船はやり過ごした。船のエンジンも直しておいたからもう航行できるだろう」
「ありがとうございます。助かりました」
「旦那さん、当分帰ってこないんだっけ?」
「はい、まとまった金の入る仕事ができたと言って、西の方へと行きました。1ヶ月は帰れないと――」

 女性の語る言葉にダエアは内心では嫌な予感を感じていた。そんな甘い話をばらまいて、ついてきた〝カモ〟をタコ部屋労働や臓器移植の苗床として拉致って犠牲にする――、そんな残酷な裏ビジネスをしている連中のことを聞かされたことがあるのだ。その旦那とやらが帰ってくるかは五分五分、むしろ帰ってこれない確率のほうが明らかに高いだろう。
 ダエアは、夫の言葉を信じて必死に帰りを待つ奥さんに現実を語りそうになるがそれだけはぐっとこらえた。表情を変えずに冷静なままで次の行動を彼女たちに促すのだ。
 
「そうか、速く帰ってくるといいな」
「はい、この子らも父親の帰りを待っています。それまではなんとかやりくりして過ごそうと思います。それでは沿岸へと向かいましょうお約束通り、お二人をあの街へとお連れいたしますので」
「あぁ、頼むぜ。おれは船首の方で周りを見張ってる。奥さんは操船頼むぜ」
「はい、かしこまりました」

 この船はそう大きくない、船尾にエンジンと操舵席がある。逆に船首の方は作りはいたってシンプルだ。舳先にはロープも救助用具も無い。簡単な手すり代わりの柵が申し訳程度にあるだけだ。甲板の板もところどころ傷んでいて割れかけている。船体本体は安全策の一環としてエンジニアプラチックによる船体が用いられているためなんとか耐久できているが、それもいつまで持つのか不安を感じてしまう。
 それを振り切るように、船の舳先へと向かう。そして、その傍らからデュウがついてきたのだ。船の前側にはダエアとデュウしか居ない事になる。誰にも気兼ねせず会話ができるだろう。
 
「ダエア」

 ダエアの名をデュウが呼ぶ。
 
「どうしたの?」

 ダエアが何かを感じたことを察したのだろう。そっと問いかける。ダエアはデュウの顔をそっと眺めつつ語り始めた。
 
「俺の勘だが、おそらくあの親子の父親は生きちゃいない。仮に生きていても五体満足ってわけにゃいかないな」
「それって――」
「あぁ、とっくに金に変えられてるだろう。やり方は色々ある。臓器牧場の苗床、薬物実験の非合法サンプル、違法性サイボーグの改造素体、〝人の体に捨てるとこなし〟――そう言った馬鹿が居たが。それが世の中の現実だ。そして犠牲は世の中の下の方から常に始まる。今の世の中、そんなのばっかりだ。クソっ」

 荒い言葉を吐くダエアに同意するようにデュウも語る
 
「うん、そんな予感はしてた。物語だったら、約束は守られて無事に家族は再生される。でも――」
「これは物語じゃない。〝世の中〟って言う現実」
「現実って時々すごい残酷だからね。華やかで理想的な未来だけがあるわけじゃないわ。表通りがものすごいきれいでも、路地裏一つを曲がれば、ゴミの山のように薄汚れている。そんなの世界中のどこにでも見かけるわ」
「でも、たとえそうだったとしても、それは諦める理由にはならないさ」

 そしてダエアの視線は眼前に見えてきたものへと注がれていた。
 
「俺たちはあそこへと行かねばならない」
「うん」
「なぜならあそこには――」

 二人の視界に見えてきたもの――それは一つの街であった。そして、それは島であり、スラムであり、東京という都市の場末の地であった。退廃の象徴、悪夢の顕現、欲望の蜃気楼、希望の潰える場所――

 その名は『東京アバディーン』

 それが彼女たちが目指している場所であった。そこに彼女たちが求めるものがあるのだから。
 デュウがつぶやく。
 
「私達の生みの親たるお父様が、私たち同様に生み出してくれたはずの存在」
「あぁ、俺達はそれを取り戻さねばならない」

 彼女たちには求めるものがある。取り戻さねばならないソレを――
 そして、それを追い求めた末にたどりついたのがこの街だったのだ。
 東京アバディーン――、本来の名を『中央防波堤外域埋立番外地』
 大東京の全域から排出される廃棄物を埋め立てて作り上げられた土地である。
 人はその地をこう呼ぶ。
 
――ならず者の楽園――

 二人を乗せたバラック船はふらふらと漂うように儚げに進んでいく。
 東京アバディーンの地を目指して。
 物語はすでに始まっていた。
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