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第1章ルーキーPartⅢ『天空のコロッセオ』

第32話 終わる者始まる者/終わる狂者

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 戦いは決した。もはや抗おうとする者は存在しないはずだ。
 そして、この無意味な争いの首謀者であるマリオネット・ディンキーが目の前に居る。
 グラウザーはベルトコーネの方へと駆けていく。だが、その視界の中でディンキーを置き去りにして遠ざかろうとしている影がある。

「あれは――?!」

 それはディンキーに影のように纏わりついて付き添っていたメイド風情のアンドロイドだ。
 
「メリッサ!?」

 メリッサは満足気に微笑みながらディンキーから離れて走り去ろうとしていた。グラウザーはメリッサとディンキー、そのどちらを優先すべきか一瞬、逡巡したが、自らはディンキーの方を選択した。
 メリッサの追跡を託すべき人は他にも居る。グラウザーはその者の名を呼ぶ。
 
〔ディアリオ兄さん!〕
〔こちらディアリオ!〕
〔メリッサが逃亡しました、そちらで追跡願います!〕
〔状況は監視カメラで確認していました。すでに追跡中です。奴の身柄はこちらで確保します!〕
〔了解! よろしくお願いします!〕

 すでにディアリオは状況を確認済みだった。ネット越しにあれだけのサポートをしてくれる人だ、対策はすでに済んでいると見ていいだろう。懸念は無い。グラウザーはメリッサを存在を意識から消すと残る最後の一人の元へと歩いて行く。
 その名はディンキー・アンカーソン――この無意味な殺戮劇の首謀者、そして多くの人々の人生をねじ曲げた元凶である。
 
 一歩一歩、そして、駆け足でグラウザーは玉座へと繋がる階段を駆け上がっていく。
 そこに彼は居る。古の王を騙り、古代人ケルトの復興を嘯き、ひたすら英国人を憎悪し続けた異形の老人。
 そのディンキーは偽りの玉座の上に座しつつも、そこからグラウザーを見つめていた。そこには警戒も敵意もない。ただ、放心しきり糸の切れた人形のごとく玉座に身を委ねているだけである。

 念のためにグラウザーは腰のホルスターから10ミリオートのSTIを抜くと両手で構える。銃口をディンキーに向けつつ階段を上がりきるが、肉薄するほどに近づいてもディンキーは一切の反応を示していなかった。

 それはまるで人形の様である。
 人を模した模造の人間、すなわちマリオネット。
 その素肌、目つき、髪艶、それらを目の当たりにしていると本物の生きている人間のようにも思えてくる。だが、兄であるセンチュリーは言った。
 ディンキーは死んでいる、と――

 どちらが本当なのか?
 その首謀者を目前にしていても肉眼で見るだけでは判断がつかないのも事実だ。

「日本警察です」

 グラウザーは声をかける。意を決して。突きつけるように。
 だが、ディンキーはなんの反応も示さない。呆然としてグラウザーを見つめ返すだけだ。

「あなたの身柄を拘束します」

 グラウザーは口調を強くしてディンキーに宣言した。だが、それを耳にしてもディンキーの反応は薄いままだ。

「こう……そ……く?」

 呆然とうつろな目のまま顔を振り向けてくる。だが、そこに知性と生気はなかった。

「ガ、ルディィノか?」

 途切れ途切れの言葉を漏らしながらディンキーは言葉を返してくる。その姿にグラウザーは思わず声をだす。
 
「え?」

 それは痴呆老人のそれであった。一切の統合された知性は残っておらず、ただ過去の記憶の残骸を継ぎ接ぎしたような返答があるのみだ。どうやらディンキーは、グラウザーの姿を前にして彼をガルディノと誤認している様であった。
 驚くグラウザーに対してディンキーはなおも笑いながら語りかけてくる。
 
「おぉ、よく帰ってきたなぁ」

 ニコニコと笑いながら問いかけてくるその姿は、到底、凄腕のテロリストには見えなかった。あまりといえばあまりな光景にグラウザーはただ驚くだけである。銃口を突きつけつつも、それ以上の対応をどうするか、戸惑うグラウザーだったが、その背中に声をかけてくるものが居る。
 
