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第1章ルーキーPartⅢ『天空のコロッセオ』

インターミッション2『センチュリー』②

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「そこまでだ」
 
 場の背後から新たな声がする。若さを感じさせる働き盛りの壮年男性の声だ。
 人垣が自然に左右に割れて数人の刑事と警官が姿を現したのだ。
 
「警視庁生活安全部少年犯罪課の者だ」

 警察手帳を提示し、手帳を縦に開いてエンブレムを示しながら彼は名乗った。
 背広姿で長身のその男性の姿を、センチュリーは見覚えがある。
 
「小野川さん」

 その人物の名を呟く。面長の顔立ちで警察組織の人間としての剣呑さよりも、鷹揚さと穏やかさの方が強く印象に残る、そんな人物だ。小野川は自ら進み出ると同行した刑事や警官たちに指示を出す。
 
「少女と容疑者を保護」
「はっ!」

 小野川の指示を受けると男たちの行動は早かった。
 一人が少女の所に駆けつけると、センチュリーから受け取り、そっとその肩を抱くようにして保護する。よほど恐ろしかったのだろう。足元もおぼつかないほど震えており表情も蒼白である。泣きじゃくったせいで化粧が落ちていて、すっかり子供の顔を露わにしている。
 センチュリーが少女に声をかける。
 
「もう大丈夫だ。お前の勤め先には俺から話しておく。二~三日休むんだ。いいな?」

 少女はしゃくりあげながらセンチュリーの言葉に何度も頷いていた。そして、彼女を保護する刑事に依頼する。
 
「頼むぜ。病院に連れてって診断書をとってくれ」
「わかりました」

 診断書――それが意味するものは1つだ。
 応援の警官が現れて少女の体に毛布をかけてやる。そして、そのまま路上に待機しているパトカーへと招いて最寄りの警察病院へと連れていくはずだ。少女が連れられていく道すがら、少女の友人たちだろう彼女たちに声掛けする姿がかいま見える。少女を保護して連れて行こうとする刑事たちは、その友人たちへも簡単に説明をしては、その場に安心させることも忘れていなかった。
 センチュリーはその少女の姿を安堵して見送ると、すぐにその視線を反転させる。
 身を翻して、あの老刑事の方へと踵を返す。
 
「さてと――」

 つぶやきながらセンチュリーが小野川のところへと歩み寄れば、小野川もその老刑事に何かを告げようとしているところだ。
 
「警視庁生活安全部少年犯罪課課長の小野川だ。貴様、渋谷署生活安全課の渋山だな?」

 普段は穏やかな表情を崩さない小野川が珍しくその表情に怒気をはらんでいる。
 
「かねてから渋谷近辺の青少年たちから相談が寄せられていたんだ。任意と称して無理やり連れて来うとする刑事が居る。連れてかれたら有無をいわさず自白させられる。友人が連れてかれた。助けてくれってな」

 そして、センチュリーにも視線をなげつつ言葉を続ける。
 
「それで警務部の人間と連携しながら、内偵調査を行っていた。それで渋谷署の貴様の姿が浮上し、かねてから事実関係の裏付けをしていたんだ。お前がこれまで補導・逮捕した子どもたちにも再調査を行い、その全てが物証が不確かな自白強要による不当逮捕である疑いが濃くなった。全て審理差し戻しで処分取り消しが検討されている」

 小野川の言葉にセンチュリーも思わず声を荒げる。
 
「処分を取り消しても、そいつらの人生はもとには戻らねぇ」

 その言葉に小野川は頷く。場に居合わせた刑事や警官たちも頷いている。だが、退路を断たれたろ刑事は、事、ここに至ってもなお自分が置かれた立場について理解する頭を持ちあわせては居なかった。憮然とした表情で運転席から渋々に降りてくるとふてくされた表情で小野川やセンチュリーたちを睨み返した。
 
「こんなクズどもの人生がどうだってんだよ」

 それは子どもたちの人生と人権を軽視する暴言である。センチュリーはもとより、駆けつけていた刑事たち警官たちの神経を逆なでするには十分な物だ。老刑事はさらに続けた。
 
「それに、俺はコイツに拳銃つきつけられたんだぞ! そいつはどうなる!」 

 老刑事がセンチュリーを指差していた。自分の非よりも、相手の失態をあげつらう、自己保身しか頭にないまさに老害そのもの姿だ。だが、それを耳にした小野川はある行動をとった。
 数歩進み出て老刑事へと肉薄する。そして、背広の内ポケットから官給品のオートマチック拳銃――SIGのP230を抜き放った。それを老刑事に突きつけながら小野川は静かに言い放ったのだ。

