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#2 魔鉱都市へようこそ
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結局、喧嘩別れのような形でラソスとのデッキ修正は終わった。ゴーグルを外してスタジアムを出たイオリはそのまま学生寮に戻ると、自室のベッドに横になった。
部屋の角を何となく眺めているイオリの脳裏に思い浮かぶのは、先程のラソスの言葉だった。
(……ラソスさんは、俺の事を心配してくれてるんだよな……)
ラソスが自分のためにわざとああ言ってくれたのだという事はイオリも理解していた。
しかしどうしても自分の気持ちを抑えきれなかったのだ。
ラソスに会ってからというもの、イオリは様々な事を知った。
『Element』もそうだし、実際に体験して来たかのような口ぶりで話す彼女の英雄譚を聞いて、自分がいかに狭い世界しか知らなかったかという事も知った。そして何より、親しい存在も友達さえ居なかったイオリに誰かと遊ぶということの楽しさを教えてもらった。
この世界で唯一、自分を分かってくれる存在。
この世界で唯一、共に在りたいと願える相手。
この世界で唯一、気を許すことの出来る仲間。
例えそれが電子の世界の英雄であっても──イオリにとってラソスは恩人であり、初恋の人であり、かけがえのない友人でもあるのだ。
「…………」
普段ならイオリは、時間があればゴーグルとキーを用いて小さい青色のホログラムとなったラソスと何かしら話したりするのだが、流石に今は何となく気が引けていた。
「どうしたもんかな……」
そう呟き、イオリはネームホルダーから『「救世の英雄」ラソス』のカードを取り出すと、そんな問いの答えを求めるように今一度それをじっくりと見つめた。
カードの左下には『Diamond』という最高レアリティの証である虹色のロゴが刻印されており、カードイラストのラソスは、ショートスカートに青と白を基調としたマスケティア銃士風の衣装を身に纏っている。
見るものに勇気を与える真紅のマントと長く艶やかな黒髪は、凛とした彼女を象徴するかの様に自然と風になびいており、澄んだ青色の瞳からは強い意志を感じさせた。
背景には、中世ヨーロッパ風の世界観を象徴するように、石畳の地面やレンガ造りの家々などが細かく描かれており、中央に立つラソスの周囲にはチラホラと住民と見られる者の姿もあった。
まるで世界の一部を切り抜いて来たかのような精彩なイラストだったが、当然イオリからすればもうすっかり見慣れたものだ。
いくら見た所で何か思いつくわけもなかった。
「寝るか……」
どうも、今の自分は相当ラソスの提案を引きずっているらしい。
そう考えたイオリは一旦仮眠でも取ってから夜にでも冷静な頭で今後の事を考えようと思い、ラソスのカードをベッドのヘッドボードの上にそっと置くと、そのまま瞼を閉ざした。
それからどれくらい経っただろうか。
(……ん?)
ふとイオリは、何者かに体を揺すられている感覚を覚えた。
一人部屋なので誰かが入ってくる事などあり得ないのだが、そんな事よりもイオリはやけに硬くなったベッドに違和感を覚えていた。
まるで石畳の上に寝転んでいるかのように背中が痛い。
結局、背中の痛みと執拗な揺り起こしに耐えかねたイオリが重い瞼を持ち上げると──青い空を背景に、見知った少女の顔が目の前にあった。
「あ!やっと起きた~、大丈夫?」
イオリは一瞬、自分の見ているものが信じられなかった。何故ならそこに居たのは──ラソス本人だったからだ。
(ラ、ラソスさん!!?)
ラソスは羽帽子もマントもつけておらず、普段見慣れたイラストのものよりだいぶ簡素な服装だったが、毎日のように顔を合わせているのだから見間違うはずがない。
イオリが慌てて仰向けの状態から身体を起こすと、ラソスは急に動いたイオリに驚いたのか「うわぁ!?」と叫びながら少し後ずさった。
その時に辺りを見回したイオリは、自分が置かれている状況を飲み込む事が出来なかった。
(どこだよ、ここ……)
そこは中世風の都市内のようだった。
どこまでも続く乳白色の石畳の上にはレンガ作りの街並みが広がり、少し離れた広場らしき場所には噴水があったりと美しい場所であり、イオリの視界に映るそれらの景色の全てが鮮明だった。
だからこそイオリは混乱していた。この美しい景色が、今自身の見ているものが紛れもない現実だという事を示していたからだ。
「ねえ君、本当に大丈夫?立てるかい?」
ラソスは心配そうな表情を浮かべると、頭を抱えるイオリに手を差し伸べてきた。
未だ混乱しているイオリはホログラムには触れるわけがない事も忘れて差し出されたラソスの手を反射的に掴んだのだが、すり抜けて空を切るかと思われたイオリの手は、何故かエラーの手をしっかりと掴む事ができた。
「えっ。うわっ、と!?」
イオリがそれを疑問に思う前に、ラソスはそんな華奢な身体のどこにそんな力があるのだというほどの力強さでイオリの手を引いて、苦もなく立ち上がらせてみせたのだ。
イオリは先程の感触を思い起こすかのように、ラソスに掴まれた方の手のひらにゆっくりと視線を落とした。
(今、触れたん……だよな?やっぱり、夢じゃなくて現実……なのか!?)
