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第1章ルーキーPartⅠ『天空の未来都市』

第7話 第7号機

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 有明1000mビル――
 その巨大なシステムの塊――
 それは、たった一度の企みによって完璧な眠りにおちいり、エレベーターすらも停止し沈黙の棺桶と化していた。
 そこには1つの明かりすらも無い。有るのはただ外界からわずかに洩れてくる自然なる日の光のみである。
 ビルの中の全ての回廊・通路は、突如現れた暗黒の中にあり全ては瞬く間に伽藍の迷宮へと変貌する。

 その何処からか醜悪なるミノタウロスでも現れかねないような沈黙と混沌の中、人々はただ、その地から逃れようとするが、その術すら知らなかった。ただ、その迷宮を突如として作り上げた名も無きダイダロスの正体を、焦燥と苛立ちの中で詮索するしか無かったのである。

――ただ、そのビルの全てが停止するほんの僅か前。
 そうそれは、まだビルの全てが眠りに至らない時の事だ――
 
 時間を少しだけ遡ろう。

 人々の預り知らぬ所で、その迷宮を打ち破るであろう将来のテセウスがその迷宮の中を、今はまだ目覚めぬまま、小さな喜びと汚れなき好奇心をその胸中に抱きながら勇み進んでいた。厚手のバイカー風レザージャケットに身を包んだ彼は、セミロングの栗色の髪を揺らしながら放課後の少年よろしく小走りに駆けていく。
 その場所は第1ブロックの最下階層。彼が向かう先は螺旋モノレールの始発ターミナルだった。ビル内部を螺旋形状で循環するための大規模な乗り込みターミナルである。

「これかな?」

 彼はそう呟き、遥か頭上を見上げた。その視界の中には、目の前のターミナルから、天舞う龍の様に螺旋を描いて昇って行くモノレールがあった。そして、彼は再び呟く。

「うん、これ!」

 彼の見上げる広い吹き抜け空間は、電脳とテクノロジーと飽くなき発展の力の結集する大伽藍である。今もまた、彼の頭上の遥か上を、数基のゴンドラエレベーターが垂直方向へと移動して行く。
 その視界の中の建物では、彼の見知らぬ人々が動いていた。
 彼はじっと耳をそば立てた。
 彼の耳に届いてくるサウンドは、人間の生活が奏でる天然の音楽である。
 ささやき声も、話し声も、一瞬の叫びも、機械の唸る音も、意図的に組み上げられた電子音も、ビルを走り抜ける車のロードノイズも、一瞬の風の通り抜ける囁きも、そのいずれもが、ビルの吹き抜け内では独特の共鳴作用によって掻き消されて行く。

 それは、ある者には不快であろう。
 しかし、またある者には何とも言えない、独特の味のある軽快なBGMになる。

 その若者には、それは明らかに冒険と好奇心充足の旅へといざなうファンファーレであり、精神の高揚を鼓舞するプレリュードである。
 若者は歩き出す。そして、たまたまアイドリング状態で乗客を待っていた1基のモノレールへと乗り込む。やがて、時間を置かずして螺旋モノレールは走り始めた。レールの段差音だけが軽快なリズムを刻み、そして、そのモノレールの乗客をそのビルの高見へと運んで行くのである。だが、今このモノレールの車内に居るのは、件の若者だけではない。

 若者の周囲には幾人かのスーツ姿の異国人がいる。そのいずれもがサミット参加者である事は容易に見て取れる。そこには世界中の様々な人種が居た。ただ、そのバイカー姿の亜麻色の髪の若者だけが異様に浮いていた。
 
 周囲の視線が何気なく、テセウスである彼へと向けられている。
 それは明らかに好奇と不信と警戒と、そして、僅かばかりの善意とで占められていた。

「何者なんだ?」
「なぜここに居る?」

 WhoとWhatとWhyの思惑が無意識に彼に向けられる。そして、その思惑は、彼の腰に何気なく下げられた一つのアイテムに注がれた。彼の右腰には鈍く銀色に光る金属塊がある。皮製のホルスターに包まれては居るが、それが何であるかを知る事は決して不可能ではない。そして、それは見るものに恐怖か好奇かのそのいずれかを思い起させていた。

――STI 2011 パーフェクト10――
 
 拳銃の一種であるその金属塊の名称であった。
 昇り行くモノレールの車窓で、若者は眼下にパノラマとして広がり行く光景に歓喜する。
 のぺっとガラスに手をつくと、視線を車輌の外へと向けたまま微動だにしない。

「わぁっ」

 彼の口から思わずこぼれたのはその一言だった。一瞬、周囲の目線が一点に集中する。だがそれ以上、彼について逡巡するものは居なかった。痴れ者のそれではなく、パラノイアのそれでもない。彼を危険人物と見るにはあまりにも邪気が無いと言うことを皆が理解し受け入れようとしていた。

 ただ残念な事に、どこにでも人を簡単には信じない者が居る。別車輌の警備要員らしき人物が姿を表わした。1000mビルの管理会社の警備員であろう。ダークブルーの制服は警察の物では無かった。
 警備要員の彼は背後に一人のスーツ姿の人物を伴いここへとやってきていた。スーツの人物もサミット参加者だろう。神経質そうな初老の彼は件の若者を見つめている。警備員は若者の元へと歩み寄る。そして、その腰に下げた物につっと目線を配ると、おもむろに訊ねた。

