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第1章ルーキーPartⅡ『天空のラビリンス』

第9話 約束/決意と勇気

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 グラウザーは脱いだジャケットを着こむと、再びその少年・ひろきを肩車してその場から移動する。ターミナルルームから出て、モノレールの軌道上へと向かう。ターミナルルームを閉ざしていた分厚いスライド式鉄扉をくぐるとそこにモノレールの軌道がある。
 グラウザーが扉をくぐり身を乗り出した時、ひろきは眼下に広がる光景に恐れをなした。

「わっ」

 ひろきの眼下に幅/深さともに1mほどの側溝がある。モノレールの軌道の左右の所々に備るメンテナンス通路や非常用の退避エリアだ。通常ならばターミナルルームとモノレールの車両との間に橋の様なものが渡されるのだろうが、渡されるべきその橋は、今は側溝のその下の方に収納されている。
 グラウザーの方からはその折り畳みの橋には、あきらかに手が届かない。

「お、お兄ちゃん」

 ひろきが慌てて呟いたその言葉をまったく意に介さずにグラウザーは数歩後ずさった。ひろきは思わずその目をつむる。その一方で、数歩のステップを軽くならしてグラウザーは飛んだ。微かに笑みをグラウザーは浮かべている。右足が目標となる場所を目指している。目標は1m程の幅しかないモノレール軌道である。
 グラウザーの足が、そのモノレール軌道を捉らえた。しっかりと彼の両の足がモノレール軌道の上にたどり着きその足場を固めた。
 グラウザーがひろきの様子を伺えばひろきは完全に表情を凍りつかせていた。

「大丈夫?」

 もう一度グラウザーは尋ねる。グラウザーにしてみれば、ひろきがなぜ震えているのか理解しえない部分もあった。両眉をいっぱいにしかめてひろきが答える。

「ふんっ」

 ひろきは少し露骨にグラウザーにすねて見せた。そんなひろきをグラウザーは思わず笑った。
 そのまま、2人はモノレールの軌道上を歩いた。それほど長い距離ではないが、モノレールの車両が見つかるまで、かなりの距離があるように2人には感じられる。特に、ひろきにはその静かな空間が何よりも恐ろしく思えてくる。

 だが、ひろきはじっと待った。今はグラウザーの事を信頼して事の成り行きをまかせている。ひろきはグラウザーの次の行動をただじっと待っているのだ。
 長い沈黙の後に、やがてモノレールの車両が見えてくる。その車両の前面には、先程、グラウザーが開けた扉がある。その扉の中に広がる暗闇が自分たちを待っているようにひろきには感じられる。
 モノレールの軌道があるそのトンネル内は、災害時の非常灯がわずかな灯りを提供している。だが、モノレールの車両内はほとんど何も見えない。

 その時、グラウザーがひろきを肩から降ろした。ふと、後ろを振り向き、少年をモノレールの軌道レールの上に降ろして立たせる。グラウザーは何も答えない。ひろきをそのままにすると、モノレールの車内の中に潜り込んで行く。

「ねぇ、お兄ちゃん」

 心細さが増す中を、ひろきはグラウザーの背に問いかけた。だが、グラウザーは答えない。ひろきが後を追いすがるが、グラウザーのその顔を見れば、笑みの混じらない極めて真面目な顔である。ひろきは理解する。今はグラウザーも大変なのだと。だから待った。彼の方から話し掛けてくれるのを。
 そして、2人は先へと進み、2両編成の車両の中をその最前方向けて歩いて行く。

 煙が止んでいた。さっきたくさんの人を助けた時は鎮火が済んでいなかったために、車両の中の全ての様子が見えていた訳ではない。無理に車両の中の全てを探るよりも、目の前の負傷者たちを助ける方が先ではないかと、ただ単純に考えたのだ。

 だが、今なら見える。今なら、グラウザーの視界をさえぎるものは何もない。
 グラウザーは見た、モノレールの車両の最も奥を。そして、そこに見えたもの、
 潰れた車両と、その間に挟まれた何かだ。