何かとんでもない事に巻き込まれたのは分かるが、イオリの持つ常識や知識が邪魔をしていて焦る気持ちが抑えられない。
ホログラムは現実の人間と瓜二つの像を作り出す事が出来るが、それは電子で出来た幻のようなもの。法律云々の前に、そもそも光と同じで決して触れることが出来ないものであるはずなのだ。
「ふむ、どうも怪我もしてないみたいだね。見たことない顔と衣装だけど……もしかして旅人さんかな?」
ラソスはイオリの肩についた砂埃を払ってやると、イオリの服装を眺めながらそう言った。
イオリは自分の服を見てみたが、自分が着ているのは白のインナーとフード付きの灰色のデニムジャケットに、紺色のジーパンという外行きに着ていくごく普通の出で立ちのはずだ。
だが、こちらを遠目から見ている人々の格好はイオリの知る現代のものとは大きく異なる中世風のものであり、何よりラソスの腰には鞘に収められたレイピアと見られる剣が刺してある。
ここまでお膳立てされれば、イオリもここは自分の知っている世界ではないという事を確かな事実として受け止めるしかなかった。
しかし、イオリにはそれに加えて気になる事があった。
「あ、えっと……あの、今は"大陸歴"何年……でしたっけ……?」
大陸歴。
その言葉を出したイオリの質問にラソスはキョトンとした表情を見せると、口元に手を当てて「んー」と小さく呟いた。
そして、数秒ほど考え込んだあとに彼女はイオリの方に向き直ってこう答えた。
「"大陸歴749年"だよ。どうしたんだい、そんな事聞いて?やっぱりどこか痛むのかな?」
ラソスの言葉を聞いた瞬間、イオリは雷に打たれたような感覚を覚えた。
彼女が嘘を言っているようには見えないが、万が一「ある」としたって、よりにもよってそんな事は更にあり得ないはずだった。
大陸歴、とは『Element』のカードのフレーバーテキスト……世界観を説明する際に度々出てくる架空の暦だ。
目の前にカードのキャラクターと全く同じ生きている人間がいるのもあり得ないが、まだ他人の空似だという可能性もなきにしもあらずだった。現にラソスは自分の事を何一つ覚えていないような風なのだから。
だが、大陸歴という単語が通じたところを考えればもうこの結論しかない。
(俺は……異世界に転移したんだ……そして、ここは『Element』の世界、なのか……!?)