「拳銃なら私にも突きつけられる」

 撃鉄に指をかけながら老刑事を睨みつける。

「それがどうした?」

 本気だった。一切の反論も異論も認めない強攻な態度に、老刑事も沈黙せざるを得ない。そして、彼が抵抗をやめたのを確認すると、取り囲んでいた刑事たちがその老刑事の身柄を左右から抑えこむ。手錠こそかけないもののその姿はまるっきり犯罪者である。
 
「お前の身柄は、これから警視庁の警務部に引き渡される。そして、監察官の取り調べが行われる」

 老刑事の処遇を宣告すると小野川は視線で部下に促す。それを受けて刑事たちは老刑事の身柄を本庁へと連れて行くのだ。
 その後、後始末について幾つかの指示を出すと、小野川はセンチュリーへと向き合った

「センチュリー」
「はい」

 センチュリーは覚悟していた。一時の激情に駆られたとはいえ、問題は問題である。処分は免れない。南本牧や有明の一件のように明らかな危害行動でもなければ本来は拳銃を抜き放つことなど絶対にタブーなのだ。
 覚悟を決めて冷静に沈黙するセンチュリーだったが、小野川から語られた言葉はとても穏やかである。
 
「本庁に戻り次第、報告書を提出しろ。それと保護した被害者の診断書が出され次第、傷害での被害届を提出させること。わかったな?」

 その言葉にはセンチュリーの拳銃使用を咎める言葉は一切含まれていなかった。
 
「あの――俺――」

 センチュリーは自ら己の犯したミスについて弁明しようとするが、その場から離れて歩き出そうとしていた小野川はそれらに耳を貸すことはなかった。センチュリーと通り過ぎる瞬間に一言だけ告げる。

「私は何も見なかった。何も聞かなかった。それだけだ」

 それっきりだ。これ以上の議論は望まないし、必要でもない。なによりも警察そのものがこの事に関して無かったこととして徹底的に扱うことは明白だった。それを分からぬセンチュリーではない。小野川の言葉にセンチュリーは頭を下げる。
 
「ありがとうございます」

 センチュリーの言葉を背中で聞きつつ小野川は答える。
 
「行ってやれ、彼女たちが待ってるぞ」

 その言葉が指す先には、センチュリーの救いを待っていた少年少女たちの人垣があった。不当逮捕されかかていた少女たちの仲間友達であろう。その沢山の視線をうけてセンチュリーは彼女たちの下へと急ぎ駆けつける。
 
「兄貴!」
「センチュリー!」

 黄色い歓声とともに声が上がる。
 
「お前ら」

 センチュリーは落ち着いた声で答えた。そして、少女たちの問いかけに事の仔細を手短に答える。
 
「ね、ミーコ、どうなっちゃうの?」
「大丈夫だ。病院で二~三日休んだら家に帰れる」
 
 その集まった少女たちの視線をうけてセンチュリーがはにかみながら答えれば、何人か、安堵したのか涙目を浮かべていた。
 
「よかった――兄貴が来てくれて」
「兄貴しか頼める人居ないから――」

 それは悲しい現実だった。親たちを――大人たちを信用出来ない。不良行為に手を染める一因はそこから始まっているケースが圧倒的に多いのだ。センチュリーはこの東京の繁華街で若者たちと向き合い始めてからその事の重要性を嫌というほどあじわっていた。
 捜査対象として事実を掘り返すよりも、まず、彼らの言葉に耳を傾け、信頼と対話の絆をつくり上げる。少年犯罪に立ち向かうには、そこからはじめなければ根本解決には至らないのだ。ましてや今回のように彼女たちを救う側であるはずの警察が失態を犯し、信頼を踏みにじったとなれば、センチュリーをはじめとする少年犯罪課に関わる者たちにしてみれば、信頼の絆を最初から作りなおさなければならなくなる痛恨の事態であった。
 
「俺の方こそ悪かった。別件でここんと渋谷の街から離れてたからな。その間にまさかこんなことになってたとは。ほんとにすまない」
 
 南元牧や有明での一件で、センチュリーは本来の少年犯罪課の業務から離れることが多かった。その間に手薄になったことで、今回のような悪徳警官の出現を許してしまうこととなったのだ。 
 
「頼むよ。兄貴が居ないと困るヤツ、いっぱいいるんだよ」

 一人の少女が泣きながら抗議していた。
 信頼できる大人が乏しいこの大都会の夜の街で、センチュリーを心から頼りにしている子どもたちは数えきれないほどで、それは好意と言う言葉では足りないほどに、救いを求める声としてセンチュリーの元に届けられている。センチュリーが警察組織の範疇からはみ出している存在であるからこそ、彼に心を開く者は後を絶たないのだ
 その言葉にセンチュリーはただ一言――
 