「自我崩壊ですよ」

 振り向けば、問いかけてくる声の主はエリオットであった。心理ダメージを克服したように見えるその姿は、いつも通りの冷徹で真面目なエリオットそのままであった。
 
「エリオット兄さん?」

 グラウザーが問い返せばエリオットは頷き返す。そして、非常に落ち着いた冷静な声で語り始める。
 
「自我を――〝自分〟と言う物を維持できなくなったんですよ。彼にとって最後の戦力であるベルトコーネを完全に破壊されたことが相当なショックだったのでしょう。あるいは――」

 エリオットは語りながら階段を登ってくる。そして、グラウザーの隣に立ちディンキーを見下ろしながら言葉を続ける。
 
「この老人の〝人格〟にとって世界を脅かすほどの戦闘力を自らが有していること――ただそれだけが自分と言う存在を確立させ維持するための唯一の手段だったのかもしれません」
「自分を維持する?」
「えぇ、そうです」

 エリオットは相槌を打ちつつ言葉を続ける。

「そもそも〝心〟と言う物は拠り所となるものを必要とします。
 家族であれ、民族であれ、職業であれ、国家であれ、技術であれ、愛する人であれ――
 だが、その拠り所となる大切なモノを破壊され奪われた時、人は心に変調をきたします。最悪〝心〟と〝人格〟が壊れてしまうこともある。それが生身の人間ではなく記憶のコピーを移植された偽装人間としてのアンドロイドであればなおのことです」
「えっ? 偽装の人間?」
 
 偽装人間――、エリオットはそう断言すると自らの視覚を駆使しつつディンキーをチェックしている。彼の視覚センサー系がフル稼働している。そのすえに一つの答えを導き出すと、それを元にグラウザーに語りかけてきた。
 
「彼の身体をX線視覚と磁力線分布スキャンでチェックしなさい。私の言っている意味がわかります」
「はい」

 エリオットに命じられ、グラウザーはディンキーの姿を自らの視力で調べ始めた。
 
【オールレンジアイ視覚センサー       】
【特殊モード1 > X線ビジョンモード   】
【特殊モード2 > 磁力線分布スキャンモード】
【特殊モード2種同時起動          】
【スキャンスタート             】

 X線ビジョンは文字通り自然界に存在する極めて微弱な放射線やX線を元に目標物の内部構造を調べる物であり、磁力線分布スキャンは機械や電子回路や電流導通経路などの動作時に生じる微弱な磁力場の動きを映像としてキャッチする物だ。
 その2つの機能を駆使してグラウザーはディンキーの全身像を確かめていく。そして、その映像から得られる真実を目の当たりにした時、グラウザーは驚きと共にその胸中に言い知れぬ悲しみを覚えたのだ。
 グラウザーが目の当たりにした物――、それは生身の人間から得られる映像ではなかった。人間らしい外見を装うために最低限必要な金属骨格と、高度な知性的人格を機能させるための頭脳ユニット、そして、それを動作させるための動力装置――
 そう言ったメカニカルな物のシルエットとともに、微弱ながらデジタルな電磁波反応がディンキーの表皮近くをはしっているのが見えてくる。すなわちそれは、眼前のディンキー・アンカーソンが人間を模しただけの機械的な存在であると判断するのに十分な事実だったのだ。

「そうか――、こういう事だったんだ」

 その現実を目の当たりにしてグラウザーは心の中に決めていた。寂しげにつぶやきつつもひとつの事実を目の当たりにして眼前のマリオネット・ディンキーであった存在に対する対応をどうするかを、その残酷な事実を受け入れて決断したのだ。
 
「兄さん」

 グラウザーはエリオットに問いかけた。

「機能停止させましょう」

 グラウザーの声にエリオットは視線で答える。意を決して明確な口調でグラウザーはさらに告げる。
 
「最低限の証拠の確保ができれば、他は破壊しても問題無い筈です」
「そうですね。では頭部の頭脳部分だけを残してメイン動力は破壊しましょう」

 エリオットがそう語る隣でグラウザーは頷き返す。そして、その手に握っていたSTIのパーフェクト10の銃口をディンキーだった物の胸部に突きつけた。
 グラウザーがそれを両手で構える隣で、エリオットは自らの視聴覚のデーターを警視庁のメインデーターベースへと限定アップロードを開始する。そして、その映像への説明として警察の職務のための口上を口にした。
 