「おーい、君ー?何かうわのそらーって感じだけど、大丈夫ー?」
「いや、何でも無いです!ちょっと寝ぼけてただけです!」
イオリは必死に誤魔化しながら、ラソスの視線から逃れるように顔を背けた。彼女は少し納得いかない様子だったが、特に追及する気は無いらしくそれ以上は何も言わなかった。
「そこまで言うなら……まぁ君の健康状態ついてはいいとして。それより、君はどうしてあんな大通りの真ん中で倒れていたんだい?所持品の少なさからから見て……物取りにでも襲われた?」
「あ、ああ……えっと、俺実は記憶喪失で……名前以外、何も覚えていないんですよね……」
イオリが咄嵯に思いついた嘘を口にすると、ラソスは分かりやすいくらい目を丸くして驚いた。
「えっ。き、記憶が無い!?それは大変じゃないか!!それじゃあ、どこから来たかも分からないし帰る場所もないとか?」
「……そうなりますね」
「うーん……困ったな、これは……」
イオリは見知った仲であるラソスの困惑ぶりに申し訳なさを感じたが、今のイオリにとってそれは願ったり叶ったりだった。
何故ならイオリはこの世界の地理──は、まだ多少フレーバーテキストから知っているが、今自分の居る町の名前も場所も分からないのだ。
これからどうすれば良いかなど、皆目見当もつかない。
つまり、何の知識も無いという意味では記憶喪失と大差ない状況であるとも言えるわけだ。
一方、ラソスはそんなイオリの出まかせの話をすっかり信じ込んでしまい、顎に手を当てて考え込んでいた。
「そうだなぁ……とりあえず、騎士団の詰所まで来てくれるかな?そこで詳しい話を聞こう。君の名前……あぁしまった、その前にぼくが何者か、名乗るのを忘れてたね」
ラソスは「こほん」と軽く咳払いをしてから、腰に差してある剣の柄を握りながら一歩後ろに下がると、今までのフレンドリーな様子とは打って変わった真剣な眼差しでイオリの事を見据えた。
『……我が名はラソス。ラソス・ソリティス。プラネテス守護騎士団の副団長にして、魔鉱都市アンプールを守護する者なり』
ラソスがまるで決闘前の名乗りのような堂々とした声色で己の名を名乗った瞬間、周りの空気がピンと張った糸のように張り詰めるのをイオリは肌身を持って感じとった。
だがそれもほんの数秒の事で、ラソスは「んー……」と小さく呟くとまたいつもの元の人の良さそうな笑顔に戻った。
「やっぱり慣れないなぁ。どうして騎士って自己紹介するだけでこんな堅苦しくしなきゃいけないんだろー……」
同情を求めるように軽く肩をすくめて戯けてみせたラソスだったが、当のイオリはそんな彼女の態度の変化についていけず内心驚いていた。
それもそのはず、イオリの記憶にあるラソスはいつも真面目ではあるのだが、どこか気さくな雰囲気を絶やさない存在だったのだ。それを一瞬とは言え完全に封印した上で、全く別人のようなオーラを見せたのだから不思議に思わないわけがなかった。
しかし、ラソスはそんなイオリの様子には気付いていないのか、そのまま話を続け始めた。
「さてと……名乗りも済んだことだ、君の名前を聞かせてくれないかな?」
そう言いながら、ジロジロジロ……という擬音が聞こえそうなほどラソスの瞳はイオリの事をくまなく見つめ回していた。
その瞳は疑いでいっぱいというわけではなく、単純な好奇心から来ているかのように澄み切っており、いくら見つめられてもイオリは嫌な感じがしなかった。
「……俺は、イオリって言います。それ以外は、ちょっと思い出せません……」
「ふむふむ、イオリくんか……よし、それじゃあ詰所まで案内するから、ぼくについて来てくれ」
ラソスは満足気にうんうんと何度も首を縦に振りながらそう言うと、イオリに背を向ける形で振り返った。
イオリと比べてかなり小柄なラソスだが、右も左も分からないイオリには自身を先導するその姿がいつもより大きく見えていた。
魔鉱都市アンプールの街並みを一言で表すなら"華やか"だろう。
活気に溢れた出店が立ち並ぶベージュの石畳の街道を歩き、カラフルな連続三角旗を何度も潜った先にあったのは、周囲の建物よりひと際大きな石造りの二階建ての建物だった。
「あっ、あれ?副団長?」
その建物の入口には、ラソスとは違ってマントなどは羽織っていないが、似たような青い銃士のような制服を着た青髪の女の子が立っており、それがきっとラソスの言っていた『プラネテス守護騎士団』の団員なのだろう。