「わりぃ」

――としか言えなかったのである。
 
 そして、センチュリーと少女たちの間で会話が交わされている。その折に一人の少女が告げた。
 
「そうだ。リッカにもありがとう言わないと」
「だね、兄貴に話しつけてくれたのアイツだし」

 少女たちは会話の流れである一人の少女を思い出していた。それはセンチュリーにとって、絶対に忘れることの出来ない大切な少女であった。
 
「そうだ――六花は?」
「いつものとこだよ。109の階段」
「分かった――」

 少女たちには分かっていた。センチュリーにとって六花と言う少女がどれだけ大切かということを。だが、その事は嫉妬するには値しない。なぜなら――
 
 センチュリーは少女たちの人垣から離れながら語りかける。

「どっかで待ち合わせしようぜ。久しぶりにお前らとも話したいしな」
「じゃ、アタイらもマルキューに行く」
「おし、じゃぁあとで待ち合わせようぜ」

――少女たちには分かっていた。センチュリーが誰に対しても別け隔てのない気さくな存在であることを。センチュリーが少女たちに与える安心と愛情の度合いには優劣は無いのだから。
 手を振りながらセンチュリーはその場を後にした。そしてバイクを走らせて渋谷駅前、道玄坂下のファッションビル109へと向かう。
 109は三角形をしたビルで、交差点に面した一角にはよく目立つ階段があった。
 センチュリーは109の路上にバイクを横付けする。そして、バイクを降りるとその階段に一人の少女の姿を探した。
 
「六花!」

 その少女はいつも109の階段に座り込んでいる。そして、つまらなそうに待ちゆく人々を眺めている。時代遅れの白ロリータ趣味のスカートドレス。首にはピンクのスカーフを巻き、両手でお気に入りのティディベアのぬいぐるみを抱きかかえている少女。
 名前を福原六花と言う。
 はたして、少女はそこに居た。109の入口階段。その6段目の隅っこ。雨でも降らないかぎり、彼女はそこに居る。
 
 六花も名前を呼ばれてすぐに反応する。ぬいぐるみを抱いたまま階段から降りるとゆっくりとセンチュリーのところへと近づいてくる。

「あ、センチュリーたん」
「ここに居たのか」
「りっかたんはここにしかないのです、それとりっかたんはちょっとオコなのです」

 センチュリーを見る六花の表情は少しばかりムスッとしていた。センチュリーにはその理由が理解できる。
 
「悪かったよ。放ったらかしにしてたわけじゃねえが、忙しくっってな」
「しかたないのです。センチュリーたんはみんなのヒーローなのです。でも――」

 六花はセンチュリーにくっつくように寄り添うと、小さな体でセンチュリーに抱きつきながらこう訴えたのだ。
 
「りっかたんは、センチュリーたんの彼女なのです」
「だから、ほんとに悪かったって。もう何処にも行かねぇって」
「ほんと?」
「ほんとだ」

 六花はセンチュリーの言葉に顔をあげていた。見上げるようにしている六花を見下ろせば、彼女がスカーフで隠している物がその首筋に垣間見えている。彼女の細い首筋には今でも紫色のあざが残っている。両手の指でくっきりと付けられたあざ――、絞殺されかかった時の無残な名残である。
 センチュリーの言葉に六花がはにかんでいた。笑顔を浮かべながらはしゃいでいた。

「わぁい。センチュリーたんと一緒~♪」
「あぁ、もうほったらかしにしねえよ」
「うん、わかったぁ」

 相好を崩して飛び跳ねながら笑うその姿には年齢に見合わない不釣り合いなものがあった。明らかに幼児のような幼さがあった。
 センチュリーが六花を保護したのは2年前だ。とある児童虐待事件で保護して面倒を見て以来の付き合いだ。六花は両親から虐待やネグレクトを受けて育った。その首筋に残った無残な傷跡は実の母親から付けられたもので、母親に絞殺されかかったその時以来六花の心は無残に壊れてしまった。
 本来なら18になろうと言う年齢なのだが、六花の心の年齢は10才程度で停まったままだ。栄養不良や虐待から体が育たず、12歳程度の体格しか無い。だれかが面倒を見てやらねば露頭の迷うのはあきらかなのだ。
 センチュリーに保護されたそれ以後というもの、六花は何かがあるといつもここで彼を待って居た。
 ここに居ればセンチュリーが迎えに来る。六花はそう信じているのだ。

「今日は一緒に居てやるよ。それとみんな一緒に集まるんだけど、六花も来るだろ?」

 センチュリーの問いかけに立花ははっきりと頷き返していた。

「うん行くー!」

 センチュリーといっしょに居られる。それだけで六花は十分に満足なのだ。
 ちょうどその時、六花と手を繋げば、先ほどの少女たちが歩いてくるのが向こうから見えてくる。
 センチュリーが手を振れば向こうも手を振り返してくる。
 彼等の姿は渋谷の街角へと消えていったのである。
 
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