「これより、特攻装警5号エリオットと、特攻装警7号グラウザーによる、国際指名手配犯ディンキー・アンカーソン、その偽装アンドロイドに対し緊急避難による停止処置を行う。なお現在時刻は証拠映像に電磁気記録するものとする」

 エリオットが口上を述べる隣でグラウザーは両方の人差し指をトリガーにかける。そして照星と照門を重ねあわせ、その銃口の狙いをディンキー・アンカーソンだった物の胸部へと定めた。
 
「準備――できました」

 そう告げた瞬間、照準越しに見えるディンキーから、あの人工の楽園で出会った時の穏やかな顔の記憶が浮かび上がってきた。だが、それを思い起こしたからといって事件解決には何の役にも立たないという事も十分すぎるほど分かっている。
 グラウザーは、自らが警察であると言う事実を理解した今、ディンキーに対しての別れの言葉は何も思い浮かんではこない。ただ任務上のルールに則って犯罪があったと言う事実を把握し記録するだけである。それがすでに死している命の残骸のような存在であるならなおさらである。
 エリオットがグラウザーに命じる。
 
「射て!」

 その声を耳にしてグラウザーは3発の弾丸を目標へと打ち込んだ。
 
――パンッ! パンッ! パンッ!――
 
 弾丸が食い込むたびにディンキーだった物のボディが痙攣するように跳ねている。そして、乾いた銃声と共に3発を打ち終えた時、それは崩れ落ちるともう二度と動くことは無かった。
 
「停止処置、完了しました」
「了解。停止処置確認。それではこれより証拠機体の回収作業と、負傷特攻装警2体の収容作業に移る」
「了解しました」

 ディンキー・アンカーソンだったモノ、それは今こそ永遠の眠りについた。もう二度と目を開くことは無いだろう。
 エリオットは証拠映像の限定アップロードを終了して回線を切断する。そして、二人はかつてディンキーだった存在に対して、一切振り向くこと無く背を向けると、アトラスとセンチュリーの所へと帰っていった。
 
 
 @     @     @
 

――カン、カン、カン、カン、カン――

 構造物がむき出しの作業用通路をメリッサはヒールの音をリズミカルに立てながら一路屋上へと向けて先を急いでいた。
 全ての策は尽きた。ならばこの場所に居続ける必然性は無い。
 脱出の策は準備してある。屋上へと脱出してそこから速やかに退避するだけだ。そして――

「あとはここから逃げるだけ」

 メリッサはその表情の片隅に焦りを垣間見せながら体内回線を通じてアクセスを試みる。

【Auther:クゥクーシカ        】
【Destination:サジャーン    】
【TEXT:                】
【救援要請、指定地点にて回収されたし    】

【ショートテキスト、暗号化         】
【即時送信実行               】

 クゥクーシカとはロシア語で従者を意味し――
 サジャーンとはアラビア語で番人を意味している――
 
 メリッサはそのメッセージを送信して対象者からの返信を待った。
 返信を待ちつつ、最上階への通路を駆け抜けようとする。右へと静かにカーブしている通路を進み階段を駆け上がり、フロアの中央へとまっすぐに向かっている通路へとたどり着く。そして、その通路を一気に駆け抜けようと走りだす。
 危機的状況に陥っているはずだが、不思議と焦りも不安も湧いては来ない。もはや、この惨劇の場に留まる理由は何も残されてはいない

【クゥクーシカへ              】

 メリッサの体内回線へと返信の信号がある。すぐに受信プロトコルを経てメッセージ本文を受け取る。焦りつつメッセージに目を通す。

【Auther:サジャーン         】
【Destination:クゥクーシカ   】
【TEXT:                】
【回収予定地点を変更。#4から#12へ   】
【待機限界時間、15分           】

 果たして――
 反応は来た。事前に綿密に連絡しあっていた複数の回収地点のうちの別な箇所へと計画を変更するようにメッセージがあった。15分と言う時間はメッセージが送信されたタイミングを始まりとしている。ならば速やかに所定の手はず通りに――
 
「外へ出れば――」

 メリッサがそうつぶやきつつ視線を前へと向けたその時だった。
 
「どこへ行くつもり?」

 明朗で力強い声がメリッサへと響く。
 
「もう退路はありません」

 それは多分にして警告を意味した強い言葉だった。
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