その女の子はラソスとイオリの姿を見るやいなや、慌てたように小走りで駆け寄って来た。
「副団長、そちらの方は?見たことのない格好をしていますけれど……」
「ああ、えっとね。彼──イオリくんは、道端で気絶してたみたいなんだけど、どうにも記憶が無くなってるらしいんだ。それで、彼の身元が判明するまで騎士団で保護しようと思ってね」
騎士団員だと思われる女の子は、エラーの説明を聞き終えると小さく頭を下げた。
「なるほど……事情は理解しました。しかし、副団長もですか……」
「ん?ボクも?どういう事だい?」
「実は、つい先程団長もこの詰所を訪れまして。なんでも、身元の分からない記憶喪失の少女を保護したらしく……現在も、団長はこの詰所の中におります」
「へぇ……団長もか。記憶喪失の身元不明者が同時に2人……?何か繋がりがあるのかな……」
ラソスは顎に手を当てながら騎士団の詰所と思われる建物の外壁にに目を這わせながらそう呟いた。
イオリはその言葉を聞いて、自分の他にも誰かが『Element』の世界に召喚されているのか……?という考えがふと頭をよぎった。
「……その少女は今どこにいるんだい?」
「えっと……今は談話室で団長と一緒に居ると思います。かなり幼い子供のようでしたから……団長も、随分心配されておりました」
「分かった、ありがとう。あれ、イオリくん?ぼ~っとして、どうかした?何か、思い出しそうで思い出せない事とかあった?」
「あ、いや、そういうのは、特に……」
「そっか……まぁ、とにかく、中に入ろう」
ラソスはそう言うと詰所の扉を押し開けて中へと入って行った。イオリもそれに続いて、ゆっくりと足を踏み入れた。
「……凄い、ですね」
イオリは目の前に広がる光景を見て、思わずそんな感嘆の声を漏らした。騎士団の詰所というから、イオリは内装なんて積み上げた石の壁に梁が露出した天井、それにこじんまりとした木製の椅子と机といった質素なイメージを抱いていた。
だがいざプラネテス守護騎士団の詰所に入ると、吹き抜けになった建物内の床は大理石のようにツルッとした素材のタイルが敷き詰められ、壁は白を基調とした漆喰のような材質の壁になっており、奥には2階へと続く階段も見受けられる。
一言で言い表すなら、ここはエントランスホールだ。
「ふふん、ここは騎士団自慢の建物なんだよ!本部はもっと広いんだけど、これくらいの方がぼくは好きなんだよね~」
ラソスは誇らしげに胸を張ってそう言った。
"良く言えば華奢"な身体付きがその仕草のせいで更に強調され、なんだか見ては悪い気がしたのでイオリはそっと視線を外した。
「さて、まずは団長に話を通しておこうか。君の話を聞くのは、その後かな」
ラソスに案内されたイオリは、しっかりとした造りの階段を上がってそのまま2階へ上がると、建物の2階部分をぐるりと囲うような形をした廊下に出た。廊下といっても木製の床と吹き抜けの部分に手すりがあるだけの簡素なもので、その廊下両側にはそれぞれ、同じデザインの木のドアが2つずつ並んでいる。
ラソスは一番手前にある左側の1つ目のドアの前に立つと、コン、コン、コン……というリズム良く3度ノックをした後、自身の名と所属を先程のような固苦しい口調で名乗った。
「──どうぞ」
木製のドアの向こうから女性のような声が聞こえた後、ラソスはドアノブを握ると一気に開いた。
その談話室と思しき部屋は学校の教室の半分ほどの広さで、木目の綺麗なテーブルと、それを挟むようにして置かれた2つのソファがあった。片方には恐らく騎士団長だと思われる、腰下くらいまではありそうな長い白髪の女性が座っており、もう片方のソファに腰掛けているフードを被った小柄な人物の顔はここからでは見えない。
「こんにちは、テウレア団長!」
「あぁ、こんにちはラソス……ん?その隣の方は?」
ラソスは、こちらに顔を向けたテウレアという白髪の騎士団長にその場でイオリと出会ってからの経緯を簡潔に説明した。その間も、小柄な人物は動こうともしないばかりか身動き一つ取らなかった。
「──なるほど、この方も記憶喪失というわけか……魔鉱都市アンプールにようこそ、私はテウレア、プラネテス守護騎士団の団長を務めている者だ」
「……はじめまして」
(しかし、魔鉱都市はともかく、プラネテス守護騎士団にその団長だと……?)