「君、身分証明は?」

 その言葉を耳にして若者は振り向いたが、片眉を曇らせて少し困ったような風の表情を浮かべる。

「身分証明?」

 彼は、何の事なのか必死に考えていた。記憶の引き出しと、意味の理解にほんの僅かなタイムラグを消費して彼は必要な答えを導き出す。彼は笑った、少しだけ笑った。無くし物を見つけた時のホッとした笑いだ。彼はレザージャケットの内ポケットを探る。
 皆が彼を見つめていた。彼のその正体には、誰が言うとも無く関心があった。
 彼の右手がレザージャケットの内ポケットより抜き出される。その手の先に何かを掴んで。
 
 少し鮮やかめのダークブルー、ターコイズカラーのそれは手帳、一冊の電子手帳だった。
 ただ、一般に存在しているモデルとは明らかに異なる。そして、その手帳の表表紙にはポピュラーな桜模様のエンブレムも刻まれていた。彼はそれを片手で器用に持ち、そして、その表紙を開き警備員へと差し示す。
 そして、表紙の内側の操作パネルを人差し指が微かに動き、電子手帳を動作させる。

 データが検索されフルカラーの液晶ディスプレイに彼の身分データが表示される。警備員はそのデータを注視する。

【 特攻装警第7号機――グラウザー、現在、研修任務中 】

 警備員は、その文字に一瞬、ぎょっとした風の表情を浮かべる。驚きと恐怖の入り交じった複雑な顔だ。そんな人物がなぜここに? 恐らくは、そんな事を考えて居るのかもしれなかった。

 警備員は軽く敬礼をする。今、彼の目の前に居る人物は、確かに警察の正式な一員なのだ。

「失礼致しました」

 警備員の告げる一言に、グラウザーもまた――
 
「ご苦労さまです」

――と笑って答えていた。

 だが、その背後で、彼を呼び寄せたはずの初老の彼は、事の子細が解らずに苛立っている。彼は我慢できずに警備員の肩をそっと叩く。警備員はそれに気づいて振り返ったが、初老の人物の誤解に気づくと、初老の学者風の人物を抱き抱え半ば連行するように連れ去って行った。隣の車両で説明するのであろう。

 周囲の視線が完全に変わった。彼に対して、安堵と威敬の念がおし包んでいる。それは彼が正式な警察のメンバーである事が解ったためでもあった。周囲の何げない視線に、グラウザーは微笑みながら視線で返答を返した。

 と、その時だ。モノレールが急速にその速度を落とした。衝撃は少なかったが、明らかに急ブレーキだ。多くの乗客がよろめき、その身に異変を感じる。車輌の中が唐突にざわめき出した。車外を見れば、そこには一種の暗黒が広がっている。動力はおろか、照明すらも停止している。ビル内施設の全てが突然に停止したのだ。
 当然、この螺旋モノレールも停止し静寂の中に叩き込まれる。電力が供給されなければ、モノレールはおろか、ビル内の施設の全てが動くはずが無い。ビルの外からの自然光以外には辺りは薄暗い闇の中に幽閉されたのである。

 それから幾分の時間が流れた。人々はただその動きを潜め、その場に留まって時が過ぎるのを待つ以外に何の術も知らなかった。突然のビルの停止の直後では混乱の最中にあった人々も、時間を追うに連れそれが無駄な事だと悟るまでいくらの時間もかからなかった。
 螺旋モノレールは相変わらず成すすべなく、ビルの中で完全に停止している。
 亜麻色の髪の彼の乗る1両は、第3ブロックの最上階の附近で停車していた。螺旋モノレールの先頭車両の最前列。無人運転の螺旋モノレールの最前列のパノラマデッキで、亜麻色の髪のグラウザーは何かを一心に見つめている。

 そこからは、これから螺旋モノレールが向かうはずだった第4ブロックへと続くファインスチール製のレールが延びている。レールは螺旋を描き、ビルの内壁を伝わり、そして、第3ブロックと第4ブロックとを隔てる人工地盤に大きな穴を開けている。グラウザーはその穴をじっと見つめていたのだ。
 グラウザーはモノレールの最先頭部に立つ。そして、その周囲に目線を配り始める。何かを探している。

「あった」

 ややおいて彼はフロント部の足下にそれを見つける、赤い枠で示されたプラスティックの小さな蓋だ。そこには『非常ドア』と、記してある。彼はそれに手を延ばすと、プラスティックの蓋を開く。そして、その奥にあるコックレバーを掴んだ。グラウザーはためらわずにレバーを思いきり引く。
 非常扉が開いた。モノレール車両の最前列――そこには緊急避難用の非常扉があるのだ。そこを開ければ、モノレールのファインスチール製のレールの上に出る事が出来る。

 グラウザーはそこに降り立った。だが、周囲の者が彼に声をかけて押しとどめようとする。状況から言って、彼にここに残ってほしいと誰もが思っている。あいも変わらず、第4ブロックからは、異変を感じさせる微かな爆発音が散発的に伝わってきている。だがグラウザーは乗客たちの反応に気づいてこう告げたのだ。

「みなさん、いま助けを呼んできますから、ここで待っててください」

 グラウザーはにこやかに微笑み、一歩、一歩、第4ブロック目指して歩きはじめた。
 モノレールの中から彼の背中を見守る人々の目に、彼のジャケットに描かれた文字が目に映る。

【 G-Project 】

 それが確かな輝きをもって、人々の記憶に足跡を残していく。
 そして彼こそが、特攻装警第7号機『グラウザー』なのである。
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