「お兄……」

 かすかにひろきは問う。目の前に広がる光景に、ひろきは言葉をどうしても続ける事が出来ない。
 冷静な表情のグラウザーが、その眉間に一本の皺を寄せる。眉の両側が釣り上がり、その驚愕の表情が今が非常に危険な状態である事をとっさに理解させる。

「お父……」

 言葉を詰らせるひろきを降ろしそこへ差し置くとグラウザーは駆け出した。満身の力を込めて、彼は駆ける。スチールと合成樹脂の床が音を響かせた。

「お父さん!」

 ひろきは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。そののちにひろきを虚脱が襲った。あまりの事態に冷静な判断ができなくなる。ひろきは泣き出したかった、涙腺がゆるみかけていたのも事実だ。だが、それを敢えて堪える。ひろきの視界には自分の父を救おうとするグラウザーの姿がある。その姿に先程の約束を思い出す。約束したのだ。ひろきは泣くわけにはいかなかった。

 その間にも、グラウザーは車両の潰れたその箇所へ飛びついた。なんらかの衝撃で、ビルの構造材が吹き飛び、それがモノレールの車両を押し潰したのだということまでは、グラウザーもすぐに理解した。

 理解の次は決断である。構造材はどれくらいの物で重量はどれほどなのだろうか? そして、もち上げる事は? あらゆる状況と情報を類推してグラウザーは決断した。

 潰れた屋根の一部に取りつくと満身の力を込めて、それをもち上げ始めた。

――上がるの?――

 ひろきはグラウザーの姿を見て、そう思わずには居られない。さすがにグラウザーのその姿にえも言われぬ違和感を感じるのが解る。だが同時に、そのグラウザーが必死である事も解る。今はただ、じっと成り行きを見守る以外に無い。
 
「ぐっ! ぐうううう!」

 やがて、少しずつゆっくり、屋根がわずかに持上がって行く。だが、今のグラウザーは中腰の体勢である。このまま持ち上げようとするには難しい。
 グラウザーはそっとその屋根を離す。幸い、離しても屋根は落ちてこない。

 その男はグラウザーの方に頭を向けうつ伏せに倒れている。グラウザーはその男……ひろきの父の両腕を脇の下で掴むと静かに引いた。だが、ひろきの父は出てこない。
 足が引っ掛かっている、

 ひろきの父を助け出すには、さらに車両の屋根を持ち上げる以外に無い。
 中腰で持ち上げた時に、人一人が潜り込めるだけのスペースがなんとか確保できている。今なら潜り込める。グラウザーはそこに潜り込んだ。仰向けの姿勢でモノレール車両の屋根を満身の力を込めて持ち上げる。さすがにひろきもその姿に驚きを感じずには居られない。
 人間業ではない。
 ただその違和感を恐怖として感じなかったのは、目の前で繰り広げられる救助活動の必要性を何よりも理解しているからだ。
 金属が軋む不快な音を立ててモノレールの屋根はゆっくりと持上がって行く。
 持ち上がり、人一人を助けるのに必要十分なスペースがそこに出来上がった。

「ひろき!!」

 ひろきがその声に驚く。

「引っ張れ!」

 グラウザーの言葉にひろきは目の前の父の手を握りしめ、ありったけの力で己の父を引きずり出そうとする。だが、少年一人の力ではさすがに成人男性の身体を引っ張るのには多少の無理が伴う。ひろきは握りしめたその手を蒼白にしながらも、父親の荷重に耐えている。ひろきは自覚していた。今、傷ついた父を助けられるのは自分だけなのだと。
 ひろきは足を滑らせながらも、なんとか父親を潰れた車両の下から引っ張り出す。全身が現れるまでそれほどの時間はかからなかった。
 ひろきの父が助け出されるのを見て、グラウザーもそこから脱出する。なんとか這い出るとすぐにその身を起こし、ひろきとその父親の元へと駆け寄った。ひろきは尋常ではない父親の様子を言葉も無く見守っている。ためらいがちに父の事を呼んでみる。

「お父さん」

 返事も無く、反応も無い。明らかなのは意識を無くしていると言う事だ。
 グラウザーは間を置かずに救命作業へ取り掛かる。誰の目に見ても、一刻をあらそうであろう事は明らかだ。