イオリは何気ない挨拶を交わしつつ、頭の中で疑問符を浮かべた。
ここが『Element』の世界だというなら、当然この世界に存在するものは数百種以上はあったカードに記載されていた何かしらであるはずだ。現に、ラソスは間違いなく『「救世の英雄」ラソス』が元になっているであろう"人間"だ。
魔鉱都市──アンプールという詳細な名称はイオリ自身知らなかったしきっと特に記載されてはいなかったのだろうが、少なくともそういう場所があるという事は知識としては知っていた。
推しカードであるラソスのフレーバーテキスト(カードゲームに於ける、ゲームの進行とは関係ない、架空の世界観や文化を説明する雰囲気作りのための文章のこと)の第1文に『魔鉱都市に突如として現れた剣の天才は──』とあるからだ。
しかし、イオリが知る限り『プラネテス守護騎士団』というワードは『Element』には存在しなかった。ラソスが騎士団所属というのもつい先程知った事だ。
つまり、この世界は『Element』のフレーバーテキストで説明されていた世界に近しいところもある一方で、全く違う部分もあるらしい。
謎が謎を呼ぶ、イオリはそんな身動きの取り辛い状況に置かれていた。
部屋の角を何となく眺めているイオリの脳裏に思い浮かぶのは、先程のラソスの言葉だった。
(……ラソスさんは、俺の事を心配してくれてるんだよな……)
ラソスが自分のためにわざとああ言ってくれたのだという事はイオリも理解していた。
しかしどうしても自分の気持ちを抑えきれなかったのだ。
ラソスに会ってからというもの、イオリは様々な事を知った。
『Element』もそうだし、実際に体験して来たかのような口ぶりで話す彼女の英雄譚を聞いて、自分がいかに狭い世界しか知らなかったかという事も知った。そして何より、親しい存在も友達さえ居なかったイオリに誰かと遊ぶということの楽しさを教えてもらった。
この世界で唯一、自分を分かってくれる存在。
この世界で唯一、共に在りたいと願える相手。
この世界で唯一、気を許すことの出来る仲間。
例えそれが電子の世界の英雄であっても──イオリにとってラソスは恩人であり、初恋の人であり、かけがえのない友人でもあるのだ。
「…………」
普段ならイオリは、時間があればゴーグルとキーを用いて小さい青色のホログラムとなったラソスと何かしら話したりするのだが、流石に今は何となく気が引けていた。
「どうしたもんかな……」
そう呟き、イオリはネームホルダーから『「救世の英雄」ラソス』のカードを取り出すと、そんな問いの答えを求めるように今一度それをじっくりと見つめた。
カードの左下には『Diamond』という最高レアリティの証である虹色のロゴが刻印されており、カードイラストのラソスは、ショートスカートに青と白を基調としたマスケティア銃士風の衣装を身に纏っている。
見るものに勇気を与える真紅のマントと長く艶やかな黒髪は、凛とした彼女を象徴するかの様に自然と風になびいており、澄んだ青色の瞳からは強い意志を感じさせた。
背景には、中世ヨーロッパ風の世界観を象徴するように、石畳の地面やレンガ造りの家々などが細かく描かれており、中央に立つラソスの周囲にはチラホラと住民と見られる者の姿もあった。
まるで世界の一部を切り抜いて来たかのような精彩なイラストだったが、当然イオリからすればもうすっかり見慣れたものだ。
いくら見た所で何か思いつくわけもなかった。
「寝るか……」
どうも、今の自分は相当ラソスの提案を引きずっているらしい。
そう考えたイオリは一旦仮眠でも取ってから夜にでも冷静な頭で今後の事を考えようと思い、ラソスのカードをベッドのヘッドボードの上にそっと置くと、そのまま瞼を閉ざした。
それからどれくらい経っただろうか。
(……ん?)
ふとイオリは、何者かに体を揺すられている感覚を覚えた。
一人部屋なので誰かが入ってくる事などあり得ないのだが、そんな事よりもイオリはやけに硬くなったベッドに違和感を覚えていた。
まるで石畳の上に寝転んでいるかのように背中が痛い。
結局、背中の痛みと執拗な揺り起こしに耐えかねたイオリが重い瞼を持ち上げると──青い空を背景に、見知った少女の顔が目の前にあった。
「あ!やっと起きた~、大丈夫?」
イオリは一瞬、自分の見ているものが信じられなかった。何故ならそこに居たのは──ラソス本人だったからだ。
(ラ、ラソスさん!!?)
ラソスは羽帽子もマントもつけておらず、普段見慣れたイラストのものよりだいぶ簡素な服装だったが、毎日のように顔を合わせているのだから見間違うはずがない。
イオリが慌てて仰向けの状態から身体を起こすと、ラソスは急に動いたイオリに驚いたのか「うわぁ!?」と叫びながら少し後ずさった。
その時に辺りを見回したイオリは、自分が置かれている状況を飲み込む事が出来なかった。
(どこだよ、ここ……)
そこは中世風の都市内のようだった。
どこまでも続く乳白色の石畳の上にはレンガ作りの街並みが広がり、少し離れた広場らしき場所には噴水があったりと美しい場所であり、イオリの視界に映るそれらの景色の全てが鮮明だった。
だからこそイオリは混乱していた。この美しい景色が、今自身の見ているものが紛れもない現実だという事を示していたからだ。
「ねえ君、本当に大丈夫?立てるかい?」
ラソスは心配そうな表情を浮かべると、頭を抱えるイオリに手を差し伸べてきた。
未だ混乱しているイオリはホログラムには触れるわけがない事も忘れて差し出されたラソスの手を反射的に掴んだのだが、すり抜けて空を切るかと思われたイオリの手は、何故かエラーの手をしっかりと掴む事ができた。
「えっ。うわっ、と!?」
イオリがそれを疑問に思う前に、ラソスはそんな華奢な身体のどこにそんな力があるのだというほどの力強さでイオリの手を引いて、苦もなく立ち上がらせてみせたのだ。
イオリは先程の感触を思い起こすかのように、ラソスに掴まれた方の手のひらにゆっくりと視線を落とした。
(今、触れたん……だよな?やっぱり、夢じゃなくて現実……なのか!?)
