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伍:横浜港

伍の六:横浜港/エイトと源八

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「今回、交渉役として向こうから派遣された〝エイト〟と言う男についてです」

 俺は堀坂の御老を見つめながら告げた。

「御老は〝15年前の明治村の一件〟を覚えておいでですか?」

 俺は勇気をもってそのことを告げた。御老にとって一番の心の傷であろうことは間違いないからだ。だが、御老にエイトという人物の本質を伝えるためにはどうしても確かめなければならない事実だからだ。
 15年前――、その言葉が重く響いている。
 不気味なまでの沈黙が続く中、絞り出すような声で御老の声が返ってくる。

「忘れるわきゃあ、あるわけねぇじゃねぇか――」

 その言葉の響きには一人の男が背負った深い悲しみが滲み出ていた。

「明治村の襲撃事件だろう?」
「はい」

 御老も俺の言葉に半ば覚悟を決めたように語り始めた。

「あの時俺は、この〝陽坊〟を除いた、ほとんどの直属の子分たちをなくす羽目に陥った。陽坊だけは東京で留守役をしていて事なきを得たんだ。俺は自分を支えてくれていたものが無くなっちまったと言う現実に耐え切れなくなり、弟分の石黒に総長の座を譲って田舎に引っ込んじまった。あの事件さえなければと、何度思ったか分からねえ。今でもよぉ、夢に見るんだよ」

 堀坂の御老が震える声で告げていた。手にしていた白木の杖の仕込み杖を強く握りしめている。
 俺はそんな御老にこう告げたのだ。

「エイトという男は、その時の生き残りです」

 俺の声がリムジンの中に響いた時。天龍のオヤジも、堀坂の御老も、驚愕の表情を浮かべていた。

「まさか――」

 天龍のオヤジから驚きの声が漏れる。

「―――」

 堀坂の御老に至っては驚きの表情で沈黙するばかりだった。
 俺は言葉を続けた。

「彼はこう言ってました『15年前にケリをつける』と」

 俺のその言葉を耳にしながらも堀坂の御老はこう言った。

「生き残り――てことは」

 御老の記憶の中で封印されていたものがにわかに蘇っていた。そして記憶の奥底から出てきたものを口にする。

「〝大塩源八〟!」

 それが御老が覚えているであろう記憶の彼方に封印してきた人物の名前であった。そしてそれがエイトという男の本当の名前だったのだ。

「源八のアニキ……」

 天龍のオヤジも言葉を漏らした。

「生きてたのか」

 そこにいつもの勢いと凄みはなく、驚きと虚脱だけがあった。そして継いで出てきたのはオヤジからの焦りを帯びた詰問だった。

「それで、源八のアニキは今どこにいる!」

 だがそれを堀坂の御老が強い言葉で静止した。

「よせ! 陽坊! そいつは俺たちの使いで行くべき場所に行っただけに過ぎねえ、ましてや向こうの連中が〝仮面〟をかぶった回線の向こう側の存在だということを忘れるな!」

 その言葉に俺は堀坂の御老という人物の、度量の深さと物事を察する力の確かさを見たような気がした。

「申し訳ありません」

 オヤジの語る詫びの言葉に御老はそれ以上問い詰めなかった。それに代わる言葉として俺は言った。

「残念ながらエイトという人物の本体がどこにあるのかは、向こうのサイレントデルタの連中でも知らないそうです。〝本体がいかなる状況であるのか干渉しない〟それが連中のルールだそうです」
「そうか……」

 オヤジが寂しそうに呟く。

「ですが今どんな状況なのかは内密に教えていただきました」

 御老とオヤジの視線が俺の方を向く。

「おそらくはベッドで寝たきりだそうです。それをネットを介して機械仕掛けのアバターボディを動かすことで闇社会で活動していると思われます。そうすべては――」

 俺は言葉を一区切りしてこう告げたのだ。

「15年前のケジメをつけるためです」

 そしておそらくはそのためだけに動かない体を酷使して闇社会に舞い戻ったのだ。
 虚しさを伴った沈黙が襲う。やがて口を開いたのは堀坂の御老だった。

「源八の野郎はかろうじて生き残った。だが首筋にくらった鉛弾が原因で首から下にひどい麻痺が残った。その他にも内臓にも何発か食らったことで日常生活にも支障をきたすほどだった。入退院を繰り返し手術とリハビリを続けたがヤクザとしては再起は叶わなかった――」

 その言葉にオヤジが続ける。

「一切のシノギをすることができなくなった源八のアニキを助けるため、経済的な支援を続けたが。リハビリを断念して長期介護施設に入ってから不意に連絡が取れなくなった。いつまでも弟分や子分たちの好意で暮らしていることが耐えられなくなったんだと言われている。施設も別な所に勝手に移っちまって消息不明となった。ずっと探していたんだが……」
「まさか、こんな形で再開するたぁなぁ」

 沈黙が続いていたリムジンの車内。そこに言葉を出したのは天龍のオヤジだった。

「永慶、ひとつ聞く」
「はい」
「向こうは自分の正体を問われるのを喜ぶだろうか?」

 それは、いくら俺であったとしても答えられない問題だった。だが今回の明治村で体験したことから言葉を添えることはできた。

「俺ごときが、その話の可否を口にはできません。ですがこれだけは言えます。エイトという人物は過去を封印して闇社会の現役の場へと戻ってきているという事実です」

 それだけ聞ければ十分だったのだろう。堀坂の御老も、天龍のオヤジも頷いていた。

「分かった。覚えておこう」

 そして気持ちを正すように俺たちにこう命じたのである。

「永慶、有勝――、サイレントデルタの連中と打ち合わせを綿密に行い、来るべき日のために準備を続けろ」

 堀坂の御老の言葉が続く。

「15年前、もう一人の生き残りがあの榊原だ。奴だけは軽傷で済んだ。そして15年前のあの日の前後、不可解な行動が多かった。だが決定的な証拠が見つからなかったためお咎めなしになった。周りはずっと疑惑を抱いていたんだが。結局奴はうまく立ち回り〝襲撃事件から俺を助け出した〟と言う筋書きを周囲に信じ込ませることに成功し、特別顧問就任の足がかりにしやがった」

 それが強欲の榊原の始まりだったのだろう。

「俺はずっとあいつを疑い続けてきた。腹のなかでずっと燻り続けてきた。今でも証拠はねえ。だが――」

 堀坂の御老が手にしていた白木の杖を軽く持ち上げ床に突く。

――カッ――

 小気味良い音が響く。

「――源八の野郎が腹くくってあの日のけじめをつけるとなら別だ。あいつのオヤジとして全力で後押しするまでだ」

 それはヤクザとしてのあり方の一つだった。
 流儀、作法、仁義――それらを重んじる任侠ヤクザだからこそ選びうる行動だったのだ。
 俺も言葉を続けた。

「俺達も全力で事に当たらせていただきます」

 俺は傍らの有勝の方に視線を軽く投げながら言った。

「こいつのような悲惨な境遇の連中が、榊原の野郎の真下には山ほどいる。そいつらの生き血を吸ってあいつは肥太ってる。ヤクザとしての仁義を通す意味でも、緋色会と言う大きな家を守るためにも決して許しちゃいけません」

 俺の言葉に有勝が頷く。
 天龍のオヤジも頷き、堀坂の御老が同意する。

「その通りだ。よろしく頼むぜ」
「はっ」

 俺と有勝が言葉を返す。
 皆の腹は決まった。すべては15年前のケジメを付けるがためにである。
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