【 緊急救命作業手順マニュアル       】
【 重体事故対応シークエンス作動      】

 グラウザーの目と手がひろきの父の全身を探る。同時に得られた外傷情報や症状情報をもとに、必要な治療手順を導き出した。
 意識の有無、呼吸の有無、心音の有無、瞳孔の反応、出血の具合……、それらを手早く、そして確実にグラウザーは必要な情報を絞り込んで行く。
 グラウザーはジャケットの中から再び救急用の医療ツールを取り出す。そして、それらのツールの中から今この場で必要な物を探し出す。
 取り出したのは止血用の結搾ロープ、それを必要な長さに切り揃えるとひろきの父のその両脚にそのロープを結びつける。結ぶ場所は両足の大腿部で、出血箇所である両方の膝から下の出血を止めるためだ。
 次いで、呼吸と心臓の膊動を取り戻す必要がある。再び、データベースを検索、人工呼吸と心臓マッサージの項目を見る。グラウザーはひろきの父をあお向けにして着衣の衿を大きく開く。
 幸いにして肋骨の骨折はない。頭をのけぞらせ気道を確保し、次いで、マウストゥマウスを試みる。2度、息を吹込み、心臓マッサージとして胸の中央を10回連続で強く押す。
 グラウザーはこれを何度も繰り返した。症状の詳細はともかく、息と鼓動を取り戻さねば彼の命は無い。

 方やひろきは、グラウザーが必死に救命作業を続ける姿を目の当たりにしていた。その光景に、このまま漫然とただ待っているのではなく、自分も行動しなければならないような思いを抱きつつあった。そしてそれは極々自然な動機による行動だった。ひろきはグラウザーに伝える。

「お兄ちゃん、ボク――」

 その言葉にふとグラウザーが視線を向ける。表情を抑えメッセージに聞き入る。

「誰かを呼んでくるよ!」

 グラウザーは一連の救急作業の中で、顔をひろきの方に向け微かに確実に頷く。
 ひろきもまた頷き返すとその身を翻して走り出す。
 車両の中を駆け抜け、目の前に延びるモノレール軌道レール上を駆け抜ける。
 先程のターミナルルームの前は通り過ぎた。さすがに救助されたばかりの人間を連れ出すわけいかない。
 そのまま走りぬけば人工地盤内のトンネルを走り抜け、その先に一つの灯りを見つけた。
 徐々に眩しさが強くなって行く。非常灯の明るさだけだったのが、間接的な自然光も入るようになったためだ。その眩しさに、ひろきはその歩みを弛めずには居られない。
 右手を眼前にかざし、降りそそぐ光りをさえぎろうとする。
 ふと、突然に視界が開けた。第3ブロックにたどり着いたのだ。だが、その光景をみてひろきは肝を冷やす。

「うわっ――」

 軌道レール以外の床がほとんど無かった。レールの両サイドにメンテナンス用のスロープ通路があるが、それもモノレールのタイヤが走行する大きな溝を飛び越えた先にある。
 無我夢中でひろきは第3ブロックの空間へ飛び込んだ。そして、モノレールの軌道レール上を走る。その心には恐怖よりも勝る勇気が焼きついている。

「お兄ちゃんもがんばってるんだ、ボクだって」

 そんな思いがひろきを突き動かしている。
 ひろきの目の前に、他のモノレールの車両がある。車両の前面の非常扉は開け放たれている。ひろきはためらわずにそこに飛び込む。飛び込んだその中で、ひろきは開口一発叫んだ。

「だれか助けて!」

 突然に姿を現した少年の叫びが静けさの中にあったモノレールの車内にこだまする。その叫びが、そこに居た大人たちの行動を促す。幾人かの男たちが立ち上がりひろきの元へと駆けつける。
 その彼らにひろきは告げた。
 上での事故の様子――、被害者の有り様、そして助けが必要だということ。
 それを耳にして黙っていられる者は居なかった。一人がひろきを抱え上げた。背の大きな黒人系の男性だ。モノレールの車輌の中には様々な人種の者たちが居た。彼らは一斉に動き出す。そしてひろきを連れて、一路、事故現場へと向かった。
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