何かとんでもない事に巻き込まれたのは分かるが、イオリの持つ常識や知識が邪魔をしていて焦る気持ちが抑えられない。
ホログラムは現実の人間と瓜二つの像を作り出す事が出来るが、それは電子で出来た幻のようなもの。法律云々の前に、そもそも光と同じで決して触れることが出来ないものであるはずなのだ。
「ふむ、どうも怪我もしてないみたいだね。見たことない顔と衣装だけど……もしかして旅人さんかな?」
ラソスはイオリの肩についた砂埃を払ってやると、イオリの服装を眺めながらそう言った。
イオリは自分の服を見てみたが、自分が着ているのは白のインナーとフード付きの灰色のデニムジャケットに、紺色のジーパンという外行きに着ていくごく普通の出で立ちのはずだ。
だが、こちらを遠目から見ている人々の格好はイオリの知る現代のものとは大きく異なる中世風のものであり、何よりラソスの腰には鞘に収められたレイピアと見られる剣が刺してある。
ここまでお膳立てされれば、イオリもここは自分の知っている世界ではないという事を確かな事実として受け止めるしかなかった。
しかし、イオリにはそれに加えて気になる事があった。
「あ、えっと……あの、今は"大陸歴"何年……でしたっけ……?」
大陸歴。
その言葉を出したイオリの質問にラソスはキョトンとした表情を見せると、口元に手を当てて「んー」と小さく呟いた。
そして、数秒ほど考え込んだあとに彼女はイオリの方に向き直ってこう答えた。
「"大陸歴749年"だよ。どうしたんだい、そんな事聞いて?やっぱりどこか痛むのかな?」
ラソスの言葉を聞いた瞬間、イオリは雷に打たれたような感覚を覚えた。
彼女が嘘を言っているようには見えないが、万が一「ある」としたって、よりにもよってそんな事は更にあり得ないはずだった。
大陸歴、とは『Element』のカードのフレーバーテキスト……世界観を説明する際に度々出てくる架空の暦だ。
目の前にカードのキャラクターと全く同じ生きている人間がいるのもあり得ないが、まだ他人の空似だという可能性もなきにしもあらずだった。現にラソスは自分の事を何一つ覚えていないような風なのだから。
だが、大陸歴という単語が通じたところを考えればもうこの結論しかない。
(俺は……異世界に転移したんだ……そして、ここは『Element』の世界、なのか……!?)
「おーい、君ー?何かうわのそらーって感じだけど、大丈夫ー?」
「いや、何でも無いです!ちょっと寝ぼけてただけです!」
イオリは必死に誤魔化しながら、ラソスの視線から逃れるように顔を背けた。彼女は少し納得いかない様子だったが、特に追及する気は無いらしくそれ以上は何も言わなかった。
「そこまで言うなら……まぁ君の健康状態ついてはいいとして。それより、君はどうしてあんな大通りの真ん中で倒れていたんだい?所持品の少なさからから見て……物取りにでも襲われた?」
「あ、ああ……えっと、俺実は記憶喪失で……名前以外、何も覚えていないんですよね……」
イオリが咄嵯に思いついた嘘を口にすると、ラソスは分かりやすいくらい目を丸くして驚いた。
「えっ。き、記憶が無い!?それは大変じゃないか!!それじゃあ、どこから来たかも分からないし帰る場所もないとか?」
「……そうなりますね」
「うーん……困ったな、これは……」
イオリは見知った仲であるラソスの困惑ぶりに申し訳なさを感じたが、今のイオリにとってそれは願ったり叶ったりだった。
何故ならイオリはこの世界の地理──は、まだ多少フレーバーテキストから知っているが、今自分の居る町の名前も場所も分からないのだ。
これからどうすれば良いかなど、皆目見当もつかない。
つまり、何の知識も無いという意味では記憶喪失と大差ない状況であるとも言えるわけだ。
一方、ラソスはそんなイオリの出まかせの話をすっかり信じ込んでしまい、顎に手を当てて考え込んでいた。
「そうだなぁ……とりあえず、騎士団の詰所まで来てくれるかな?そこで詳しい話を聞こう。君の名前……あぁしまった、その前にぼくが何者か、名乗るのを忘れてたね」
ラソスは「こほん」と軽く咳払いをしてから、腰に差してある剣の柄を握りながら一歩後ろに下がると、今までのフレンドリーな様子とは打って変わった真剣な眼差しでイオリの事を見据えた。
『……我が名はラソス。ラソス・ソリティス。プラネテス守護騎士団の副団長にして、魔鉱都市アンプールを守護する者なり』
ラソスがまるで決闘前の名乗りのような堂々とした声色で己の名を名乗った瞬間、周りの空気がピンと張った糸のように張り詰めるのをイオリは肌身を持って感じとった。
だがそれもほんの数秒の事で、ラソスは「んー……」と小さく呟くとまたいつもの元の人の良さそうな笑顔に戻った。
「やっぱり慣れないなぁ。どうして騎士って自己紹介するだけでこんな堅苦しくしなきゃいけないんだろー……」
同情を求めるように軽く肩をすくめて戯けてみせたラソスだったが、当のイオリはそんな彼女の態度の変化についていけず内心驚いていた。
それもそのはず、イオリの記憶にあるラソスはいつも真面目ではあるのだが、どこか気さくな雰囲気を絶やさない存在だったのだ。それを一瞬とは言え完全に封印した上で、全く別人のようなオーラを見せたのだから不思議に思わないわけがなかった。
しかし、ラソスはそんなイオリの様子には気付いていないのか、そのまま話を続け始めた。
「さてと……名乗りも済んだことだ、君の名前を聞かせてくれないかな?」
そう言いながら、ジロジロジロ……という擬音が聞こえそうなほどラソスの瞳はイオリの事をくまなく見つめ回していた。
その瞳は疑いでいっぱいというわけではなく、単純な好奇心から来ているかのように澄み切っており、いくら見つめられてもイオリは嫌な感じがしなかった。
「……俺は、イオリって言います。それ以外は、ちょっと思い出せません……」
「ふむふむ、イオリくんか……よし、それじゃあ詰所まで案内するから、ぼくについて来てくれ」
ラソスは満足気にうんうんと何度も首を縦に振りながらそう言うと、イオリに背を向ける形で振り返った。
イオリと比べてかなり小柄なラソスだが、右も左も分からないイオリには自身を先導するその姿がいつもより大きく見えていた。
魔鉱都市アンプールの街並みを一言で表すなら"華やか"だろう。
活気に溢れた出店が立ち並ぶベージュの石畳の街道を歩き、カラフルな連続三角旗を何度も潜った先にあったのは、周囲の建物よりひと際大きな石造りの二階建ての建物だった。
「あっ、あれ?副団長?」
その建物の入口には、ラソスとは違ってマントなどは羽織っていないが、似たような青い銃士のような制服を着た青髪の女の子が立っており、それがきっとラソスの言っていた『プラネテス守護騎士団』の団員なのだろう。
その女の子はラソスとイオリの姿を見るやいなや、慌てたように小走りで駆け寄って来た。
「副団長、そちらの方は?見たことのない格好をしていますけれど……」
「ああ、えっとね。彼──イオリくんは、道端で気絶してたみたいなんだけど、どうにも記憶が無くなってるらしいんだ。それで、彼の身元が判明するまで騎士団で保護しようと思ってね」
騎士団員だと思われる女の子は、エラーの説明を聞き終えると小さく頭を下げた。
「なるほど……事情は理解しました。しかし、副団長もですか……」
「ん?ボクも?どういう事だい?」
「実は、つい先程団長もこの詰所を訪れまして。なんでも、身元の分からない記憶喪失の少女を保護したらしく……現在も、団長はこの詰所の中におります」
「へぇ……団長もか。記憶喪失の身元不明者が同時に2人……?何か繋がりがあるのかな……」
ラソスは顎に手を当てながら騎士団の詰所と思われる建物の外壁にに目を這わせながらそう呟いた。
イオリはその言葉を聞いて、自分の他にも誰かが『Element』の世界に召喚されているのか……?という考えがふと頭をよぎった。
「……その少女は今どこにいるんだい?」
「えっと……今は談話室で団長と一緒に居ると思います。かなり幼い子供のようでしたから……団長も、随分心配されておりました」
「分かった、ありがとう。あれ、イオリくん?ぼ~っとして、どうかした?何か、思い出しそうで思い出せない事とかあった?」
「あ、いや、そういうのは、特に……」
「そっか……まぁ、とにかく、中に入ろう」
ラソスはそう言うと詰所の扉を押し開けて中へと入って行った。イオリもそれに続いて、ゆっくりと足を踏み入れた。
「……凄い、ですね」
イオリは目の前に広がる光景を見て、思わずそんな感嘆の声を漏らした。騎士団の詰所というから、イオリは内装なんて積み上げた石の壁に梁が露出した天井、それにこじんまりとした木製の椅子と机といった質素なイメージを抱いていた。
だがいざプラネテス守護騎士団の詰所に入ると、吹き抜けになった建物内の床は大理石のようにツルッとした素材のタイルが敷き詰められ、壁は白を基調とした漆喰のような材質の壁になっており、奥には2階へと続く階段も見受けられる。
一言で言い表すなら、ここはエントランスホールだ。
「ふふん、ここは騎士団自慢の建物なんだよ!本部はもっと広いんだけど、これくらいの方がぼくは好きなんだよね~」
ラソスは誇らしげに胸を張ってそう言った。
"良く言えば華奢"な身体付きがその仕草のせいで更に強調され、なんだか見ては悪い気がしたのでイオリはそっと視線を外した。
「さて、まずは団長に話を通しておこうか。君の話を聞くのは、その後かな」
ラソスに案内されたイオリは、しっかりとした造りの階段を上がってそのまま2階へ上がると、建物の2階部分をぐるりと囲うような形をした廊下に出た。廊下といっても木製の床と吹き抜けの部分に手すりがあるだけの簡素なもので、その廊下両側にはそれぞれ、同じデザインの木のドアが2つずつ並んでいる。
ラソスは一番手前にある左側の1つ目のドアの前に立つと、コン、コン、コン……というリズム良く3度ノックをした後、自身の名と所属を先程のような固苦しい口調で名乗った。
「──どうぞ」
木製のドアの向こうから女性のような声が聞こえた後、ラソスはドアノブを握ると一気に開いた。
その談話室と思しき部屋は学校の教室の半分ほどの広さで、木目の綺麗なテーブルと、それを挟むようにして置かれた2つのソファがあった。片方には恐らく騎士団長だと思われる、腰下くらいまではありそうな長い白髪の女性が座っており、もう片方のソファに腰掛けているフードを被った小柄な人物の顔はここからでは見えない。
「こんにちは、テウレア団長!」
「あぁ、こんにちはラソス……ん?その隣の方は?」
ラソスは、こちらに顔を向けたテウレアという白髪の騎士団長にその場でイオリと出会ってからの経緯を簡潔に説明した。その間も、小柄な人物は動こうともしないばかりか身動き一つ取らなかった。
「──なるほど、この方も記憶喪失というわけか……魔鉱都市アンプールにようこそ、私はテウレア、プラネテス守護騎士団の団長を務めている者だ」
「……はじめまして」
(しかし、魔鉱都市はともかく、プラネテス守護騎士団にその団長だと……?)
イオリは何気ない挨拶を交わしつつ、頭の中で疑問符を浮かべた。
ここが『Element』の世界だというなら、当然この世界に存在するものは数百種以上はあったカードに記載されていた何かしらであるはずだ。現に、ラソスは間違いなく『「救世の英雄」ラソス』が元になっているであろう"人間"だ。
魔鉱都市──アンプールという詳細な名称はイオリ自身知らなかったしきっと特に記載されてはいなかったのだろうが、少なくともそういう場所があるという事は知識としては知っていた。
推しカードであるラソスのフレーバーテキスト(カードゲームに於ける、ゲームの進行とは関係ない、架空の世界観や文化を説明する雰囲気作りのための文章のこと)の第1文に『魔鉱都市に突如として現れた剣の天才は──』とあるからだ。
しかし、イオリが知る限り『プラネテス守護騎士団』というワードは『Element』には存在しなかった。ラソスが騎士団所属というのもつい先程知った事だ。
つまり、この世界は『Element』のフレーバーテキストで説明されていた世界に近しいところもある一方で、全く違う部分もあるらしい。
謎が謎を呼ぶ、イオリはそんな身動きの取り辛い状況に置かれていた。
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